-媼主の速贄- 20
常闇の森を駆け抜ける影が、淀んだ風を切り裂いていた。
時折、迫りくる禍々しい気配に『瘴気』の矢が打ち放たれ、遠くから阿鼻叫喚がこだまする。
しかし、急に仏僧姿の小童が立ち止まると、長身の二つの影は、転びそうになりながら足を止めた。
「おいっ、急に立ち止まんな!」
「どうしたの?『虚』」
犬飼と『青蘭』が、いぶかし気に尋ねると、『虚』は錫杖を持たない方の手で、こめかみ辺りを抑えて唸った。
長い前髪の間から、痙攣するほど見開かれた瞳がのぞく。
「大丈夫?・・・この世の終わりみたいな顔してるわよ?」
「恭一郎と東雲が・・・さらわれた」
「え・・・」
『青蘭』が、『虚』と同じく目を見張った。
一方、犬飼は微塵も慌てた様子はなく、鋭い視線で淡々と問いただす。
「誰にだ?」
「国民服姿の男共だが・・・顔は分からぬ。東雲を人質に取って、二人共、車に乗せられた」
「どの辺りを走ってる?」
「・・・焼け野原で、分からない」
「だよな・・・」
犬飼は、あごに手を当てると、地面を睨みつけて黙り込んだ。
しかし、いつもの軽薄な笑みを浮かべると、両手を腰に当てる。
「まぁ、『死鬼喰み』を殺したら、自分たちが巻き添えになるんだ。恭さんは大丈夫だろ」
「恭一郎の心配などしておらぬ!東雲は、いつ殺されても、おかしくないであろう!!」
「じゃあ、もし東雲を傷付けたら、俺たちが『虚』を――『死鬼』を殺すって言っときゃイイんじゃね?」
「・・・・」
「マジになるなよ・・・あくまで、向こうへのけん制だろ」
すると、『青蘭』が、『虚』の肩をつついた。
『虚』が振り返って見上げると、眉間に深くシワを寄せている。
「東雲さんは、『白蓮』を連れてるの?」
「いや、『裏御前』に囚われるのを恐れて、取り憑かせていない」
「よかった・・・でも」
すると、『青蘭』は、犬飼に向かって弓を構えた。
つがえた矢の切っ先が、犬飼を鋭くとらえる。
「いったいどうして・・・恭一郎さんの居場所が分かったんでしょうね・・・」
犬飼は手を上げて、大きく溜息をついた。
その様子に、『青蘭』は忌々しそうに、犬飼を睨みつける。
「アンタが謀ったんじゃないの・・・犬飼」
「違ぇよ」
「ウソおっしゃい!妙に落ち付いてるじゃないのよ!!」
「仕方ねぇだろ。今、真剣に考えてんだから」
「・・・だいたい、『死鬼喰み』の恭一郎さんを千葉から呼び出した辺りから、アンタ怪しいのよ!」
犬飼は、ムッとした顔で『青蘭』を見つめた。
しかし、それよりも険悪な表情で、『青蘭』は、つがえた矢に力を込める。
「アンタ・・・恭一郎さんを、『裏御前』に売ったんじゃないの!?」
「お前、医者になれるほど頭がいいクセに、妙な考えするなよ」
「アンタが『裏御前』の仲間じゃないって、証明出来るのかしら?」
「それを言うなら、俺が仲間だって証明出来るのか?」
「『白蓮』から聞いてるわよ。あの東雲って人、元々『裏御前』の側で働いていたんでしょ?」
「・・・・」
「あの人・・・まだ、『裏御前』に仕えてるんじゃないの!?」
『青蘭』は弓を構えたまま、『虚』を遮りながら後ずさった。
一触即発の『青蘭』を、犬飼は、神妙な面持ちで見つめる。
「水谷って奴もグルなんでしょ?『隠世』で『露光』をさらって、『虚』が恭一郎さんの元から離れるようにしたんじゃないの!?」
「俺は秘密を暴くのは大好物だけどさぁ、自分で画策するのは興味ねぇんだよ。だいたい、何の得があるってんだ」
「『裏御前』が新国を立ち上げたら、色々と優遇してもらえるじゃない」
「うっわ・・・一番つまんねぇ」
「茶化さないで」
「そう言うけどさぁ・・・ありのままを言ったら信じるのか?」
「内容によるわよ」
「・・・恭さんに東京に出て来てもらったのは、本当に水谷と会わせる為だ。『鬼』の『縁』を繋げねぇと、『隠世』で一緒に探せないだろ」
「でも、さっきは水谷じゃなくて、『露光』の持ってる『虚』の『瘴気』で追おうって言ったじゃない・・・まるで、持ってるのを知ってるみたいに」
「さっきも言ったが、ソッチの方が簡単だからだ。それに、『虚』の彼女が『死鬼』だったなんて、『虚』を助けてやった時には知らなかった」
「とって付けたような嘘を・・・」
不意に、『青蘭』は後ろから引っ張られた。
見ると、自分の着物の裾を掴んで、『虚』が困ったような顔で見上げている。
「なに、『虚』?」
「・・・犬飼の言ってる事は本当だ、嘘ではない」
「なんで分かるのよ」
「表情の微妙な変化だ。俺の経験的な物だから、納得させられる理由にならんかもしれんが・・・」
「アナタ、どうしてソコまで犬飼を信じるのよ?」
「『青蘭』・・・どうして犬飼は、お前の母親が『彩雲の民』だった話を、この場で引合いに出さない」
