-媼主の速贄- 13
瓦礫だらけの帝都は静まり返り、夕日が山の向こうに沈みかけている。
実篤は、診察時間が終わって、診察室の片付けをしていた。
室内は、だいぶ薄暗く、電灯の側だけが、気休め程度に明るい。
仕方ないとはいえ、もう少し明るくならないものかと、実篤は小さく溜息をついた。
チリン・・・
聞きなれた玄関のベルが鳴り、実篤は昼間と同じように、ひょっこりと待合室に顔を出した。
すると、これまた昼と同じように、幹久が玄関の所でたたずんでいる。
「実篤・・・いい・・・?」
西日の強い光に目を細め、幹久が、瞳に暗い影を落としていた。
黄昏よりも暗い顔の幹久に、実篤は柔らかな微笑を投げ掛ける。
「空振りだったの?」
「・・・うん」
「お疲れ様」
実篤は、水の入ったグラスを持ってくると、幹久に差し出した。
幹久は、深く溜息をつくと、グイッと一気にグラスを空ける。
「いい飲みっぷりね、お客さん」
「・・・酒に溺れたいよ」
「飲んでも酔わないクセに」
ケラケラ笑う実篤に、幹久は含むように笑った。
しかし、薄日が陰るように、その笑みが鳴りをひそめる。
「・・・実篤、意見・・・もらっていい?」
「自分の意見で良ければ、どうぞ」
そういうと、幹久は手持ちカバンから、封筒を取り出した。
封筒から分厚い紙の束を取り出すと、受付台に丁寧に置く。
「コレ、読んでくれる?ちょっと、読みづらいかもしれないけど」
実篤は紙の束を手に取ると、パラ、パラと規則的にめくった。
最後までめくり終えると、楽しげに微笑する。
そんな実篤に、幹久は目を丸くした。
「・・・相変わらず、読むの早いね」
「この内容じゃ、幹久だと三時間はかかるわね」
「・・・うん、そのくらい掛かった」
顔を真っ赤にすると、幹久は悔しそうにうつむいた。
実篤は、優しく幹久の肩をポンポンと叩くと、おかしそうに笑い出す。
「それで、何を聞きたいの?」
「そうだな・・・まず、文学的な評価は?」
「う~ん・・・少女向けの恋愛小説みたいなのに、ややエロいわね。テーマが新興宗教で重いし、アンバランスな印象かしら」
幹久は、唸るように原稿用紙を見つめた。
同じ評価なのだと、実篤は察する。
「この原稿・・・この前、釈放に苦労した人の作品よね?」
実篤は、原稿の一枚目に書かれた筆者名を指さした。
『泉 夢彦』
もはや、自分とは、切っても切り離せないほど馴染みのある名前に、幹久は暗い眼差しを向ける。
「実篤・・・『吉原奇譚』を覚えてる?」
「幹久が愛読してる、官能小説でしょ?」
「お願い・・・その言い方、やめて・・・」
「ゴメンなさい。愛読書よね?」
「・・・この『泉 夢彦』って筆者名は、その『吉原奇譚』でしか使われてないんだ」
急に神妙な面持ちとなった幹久に、実篤は笑うのを止めた。
幹久は、原稿の文字を鋭い眼差しで睨みつけると、重々しく口を開く。
「つまり、この原稿は・・・『吉原奇譚』の続編として書かれてるんだ」
「・・・全然、テイスト違わない?」
「うん・・・でも、このタイトル『媼主の速贄』は、歴代のタイトルと同じ系統だし、『泉 夢彦』の名前で書いているから、間違いない」
「『泉 夢彦』だけど、別作品かもよ?」
「・・・夢彦さん、本名は『鏡 夢彦』なんだ」
実篤は目を見張った。
その驚きように、幹久は苦笑いを浮かべる。
「すごいでしょ。ほとんど本名と変わらないって」
「か、官能小説の筆者名よね・・・まぁ、変わった名前だし・・・まさか本名だなんて思わないけど・・・」
「どうして、この筆者名にしたんですかって、出版社でアルバイトをしてた時に聞いたんだ」
「あの人、抜けてそうだから、適当に決めたとか?」
「ううん。実は・・・今日、実篤に診てもらった人―――恭一郎さんっていうんだけど」
「強面だったけど、いい人ね」
「・・・・」
「ちょっと、自分の好み知ってるでしょ・・・範疇じゃないわよ」
幹久は、顔を赤らめながら咳払いした。
その様子がおかしいとばかりに、実篤は、こらえるように微笑む。
「ゴメン・・・自分から話の腰を折って」
「いいわよ。それより、彼がどうしたの?」
「恭一郎さんは、夢彦さんに何も告げず、軍に志願して入営したんだ」
「あぁ・・・シベリアに行ってたとか言ってたわね」
「うん、そのせいもあって、五年間も音信不通だったらしい」
「それはまた、長いわね・・・女だったら別れてるわよ」
「でも、自分が小説家になった事も知らない彼に、『吉原奇譚』を、どうしても読んで欲しかったんだって」
「――――」
「夢彦って名前なら、一発で自分の作品だって分かるから、そのまま筆者名にしたんだって・・・」
幹久は原稿用紙の筆者名をなでると、瞳に悲哀の色を浮かべた。
窓から見える黄昏の空と相まって、あまりの物悲しさに、実篤は胸を締め付けられる。
「そんな大切な筆者名で・・・こんな話を書くとは思えない」
「・・・なるほどね」
「すごく・・・・・・嫌な予感がする」
「嫌な予感?」
「・・・・・・僕は、この話は・・・『裏御前』に繋がる気がするんだ」
「――――!?」
「この話に出て来た場所を、一通り見て来たけど・・・何もなかった」
「そりゃそうよ・・・あれだけの空襲の後だし」
「誰にも気付かれずに痕跡を消すなら、混乱に乗じるのは常套手段だと思わない?」
「そうだけど・・・空襲よ?何処で、どのくらいの被害を受けるか分からないじゃない」
実篤が問い掛けると、幹久は、今にも斬り掛かって来そうな眼差しを向けた。
その圧力に、実篤は背筋が凍る。
「連合軍は、あるデータを元に、焼夷弾を落とす場所を決めてるんだ」
「・・・ある、データ?」
幹久の瞳が、鋭く瞬いた。
そして、仇の名を呼ぶかのように、憎らし気に口を開く。
「関東大震災の被災状況のデータだよ・・・・実篤」




