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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
媼主の速贄
136/153

-媼主の速贄- 26

 暗い室内に、燭台(しょくだい)灯火(ともしび)が、ぼんやりと輝いていた。


 今にも消えそうな橙色(だいだいいろ)の光は、わずかな息づかいに揺れている。


 そして、重々しい鎖のすれる音が、密閉された部屋に反響し、余計に閉塞感を感じさせた。


 そんな、圧迫感しかない独房の空気に耐えきれないのか、小さな(あか)空蝉(うつせみ)は、珍しく不安げに恭一郎に問い掛ける。




 ――恭一郎・・・痛くないか?




「ちょっと手首がキツイな・・・大きさが合ってない」




 恭一郎の手首には、まったく隙間がない状態で、金属の(かせ)が付いていた。


 壁から鎖で繋がっており、長さが短い為、ほとんど壁から離せない。


 長身の為、そこまで腕を上げさせられている状態ではないが、想定した身長より、はるかにデカいせいで、中途半端に腕を上げた体勢になっている。


 足は、どう頑張っても枷が閉まらなかったらしく、あぐらをかいた状態で両足首をロープでグルグル巻きにされていた。




 ――規格外の弊害(へいがい)が、こんな所でも出るとはな




「・・・本来の拘束の体勢より、楽で助かるけどな」




 恭一郎は、左手側の漆喰壁にある、小さな格子窓を見やった。


 飾りなどまったくない単純な長方形で、格子の部分は竹製のようである。


 かすかな光が向こう側から()れており、何者かの気配があった。




「―――?」




 耳を澄ませていると、何か紙をめくる音と、女の小さなつぶやき声が聞こえた。


 経でも唱えているのかと思ったが、よく聞くと淡々とした様子ではない。


 どこか、(みやび)な雰囲気を漂わせるリズムに、殺伐(さつばつ)とした心境が清められていく心地がした。





 しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで





 聞き覚えのある和歌に、恭一郎はハッとした。


 自分が知っているくらいなのだから、間違いないと確信する。




 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり




「人知れずこそ 思ひそめしか」




 恭一郎が下の句を言うと、向こうで小さく驚くような声が聞こえた。


 その声に、恭一郎は、静かに声を掛ける。




「アンタも、捕まってるのか?」




 しかし、返事はなく、静かな息づかいだけが、かすかに聞こえて来た。


 その呼吸の速さから、警戒しているのが伝わってくる。


 恭一郎は、なるべく怖がらせまいと、静かな声で問い掛けた。



「ソッチは、どんな感じなんだ?」



「・・・・」



「紙をめくってるって事は、手は自由なんだろ」



「・・・・」



「部屋も自由に歩き回れるのか?」



「・・・脚が、生まれつき動かないの」



 消え去りそうな声に、悲哀の色がにじんでいた。


 その物悲しげな様子に、恭一郎は、胸が重くなる。



「・・・すまない、余計なことを聞いた」



「・・・・」



 物音一つしなくなり、気まずい雰囲気が漂う。


 変に話しかけなければ良かったと、恭一郎は後悔した。


 すると、目の前の灯火のように(はかな)げな声が、小さな格子窓から、ふんわりと入って来る。




「・・・・・貴方も・・・・・・和歌・・・好きなの?・・・・」



「え?」



「・・・迷いなく、そらんじてたから・・・・」



「あぁ・・・今の、百人一首だろ?毎年正月に、親戚と友人家族で大会をするんだ」



「・・・・大会?」



「かるた大会。上の句を読まれたら、下の句の札を早い者勝ちで取るやつ・・・やったことあるか?」



「・・・あぁ・・・小さい頃、姉様たちとやったわ」



 (なつ)かしそうに微笑む声が聞こえ、恭一郎は安堵(あんど)の溜息をついた。


 その溜息で、燭台の灯火が、ふわりと揺れる。



「百人一首を、本で読んでるのか?」



「えぇ・・・解説と現代語訳が載ってるの」



「さっきのは、たしか四十一番だろ?」



「・・・すごい、詳しいのね」



「俺の親友が、あまりに鈍くさくて札が取れなくてな。歌の番号を言わないと取れない、特別ルールにしてあるんだ・・・・おかげで、一試合に五、六枚取るのが精一杯になった」



