-媼主の速贄- 38
小さな中庭に、夏の日差しを受けて、手水鉢の水面がキラキラと輝いている。
木漏れ日が、周りの黒い玉石の暗さを際立たせ、真夏の昼間だというのに涼やかであった。
そんな趣のある庭を、露光は縁側に座って眺めていた。
水の揺らぎが、つぶらな瞳を瑞々しく照らし、色白な肌を幻想的に彩る。
「露光」
露光は振り返り、閉じられた襖に目を向けた。
聞きなれた声に、口元をほころばせて返事をすると、ゆっくりと襖が開く。
すると、廊下に正座した恭一郎と幹久、そして、斉藤が顔をのぞかせた。
恭一郎以外にも人がいた事に、露光は密かに驚く。
「二人を覚えてるか?」
「えぇ・・・あの時の警察の方」
恭一郎は先に室内に入ると、露光に手を貸して、縁側から部屋の中へといざなった。
恭一郎に支えられながら座ると、露光は不安げな顔で、幹久と斉藤を見つめる。
二人は部屋に入って正座すると、露光に向かって頭を下げた。
「陰陽寮、寮長代理に就任いたしました―――宝条幹久と申します」
「ほ、補佐官の・・・さ、斉藤貴之と申します」
露光が暗い瞳を向けると、斉藤は口元を引きつらせた。
そんな斉藤を、幹久は肘で小突く。
「す、すみません・・・緊張してまして」
「いえ・・・私の方こそ・・・あの時は、申し訳ありませんでした」
「え・・・いや・・・」
「・・・私が・・・・怖いでしょ?」
つぶらな瞳が不安に満ち満ちた様子で、ジッと斉藤を見つめて来た。
今にも泣きそうな様子に、斉藤は慌てふためく。
「・・・あの、違うんです!・・・俺、こういうかしこまった場が、本当に苦手なんですよっ!」
「・・・・私は・・・・貴方を食べたくて仕方なかったわ」
「―――」
「正直に言って・・・私も、自分が怖い」
露光の瞳が、今にも涙がこぼれそうなほど潤んだ。
その恐怖と真剣さに、斉藤は居住まいを正す。
「怖いです・・・でも、そう思わない奴に、ヒドい目に合わせられて来たんですよね?」
「―――」
「『死鬼喰み』を、畏怖の念を持って尊く奉るのが、日本古来の姿だったと聞いています。それに準じて貴女を保護するのが、俺の仕事ですから」
露光が目を丸くして見つめると、斉藤は苦笑いを浮かべた。
急に照れ臭くなったのか、目を泳がす。
「あ、あの・・・本当に、これ以上かしこまった雰囲気になると、どもるんで・・・勘弁して下さい・・・」
露光が微笑を浮かべると、斉藤は顔を真っ赤にした。
その横で、幹久が溜息交じりに笑う。
「なので、僕の方から状況報告させていただきます。恭一郎さんも、宜しいですか?」
「あまり、博識をひけらかす内容でなければ」
含み笑いを恭一郎が浮かべると、幹久が苦笑いを浮かべた。
どこか和んだ雰囲気に、露光と斉藤も殺伐とした空気を一新させられる。
「まず、一番懸念していた、『死鬼喰み』の身柄を米国に引き渡す話は、回避されました」
「・・・すごいな・・・無理だと思って覚悟してたのに」
「もちろん、色々条件が課せられていて、恭一郎さんたちの行動には、大きく制限がかかります」
「だろうな」
「GHQの監視員が常に側にいる事になりますし、海外への渡航が一切禁止されます」
恭一郎が神妙な顔でうなずくと、露光も不安げにうなずいた。
二人の顔色に、幹久は控えめに微笑む。
「ただ、向こうに好き勝手されるのも困りますから、日本側からも監視員を付けます」
幹久は、掌を上に向けて斉藤を指し示めした。
その動作に、斉藤は改めて身を正す。
「監視員は、二人付けることになっていて―――一 一人はコチラの斉藤が請け負います。もう一人は、まだ交渉中です」
斉藤は軽く会釈すると、やる気満々といった顔で笑った。
若々しい印象が強まり、きりりと清々しいと、恭一郎は思う。
「僕もですが、彼は『鬼』を認知できません。幻術にも掛かりやすいですし」
「宝条さん・・・水を差さないで下さいよ」
「もちろん、対策しておきます・・・・死ぬ気で」
死ぬ気という一言に、斉藤の笑みが、若干歪んだ。
まるで、陸軍の鬼教官に睨まれた新人のようだと、恭一郎は密かに同情する。
