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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
蛇落の褥
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-蛇落の褥- 3-5

 秋の夜空に、薄雲に隠れた月が、ぼんやりと光を放っている。


 ほどよく冷えた風が、優しく恭一郎の肌を撫でた。




「・・・はぁ」




 恭一郎は溜息をつきながら玄関の前に立つと、ベルを鳴らそうと手を伸ばした。


 すると、鳴らす前に戸が開き、待ち構えていたかのように、白い影が迫る。


 月の光の下に出ると、憂いと不安に満ちた夢彦の表情があらわになった。



「・・・夢彦」



「・・・外は冷える、上がってくれ」



 夢彦に促され、恭一郎は屋内に入った。


 目の前の階段を上がると、夢彦は書斎らしき部屋に入って行く。




 ガンッ




 久しぶりの日本家屋に、恭一郎は、頭を入口に思い切りぶつけた。


 痛そうに頭を抑える恭一郎に、夢彦は驚いて振り向く。




「だ、大丈夫か・・・恭一郎?」



「思った以上に低かった・・・」



「背が高いというのも、大変なのだな・・・」



「あぁ・・・昔は背が低すぎて大変だったが・・・デカい方が不便だ」



 涙目になる恭一郎を見て、夢彦は控えめに笑った。


 目元が緩み、銀色の月のような瞳が穏やかにきらめく。


 夢彦が片膝を立ててその場に座ると、その横に並んで恭一郎も座った。


 南向きの窓から見える月は、いつの間にか雲が晴れ、冴え冴えと輝いている。




「・・・恭一郎」



「何だ?」



「昼間は・・・取り乱して、すまない・・・」



「いや」



「――――」



「――――」




 この五年間、話したい事が沢山あったはずであるのに、何から話せばいいのか分からず、二人は押し黙った。


 夢彦は、腕を後ろについてジッと月を見つめている。


 そんな夢彦を見て、左の片膝を立てる癖が昔のままだと、恭一郎は懐かしく思った。


 そして、夢彦の右腕に視線を向けると、おもむろに手刀で()ぎ払う。



「うぁっ!?」



 ガンッと後ろのタンスに頭をしたたかに打ち、夢彦は後頭部を抑えてうめいた。


 相当痛かったのか、倒れたまま、体を丸めて震える。



「大丈夫か?」



「大丈夫じゃない!人が謝っている側から何をする!!」



「悪い、頭を打つとは思わなかった」



 恨めしい顔で恭一郎を見つめると、夢彦は小さく溜息をつき、腰を上げた。


 そして、文机(ふづくえ)に向かい、ペンを取って原稿用紙に文章を書き始める。



「原稿か?」



「明日の朝、締め切りだ。本当は今日だったが・・・」



「間に合わなかったのか?」



「お前の事で頭の中がグチャグチャになって、まともに書けなかったんだ!!」



「それは、すまん」



 夢彦は、後頭部を再び両手で抱え込むと、文机に(ひじ)をついてうな垂れた。


 まだ痛いのか、何か考えあぐねているのか、はたまた両方か。


 再び訪れた沈黙に気まずさを感じ、恭一郎はゆっくりと口を開いた。



「喫茶店で別れた後・・・書店で、お前の作品を買って読んだ」



 恭一郎の言葉に、すぐさま夢彦は振り向いた。


 驚きと期待の色が、瞳に(うつ)る。



「お前の名前を出したら、多分、『泉 夢彦』だろうと言われて、『空蝉(うつせみ)(うたげ)』が第一作目だと教えてもらった」



「――――」



「『あやかし』が見せた幻影風景が、俺たちの育った村に似ているな」



「・・・処女作の上げ足を取らないでくれ」



「批判しているんじゃない。懐かしかった」



「・・・そうか」



 夢彦は、うつむいて目をそらした。


 表情が陰り、やるせなさをにじませる。



「どうして、軍に志願した事を隠してた」



「行くなって言うだろ?」



「当たり前だ!」



「だから、お袋にも口止めしたんだ。隠しきれなかったみたいだが」



「そうやって、いつも私を蚊帳(かや)の外に追いやるのだな」



「余計な心配を掛けると思った」



「・・・いきなり戦死の通知が来る方が・・・よっぽど辛いのだがな」



 苦笑いを浮かべる夢彦に、今度は恭一郎がうつむいた。


 どう弁明すべきか、言葉が見つからない。


 ただ、大きな背中を丸めるしかなかった。



「恭一郎」



 声を掛けられ恭一郎が顔を上げると、夢彦は穏やかに笑っていた。


 潤んだ瞳が、月の光で夜露のように淡く光っている。




「生きてて・・・よかった」




 その言葉を聞いて、恭一郎は思わず吹き出して笑った。


 夢彦は眉根を寄せ、そんな恭一郎を睨む。



「真面目に言ってるのに、笑うな・・・」



「お前は、()りないな」



「何がだ?」



「ここまで突き放されたら、身を引くだろ」



「あいにく、無下(むげ)にされると、余計にかまって欲しくて仕方がないのだよ」



 夢彦は、くつくつと笑った。


 子供の頃から見慣れた笑顔に、恭一郎は、やっと胸に重くのしかかったモノが降り始めたのを感じる。



「そう言えば、夢彦」



「何だ?」



「・・・あの『あやかし』は、俺か?」



「え?」



「『空蝉の宴』で、黒幕の男に蠢動(しゅんどう)する蝉の幻影を仕向けた奴だ」



「・・・『(うつろ)』の事か。お前はぶっきらぼうだが、嗜虐(しぎゃく)な性格とは真反対だろう」



「さっき、酷い目にあったじゃないか」



「・・・あれは、私が油断し過ぎた」



「相変わらず寛容だな」



「私よりも、恭一郎の方が優しい」



 恭一郎は、夢彦が先ほど座っていた辺りに視線を落とした。


 『優しい』という言葉に、心が(きし)むような音を上げる。



「昔、可哀想だと言って、虫取りすら嫌がっていただろう」



「・・・そうだったか?」



「お前以上に優しい男を、私は知らんよ」



「優しくなんかない」



「謙遜するな」



 恭一郎は、楽し気に笑う夢彦へとにじり寄り、左手首を(つか)んだ。


 その細い手に、わずかに力をこめる。



「なら、聞くか・・・夢彦」



 夢彦は、目を見張った。


 その瞳に、かすかに焦燥と恐怖の色が浮かぶ。



「シベリアで、何があったか・・・」



「・・・恭一郎?」



「俺が、どれだけ」





 ――人を殺してきたか





 恭一郎は、夢彦を掴む手を震わせた。


 銃弾を撃ち込んだ少女の死に顔を思い出し、思わず口元が吊り上がる。


 そんな恭一郎を見て、夢彦は控えめに微笑んだ。



「・・・辛かったな」



「―――」



「おかえり、恭一郎」




 恭一郎が手の力を緩めると、今度は、夢彦が恭一郎の手を取った。


 夢彦は穏やかな表情で、その大きな手を眺める。


 そして、しばらくすると、顔を上げてニッコリと微笑んだ。



「何も変わっておらんな」



「・・・え?」



「命の尊さを知ってる、優しい手だ」



「――――」



「昔と、全く変わっておらんよ」



 恭一郎は、目を見張って夢彦を見つめた。


 すると、夢彦は、両手で恭一郎の手をギュッと握り締める。


 華奢(きゃしゃ)な手から伝わる温かさに、恭一郎は凍てついた戦場から、やっと戻れた気がしたのだった。

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