 壁の向こうで、クスクスと控えめに笑う声が聞こえて来た。


 体の向きを変えたらしく、衣擦(きぬず)れの音がする。



「ねぇ・・・・番号を言ったら、答えられる?」



「・・・まぁ、少しは」



「十五番は?」



「君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪はふりつつ」



「アタリ!・・・三十三番は?」



「久かたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」



 壁の向こうで、感動の拍手が上がった。


 まさか、こんな形で役に立つとは思いも寄らなかったと、恭一郎は苦笑いする。



「じゃあ、五十番は?」



「・・・五十・・・・」



「・・・・」



「・・・・悪い、思い出せない」



「・・・ううん・・・こんなに当てるなんて・・・ビックリしたわ」



「・・・・アンタ、名前は?」



 何やら悩んでいるらしく、なかなか言葉が続かなかった。


 恭一郎は、いぶかし気に、女の言葉を待つ。



「私・・・物心つく前に誘拐されて、本当の名前が分からないの・・・『裏御前(うらごぜん)』の付けた名前で・・・かまわないかしら?」



「名付けたのが『裏御前』だとしても、アンタは、あの婆さんのペットでも所有物でもないだろ」



「・・・・」



「その言い方からすると、『裏御前』も含め、アンタを、そういう風に見る人間が、ココには多いみたいだな」



「・・・えぇ」



「名前ごときで、人の価値なんか下がらない。少なくとも・・・俺は、そう思う」



 漆喰壁の向こうから、安堵するような息づかいが、かすかに恭一郎の元に聞こえて来た。


 継いで、夜露が滑り落ちるような静かな声が、小さな格子窓から聞こえて来る。




「私は・・・・・・・・・・・・露光(ろこう)・・・・・・・貴方は?」




 女の名を聞いて、左肩の空蝉が、急に軋む音を上げた。


 (せわ)しなく辺りを見回し、明らかに焦燥している様子に、恭一郎は問い掛ける。




 どうした?




 ――あぁ、クソっ!!どうしたら・・・




 何かあったのか?




 ――恭一郎!!露光の顔を見ろ!




 ・・・この状況で無理を言うな




 ――露光!そこからコッチをのぞけ!!





 しかし、まったく物音も返事もない為、『(うつろ)』はギリギリと体を軋ませた。


 あまりに苦心する『虚』に、恭一郎は、思わず声に出して呼び掛ける。




「・・・・『虚』?」




 ――ぬぅうう・・・・




「・・・・・虚・・・さん?・・・・と、おっしゃるの?」




 壁の向こうで、不思議そうな声が返って来た。


 自分の名を呼ばれ、『虚』は慌てて振り向く。




「ねぇ、もう少し・・・問題を出していいかしら?・・・久しぶりに、とても楽しいの」




 自分に呼び掛けたワケではないと気が付き、『虚』は頭をうなだれた。


 珍しく落ち込む姿に、恭一郎は小さく溜息をつく。




 代わりに話してやるから、落ち込むな。




 ――・・・!?




 例の彼女なんだろ?




