-媼主の速贄- 28
―――特別高等警察 保安課
「お願いします!どうか、『平将門の首塚』の捜査許可を、出していただけませんでしょうか!?」
強面の壮年の男に、幹久は鋭い眼差しを向けた。
署内で声を荒げる事のない幹久に、他の警官たちは、意表を突かれた顔を浮かべている。
通りかかった検閲課の事務職員でさえ、いつもとは違う保安課の雰囲気に目を丸くしていた。
「いいかね、宝条君・・・たしかに、『彩雲の民』の教祖の居所が、未だに分からず困っているのは確かだが、そんなオカルトじみた理由で、許可できんよ」
「向こうは、そういったウワサを逆手にとって、あの辺一帯を漁らせないようにしているんです」
「だとしてもだ。この大切な時期に、許可出来ないと言っているんだよ。明日・・・陛下がラジオ放送で、御聖断を国民にお伝えする予定になっているのは、君も分かっているだろう」
「・・・・」
「『彩雲の民』ばかり追ってもいられんのだ。陛下のご聖断を拝聴し、あらゆる反政府組織が調子づくのは、火を見るより明らかだろう。だいたい・・・」
課長の眉間のシワが、さらに深くなった。
わずかな変化にも関わらず、周りの警官たちに緊張が走る。
「敗戦を受け入れられない軍部の連中が、クーデターを起こす事も考えられるんだ・・・軍人ばかりではない、本土決戦に沸き立った一般国民が、どれだけ混乱するか」
課長の言葉に、幹久は苦々しく口元を歪めた。
頭では分かってはいるものの、どうしても今すぐ行かなければならない焦燥感が、胸から離れない。
理性と感情のジレンマに、幹久は苦悩した。
「何かハッキリした確証がない限り、私は許可しない」
課長の眼差しは、まるで阿修羅像の如く、迷いない決意をにじませていた。
その厳格な表情に、幹久は暗澹たる気持ちになる。
すると、にわかに廊下が騒がしくなり、後輩の斉藤が、顔を青くして駆け込んで来た。
「た、大変です!宝条さん!!」
あまりに緊迫した様子で呼び掛けられ、幹久に緊張が走った。
単なる胸騒ぎが、現実になった予感に苛まれ、思わず息を呑む。
「今、水谷という男が来ているのですが・・・」
「水谷さんが?」
「頭から流血してまして・・・『彩雲の民』に、襲われたと」
その場にいる全員が、斉藤に驚愕の眼差しを向けた。
幹久も、意思とは関係なしに、手が震える。
「宝条さんの家の使用人の方が、誘拐されたそうです・・・かばおうとして、返り討ちにされたらしく」
「し、東雲さんが・・・!?」
「一緒に付き添っていた客人も、連れて行かれたそうで・・・」
幹久は目元を引きつらせ、言葉を失った。
急に、走馬燈のように学生時代の事が思い出され、自分が奪ってしまった左目の記憶がよみがえる。
あんな惨劇に見舞われたのにも関わらず、恨み言の一つも吐かなかった聖人君子かと思う彼が、命の危険にさらされている。
その事実に、胸が鷲掴まれる心地だった。
「・・・っ・・・・・幹久君・・・・」
すると、戸口に丸眼鏡を掛けた着物姿の男性が現れ、かすれた声で呼び掛けて来た。
頭部を抑えた手は血みどろになっており、着物のあちこちが血に染まっている。
その場に居た警官たちが、いっせいに息を呑んだ。
「・・・・ごめん・・・姐さんたちを・・・・たすけ、られなかった・・・」
「水谷さん!!」
幹久は、水谷に駆け寄ると、持っていたハンカチを手渡した。
既に誰かにもらったらしいタオルは、全体が真っ赤に染まっている。
まだ止まらないらしい出血に、幹久は顔を青くした。
「・・・・『彩雲の民』は・・・・姐さんと恭一郎君を・・・・生贄に、する気なんだ」
「い・・・」
「平将門の復活の為の儀式をするって・・・・信者の連中が・・・・」
平将門という、偶然とは思えないキーワードに、強面の課長ですら、目元を引きつらせた。
水谷は、息も絶え絶えに言葉を継ぐ。
「おねがい・・・・二人を探して・・・・ボクじゃ・・・・どうにも出来ない」
ホロホロと涙がこぼれ落ち、水谷がむせび泣くと、幹久は課長に視線を向けた。
眉間にシワを寄せた顔が、わずかに首を縦に振る。
それを皮切りに、周りの警官たちがにわかに動き出した。
「・・・水谷さん、とにかく、ケガの手当てを。警察署の隣に、外科をやってる診療所がありますから」
「ありがとう・・・それより、連中が向かった先なんだけど」
「分かってます。首塚ですよね?」
水谷は目を見開いた。
どうしてだという顔に、幹久は控えめに微笑む。
「今さっきまで、その話をしていたんです」
「・・・・そ、そうなの?」
「でも、確証がないと動けないって言われてた最中で・・・水谷さんが来て下さらなかったら、許可が下りませんでした」
水谷は、気が抜けたような顔で溜息をついた。
すると、急に顔色が悪くなり、壁にもたれ掛かる。
「だ、大丈夫ですか!?」
「・・・・刺した甲斐があった・・・」
「え?」
「う、ううん・・・痛いから、早く手当てしたいな~」
間の抜けた笑顔を浮かべる水谷に、幹久は怪訝な表情を浮かべた。
しかし、とめどなく流れて来る血が、灰白色の着物を紅く染めていき、一瞬浮かんだ疑問はかき消される。
幹久は水谷に肩を貸すと、実篤の診療所に向かって、ゆっくりと歩き出したのだった。




