-媼主の速贄- 17
苔むした山門をくぐると、その向こうには荒れ果てた御堂が建っていた。
観音開きの扉は開け放たれたままで、淀んだ風にあおられて、軋む音を上げている。
先日来た時とは、まったく違う様相に、犬飼は顔をしかめた。
「すっげー、荒れてんだけど」
「前に、お前が見たのは幻術だ。破られたせいで、今は元の状態に戻っておる」
「あぁ~。綺麗な状態の方が、可愛い彼女と気持ち良く過ごせてイイもんな」
「うるさい」
『虚』は堂内に立ち入ると、中央に置いてある燭台に近付いた。
手をかざすと、消えていた灯火は赤々と燃えだし、堂内をぼんやりと照らす。
そして、『虚』が指を差し出すと、まるで灯火は、生きているかのように、燭台から指へと乗り移った。
「なんだソレ?」
「俺の『瘴気』だ。『遁甲』の幻術が破られた時の為に、別に置いておいた」
『虚』は、沈黙して灯火を凝視した。
灯火の作り出す影が、まるで亡者が暗闇から様子をうかがっているかのように揺らめく。
そして、灯火が爆ぜるように瞬いて消えると、再び堂内は、純粋な暗闇に包まれた。
「・・・瀕死状態の俺に変化して、『露光』に扉を開けさせたようだ」
「彼女に、何があっても開けないよう、言ってたんじゃねぇの?」
「『鬼喰らい』に、水谷は本当に襲われている状況だった。変化だけなら、疑えただろうが・・・」
「アイツは汚ねぇ手を、平気で使うからな・・・・」
犬飼は、堂内をぐるりと見まわした。
割れた床板の隙間や、破けた御簾の一つ一つを探るように眺めると、疲れたように息をつく。
「アイツ、なんでココに行きついたんだろうな」
「俺と『縁』が繋がったのは、『シキ』伝いに分かっておるはずだ。俺の居場所を探っていて、ココに気付いたのだろう」
「でもよ・・・暴いたら、居場所が余計にバレるだろ」
「俺を直接相手にするとなったら、脅迫材料があった方が良いと思ったのだろう」
「なるほど・・・・こんな『隠世』の奥地で隠してるんじゃ、相当な代物だと思うよな」
「ただ、『露光』が、こもっているとは知らなかったと思う・・・さすがに、直接会ったら、何者かは分かったであろうがな」
犬飼は、急にニタニタと『虚』に笑い掛けた。
あまりにゲスな雰囲気に、『虚』は目元を引きつらせる。
「なぁなぁ・・・その答え、当ててイイ?」
「お前・・・本当に嫌な男だな」
「ふふん」
犬飼は、瞳に喜悦の色をにじませて、得意げに口元を吊り上げた。
あまりのしたり顔に、『虚』は口をへの字にする。
「『裏御前』の元にいる、『死鬼喰み』の『死鬼』だろ」
『虚』が黙ってうなずくと、『青蘭』は絶句した。
『虚』は口元を歪ませ、重々しく口を開く。
「この『隠世』で、『裏御前』に追われておったのだ」
「肉体は・・・何処にいるの?」
「分からぬ・・・『裏御前』の元にあるのは、確からしいが」
「彼女に案内してもらえば、たどり着けるんじゃないの?」
「彼女―――『露光』は、『現世』に顕現しておらぬ。案内させるには、『現世』に顕現させねばならぬのだ」
「・・・それは、色々マズいわね」
「うむ・・・そうなれば、『露光』は『鬼』を喰らわねば生きていけなくなる・・・肉体の側から離れられなくなり、完全に『裏御前』の手中に納まってしまうのだ」
『青蘭』は、口元を抑えて目を伏せた。
犬飼も腕組みし、大きく溜息をつく。
「・・・で、『戯』――― 夢さんが、ああなっちまったワケだ」
『虚』と『青蘭』は、同時に犬飼に目を向けた。
犬飼は、珍しく苦笑いを浮かべる。
「『瘴気』だけなら、『死鬼』を顕現させなくても、『現世』に持って行けるからな」
「・・・いえ、でも待って。『瘴気』があっても、『裏御前』が『遁甲』を掛けてたら、『鬼』の『縁』をたどるのは無理でしょ」
「夢さんは、『鬼喰らい』なんだ。『鬼』の分身を取り憑かせられんだよ」
