-媼主の速贄- 40
―― 昭和二十一年 夏
終戦から丸一年が経ち、じょじょにではあったが、日本は戦争からの復興へと向かっていた。
恭一郎の故郷にも、出征地からの帰還者が少しずつ戻り、かつての賑わいを取り戻しつつある。
その為、ギスギスしていた村の実質権力者である小鈴も、やや穏やかな顔になったと、村人たちはウワサし合っていた。
「まったく・・・人を雷様みたいに、みんな言うのよ」
「小鈴さんが元気になられて、みんな嬉しいんだと思います」
「私は戦時中も、元気なつもりだったんだけどなぁ」
ブツブツ言いながら、小鈴は露光の髪をクシでとかした。
さらりとした触り心地に、小鈴は感嘆の溜息をつく。
「露光さんの髪、真っすぐでサラサラで羨ましいなぁ」
「小鈴さんも綺麗に結い上げてて素敵ですよ」
「本当~!?もう旦那ですら褒めてくれないから嬉しいな~」
そう言いながら、小鈴は露光の長い髪を結い上げた。
慣れた手さばきに、露光は鏡を見ながら目を見張る。
「すごい・・・こんな編み方、絶対出来ません」
「本当は美容師になりたかったのよね。でも、旦那に嫁に来てくれって土下座されて、地主の家に嫁いじゃった」
「地主のお嫁さんも、とても素敵だと思います。私も花嫁衣装とか、着てみたい・・・」
夏の日差しを受けて青く輝く山々を、露光は遠い目で眺めた。
儚げな面持ちの露光に、小鈴は両肩をポンと叩く。
「恭兄ぃと?」
露光は顔を真っ赤にすると、口元を抑えた。
あまりに初々しい反応に、小鈴はしたり顔を浮かべる。
「あんなのでイイの?売れ残りだよ」
「う、売れ残りって・・・」
するとそこに、くぐもったブレーキ音が庭先から響いて来た。
二人が、そちらに顔を向けると、駐在姿の斉藤が、爽やかな笑顔を向ける。
斉藤は自転車のスタンドを立てると、小走りで掛け寄って来た。
「おはようございます!露光さん、今日の体調はいかがですか?」
「ありがとう。とても良いわ」
「あ、その髪、小鈴さんが結ったんですか?」
小鈴が得意そうにふんぞり返ると、斉藤が目を輝かせて拍手をした。
媚びるつもりもなく純粋に感心する様子に、小鈴は吹き出して困った笑みを浮かべる。
「斉藤さん・・・本気で感心しないでよぉ。わざとらしくふんぞり返ったのが、逆に恥ずかしいじゃない」
「いやいや、お見事です。俺なんか、手先が不器用すぎて、絶対無理ですよ」
斉藤が小鈴を褒めちぎっていると、家の奥から静々と足音が聞こえて来た。
縁側まで出ると、その髪が金糸のようにキラリときらめく。
「ロコー、カタヅケ、オワリマシタ」
「ありがとうございます、マリーさん」
マリーと呼ばれた外国人は上品に微笑んだ。
そして、斉藤に向かって軽く会釈をする。
すると、斉藤はマリーの両手を取り、申し訳なさそうな顔をした。
「マリーさん・・・昨日の冷製スープ、本当に美味かったです!俺、アレがなかったら、一週間連続そうめんだけでした」
「ロコ―、セワのツイデ。モット、チャントシナサイ」
苦笑いを浮かべる斉藤に、マリーは溜息をついた。
しかし、斉藤はアッと何か思い出した顔をすると、自転車の荷台に戻る。
「これ、みんなで食べてくれって、恭一郎さんから」
後ろの荷台にくくり付けたカゴから、斉藤は大振りのスイカを取り上げた。
すると、斉藤の背後で、茂みがガサガサと突然動き出す。
「やった~!恭おじさんのスイカだぁああ!!」
大声と共に、茂みの葉が、爆破したように吹き飛んだ。
そして、かやぶき色の髪を木の葉だらけにして、一人の青年が顔を出す。
思いもしなかった場所から登場した人物に、斉藤は危うくスイカを取り落としそうになった。
「か・・・薫くん!?・・・なんで、そんな所から」
「アリの観察してた」
よく見ると、頬についているのは土ではなく、何かの画材の顔料であった。
しかし、白いシャツとズボンは、泥遊びでもしたかのように汚れている。
少年が、そのまま図体がデカくなったようにしか見えないと、斉藤は密かに思った。
