-媼主の速贄- 36
真っ白な天井に、真っ白な壁―――
もはや、馴染み過ぎて、うんざりする室内に、水谷は横たわっていた。
頭には何重にも包帯が巻き付いており、右の側頭部だけが、わずかに盛り上がっている。
首を右に倒したくても邪魔になり、左ばかり向けてるせいか、首が疲れていた。
ただ、視線の先にいる東雲の穏やかな笑みを見るには丁度良いと、水谷は密かに思う。
「怪我の方は、まだ痛みますか?」
「大丈夫、明日には抜糸するよ」
「安心いたしました・・・帰って来て血まみれの着物を見た時は、生きた心地が致しませんでした」
東雲が深い溜息をつくと、水谷はクスクスと笑い出した。
そんな水谷に、東雲は非難の視線を送る。
「そう怒らないでよ。『シキ』に怖がられちゃうよ?」
水谷の左脇で寝そべっていた『シキ』が、ビクッと顔を上げる。
申し訳なさそうに見つめる『シキ』に、東雲は困ったような笑みを浮かべた。
「まぁ・・・圭吾さんが『裏御前』に殺されかけたよりは、マシでございますね」
「そうそう。無事だったんだからイイじゃない」
「圭吾さん・・・ワタクシは、圭吾さんを怒っているのでございますが」
「アレ、そうなの?」
「・・・白々しい」
溜息をつく東雲に、水谷は声を上げて笑った。
しかし、急に静かに微笑むと、自分の手元をジッと見つめる。
「今日・・・生まれて初めて、夢を見たよ」
水谷が、細い目を更に細めて微笑み掛けると、東雲は驚きの眼差しで見つめ返した。
「最初、『隠世』に来てすぐに・・・誰かに幻術でも掛けられたのかと思って、焦った」
「どんな夢だったのでございますか?」
「散華さんの家の桜の下でね、お花見をしたんだ」
「――――」
「姐さんが重箱に御馳走を作って来て、師匠が大量のお酒を抱えて・・・宴を開くぞ~!って」
「まぁ」
「そしたら、散華さんが、静かに桜を愛でられないのか~!って師匠と大喧嘩して・・・ボクと姐さんで、一生懸命止めた」
「兄様なら、絶対そのようにおっしゃいますね」
「でも、姐さんの御馳走がもったいないってなって。散華さんが、結局折れるんだ~」
その有様が目に浮かぶのか、東雲は珍しく、声を上げて笑い出した。
つられるように、水谷もケタケタ笑い出す。
「楽しかった~・・・『隠世』に行かなかっただけでも、気分良いのにさ」
「それだけ、『瘴気』が弱まっていたのでしょう。体調の回復が早いのも、その影響でございますね」
「・・・『隠世』に行かなくて済むけど、逆に必要になった時に行けないな・・・」
「必要になっても、行ってはなりません。本来、自ら行く所ではありませんし」
「そうだった。生まれてこの方、毎日行ってるから、行かないって考えがなかったよ」
「そう言えば・・・犬飼様は、相変わらず行ってらっしゃるのでしょうか?」
「行ってるんじゃない?ボクの事がなくても、彼は向こうに用事が多いから」
水谷は窓の方へ視線を移すと、どこともなく遠くを見つめた。
まばゆい屋外は、まだ夏の香りを残しており、鋭い光が、影という影を容赦なく消している。
そんな目のくらむ世界を見つめ、水谷はほのかに笑うのだった。




