-媼主の速贄- 23
星々が輝く夜空の下、どこか物悲しい林の中を、一人の少女が歩いていた。
歳は十代後半位で目鼻立ちが整っており、フランス人形のように愛らしい。
その日本人離れした顔立ちに、亜麻色の髪が、外灯の光にキラキラときらめいていた。
「ただいま~」
少女が、玄関の扉を開けて声を上げると、奥の部屋から、こもった声で「おかえり」と返事が返って来た。
少女は静かに微笑むと、靴を脱いで上がり、声のした部屋へと静かに歩いて行く。
襖をあけて室内をうかがうと、布団の上で庭をジッと眺めている、浴衣姿の夢彦がいた。
電灯に照らされて、ほんのり橙色に見えたが、その髪の色は、年の割に真っ白である。
夢彦は、ゆっくりと振り返ると、少女に温かい笑みを向けた。
「おかえり、千代」
千代と呼ばれた少女は、夢彦とソックリな、ふんわりとした笑みを浮かべた。
こうして笑っていると、性別が違うのに、瓜二つである。
どちらも端正な顔立ちな為、ドコを切り取っても絵になりそうな華やかさがあった。
「お父さん、怪我の具合はどう?」
「まぁ・・・とりあえず、話が出来る程度に、顔の腫れは引いた」
夢彦は苦笑いを浮かべると、右腕を痛そうにさすった。
その動作に違和感を覚え、千代は、悲哀のこもった目で溜息をつく。
「お母さんに内緒で、何か書いてたでしょ」
「・・・え!?」
「お父さん、分かりやす過ぎるから・・・」
「・・・う・・・う~ん・・・」
「バレないようにしてね。お母さん、本気で怒るよ」
娘に諭されバツが悪かった夢彦は、苦笑いで頬をかいた。
千代は、天使の彫像のような華やかさで微笑むと、夢彦の周辺をのぞき見る。
「ねぇねぇ・・・どんなお話を書いてるの?」
「・・・え・・・いや・・・・」
「この前の、新興宗教のお話?」
夢彦は、ビクリと体を震わせると、驚愕のまなざしで千代を見た。
湯がクツクツと煮えるような声を上げて、千代は面白そうに笑う。
「お父さん、驚き過ぎ」
「あ、あの原稿・・・読んだのか・・・!?」
「うん、全部読んだよ?・・・ちょっと、エッチな話だった」
夢彦は、顔を真っ赤にすると、髪を引っ掴んで顔を伏せた。
夢彦は、関東大震災以降、そういった内容の話を封印し、一般向けの恋愛小説や探偵小説を書いて来たのである。
まして、元々は官能小説家だったことなど、子供たちには、ひた隠しにして来たのだった。
その為、自分の書いた官能小説を、息子の薫ならまだしも、娘の千代に見られるなど、この上ない恥辱である。
そんな悶絶しそうな父親に、千代は、花びらを散らしたような笑みを浮かべた。
「お父さん、もう私も十八よ?『そういう内容』の話を読んでもいい年齢でしょ?」
「そ、そうだとしてもだ・・・!!」
「お父さんなんか、十七歳の時に『空蝉の宴』を書いてるじゃない」
愕然とした表情で、夢彦は千代を見つめた。
千代は、いよいよ声を上げて笑い出し、夢彦の肩を優しく叩く。
「お父さん・・・エロ本を天袋に隠すなんて、隠し事が下手なお兄ちゃんでもやらないよ」
「・・・・・・」
「ねぇねぇ、お母さんに黙ってるから、完成したら読ま」
「誰に・・・・黙っているのかしら・・・・?」
突然、背後に沸き上がった、ただならぬ気配に、夢彦と千代は蒼白となった。
二人は恐る恐る視線をソチラに向けると、あまりの恐ろしさに、小さく叫び声を上げる。
牛頭大王と馬頭大王もひれ伏すような形相で、母親のアヤメが仁王立ちしていた。
もはや、この世の終わりといった顔の二人に、アヤメは深く溜息をつく。
「まったく・・・娘と一緒にコソコソと・・・・・・」
「い、いや・・・・」
「鏡 アヤメを・・・・ナメていらっしゃるの?」
特高での尋問でも、ここまで恐れを感じなかったと、夢彦は心の中で叫んだ。
横にいる千代も、上目づかいで泣きそうになっている。
アヤメが無機質な表情になると、いよいよ二人は体をこわばらせた。
「千代。少し、席を外していただけるかしら?」
千代は無言で立ち上がり、心配そうに部屋を後にした。
襖が閉まると、アヤメは夢彦の枕元に正座する。
「・・・あ、アヤメさん」
「途中の原稿、見せて下さいまし」
夢彦は、布団の下から原稿を取り出し、帝に献上するかのように差し出した。
アヤメは受け取ると、元編集者らしく素早く目を通し、眉間に深々とシワを寄せる。
次第に目元まで引きつり始めると、夢彦は絶望感に涙目になった。