「――――」
「お前の方こそ、『裏御前』の恐ろしさを知って、『彩雲の民』の信者に取り込まれたのではないかと、言いがかりを付けることも出来る。俺をかばうフリをして、仲違いさせる気だろうとな」
「・・・ち、違うわよっ」
「分かっておる。もし、お前がそんな奴なら・・・『白蓮』は、お前を慕わない」
「・・・・」
「犬飼も、それを分かっているからこそ、お前と仲違いしてしまうような事を口にしないのだ」
『青蘭』が、うかがうような目で犬飼を見ると、犬飼は大きく溜息をついた。
そんな犬飼に、『青蘭』は半信半疑で問いただす。
「じゃあ・・・『虚』の彼女が『死鬼』だって・・・なんで言い当てられたのよ?」
「『虚』が、東海で起こった大地震を知ってたからだ」
「・・・大地震?・・・そんなもの、あったの?」
「ほら、知らねぇだろ。この本土決戦が間近って時に、そんなのを国民が知ったら士気が落ちる。だから、報道規制が掛かってて、新聞で取り上げられてねぇんだ。それを『虚』は、千葉にいるクセに知ってた」
犬飼は、ニンマリと『虚』に笑い掛けた。
『虚』が、口元を歪ませてうなずくのを見て、『青蘭』は目を丸くする。
「東海で大地震があったのは本当だ。『露光』が・・・自分が殺されて起こったと」
「・・・!?」
「俺が、彼女の存在に気が付いたのは、今年の夏の冷害だ。『死鬼』が殺されているのではと、『戯』と一緒に探していた」
「・・・ちょっと待って。『縁』がないのに、どうやって探すのよ」
「『死鬼』同士は、相手が同類と分かるのだ。と言っても、『縁』のように的確に探る事は出来ない。ぼんやりとした気配を、地道に追って見つけ出した」
『青蘭』は、苦々しい顔で犬飼を見やった。
犬飼は得意そうに、いつもの笑みを浮かべる。
「ま、疑われるのも仕方ねぇよな。そんなイイ子ちゃんな生き方してねぇし」
「そうだ。犬飼みたいなゲスを、真っ先に疑うのは真っ当だ」
「・・・そこ、最後までかばえよ」
『青蘭』は苦笑いを浮かべると、頬に手を当てて考え込み始めた。
しかし、どうにも結論が出ないと、『虚』に視線を向ける。
「でも、『虚』・・・じゃあ、恭一郎さんは何故、『裏御前』に見つかったと思うの?」
「・・・・おそらく、空襲だ」
『青蘭』は話が飲み込めず、小首をかしげた。
『虚』は犬飼に向き直ると、神妙な面持ちで問い掛ける。
「犬飼、空襲で東雲が生き埋めになった時、東雲は、どんな様子であった」
「・・・幹久の名前を、ずっとつぶやいてたな。呼びかけても、返事もしねぇ状態だった」
「ならその時に、誤って『遁甲』を解いてしまったのだ」
「――――」
「東雲は、ずっと『裏御前』から逃げる為に、『遁甲』しておったようだからな・・・小一時間なら気付かれずに済んだであろうが、二日間も解いていては、さすがにバレる」
「で、東雲を監視してたら、恭さんに出くわしたっつー事か」
「俺も普段は『遁甲』しておるが、お前と直接話す為に、実体化したしな・・・くだらん理由で」
「・・・回りまわって、ヤッパリ俺のせいになるのかよ」
うかがうような視線を、犬飼は『青蘭』に送った。
目を細めた『青蘭』は、重々しく溜息をつく。
「一概に、アンタだけを責められる状況じゃないって、分かったわよ・・・」
その言葉に、犬飼がヘラっと笑い掛けると、『青蘭』は、前言撤回したい気分となった。
『虚』も同意するように、苦笑いを浮かべる。
「・・・・!?」
すると、にわかに淀んだ風が凪ぎ、あちこちに潜んでいた禍々しい気配が、何かを避けるように散って行った。
その変化に、『虚』は、錫杖を強く握り締め、泥が煮えるような唸り声を上げる。
肌を刺すようなピリピリとした空気に、さすがの犬飼も笑うのをやめた。
「おい・・・何か変じゃねぇか?」
「え、えぇ・・・急に静かになったわ」
不穏な空気に、犬飼と『青蘭』は辺りを見回した。
すると、『虚』は、錫杖を地面に忌々し気に突き立て、辺りに甲高い金属音を響かせる。
同時に、常闇の森の大気が打ち震え、周囲の淀んだ空気が澄み渡った。
「・・・!?」
犬飼が探るように睨みつけていると、突如、目の前に薄墨色の濁流が姿を現した。
濁流は、『虚』の錫杖を避けるように二手に別れ、その勢いは、荒れ狂う獣の如く奔走する。
「気を付けろ!・・・犬飼っ・・・『青蘭』!」
「気を付けろって、どうしろって言うんだよ!」
「何も受け入れるな!」
『虚』が言うか否や、上から覆い被さるように、激流が襲いかかった。
犬飼と『青蘭』が振り仰いだ瞬間、その体が抗えない力で押しやられる。
視界が鈍色に染められていくと、三人の意識は、奔流と共に流されて行ったのだった。




