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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
媼主の速贄
123/153

-媼主の速贄- 13

 瓦礫(がれき)だらけの帝都は静まり返り、夕日が山の向こうに沈みかけている。

 

 実篤(さねあつ)は、診察時間が終わって、診察室の片付けをしていた。

 

 室内は、だいぶ薄暗く、電灯の(そば)だけが、気休め程度に明るい。


 仕方ないとはいえ、もう少し明るくならないものかと、実篤は小さく溜息をついた。

 

 


 チリン・・・

 


 

 聞きなれた玄関のベルが鳴り、実篤は昼間と同じように、ひょっこりと待合室に顔を出した。


 すると、これまた昼と同じように、幹久(みきひさ)が玄関の所でたたずんでいる。

 

 

「実篤・・・いい・・・?」

 

 

 西日の強い光に目を細め、幹久が、瞳に暗い影を落としていた。

 

 黄昏(たそがれ)よりも暗い顔の幹久に、実篤は柔らかな微笑を投げ掛ける。

 


「空振りだったの?」

 

 

「・・・うん」

 

 

「お疲れ様」

 


 実篤は、水の入ったグラスを持ってくると、幹久に差し出した。

 

 幹久は、深く溜息をつくと、グイッと一気にグラスを空ける。

 


「いい飲みっぷりね、お客さん」

 

 

「・・・酒に溺れたいよ」

 

 

「飲んでも酔わないクセに」

 


 ケラケラ笑う実篤に、幹久は含むように笑った。

 

 しかし、薄日が陰るように、その笑みが鳴りをひそめる。

 

 

「・・・実篤、意見・・・もらっていい?」

 

 

「自分の意見で良ければ、どうぞ」

 


 そういうと、幹久は手持ちカバンから、封筒を取り出した。

 

 封筒から分厚い紙の束を取り出すと、受付台に丁寧に置く。


 

「コレ、読んでくれる?ちょっと、読みづらいかもしれないけど」



 実篤は紙の束を手に取ると、パラ、パラと規則的にめくった。

 

 最後までめくり終えると、楽しげに微笑する。

 

 そんな実篤に、幹久は目を丸くした。


 

「・・・相変わらず、読むの早いね」

 

 

「この内容じゃ、幹久だと三時間はかかるわね」

 

 

「・・・うん、そのくらい掛かった」

 


 顔を真っ赤にすると、幹久は悔しそうにうつむいた。

 

 実篤は、優しく幹久の肩をポンポンと叩くと、おかしそうに笑い出す。

 


「それで、何を聞きたいの?」

 

 

「そうだな・・・まず、文学的な評価は?」

 

 

「う~ん・・・少女向けの恋愛小説みたいなのに、ややエロいわね。テーマが新興宗教で重いし、アンバランスな印象かしら」


 

 幹久は、唸るように原稿用紙を見つめた。

 

 同じ評価なのだと、実篤は察する。

 


「この原稿・・・この前、釈放(しゃくほう)に苦労した人の作品よね?」

 

 

 実篤は、原稿の一枚目に書かれた筆者名を指さした。

 

 

 『(いずみ) 夢彦(ゆめひこ)

 


 もはや、自分とは、切っても切り離せないほど馴染みのある名前に、幹久は暗い眼差しを向ける。

 


「実篤・・・『吉原奇譚(よしわらきたん)』を覚えてる?」

 

 

「幹久が愛読してる、官能小説でしょ?」

 

 

「お願い・・・その言い方、やめて・・・」

 

 

「ゴメンなさい。愛読書よね?」

 

 

「・・・この『泉 夢彦』って筆者名は、その『吉原奇譚』でしか使われてないんだ」

 


 急に神妙な面持(おももち)ちとなった幹久に、実篤は笑うのを止めた。

 

 幹久は、原稿の文字を鋭い眼差しで(にら)みつけると、重々しく口を開く。

 

 

「つまり、この原稿は・・・『吉原奇譚』の続編として書かれてるんだ」

 


「・・・全然、テイスト違わない?」

 

 

「うん・・・でも、このタイトル『媼主(もず)速贄(はやにえ)』は、歴代のタイトルと同じ系統だし、『泉 夢彦』の名前で書いているから、間違いない」

 

 

「『泉 夢彦』だけど、別作品かもよ?」

 

 

「・・・夢彦さん、本名は『(かがみ) 夢彦(ゆめひこ)』なんだ」

 

 

 実篤は目を見張った。

 

 その驚きように、幹久は苦笑いを浮かべる。

 

 

「すごいでしょ。ほとんど本名と変わらないって」

 


「か、官能小説の筆者名よね・・・まぁ、変わった名前だし・・・まさか本名だなんて思わないけど・・・」

 

 

「どうして、この筆者名にしたんですかって、出版社でアルバイトをしてた時に聞いたんだ」

 

 

「あの人、抜けてそうだから、適当に決めたとか?」

 

 

「ううん。実は・・・今日、実篤に()てもらった人―――恭一郎さんっていうんだけど」

 

 

強面(こわもて)だったけど、いい人ね」

 

 

「・・・・」

 


「ちょっと、自分の好み知ってるでしょ・・・範疇(はんちゅう)じゃないわよ」

 

 

 幹久は、顔を赤らめながら(せき)払いした。

 

 その様子がおかしいとばかりに、実篤は、こらえるように微笑む。

 


「ゴメン・・・自分から話の腰を折って」

 

 

「いいわよ。それより、彼がどうしたの?」

 

 

「恭一郎さんは、夢彦さんに何も告げず、軍に志願して入営(にゅうえい)したんだ」

 

 

「あぁ・・・シベリアに行ってたとか言ってたわね」

 

 

「うん、そのせいもあって、五年間も音信不通だったらしい」

 

 

「それはまた、長いわね・・・女だったら別れてるわよ」

 

 

「でも、自分が小説家になった事も知らない彼に、『吉原奇譚』を、どうしても読んで欲しかったんだって」

 

 

「――――」

 

 

「夢彦って名前なら、一発で自分の作品だって分かるから、そのまま筆者名にしたんだって・・・」

 

 

 幹久は原稿用紙の筆者名をなでると、瞳に悲哀の色を浮かべた。

 

 窓から見える黄昏の空と相まって、あまりの物悲しさに、実篤は胸を締め付けられる。

 


「そんな大切な筆者名で・・・こんな話を書くとは思えない」


 

「・・・なるほどね」

 

 

「すごく・・・・・・嫌な予感がする」

 

 

「嫌な予感?」

 

 

「・・・・・・僕は、この話は・・・『裏御前(うらごぜん)』に繋がる気がするんだ」

 

 

「――――!?」

 

 

「この話に出て来た場所を、一通り見て来たけど・・・何もなかった」

 

 

「そりゃそうよ・・・あれだけの空襲の後だし」


 

「誰にも気付かれずに痕跡を消すなら、混乱に乗じるのは常套(じょうとう)手段だと思わない?」

 

 

「そうだけど・・・空襲よ?何処で、どのくらいの被害を受けるか分からないじゃない」

 

 

 実篤が問い掛けると、幹久は、今にも斬り掛かって来そうな眼差しを向けた。


 その圧力に、実篤は背筋が凍る。



「連合軍は、あるデータを元に、焼夷弾(しょういだん)を落とす場所を決めてるんだ」



「・・・ある、データ?」



 幹久の瞳が、鋭く瞬いた。

 

 そして、(かたき)の名を呼ぶかのように、憎らし気に口を開く。



「関東大震災の被災状況のデータだよ・・・・実篤」



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