そんな恭一郎の心境を知ってか知らずか、幹久が涼やかに微笑んだ。
「大丈夫です。露光さんと一緒に千葉に帰るまでには、仕上げておきますから」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、恭一郎は、幹久を見返した。
あまりに驚いた様子に、幹久は、きょとんとした顔を向ける。
「あれ・・・お二人は、そういう関係ではないのですか?」
「え・・・いや・・・」
恭一郎が露光に視線を向けると、露光が期待の眼差しで見つめ返してきた。
変な汗がにじんで来て、恭一郎は思わず身を引き、幹久に視線を戻す。
「その・・・帰れると、思ってなかった」
「あ、言い忘れました。東京は立ち入り禁止区域となります。他県にもいくつか立ち入れない場所がありますが、恭一郎さんのご実家は、対象区域でなかったものですから」
「・・・そうか」
「もしかして、露光さんの身の回りの世話の事が気がかりでしょうか?」
「・・・あ、あぁ」
「東雲さんを就かせたいとは思っているのですが、前任の寮長だった『裏御前』に近過ぎる立場という事で難航してまして・・・GHQ側で、看護婦を監視員に付けるという案が出ていますが」
微妙な顔をする恭一郎に、幹久は首をかしげた。
すると横から、斉藤が幹久の袖を引っ張る。
「宝条さん、いきなり監視付きで帰れなんて言われたら、誰だって微妙な気分になりますよ」
「あぁ・・・そうか」
「しかも、僕たちと違って、二人は『鬼』が見えるんですよ。幽霊みたいに、普通は見えないものに見られる生活が待っいて、いい気分なワケないじゃないですか」
幹久にうかがうような視線を向けられ、恭一郎は苦笑いを浮かべた。
同じように見てくる露光の不安げな様子に、小さく溜息をつく。
「監視員の事は、当然の対応だし・・・今も、監視されてるだろ」
「あ・・・はい」
「そこまで気にならない・・・ただ」
「ただ?」
「頭では分かってても・・・色々と、気持ちが追い付いてない」
恭一郎が膝に乗せた手を握り締めると、露光は恭一郎の手に、自分の手を添えた。
だが、恭一郎がビクッと打ち震えた為、思わず手を放す。
「色々と手をまわしてくれて感謝もしてるし、露光の事も守ってやらないと、とは思ってる・・・でも」
恭一郎は、額に手を当てて、気まずそうに露光を見やった。
困惑した様子に、三人は相槌も打てず、沈黙する。
「露光の方が、ずっと若い・・・・会って、間もないのに・・・」
「恭一郎・・・?」
「悪い・・・『虚』と同じ気持ちで、露光を見ることが出来ない」
恭一郎が黙り込んで視線をそらすと、露光は沈んだ顔でうつむいた。
二人の間に流れる重い空気に、斉藤が明らかに戸惑う。
幹久も、思いもしなかった恭一郎の心境に、小さく唸った。
すると、露光の口から、小さい声でありながら、芯の通った声がこぼれ落ちる。
「・・・待ってる」
つぶらな瞳が細くなり、艶やかな唇が控えめにほころんだ。
どこか甘やかな雰囲気に、恭一郎は息を呑む。
「貴方が・・・いえ、『虚』も私を待ってくれたから・・・・今度は、私が待つわ」
恭一郎は両手で顔を抑えると、座ったままうずくまった。
小さくうめく恭一郎に、露光が慌てて背中に手を添える。
「だ・・・大丈夫?」
「アイツから・・・言い寄ったのか・・・」
苦悶した声を上げる恭一郎を、斉藤が気の毒そうな目で見つめた。
そんな斉藤の背中を、幹久は眉間にシワを寄せ、けん制するように軽く叩く。
「斉藤君、ちゃんとして・・・」
「いや、だって・・・『鬼』を認知できるって、すごく大変そうじゃないですか」
「東雲さんも言ってただろ・・・・色々と面倒な事が起きやすいって」
「そうですけど・・・これって、最たるモノじゃないですか?」
さすがの幹久も、どうにも手立てが浮かばず、苦笑いを浮かべた。
顔を上げられない恭一郎の横で、露光は人差し指を立てて口元に添える。
下手に慰めるのも傷をえぐりそうだと判断し、後日出直しますと一言告げ、幹久と斉藤は部屋を後にしたのだった。




