-媼主の速贄- 31
・・・辛かったな
おかえり、恭一郎
お前以上に優しい男を、私は知らんよ
優しくなんかない
私は、お前がいつか殺されるんじゃないかと心配なんだ!!
俺が、どれだけ
人を殺してきたか
この世は、独りではいられぬようだな
俺は一生・・・お前を許さないと決めた
不本意だからこそ・・・笑うしか、無いんじゃないでしょうか?
今後も、貴方様がワタクシの味方であられるよう、願っております
お前と離れるのが辛いんじゃなくて、お前が味方だと認めねぇのが辛いんだ!!
勝手に独りで行かないで下さい
とても・・・寂しいんですよ
『虚』、大丈夫か!?
たのしい?
怖い
・・・・・・泣カナイデ・・・・ボク、がんばるから
自分を大切にしないという事は、アナタを想う人を傷付ける事と同じです
この程度、痛みに入らぬ
強がらなくていい
アナタの大丈夫ほど、聞きたくないものは無いんですよ
助けてくれ・・・これからも
「来たぞ、『虚』」
不意に、重々しい扉が開き、淀んだ空気が入り込んで来た。
『虚』はカタリと軋む音を上げると、ゆっくりと振り返る。
すると、重厚な拝殿の扉を大きく開け放ち、真っ白な影が悠然とたたずんでいた。
シャラン・・・
春の野原を思わせる、ふんわりとした笑顔を浮かべ、『戯』が首をわずかにかしげた。
髪飾りの水琴鈴の音が、拝殿内に清らかに響き渡る。
その懐かしい笑顔に、『虚』は小さく軋む音を上げた。
「『戯』・・・」
「こんな所で何をしておるのだ?・・・水谷殿の『瘴気』を感じるが」
「・・・閉じ込められてて、出られなった」
すると、『戯』は、獣の耳をピンと立て、くつくつと笑い出した。
なんとも緊張感のない笑い声に、『虚』は毒気を抜かれる。
「それは、また・・・ケンカでもしたのか?」
「違う・・・『露光』と一緒に『裏御前』から隠す為に、外側から鍵を掛けられたのだ」
「・・・『露光』殿は?」
「『現世』の露光に呼ばれ、顕現した・・・俺は既に顕現しておるし、空蝉の姿では、術を破るほど『瘴気』がない」
「アッハッハッハ!おいてけぼりか」
珍しく笑い者にされる側となり、『虚』は不機嫌そうに軋む音を上げた。
そんな『虚』の元に歩み寄ると、『戯』は、しゃがみ込んで掌を差し出す。
しかし、『虚』が身動きせずにうつむいた為、『戯』は小首をかしげた。
「『虚』・・・どうした?」
「もう・・・無理だ」
「―――」
「『現世』に戻れ。お前まで殺される」
『虚』は、唸るような音を上げると、小さく縮こまった。
しかし、そんな様子にも構わず、『戯』はすくい上げるように、『虚』を持ち上げる。
驚く『虚』を掌で閉じ込めると、ゆったりとした足取りで踵を返した。
「お、おいッ!」
「何を戯言を言っておる。ほれ、残りのお前を探しに行くぞ」
「・・・『戯』!」
「私は、自分でも抜けとるとは思うが、しつこさだけは自信がある」
自信満々の笑みのまま、『戯』は拝殿の階を飛び降りた。
その拍子に、『虚』は手の中でひっくり返り、慌てて爪を立てる。
「お前の粘液質な性格は分かっておるが、かなう相手ではない!!」
「やってみなければ、分からぬであろう?」
「一目瞭然だ!!『瘴気』の量も違えば、自分の命すら惜しまぬ相手だぞ!」
「おぉ、それは楽しみだ」
「何が楽しみだ!『裏御前』の思惑通りに、事は進んでおるのだぞ!!」
「肉体の心配ならいらぬ。どうやら幹久殿は、『裏御前』の居場所が分かったようであるからな」
「!?」
「夢彦が、『裏御前』の失踪時期に、何か変わったことはなかったかと聞いたら、ピンと来たらしい」
そっと掌を開くと、『戯』は『虚』に微笑み掛けた。
呆気に取られた様子で、『虚』が仰ぎ見る。
「『虚』、お前は・・・私たちの事を、まったく分かっておらんな」
「・・・何の事だ?」
「私も幹久殿の『鬼』―――『白蓮』も、人型を成す『鬼』ぞ?」
「『鬼』として強いのは分かっておる!・・・だが、『裏御前』は」
「そうではない。私も『白蓮』も、それだけ人として狂っておると言うことだ」
「・・・・」
「『白蓮』は、誘拐された経験がキッカケのようだが、私は物心ついた頃には、人型を成して『隠世』に来ておったであろう?」
「それは、お前が外見をからかわれておったから」
そう言うと、急に『戯』は瞳に鋭い光を宿し、口元を吊り上げた。
狂喜したかのような眼差しに、『虚』は思わず身を縮こまらせる。
「ほら、だから分かっておらぬと言ったであろう。大体、私が、からかわれて泣くような玉ではないことぐらい、知っておるではないか」
「・・・・」
「私は、お前と違って・・・見知らぬ人間が、『鬼』を喰われて目も当てられぬような死に様になろうが・・・平気なのだよ」
不穏な発言に、『虚』は軋む音を上げた。
すると、今度は急に悲哀のこもった瞳で、『戯』は『虚』を見下ろす。
「ドン引くであろう?」
「うむ・・・」
「しかしな・・・そうでも無ければ、『死鬼喰み』に『鬼』を糧として連れて来るなどという、酔狂なマネは出来ぬ」
「・・・・正直、お前にやらせるのは、俺にとって不本意だ」
『虚』は体を丸くすると、ジッと動かなくなった。
そんな様子に、『戯』は、ほのかに微笑む。
「私が自ら買って出たのだ。押し付けられたワケでは無い」
「俺が『死鬼』で無ければ、お前がこんな事をする必要などなかった・・・」
「見知らぬ者の命を犠牲にしても、私はお前たちに、少しでも良い思いをして欲しいのだよ」
「・・・・」
「お前たちの愉快なケンカを仲裁出来ぬなど、人生の楽しみの半分が無くなるに等しい」
「・・・あのな」
「自分の悦楽の為に人を殺めるという点で、私は『裏御前』と同類なのだ―――だからこそ」
にわかに、『戯』は白狐の姿に変化した。
真っ白な姿態の『戯』に、『虚』の紅色が、差し色のように映える。
「『裏御前』のような快楽殺人者を・・・私が許すワケなかろうが!!」
常闇の森の漆黒の景色に、それは一筋の光の如く駆け抜けていった。
悲哀と怒りがない交ぜになった咆哮が、『隠世』に響き渡る。
そんな威圧感を避けるように、闇に潜む幾つもの影は、そっと身を隠したのだった。