「『裏御前』ほどの『鬼術』の使い手じゃ、肉体に『遁甲』を掛けて、隠す事も出来るじゃない。『鬼』の分身ですら、肉体を捜し出せないじゃないの?」
「そう。だから『戯』に、『無害化』を頼んだんだろ?」
犬飼が含むように笑うと、『虚』はコクンとうなずいた。
話が見えない『青蘭』は、眉間にシワを寄せる。
「夢さんの書く作品は、『鬼』の世界の暴露本だからなぁ」
「・・・どういう事?」
「かつて、『吉原奇譚』シリーズを手掛けてた『泉 夢彦』の作品は、『鬼』を『無害化』した作品なんだよ」
「幹久が愛読してる小説ね。結構、きわどい内容の・・・」
「脚色して架空の物語調にしてあるが、あれは、大部分が実話なんだ」
「・・・!?」
『青蘭』は唖然とした様子で、『虚』を見つめた。
『空蝉の宴』の内容を思い出しているのか、気まずそうに口元を隠す。
そんな『青蘭』に、『虚』が苦々しい笑みを向けるのを尻目に、犬飼は、したり顔で笑った。
「『戯』に彼女の分身を持ち帰らせて、夢さんに執筆させたんだろ。夢さんの緻密な描写なら、『鬼』の分身が口では説明出来ない、詳細な状況まで暴露出来る」
「うむ・・・だが、定期的に監禁されている場所を変えておるようでな、夢彦の執筆で暴露された場所は、もぬけの殻だったのだ」
「しかも・・・夢さんが、その原稿を出版社に持ち込んじまったと」
『虚』が額に手を当ててうめくと、犬飼は苦笑いを浮かべた。
『青蘭』は、話が読めないといった様子で、二人を交互に見る。
「え・・・ど、どういう事?」
「夢さんは無自覚な『鬼喰らい』なんだよ。『戯』が理解してても、夢さんは『裏御前』の事はおろか、『鬼』の存在すら知らねぇ」
「・・・もしかして、この『瘴気』で作品を書きたいって思わせる程度にしか、『鬼』が生みの親をコントロールできないって事?」
「そゆこと~」
「しかも、暴露してる意識が無いから、完成した原稿を出版社に出すのは当然と・・・」
「新興宗教の話となると、どうしたって、そういう出版社に出す事になる」
「・・・幹久に助けてもらえなかったら、どうするつもりだったのかしら・・・」
「・・・・迂闊だろ?夢さんらしいけど」
『虚』は、苦悶をにじませた声で溜息をついた。
あまりに苦悩する様子に、『青蘭』は密かに同情する。
「何というか・・・踏んだり蹴ったりな状況なのね・・・」
「まぁまぁ。肉体の方はなんだが、彼女の『鬼』の方は、ちょっとした散歩にでも行ったと思えば良くね?」
「犬飼・・・アンタ、本当に気づかいってもんが出来ない男ね・・・」
「水谷は、彼女をエサに『裏御前』をおびき出す気だ。危害は絶対に加えねぇよ」
「・・・エサにしてる時点で、大きな危害でしょうが」
「水谷を探すのは難しいかもしれねぇが、彼女をエサにしてるなら、彼女は『遁甲』してないはずだろ。探しやすいんじゃね?」
『青蘭』は、ハッとした顔で『虚』を見やった。
『虚』は苦々しい表情で黙り込む。
「彼女と『縁』はねぇだろうが、自分の『瘴気』は渡してるんだろ?」
「うむ・・・そうなのだが」
「何?どうした?」
「妙だ・・・俺の『瘴気』は、『遁甲』されてしまって追えぬ。だが、水谷は・・・『遁甲』しておらん」
犬飼は、慌てて中空を凝視した。
そして、目を丸くして、『虚』に視線を戻す。
「・・・たしかに」
「おかしいであろう?」
「・・・それって、水谷って人が、探しに来いって誘ってるんじゃないの?」
『青蘭』の言葉に、犬飼は腑に落ちない顔をした。
『虚』も得心がいかないのか、口元を歪ませる。
「罠にかける気か、アイツ・・・」
「分からぬ・・・だが、ココで手をこまねいているワケにもいかぬ」
『青蘭』と犬飼がうなずくと、『虚』は袈裟をひるがえして駆け出した。
犬飼たちも、瞳に鋭い光を宿して、その後に続く。
まるで疾風のように駆け抜ける三人の姿は、常闇の森ににじんでいったのだった。




