-媼主の速贄- 16
常闇の森の奥は、粘液質な闇に満たされていた。
上を見上げても、覆い被さるような木々の梢に遮られ、中天の様子はうかがえない。
しかし、横から這い寄る禍々しい気配が、『虚』と犬飼に近付くと、梢の先から稲妻の如く『瘴気』の矢が大地をうがった。
それに恐れをなした『鬼』たちは、まるで金縛りにあったかのように動かなくなり、駆け抜けていく二人を見送る。
「犬飼。『青蘭』とは、どういう知り合いだ?仲が良くなさそうだが」
「あぁ。アイツは、幹の官立学校時代の同級生なんだ」
「ほう・・・」
「俺、興信所を立ち上げて独り所長やってんだけどさ。二人が学生の頃に、行方知れずになった 『青蘭』の母親を探してやったんだ」
「・・・あの当たりの強い態度からすると、見つからなかったのか?」
「いや、見つけ出した。さっき言った、『裏御前』が立ち上げた『彩雲の民』って教団に入信してたんだ」
「―――!?」
「『青蘭』が説得にあたって、なんとか抜ける話になったんだが・・・脱退当日の帰り道、『青蘭』の目の前で、脳梗塞を起こして亡くなった」
「・・・『裏御前』が、制裁を下したのか」
「あぁ。どうやら、教団で重要な役回りをしてたらしくてな。情報漏洩の防止だろ」
「ぬぅ・・・」
「アイツは、幹と同じで『鬼』を認知できないし、『鬼』の見聞きした事も共有出来ない。ただ、『鬼』だけは『裏御前』の存在を脅威に思ってる状態でさ・・・えっらそうに説教たれるだろ?」
すると突然、犬飼の目の前を、『瘴気』の矢が通過した。
鼻先ギリギリの、きわどい距離に、犬飼は一瞬、青ざめる。
ギュゥ―ゲェゲッ・・・ギュゥ―ゲェゲッ・・・
上空の遥か彼方から、ダミ声が聞こえて来た。
抗議するかのような鳴き声に、犬飼は目を細める。
「うるせぇな!本当の事だろ!?」
すると、犬飼の頭に向かって、小さな影が急降下してきた。
慌てて避けた犬飼の横を、一陣の風が吹き抜ける。
オナガ姿の『青蘭』は、ギャーギャーと叫び声を上げると、『虚』の肩にしがみ付いた。
「分かる。ズケズケと品がないな」
『青蘭』はキュイッと一言鳴くと、再び上空に舞い戻った。
犬飼は眉根を寄せながら、優雅に飛び去る『青蘭』を睨みつける。
「まったく・・・顔面がズルむけるところだった」
「心配ない。せいぜい、三ヶ月くらい寝込むだけだ」
「心配だらけだ!」
「だったら『黒天』を来させればよかろう。この前も言ったが、ココは人の魂の来るところではない」
「本名を暴けねぇんだよ。俺もそうだが、『黒天』も術の類が使えねぇから、普通のイタチと大差ないんだ」
「水谷を探すには十分だろ」
「アイツが穏便に引き下がるワケねぇだろ・・・」
「・・・たしかに、あの性格だしな」
「それに、圭吾って名前は偽名だ。東雲も、圭吾の本名を知らない」
「力ずくで連れ帰る最終手段として、本名を暴く必要があるという事か」
「やりたくねぇけどな。他の『鬼』もそうだが、隠してる名前を暴くと、まず嫌われる」
「お前にも、嫌われたくない気持ちがあるのか」
「・・・お前に言われると、すげぇムカつく」
そうこう話をしていると、上空からキュイッと短い鳴き声が投げ掛けられた。
その鳴き声に、『虚』は前方を凝視する。
見ると、断崖絶壁を思わせる石段が、乱立する木々の間から見えて来た。
『虚』と犬飼が森を抜けると、人型に姿を変えた『青蘭』が、上空から勢いよく着地する。
「ココ?」
「うむ・・・」
石段の遥か先には山門があり、遠目にも荒れ果てているのが分かった。
興味津々で辺りをうかがってる犬飼に、『虚』は苦々しい顔で問い掛ける。
「・・・犬飼」
「なんだ?」
「『彩雲の民』という教団は、新国を立ち上げるつもりだとか言っておったな」
「あぁ」
「当然、『死鬼喰み』を生贄と称して、国家への攻撃の為に利用しておるのだろ?」
「ピンポ~ン」
「・・・一月にあった東海の大地震、そして、ここ最近の冷害型気候」
「そう、『裏御前』は『死鬼喰み』を手中に置いて、超自然的な方法で、政府に圧力を掛けてる。内務省の知り合いに聞いたけど、その辺りは、政府も理解してるってさ」
「国は、どうするつもりだ」
「特高を中心として、『裏御前』の居場所を探ってる。成果は、今のところねぇみたいだけど」
「なるほどな・・・幹久がイライラしてるワケだ」
「しかも、食料も武器も不足した状態で、本土決戦は無謀だって判断したらしく、敗戦に向けて動いてるらしい。天皇自ら、国民に聖断を伝えるという話になってるんだとさ」
「・・・『裏御前』に、屈するのか」
「いや、どちらかと言うと、ドイツもイタリアも敗退して、欧州は終戦してるし、ソ連と連合軍に袋叩きにされる前に、国体護持――天皇制を維持して戦争を終わらせたいんだ」
「だが、敗戦すれば、国は大混乱になるぞ。『裏御前』が狙ってるのは、まさしくソレであろう」
「分かってんな。『裏御前』は、国民をあおって内戦を起こし、国体護持させないつもりらしい」
「そうなれば、ロシアと同じ道を歩む事になるな・・・」
「幹も焦ってんじゃね?連合軍が、大きい顔して政治に干渉して来たら、政治警察の特高は解体されるだろうし」
犬飼にニンマリ微笑み掛けられ、『青蘭』は溜息をついた。
その溜息に満足したかのように、犬飼は口元を更に吊り上げる。
「色んな権限を失ってからじゃ、『現世』で『裏御前』を、とっちめられねぇもんな」
「幹久が気の毒だけど、アンタの言う通りよ・・・」
「だからって、『隠世』で、『鬼喰らい』の『裏御前』を倒すなんて無謀だしなぁ」
「・・・・」
「俺もだけど、お前も『鬼喰らい』じゃなくて、残念だな」
「アンタ・・・本っっ当に人を怒らせる天才よね」
目元を引きつらせる『青蘭』に、犬飼は得意げな顔を浮かべた。
ほめていないと言わんばかりに、『青蘭』の眼光が、更に鋭くなる。
すると、『虚』は、錫杖を肩に掛けるように持ち、甲高い金属音を辺りに響かせた。
「そう怒るな、『青蘭』・・・俺は、お前に色んな事で感謝しておるぞ」
「え・・・あぁ・・・イイのよ、アナタは」
「犬飼と気が合わないのに、手伝わせて、すまない」
「・・・・別に、アナタが犬飼のせいで、『裏御前』に見つからないか監視してるだけよ」
『虚』が控えめに微笑むと、『青蘭』は困ったような顔をした。
しかし、二人を尻目に、犬飼が石段を登り始めているのに気が付くと、『青蘭』は勝手な振る舞いに文句を言いながら追い掛ける。
かしましい二人の掛け合いを見ながら、『虚』は、ほのかに笑みをこぼしたのだった。