 ――・・・うむ




 顔を見るのは難しいだろうが、伝えたいことがあれば言ってくれ。




 ――・・・彼女は、俺の知っている『露光』ではない




 肉体に言えば、『鬼』にも伝わるだろ。




 ――そうだが・・・『鬼』に言ったところで、肉体はどうにも出来ぬ




 なら、気持ちだけでも伝えればいいじゃないか。




 『虚』は、カタリと軋む音を上げると、小さく唸った。


 すると、壁の向こう側から、露光の不安そうな声が投げ掛けられる。




「あの・・・・ごめんなさい・・・・私、つい・・・」




「名にし()はば 逢坂山(おうさかやま)の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」




 露光のハッとする息づかいが、壁の向こうから聞こえて来た。


 その気配に、恭一郎は息をつくように笑う。




「さねかずらを手繰(たぐ)り寄せるように、人知れず・・・君を連れ出せたらいいのに」



「・・・・」



「本当だな」




 すると、壁の向こう側から、何か小物をひっくり返した音が響き渡った。


 痛みをこらえる声が小さく聞こえ、恭一郎は焦燥の色を浮かべる。




「だ、大丈夫か!?」




 壁を引っかくような音がし、恭一郎と『虚』に緊張が走った。


 もしかしたらと、淡い期待を抱いて小さな小窓を凝視したが、先程よりも大きな音が室内に響いた。


 短い叫び声が上がり、再び壁を引っかく音が聞こえて来る。




「お、おい・・・怪我するぞ!!」




 恭一郎は、腕を思い切り引っ張ったが、金属の枷が腕に食い込み、激痛が走った。


 動けぬもどかしさに、恭一郎は歯を食いしばる。





「露光!やめろ!!」





 リン・・・





 銅製の風鈴のような音が、恭一郎の牢獄の室内に鳴り響いた。


 恭一郎が息を呑んで竹製の格子窓を凝視すると、薄緑色の燐光(りんこう)が一つ、ふわりふわりと入って来る。




「―――!?」




 それに遅れて、幾つもの薄緑色の燐光と、豪奢な唐衣(からころも)を身にまとった女が、漆喰壁を通り抜けてやって来た。


 さらりとした髪は水引(みずひき)でまとめられ、背中に滝のように流れている。


 恭一郎の左肩に乗った『虚』は、驚愕した様子で叫び声を上げた。




 ――『露光』!?




「わびぬれば 今はた同じ 難波(なにわ)なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」




 ――・・・!




