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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
媼主の速贄
128/153

-媼主の速贄- 18

 満天の星空の下、小高い丘の上に、一本の桜の古木が立っている。

 

 (ふもと)を見下ろすようにたたずむ姿は、まるで地上をのぞき込む天人(てんにん)を思わせた。

 

 ほとんど葉桜となっており、新緑の(すみ)に咲き残った桜の花が、チラリと顔をのぞかせている。

 

 そんな桜の根元に、まるで墨を落としたような黒い影が座り込んでいた。

 

 

 

 チン・・・・・カチン・・・・・・

 

 

 

 その(そば)に、薄緑色の燐光(りんこう)を閉じ込めたガラス(びん)が、地面の上に置かれている。

 

 しばらく、こもった甲高い音を上げていたが、『露光(ろこう)』は疲弊(ひへい)した様子で、弱々しく明滅した。

 

 

 

「やるだけ無駄だよ。静かに桜でも見てたら?」

 

 

 

 そう言うと、水谷は手元の本に視線を落とした。

 

 黒い狐の(めん)を付けたままでは、どう見ても読みづらそうである。

 

 『露光』は何を読んでいるのかと、ジッと水谷を見つめた。

 

 

 

「この本は雰囲気だよ。もう好きな詩歌(しいか)なんて頭の中で覚えてるけど、本になってる方が、読んでる気がするでしょ」

 

 

 

 チン・・・

 

 

 

「キミ、好きな本は?『彩雲(さいうん)(たみ)』の経典(きょうてん)とか?」

 

 

 

 『露光』は怒りを込めたように、激しく明滅して体当たりした。

 

 ガラス瓶が、こもった音を上げ、ほんの少し揺れる。

 

 

 

 カチン・・・・カチン・・・・

 

 

 

 『露光』が、こもった鈴の音を鳴らし続けると、水谷は『露光』を無言で凝視した。

 

 怒らせてしまったのかと思い、『露光』は弱々しく身を光らせる。

 


 

「・・・キミ、和歌が好きなの?」

 

 


 チン・・・

 


 

「十五番?・・・なんの?」

 

 


 カチン・・・

 


 

 『露光』の言葉に、水谷はポンと手を叩いた。

 

 桜を見上げると、面の下で、ゆったりと息をつく。


 

 

「君がため 春の野に出でて 若菜(わかな)つむ 我が衣手(ころもで)に 雪は降りつつ」

 

 

 

 水谷が和歌を()みあげると、『露光』は、その抑揚(よくよう)に合わせるように、ゆっくりとした明滅を繰り返した。


 その(はかな)い光が、夜桜に()える。

 

 水谷も息をつくように笑うと、感慨深げに、その旋律を味わった。

 

 

 

「相手の長寿を願って、春の野原に野草をつみに行くとか・・・・いいなぁ」

 

 

 

 チン・・・

 

 

 

「・・・へぇ~、意外。『虚』、和歌の話が出来るんだ~」

 

 

 

 カチン・・・

 

 

 

「いいな~。ボクのお姫様は、日本刀を振り回す、戦国武将みたいな人だったから(うらや)ましい」

 

 

 

 水谷はクスクスと笑い出すと、(なつ)かしそうに、桜の近くの一軒家を見やった。

 

 縁側(えんがわ)(おぼろ)な人影が二つ、コチラを向いて口元をほころばせている。

 

 水谷がハッとして、まばたきをした瞬間、何者もいなかったかのように、その姿が消えた。

 

 

 

 チン・・・


 

 

 『露光』の、こもった風鈴のような音が響くと、水谷は、我に返ったように目を見開いた。

 

 そして、着物の胸元を握り締め、悲哀のにじんだ声を上げる。

 

 

 

「・・・いけない・・・話し込んじゃった」

 

 

 

 水谷はガラス瓶を持って、ゆらりと立ち上がり、桜の古木を見上げた。

 

 悲哀に満ちた瞳に、凍りつくような冷たさが宿る。

 

 次第に、辺りの景色は泥のように流れ出し、血の海のような曼殊沙華(まんじゅしゃげ)の群生に沈んでいったのだった。

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