「なんですか・・・・これは・・・」
「す、すまない・・・アヤメさん・・・アヤメさんの心配をよそに・・・」
「こんなモノを書いて・・・馬鹿じゃありませんの!?」
アヤメは泣きながら原稿を破き捨てると、天井に向かって放り投げた。
バラバラと落ちて来る原稿用紙の切れ端が、二人の上に降り注ぐように落ちて来る。
顔を抑えて嗚咽するアヤメに、夢彦は何も言えなかった。
「人の気も知らないで・・・」
「・・・・」
「・・・こんなモノ」
アヤメは夢彦に飛び掛かると、怪我の事など構わずに押し倒した。
拳を握り締めて振りかざされ、夢彦は、特高で袋叩きにされた記憶が蘇る。
アヤメには、罵られる事はあっても、手を上げられた事は一度もなかった為、今までにない恐怖を覚えた。
「こんなモノ・・・・・・『泉 夢彦』の作品なんかじゃありません!!」
アヤメは、夢彦の胸に顔をうずめ、そっと拳を押し付けた。
自分の胸元が、じんわりと濡れていくのを、夢彦は、かすかに感じる。
「反吐が出るほどグロテスクで、目も当てられないほどエロティシズムな・・・救いようがないえげつない話こそ、『泉 夢彦』じゃありませんか・・・」
「・・・アヤメさん」
「アナタらしさは・・・何処に行ったのですか・・・」
夢彦は、アヤメの背中に腕を回してギュッと抱き締めた。
昔のような香水の香りはしなかったが、アヤメ自身の香りが、甘く鼻腔をくすぐる。
「こんな世の中だからこそ・・・ありのままのアナタで・・・書いて下さいまし」
「うむ・・・そうであったな」
「だいたい、この『露光』という女を綺麗にまとめ過ぎです!!まったく女心が分かっていないではありませんか!!」
「う・・・このタイミングでダメ出しするのか・・・」
「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」
夢彦は、目を見張ってアヤメを見つめた。
夢彦の上から降りると、感極まった顔で、アヤメは言葉を継ぐ。
「一晩、契りを結んで帰ってしまったアナタ・・・いつまでも愛してるとは言うけれど、アナタの本心をはかりかねて、寝みだれた髪のように、私の心も乱れに乱れています」
「・・・その歌は、後朝の歌への返歌じゃないか・・・・・・つまり」
「明日には死ぬかもしれないような彼女が、少女向けの恋愛小説みたいに、じれったくのんびり構えるワケないでしょう!相手と生き急ぐに決まってます!!」
「そうだが・・・すごく控えめで、奥ゆかしい性格なのに」
「それはつまり、心を許せば、相手に一気に押し切られてしまうって事ですわ」
「な、なるほどな・・・」
「大体・・・官能小説の『吉原奇譚』を書くのに、ココを避けてどうするのですか」
「・・・・・たしかに」
「それに、アナタ・・・この教団は、新国を立ち上げて、何をする気なの?」
「え・・・?」
「だって、『露光』という、特別な御子が手元にいるからこそ、建国出来るという設定なのに・・・・彼女が生贄になって死んでしまったら、国の存続が危ういのでは?」
アヤメの言葉に、夢彦は蒼白となった。
額に手を当てると、痙攣するほど目を見開く。
取り乱した夢彦に驚き、アヤメは思わず、肩に手を添えた。
「ご、ごめんなさい、夢彦さん。ちょっと、口を出し過ぎたかしら?」
「い・・・・いや・・・」
「大丈夫ですか・・・?」
「あぁ・・・・そうか・・・」
夢彦は、慌てて千切れた原稿をかき集め、文字を追い始めた。
必死に何かを探す夫に、アヤメは目を丸くする。
「ど、どうしました・・・?」
「この教団の教祖は、教団の存続も、新国の立ち上げも・・・・本当は興味ないのだよ」
「え・・・?」
「・・・たしか、教団を立ち上げた時期は・・・」
夢彦は、ハッとして小さな原稿用紙の切れ端を掴むと、立ち上がろうと床に左手をついた。
直後、手首から肩に掛けて激痛が走り、夢彦は苦悶の表情で倒れ伏す。
「だ、大丈夫ですか!?骨折してるのですから、無茶しないで下さいっ」
「アヤメさん、電話まで連れて行ってくれ!」
「・・・電話?」
「どうしても・・・・聞きたい事があるのだよ」
鬼気迫る夢彦の様子に、アヤメは息を呑んだ。
そして、小さくうなずくと、夢彦に寄り添って肩を貸す。
「千代っ、手伝って!」
夢彦はアヤメに支えられながら、ゆっくりと歩き出した。
そんな二人を見送るように、庭先の夜露は、ほのかに月の光を含んで瞬いたのであった。




