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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
媼主の速贄
138/153

-媼主の速贄- 28




 ―――特別高等警察 保安課




「お願いします!どうか、『(たいらの)将門(まさかど)の首塚』の捜査許可を、出していただけませんでしょうか!?」




 強面の壮年の男に、幹久(みきひさ)は鋭い眼差しを向けた。


 署内で声を荒げる事のない幹久に、他の警官たちは、意表を突かれた顔を浮かべている。


 通りかかった検閲課の事務職員でさえ、いつもとは違う保安課の雰囲気に目を丸くしていた。




「いいかね、宝条(ほうじょう)君・・・たしかに、『彩雲(さいうん)(たみ)』の教祖の居所が、(いま)だに分からず困っているのは確かだが、そんなオカルトじみた理由で、許可できんよ」



「向こうは、そういったウワサを逆手にとって、あの辺一帯を(あさ)らせないようにしているんです」



「だとしてもだ。この大切な時期に、許可出来ないと言っているんだよ。明日・・・陛下がラジオ放送で、()聖断(せいだん)を国民にお伝えする予定になっているのは、君も分かっているだろう」



「・・・・」



「『彩雲の民』ばかり追ってもいられんのだ。陛下のご聖断を拝聴し、あらゆる反政府組織が調子づくのは、火を見るより明らかだろう。だいたい・・・」



 課長の眉間のシワが、さらに深くなった。


 わずかな変化にも関わらず、周りの警官たちに緊張が走る。



「敗戦を受け入れられない軍部の連中が、クーデターを起こす事も考えられるんだ・・・軍人ばかりではない、本土決戦に沸き立った一般国民が、どれだけ混乱するか」




 課長の言葉に、幹久は苦々しく口元を歪めた。


 頭では分かってはいるものの、どうしても今すぐ行かなければならない焦燥感が、胸から離れない。


 理性と感情のジレンマに、幹久は苦悩した。




「何かハッキリした確証がない限り、私は許可しない」




 課長の眼差しは、まるで阿修羅像の如く、迷いない決意をにじませていた。


 その厳格な表情に、幹久は暗澹(あんたん)たる気持ちになる。


 すると、にわかに廊下が騒がしくなり、後輩の斉藤が、顔を青くして駆け込んで来た。




「た、大変です!宝条さん!!」




 あまりに緊迫した様子で呼び掛けられ、幹久に緊張が走った。


 単なる胸騒ぎが、現実になった予感に(さいな)まれ、思わず息を呑む。




「今、水谷という男が来ているのですが・・・」



「水谷さんが?」



「頭から流血してまして・・・『彩雲の民』に、襲われたと」




 その場にいる全員が、斉藤に驚愕の眼差しを向けた。


 幹久も、意思とは関係なしに、手が震える。




「宝条さんの家の使用人の方が、誘拐されたそうです・・・かばおうとして、返り討ちにされたらしく」



「し、東雲さんが・・・!?」



「一緒に付き添っていた客人も、連れて行かれたそうで・・・」




 幹久は目元を引きつらせ、言葉を失った。


 急に、走馬燈(そうまとう)のように学生時代の事が思い出され、自分が奪ってしまった左目の記憶がよみがえる。


 あんな惨劇に見舞われたのにも関わらず、恨み言の一つも吐かなかった聖人君子かと思う彼が、命の危険にさらされている。


 その事実に、胸が鷲掴まれる心地だった。




「・・・っ・・・・・幹久君・・・・」




 すると、戸口に丸眼鏡を掛けた着物姿の男性が現れ、かすれた声で呼び掛けて来た。


 頭部を抑えた手は血みどろになっており、着物のあちこちが血に染まっている。


 その場に居た警官たちが、いっせいに息を呑んだ。




「・・・・ごめん・・・(ねえ)さんたちを・・・・たすけ、られなかった・・・」



「水谷さん!!」




 幹久は、水谷に駆け寄ると、持っていたハンカチを手渡した。


 既に誰かにもらったらしいタオルは、全体が真っ赤に染まっている。


 まだ止まらないらしい出血に、幹久は顔を青くした。




「・・・・『彩雲の民』は・・・・姐さんと恭一郎君を・・・・生贄に、する気なんだ」



「い・・・」



「平将門の復活の為の儀式をするって・・・・信者の連中が・・・・」




 平将門という、偶然とは思えないキーワードに、強面の課長ですら、目元を引きつらせた。


 水谷は、息も絶え絶えに言葉を継ぐ。




「おねがい・・・・二人を探して・・・・ボクじゃ・・・・どうにも出来ない」




 ホロホロと涙がこぼれ落ち、水谷がむせび泣くと、幹久は課長に視線を向けた。


 眉間にシワを寄せた顔が、わずかに首を縦に振る。


 それを皮切りに、周りの警官たちがにわかに動き出した。




「・・・水谷さん、とにかく、ケガの手当てを。警察署の隣に、外科をやってる診療所がありますから」



「ありがとう・・・それより、連中が向かった先なんだけど」



「分かってます。首塚ですよね?」




 水谷は目を見開いた。


 どうしてだという顔に、幹久は控えめに微笑む。




「今さっきまで、その話をしていたんです」



「・・・・そ、そうなの?」



「でも、確証がないと動けないって言われてた最中で・・・水谷さんが来て下さらなかったら、許可が下りませんでした」




 水谷は、気が抜けたような顔で溜息をついた。


 すると、急に顔色が悪くなり、壁にもたれ掛かる。




「だ、大丈夫ですか!?」



「・・・・刺した甲斐(かい)があった・・・」



「え?」



「う、ううん・・・痛いから、早く手当てしたいな~」



 間の抜けた笑顔を浮かべる水谷に、幹久は怪訝(けげん)な表情を浮かべた。


 しかし、とめどなく流れて来る血が、灰白色(かいはくしょく)の着物を(あか)く染めていき、一瞬浮かんだ疑問はかき消される。


 幹久は水谷に肩を貸すと、実篤(さねあつ)の診療所に向かって、ゆっくりと歩き出したのだった。

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