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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
媼主の速贄
133/153

-媼主の速贄- 23

 星々が輝く夜空の下、どこか物悲しい林の中を、一人の少女が歩いていた。

 

 歳は十代後半位で目鼻立ちが整っており、フランス人形のように愛らしい。

 

 その日本人離れした顔立ちに、亜麻色の髪が、外灯の光にキラキラときらめいていた。

 

 


「ただいま~」

 


 

 少女が、玄関の扉を開けて声を上げると、奥の部屋から、こもった声で「おかえり」と返事が返って来た。

 

 少女は静かに微笑むと、靴を脱いで上がり、声のした部屋へと静かに歩いて行く。

 

 (ふすま)をあけて室内をうかがうと、布団の上で庭をジッと眺めている、浴衣姿の夢彦(ゆめひこ)がいた。

 

 電灯に照らされて、ほんのり橙色(だいだいいろ)に見えたが、その髪の色は、年の割に真っ白である。

 

 夢彦は、ゆっくりと振り返ると、少女に温かい笑みを向けた。

 

 


「おかえり、千代(ちよ)

 


 

 千代と呼ばれた少女は、夢彦とソックリな、ふんわりとした笑みを浮かべた。

 

 こうして笑っていると、性別が違うのに、瓜二つである。

 

 どちらも端正な顔立ちな為、ドコを切り取っても絵になりそうな華やかさがあった。


 

「お父さん、怪我の具合はどう?」

 

 

「まぁ・・・とりあえず、話が出来る程度に、顔の()れは引いた」

 

 

 夢彦は苦笑いを浮かべると、右腕を痛そうにさすった。

 

 その動作に違和感を覚え、千代は、悲哀のこもった目で溜息をつく。

 

 

「お母さんに内緒で、何か書いてたでしょ」

 

 

「・・・え!?」

 

 

「お父さん、分かりやす過ぎるから・・・」

 

 

「・・・う・・・う~ん・・・」

 

 

「バレないようにしてね。お母さん、本気で怒るよ」

 

 

 娘に(さと)されバツが悪かった夢彦は、苦笑いで(ほほ)をかいた。

 

 千代は、天使の彫像のような華やかさで微笑むと、夢彦の周辺をのぞき見る。

 

 

「ねぇねぇ・・・どんなお話を書いてるの?」

 

 

「・・・え・・・いや・・・・」

 

 

「この前の、新興宗教のお話?」

 

 

 夢彦は、ビクリと体を震わせると、驚愕のまなざしで千代を見た。


 湯がクツクツと煮えるような声を上げて、千代は面白そうに笑う。

 


「お父さん、驚き過ぎ」


 

「あ、あの原稿・・・読んだのか・・・!?」

 

 

「うん、全部読んだよ?・・・ちょっと、エッチな話だった」

 

 

 夢彦は、顔を真っ赤にすると、髪を引っ掴んで顔を伏せた。

 

 夢彦は、関東大震災以降、そういった内容の話を封印し、一般向けの恋愛小説や探偵小説を書いて来たのである。

 

 まして、元々は官能小説家だったことなど、子供たちには、ひた隠しにして来たのだった。


 その為、自分の書いた官能小説を、息子の薫ならまだしも、娘の千代に見られるなど、この上ない恥辱である。

 

 そんな悶絶しそうな父親に、千代は、花びらを散らしたような笑みを浮かべた。

 

 

「お父さん、もう私も十八よ?『そういう内容』の話を読んでもいい年齢でしょ?」

 

 

「そ、そうだとしてもだ・・・!!」

 

 

「お父さんなんか、十七歳の時に『空蝉(うつせみ)(うたげ)』を書いてるじゃない」

 

 

 愕然(がくぜん)とした表情で、夢彦は千代を見つめた。

 

 千代は、いよいよ声を上げて笑い出し、夢彦の肩を優しく叩く。

 

 

「お父さん・・・エロ本を天袋(てんぶくろ)に隠すなんて、隠し事が下手なお兄ちゃんでもやらないよ」

 

 

「・・・・・・」

 

 

「ねぇねぇ、お母さんに黙ってるから、完成したら読ま」

 


 

 

 

 

「誰に・・・・黙っているのかしら・・・・?」

 

 

 

 

 

 突然、背後に沸き上がった、ただならぬ気配に、夢彦と千代は蒼白となった。

 

 二人は恐る恐る視線をソチラに向けると、あまりの恐ろしさに、小さく叫び声を上げる。

 

 牛頭(ごず)大王と馬頭(ばず)大王もひれ伏すような形相で、母親のアヤメが仁王立ちしていた。

 

 もはや、この世の終わりといった顔の二人に、アヤメは深く溜息をつく。

 

 

「まったく・・・娘と一緒にコソコソと・・・・・・」

 

 

「い、いや・・・・」

 

 

(かがみ) アヤメを・・・・ナメていらっしゃるの?」

 

 

 特高での尋問でも、ここまで恐れを感じなかったと、夢彦は心の中で叫んだ。

 

 横にいる千代も、上目づかいで泣きそうになっている。

 

 アヤメが無機質な表情になると、いよいよ二人は体をこわばらせた。

 

 

 

「千代。少し、席を外していただけるかしら?」

 

 

 

 千代は無言で立ち上がり、心配そうに部屋を後にした。

 

 襖が閉まると、アヤメは夢彦の枕元に正座する。


 

 

「・・・あ、アヤメさん」

 

 

「途中の原稿、見せて下さいまし」

 

 

 

 夢彦は、布団の下から原稿を取り出し、(みかど)に献上するかのように差し出した。

 

 アヤメは受け取ると、元編集者らしく素早く目を通し、眉間に深々とシワを寄せる。

 