「ねぇねぇ!アリってスゴイんだよ!!自分よりずっと大きなエサをね」
「あぁ・・・えっと、長くなりそうだから、また今度でイイ?」
斉藤のつれない態度に、頬を膨らませた薫であったが、手に持ったスイカに心奪われたのか、遠慮の欠片もなく目を輝かせた。
マリーは、そんな様子の薫に呆れた眼差しを送り、部屋の奥へと踵を返す。
しかし、無言で立ち去ろうとするマリーに、薫は近所に響き渡るくらい、大きな声を張り上げた。
「マリー、一緒に食べようよ!!」
「ワタシ、シゴトでキテル。ナレアウ、ヨクナイ」
「この前、デイヴィットは食べてたよ。マリーも食べよ!」
額に手をやって、マリーが大仰に溜息をついた。
そんなマリーに、露光が囁くように声を上げる。
「マリー・・・今日は暑いから、体の為にも食べた方が良いわ」
「ロコ―、ワタシハ」
「マリーが倒れたら・・・私が、色々困るでしょ」
「・・・ワカリマシタ。シゴト、デスネ」
マリーの顔色をうかがうと、小鈴は笑顔で斉藤からスイカを受け取り、台所へと引っ込んだ。
そして、あっという間に切り分けて、お盆と皿に載せて来る。
「はぁ~い、どうぞ!」
「いっただきま~す!!」
薫は、イの一番にスイカを手に取って、豪快にかぶりついた。
斉藤とマリーも小鈴から受け取ると、宝石のようにきらめく実に、そっとかぶりつく。
そして間髪入れず、二人は信じられないといった顔で、小鈴を凝視した。
「な、なんすか、このスイカ・・・」
「あれ、マズかった?」
「俺・・・塩もかけずに甘いと感じるスイカ・・・初めて食べました」
驚愕の眼差しを向けられ、小鈴は吹き出すように笑いだした。
斉藤は、マリーに同意を求めるように視線を向ける。
「恭兄ぃのスイカは品種改良してて、他所より甘いのよ」
「いや・・・でも・・・・砂糖みたいに甘いですよ!?」
「こだわりの逸品だからね~。最近、幹久さんに話付けてもらって、皇室にも納品してるのよ」
斉藤の手が震えだし、どうしようという顔に変わった。
完全にかしこまってしまった様子に、更に小鈴は腹を抱えて笑う。
「味、分かんなくなっちゃった?」
「いえ・・・こんな心境ですら、甘く感じる事に驚きです」
「じゃあ、恭兄ぃにも、そう言ってあげて」
小鈴がニコニコ微笑んでいる横で、露光は小さく溜息をついた。
それに気が付いたマリーが、心配そうにかがみこむ。
「ロコ―、ドウシマシタ?」
「あ、いえ・・・」
「オナカ、スキマシタカ?」
その言葉に、斉藤と薫が素早く向き直った。
一気に注目を受けて、露光はドギマギする。
「い、いえ・・・違います。あまりに甘いので、ビックリして・・・」
「ナラ、イイノデスガ」
マリーは安堵したように微笑むと、露光から視線を外した。
ところが、小鈴は引っかかるものを感じたのか、露光をジッと見つめ続ける。
あまりに凝視され、『死鬼喰み』の事がバレるのではと、露光は手に汗をかいた。
「美味しいもんねぇ、スイカ」
「・・・はい」
「そりゃ、作った本人に感想を言いたいわよねぇ」
スイカのように顔を真っ赤にした露光に、小鈴はニンマリと笑みを向けた。
そして、縁側から雪駄を履いて降りると、畑のある方へと歩き出す。
「あ、あの、小鈴さん!?」
「顔出しなさいって言ってくるわ」
「あ、あのっ・・・きっと忙しいですから」
「時間は作るものよ」
颯爽と歩いていく後ろ姿が、どこか恭一郎と重なるものがあり、露光は諦めるように見送った。
そして、露光の心境が小鈴の読み通りだったらしいと気付いた三人も、呆然として遠のく後ろ姿を見つめる。
「小鈴さんって、『鬼』が見えないのに鋭いですよね・・・」
「鈴姉ぇは、僕の父さんに『鬼』の名付けをしてもらってるから、『瘴気』の耐性も強いし、敵に回すと厄介なんだよね」
「タカユキとカオルより、カンシイン、ムイテル」
斉藤が苦々しく笑うと、マリーは不敵に笑った。
そして薫は、他人事のように大笑いし始める。
しかし、そんな三人に微笑を浮かべながらも、露光は物憂げに瞳を潤ませたのであった。




