-蛇落の褥- 3-4
「なるほどねぇ。そりゃ大変だったな」
「全く、どいつもこいつも勝手過ぎますわ」
出版社に戻り、幹久は犬飼とアヤメに、先程の事を話した。
持ち帰った手付かずの軽食をつまみながら、アヤメはプンスカと怒っている。
一方、犬飼は机に脚を乗せて、ふんぞり返りながら、幹久の話に軽薄な笑みを浮かべていた。
「まぁ、しかし・・・恭一郎って奴は、とんだ貧乏くじを引いたな」
「でも、借金が帳消しになるのは良い話ではないのかしら。いくらか知りませんけど」
「今すぐ雁首そろえて払えって言われて、出せる金額じゃないんだろうな」
「でも、兵卒になれば、給金も支払われるのでしょう?命懸けかもしれませんが、就職先まで決まりますわ」
「下っ端じゃ、留守家族への給金入れても、月15円いくかどうかだけどな」
「15円!?」
「日雇い労働者でも十日間働いて20円って事を考えると、全然、割に合わねぇ。
まぁ、衣食住は軍が全部持つワケだけど」
「国の為に働いているのに、何でそんなに低いんですの!?」
「さあな。士官学校を出た、頭の良いエリート連中に吸い上げられてんじゃね?」
「信じられませんわ・・・」
「国会議員の報酬なんか月250円だ。笑っちゃうだろ?クソ爺どもの身勝手な取り決めで、異国に飛ばされた兵卒の給金がスズメの涙だってのにさ」
「夢彦さんが激昂するのも、無理ないというワケね」
犬飼は机に乗せてた脚を下すと、頭をボリボリとかきだした。
そして珍しく、真剣な面持ちとなる。
「でも、あのカフェで大声で叫んだのはマズいな」
「周りの迷惑ですものね」
「違ぇよ。ロシア帝国が崩壊して、赤軍思想が警戒されているんだ。特に、シベリアから撤兵してしてきた兵卒が、アカに染まってないかな」
「赤軍思想?」
「アッちゃん、知らないの!?」
「すみません、政治の事は、まだまだ不勉強ですの」
「赤軍、つまりロシアの王朝をぶっ潰した革命軍だ。赤軍思想は、そいつらの思想で社会主義だ。日本の天皇制と相容れない」
「ごめんなさい・・・全然ついて行けません」
「まずな、日本がシベリアに出兵したのは、その赤軍を抑える為に、同盟国から干渉戦争に付き合ってくれと要請されたからなんだ・・・表向きはな」
「欧州大戦が停戦状態になっても、日本の領土拡大をはかって駐留していたんですよね」
「お、幹は分かってるな」
「いえ、犬飼さんほどではないです・・・」
「そこまで分かってりゃ上等」
「えーっと・・・『鎮圧』と言っときながら、『侵略』したという事ですか?」
「そう。『鎮圧』という本来の名目を掲げたまま『侵略』に駆り出されたら、アッちゃんはどう思う?」
「自分が何の為に来たのか、分からなくなりそうですわ・・・」
「まさに、それだ。自分たちの目的が見えなくなって、国家を覆した敵側の思想に染まる兵卒が増えちまったんだ」
「なるほど。自分たちの兵卒が、国家転覆をはかるのではないかと、警戒しているということですのね」
「そゆこと~」
犬飼はアヤメを指差し、ニンマリと口元を吊り上げた。
どこか楽し気な犬飼に対し、幹久は重々しい気持ちでつぶやく。
「夢彦さん、国の為に働く気なんか無さそうでした・・・」
「口にしないだけで、そう思ってる連中は結構いるぞ。特に、農村部は」
「・・・そう言えば夢彦さん、地方から出て来たって言ってましたね」
「まぁ、だとしても、それをシベリア帰りの陸軍兵卒と、公衆の場で話すのはマズ過ぎる」
「だから恭一郎さん、『夜に出直す』って言ったんですね・・・」
「だろうな」
それは、自分の身を案じてなのか、夢彦を気づかってなのか。
幹久は何となく、後者のような気がしていた。
『久しぶり』と言って夢彦に向けた笑顔が、本来の彼の姿のような気がしたからである。
「しっかし、俺も迂闊だったわ」
「何がですの?」
「だってよぉ・・・夢さん、自分が色男だって自覚ないんだぞ!?」
「・・・確かに、本筋に関係ありませんが、衝撃的事実ですわね」
「あぁ、でも・・・最近、口にしなくなったけど、目と髪の色を気にしてたからなぁ」
「確かに目立ちはしますが、容姿が劣る要因には成りえませんわ」
「俺も同意見だ。でも、当の本人は、そう思ってねぇんだよ」
「つまり・・・むしろ、ずっと自分の容姿に自信がなかったと?」
「記者時代に、白人に間違えらるのを、すごく嫌がってた」
「なるほど・・・だから、私が洋装を勧めても、適当な理由を付けて拒否するのですね」
「クソォ・・・俺は、てっきり、自分の容姿がイイのを見越して、猥談やら、だらしない格好をワザとやってるのかと思ってたぁああ!!」
「まぁ、でも。やる事に変わりないじゃありませんか」
「全っ然、意味合いが違うぞ!ナルシストは自らのポテンシャルを計算しての結果だ。だけどな、夢さんは素なんだよ!!天然物なんだ!!」
「確かに、うぬぼれがない分、気色悪さは半減しますわね」
「そうだけど、あぁ、もう、分かんねぇかな・・・!」
「あと、無防備ね。誘ってるのかと思いきや、その気はゼロって事ですものね」
「そうだよ!そこなんだよ!!」
「だから未だに独身なのよ、アナタと一緒で」
「俺は『出来ない』んじゃなくて『しない』んだよ。俺は一夜限りの関係でイイんだ」
「そう言ってますと、突然女が押しかけてきて『アナタの子が出来ました』なんて、泣きつかれますわよ」
「夢さんは、そうでもないと結婚出来ないだろうなぁ」
「・・・ですわね」
言いたい放題の二人に、幹久は苦笑いを浮かべた。
恭一郎の方が、この二人より数倍優しいと、幹久は心の中でつぶやいたのだった。