「・・・この身が、どうなろうとも・・・会わずには、いられなかった・・・・」




 つぶらな瞳に(あふ)れた涙が、遂に目尻から流れ落ちた。


 そして、恭一郎の左肩に乗っていた『虚』の元に、一つの薄緑色の燐光が、ふんわりと飛んで来て寄り添う。


 その光が、女と同じ気配をまとっていると感じ取り、恭一郎は目を見張った。




「『死鬼(しき)』・・・なのか?」




 人型を成した『露光』は、淡い笑みを浮かべた。


 そして、身を屈めると、恭一郎の左胸を見つめる。


 国民服に付いた名札を指でなぞると、蜜を含んだような唇が、ほのかにほころんだ。


 同時に、壁の向こうから溜息をつくように、ほろりと儚げな声が、こぼれ落ちる。




「北上・・・恭一郎・・・」




 恭一郎は目を丸くすると、漆喰壁と『露光』を交互に見やった。


 混乱する恭一郎に、左肩の『虚』が、カタリと軋む音を上げる。




 ――『鬼』の見聞きしたモノが、肉体に伝わっておる




「え・・・?」




 ――そういう体質の者もおるのだ。『隠世(かくりよ)』で俺と会っていた事も、今は肉体の方でも把握しておるぞ。




「・・・隠ぺい気質のお前に、売ってつけの能力だな・・・俺たちにこそ、必要そうだ」




 ――それは認めるが、『死鬼喰(しきは)み』にとっては最悪だ




 『虚』は、苦々しげにカタリと軋む音を上げ、漆喰壁の方を見つめた。


 かすかにすすり泣く声が、小さな格子窓から聞こえてくる。




 ――記憶を共有しておるという事は、『死鬼』が死んだ時の恐怖も、記憶にあるという事だ。




 恭一郎が絶句して漆喰壁を見やると、衣擦れの音がかすかに聞こえて来た。


 先程とは打って変わり、気疲れしたような声が、ためらいがちに紡がれる。



「大丈夫・・・もう、過ぎた事だもの」



「大丈夫なワケないだろ!」



「・・・お願い・・・・・・これ以上、その話に触れないで」



 恭一郎が、掛ける言葉に詰まると、目の前いる『鬼』の『露光』は、不意に恭一郎の膝に乗り上げた。


 突然の事に、恭一郎が驚いた顔をすると、『露光』は恭一郎の両頬に手を添え、潤んだ瞳で見つめ返す。




「貴方に気に掛けてもらって、本当は嬉しいの・・・」




 実体がないせいで、目の前の『露光』には、人らしい温度がなかった。


 しかし、包むように優しく触れて来る手に、温もりがあるかのように、恭一郎は感じる。




「恭一郎・・・」




 艶やかな小さな唇から、溜息のように自分の名がこぼれ落ち、恭一郎は背筋が(あわ)立った。


 目を見張る恭一郎に、『露光』は涙に濡れたつぶらな瞳を向ける。


 そして、首をわずかにかたむけ、恭一郎にゆっくりと顔を近付けた。




「『虚』・・・成り代わった状態でも、『鬼』を認識できる奴は、『鬼』が見えるのか?」




 恭一郎に、いきなり話を振られ、『虚』はビクリと震えた。


 しかし、恭一郎の真剣な眼差しに、ハッと我に返る。


 何の事だか分からない『露光』は、きょとんとした顔を二人に向けた。



「・・・水谷の事だな。『鬼』が肉体を操っていても、見えるはずだ」



「なら・・・『露光』が、水谷の肉体の元へ行っても、問題ないって事だな」



 恭一郎の意図を察し、『虚』は大きく軋む音を上げた。


 呆然(ぼうぜん)と見つめて来る『露光』に、『虚』は向き直る。





 ――『露光』、お前は顕現(けんげん)したばかりで、幻影も何も掛けられてないな




「・・・えぇ」




 ――ココから気付かれずに脱出できるはずだ。そしたら、水谷の肉体に会いに行け




「あの・・・狐の面の方ね」




 ――アイツは『鬼』に成り代わっていて、今は、『シキ』という『鬼』が肉体にいる




「・・・あ・・・・」




 ――『シキ』という名前のせいで、『死鬼』と同じ気配を帯びておるのだ




「だから・・・貴方に変化してたのを、見破れなかった・・・」




 ――都内に居れば、『縁』がなくても絶対に分かる




 『露光』は、神妙な面持(おもも)ちで、うなずいた。


 恭一郎も、左肩に鋭い視線を投げ掛ける。




「『虚』・・・まずは『露光』に、ココがどの辺りか見てもらおう」




 ――そうだな




「『露光』。外は焼け野原だが、それでも目印になる建物や、番地が書いてあるはずだ。見て来てくれないか?」



 『露光』は、凛とした眼差しでうなずくと、その姿を(おぼろ)のように消した。


 見送った『虚』は、カタリと軋む音をあげ、恭一郎の意識に(ささや)く。





 ――恭一郎




 なんだ?




 ――『シキ』の事を、咄嗟(とっさ)に思いつくとは感心した




 ・・・いや、どうしたら諦めてくれるか、必死だった




 ――何が?




 『露光』が・・・熱っぽい目で見て来ただろ・・・




 ――・・・気に入らんのか?




 俺は、彼女に初めて会ったんだぞ・・・


 お前・・・彼女に『俺』とお前は、見聞きしたモノが共有出来ないって言ってないだろ




 ――お前への愚痴を話す時に、話してある




 ・・・・は?




 すると、『虚』が、カタカタと軋む音を上げ、おかしそうに笑った。


 馬鹿にされたような笑い方に、恭一郎は顔をしかめる。




 ――『露光』は、イイ女だぞ




 含むような言い方に、恭一郎は目元を引きつらせた。


 目の前の鉄の扉と同じくらいに、重々しいものを背負ってしまったのではないかと、恭一郎は深く溜息をついたのだった。

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