-蛇落の褥- 4-3
日がかたむき、ヒグラシが鳴き始める頃には、ザルに山盛りの抜け殻が集まった。
正直、こんなにあると気色悪いと、恭一郎は目元を引きつらせる。
「いっぱい集まったね~!!」
「たね~!」
「小梅、どこに並べようか?柱とか引っかかるかな?」
「かるあな~?」
そんな二人を、夢彦は目尻を下げて、いとおしそうに見つめた。
一方、蝉の抜け殻まみれになった部屋を想像し、恭一郎は溜息をつく。
「じゃ、帰るぞ」
恭一郎が、ザルの縁に手をかけて持ち上げると、ポロポロと蝉の抜け殻が幾つか落ちた。
どう拾おうか恭一郎が眉根を寄せると、夢彦が拾い上げる。
「一人では大変だろう。一緒に家まで運ぶ」
「帰りが遅くなるぞ」
「まだまだ明るい」
そう言うと夢彦は、蝉の抜け殻が落ちる度に拾い上げ、恭一郎の自宅へと続く坂道をついて来た。
小鈴と小梅は、あれだけ大騒ぎして遊んだのにも関わらず、丘を駆け上がって先に行ってしまっている。
恭一郎は、その有り余る元気さに呆れつつ、丘の麓に広がる赤く染まった田園風景を眺めた。
入道雲は空全体に広がりはじめ、幻想的な色に輝いている。
「夢彦、夕焼けが綺麗だ」
「本当だ。でも、帰らねばならんから、見てるとさびしくなる」
「そうか・・・帰りは独りだしな」
「それもそうだが―――なぁ、恭一郎」
「何だ?」
「その脚は、どうした?」
今日は聞かれないだろうと思っていたのに。
恭一郎は心臓が締め上げられた心地となり、耳元で脈動が轟々と唸って聞こえた。
歯を食いしばり、なんとか気持ちを落ち着かせながら、つぶやくように返答する。
「つまづいて、打った」
「つまづいて、ふくらはぎの側面にアザが出来るのか?」
「小鈴たちが、部屋を散らかしてたからな」
すると突然、夢彦の足音が止まった。
恭一郎は、このまま先に進もうとしたが、沈黙する夢彦から、どうにも逃れられないような気配を感じ、足を止める。
しかし、振り返る勇気がなかった。
振り返ったら、家に帰れなくなりそうであった。
「親父さんは、相変わらずなのか」
「・・・まじめで、いつもは優しい・・・小鈴たちの事も大好きで」
「あぁっ!!そして飲んだっくれると、お前に手を上げる最低な奴だ!!」
「いつもじゃない」
「十中八九を、いつもじゃないとは言わない!!」
「頼むからキレないでくれ」
「私は、お前がいつか殺されるんじゃないかと心配なんだ!!」
「そうだとしても、お前には関係ないし、お前に出来る事なんて何もない」
「―――っ!」
夢彦は、悲壮を込めた瞳で、恭一郎を睨みつけた。
その視線を背に受け、恭一郎の心がえぐられる。
「そんなことない・・・私が、お前の親父さんを止める」
「親父は、村一番の剛力なんだぞ・・・お前じゃ、絶対にかなわない」
「殴られようが蹴られようが、かまわぬ!!」
「・・・お前が大怪我したら、俺たち家族は、村を追い出される」
無二の親友からの、完全な戦力外通告に、夢彦は絶望の色を浮かべた。
恭一郎は一切振り向かず、ザルの中の蝉の抜け殻たちをジッと見つめる。
「・・・酔いがさめれば、いつも通りに戻る」
「―――」
「大丈夫・・・きっと親父も、いつかやめてくれる」
まるで、蝉の抜け殻たちに言い聞かせるように、恭一郎はつぶやいた。
陽が、段々と沈んで行き、夜の帳が降り始める。
ヒグラシのうるさい輪唱の中、夢彦は悲哀のこもった声を上げた。
「・・・辛いな」
恭一郎のザルを持つ手に、力がこもった。
次第にその手が震え、蝉の抜け殻が乾いた音を上げて落ちて行く。
まるで死骸のように転がるそれらを眺め、夢彦は瞳に暗い影を宿した。
「なぁ・・・恭一郎」
「・・・何だ?」
「お前の親父さん・・・」
――殺してやろうか
恭一郎は一瞬、目の前が真っ暗になった。
ヒグラシのけたたましい鳴き声が、鼓膜をなぶる。
今・・・なんて言った?
聞き間違いではないかと、恭一郎は、恐る恐る、後ろを振り返る。
夕日の逆光で、夢彦の顔は黒い布を被せたかのように捉えることが出来ない。
しかし、凍てつくような眼光が、明らかに恭一郎に向けられていた。
喉が異常に渇き、嫌な汗が全身を伝う。
それでも懸命に、恭一郎は声を振り絞った。
「こ・・・こわいこと、いうなよ・・・」
夢彦は、我に返ったように目を見開いた。
片手を額に当て、後悔したようにうつむく。
「・・・すまん」
夢彦は、蝉の抜け殻を足元に落とし、そのまま来た道を駆け降りて行く。
恭一郎は、その後ろ姿を見送りながら呆然と立ち尽くした。
すると、不意に丘の上から小鈴に呼び掛けられ、やっと恭一郎は我に返る。
「恭兄ぃ、どうしたの?・・・夢兄ぃは?」
「・・・夢兄ぃは?」
恭一郎は、にじむ視界を悟られぬよう、黙ってうつむいた。
そして、そのまま前髪で目元を隠し、夕日に追いやられるよう家路についたのだった。