 次第に目元まで引きつり始めると、夢彦は絶望感に涙目になった。

 

 

「なんですか・・・・これは・・・」

 

 

「す、すまない・・・アヤメさん・・・アヤメさんの心配をよそに・・・」

 

 

「こんなモノを書いて・・・馬鹿じゃありませんの!?」

 

 

 アヤメは泣きながら原稿を破き捨てると、天井に向かって放り投げた。

 

 バラバラと落ちて来る原稿用紙の切れ端が、二人の上に降り注ぐように落ちて来る。

 

 顔を抑えて嗚咽するアヤメに、夢彦は何も言えなかった。

 


「人の気も知らないで・・・」


 

「・・・・」

 

 

「・・・こんなモノ」


 

 アヤメは夢彦に飛び掛かると、怪我の事など(かま)わずに押し倒した。

 

 拳を握り締めて振りかざされ、夢彦は、特高で袋叩きにされた記憶が(よみがえ)る。

 

 アヤメには、(ののし)られる事はあっても、手を上げられた事は一度もなかった為、今までにない恐怖を覚えた。

 

 

 

 

 

「こんなモノ・・・・・・『(いずみ) 夢彦(ゆめひこ)』の作品なんかじゃありません!!」

 

 

 

 

 

 アヤメは、夢彦の胸に顔をうずめ、そっと拳を押し付けた。

 

 自分の胸元が、じんわりと()れていくのを、夢彦は、かすかに感じる。

 

 

反吐(へど)が出るほどグロテスクで、目も当てられないほどエロティシズムな・・・救いようがないえげつない話こそ、『泉 夢彦』じゃありませんか・・・」

 

 

「・・・アヤメさん」

 

 

「アナタらしさは・・・何処に行ったのですか・・・」

 

 

 夢彦は、アヤメの背中に腕を回してギュッと抱き締めた。

 

 昔のような香水の香りはしなかったが、アヤメ自身の香りが、甘く鼻腔(びくう)をくすぐる。

 

 

「こんな世の中だからこそ・・・ありのままのアナタで・・・書いて下さいまし」

 

 

「うむ・・・そうであったな」

 

 

「だいたい、この『露光(ろこう)』という女を綺麗にまとめ過ぎです!!まったく女心が分かっていないではありませんか!!」

 

 

「う・・・このタイミングでダメ出しするのか・・・」

 

 

「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」

 

 

 夢彦は、目を見張ってアヤメを見つめた。

 

 夢彦の上から降りると、感極まった顔で、アヤメは言葉を継ぐ。

 

 

「一晩、(ちぎ)りを結んで帰ってしまったアナタ・・・いつまでも愛してるとは言うけれど、アナタの本心をはかりかねて、寝みだれた髪のように、私の心も乱れに乱れています」

 

 

「・・・その歌は、後朝(あとぎぬ)の歌への返歌じゃないか・・・・・・つまり」

 

 

「明日には死ぬかもしれないような彼女が、少女向けの恋愛小説みたいに、じれったくのんびり構えるワケないでしょう!相手と生き急ぐに決まってます!!」

 

 

「そうだが・・・すごく控えめで、奥ゆかしい性格なのに」

 

 

「それはつまり、心を許せば、相手に一気に押し切られてしまうって事ですわ」

 

 

「な、なるほどな・・・」

 

 

「大体・・・官能小説の『吉原(よしわら)奇譚(きたん)』を書くのに、ココを避けてどうするのですか」

 

 

「・・・・・たしかに」


 

「それに、アナタ・・・この教団は、新国を立ち上げて、何をする気なの?」

 

 

「え・・・?」

 

 

「だって、『露光』という、特別な御子(みこ)が手元にいるからこそ、建国出来るという設定なのに・・・・彼女が生贄(いけにえ)になって死んでしまったら、国の存続が危ういのでは?」

 

 

 アヤメの言葉に、夢彦は蒼白となった。

 

 (ひたい)に手を当てると、痙攣(けいれん)するほど目を見開く。

 

 取り乱した夢彦に驚き、アヤメは思わず、肩に手を添えた。

 

 

「ご、ごめんなさい、夢彦さん。ちょっと、口を出し過ぎたかしら?」

 

 

「い・・・・いや・・・」

 

 

「大丈夫ですか・・・?」

 

 

「あぁ・・・・そうか・・・」

 

 

 夢彦は、慌てて千切れた原稿をかき集め、文字を追い始めた。

 

 必死に何かを探す夫に、アヤメは目を丸くする。

 

 

「ど、どうしました・・・?」

 

 

「この教団の教祖は、教団の存続も、新国の立ち上げも・・・・本当は興味ないのだよ」

 

 

「え・・・?」


 

「・・・たしか、教団を立ち上げた時期は・・・」

 

 

 夢彦は、ハッとして小さな原稿用紙の切れ端を掴むと、立ち上がろうと床に左手をついた。

 

 直後、手首から肩に掛けて激痛が走り、夢彦は苦悶の表情で倒れ伏す。

 

 

「だ、大丈夫ですか!?骨折してるのですから、無茶しないで下さいっ」

 

 

「アヤメさん、電話まで連れて行ってくれ!」

 

 

「・・・電話?」

 

 

「どうしても・・・・聞きたい事があるのだよ」

 

 

 鬼気迫る夢彦の様子に、アヤメは息を呑んだ。

 

 そして、小さくうなずくと、夢彦に寄り添って肩を貸す。

 

 

「千代っ、手伝って!」

 

 

 夢彦はアヤメに支えられながら、ゆっくりと歩き出した。

 

 そんな二人を見送るように、庭先の夜露は、ほのかに月の光を含んで(またた)いたのであった。

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