-媼主の速贄- 12
山の向こうに陽が沈んで行き、瓦礫だらけの焼け野原は、紅く染まっていた。
空を見上げれば、夕日に照らされた積乱雲が、橙色から赤紫色へと徐々に変わっていく。
そんな中、子猫ほどの大きさの空蝉が、恭一郎の肩でカタリと軋む音を上げた。
その紅い姿態は夕日を受けて赤々と輝き、体内の水面は穏やかに揺れている。
――こんな荒野でも、夕日は美しいものだな、恭一郎
血のように赤いとか言い出すかと思えば、抒情的だな。
――・・・フン 、人が待ちぼうけして、つまらぬだろうと思って話し掛ければ、嫌味ったらしい
実篤の診療所を出た後、恭一郎たちは、宝条家の敷地まで戻って来ていた。
しかし、東雲は水谷を送りに行ったのか、蔵には鍵が掛かっており、仕方なく、蔵の前の石段に座り込んで待っているのである。
不機嫌そうに、そっぽを向く『虚』に、恭一郎は含むように笑った。
好きな女がいると、物の見方が変わるんだな。
――・・・は!?
彼女がいるんだろ?
――お前まで、犬飼のような事をっ・・・
今すぐ会いたいとか、思うのか?
――・・・・・
ココに一匹残して、行ってくればいいじゃないか。
犬飼が、お前は何匹もいると言っていたんだから、出来るんだろう?
――・・・なっ!?
お前の事だから、単に気恥ずかしいから、『隠世』に行ってるとは思えない。
俺に手伝える事がないというのも、なんとなく分かってる。
――・・・・・・ぬぅ
行ってやれ。
今の日本は病気だ・・・『隠世』なんか、更に質が悪くなってるんだろう?
お前が助けになるなら、行ってやるべきだ。
ざわり
一瞬、大気が打ち震えると、恭一郎は何かが遠くに行くような感覚を覚えた。
ただ、背筋が粟立ったにも関わらず、不快感というものは、まったくない。
恭一郎は、ほのかに微笑み、左肩に残った空蝉につぶやいた。
・・・俺は、いつかお前を殺さないといけないんだな。
――・・・災害規模を小さくするという話か
お前は、本当に重要な事を平気で隠すな・・・
――・・・フン、自己防衛だ
いくら大規模災害を避けたいからって、お前の了承なしに、不意打ちで襲い掛かるワケないだろ。
――どうだか
俺がいないと飢餓状態を解消出来ないんだから、お前は俺の側から離れられない。
それなのに、いきなり殺されるかもしれないと、警戒し続けるのはシンドイだろ。
――まぁな・・・
・・・・・・仕方ないとはいえ、怖いな
――ちょっとした怪我をしたり、少し病気をわずらうだけだ。一気にやらなければ心配ない。
そうじゃなくて、お前の方が。
――別に
強がらなくていい。
あの大群の数だけ・・・死ぬって事だろ。
――・・・・
普通の『鬼』は、肉体が死ねば消えるが、半永久的に不死だ。
だが、『死鬼喰み』の『鬼』は、殺せば死んでしまう・・・だから、『死鬼』と呼ばれているんだろ。
――・・・あのな、恭一郎
飢餓状態になって、我を忘れた『死鬼喰み』が、真っ先に狙うのは、自分の『死鬼』だ。
それは、飢餓状態になるたびに、なんとなく感じてた。
『死鬼喰み』という呼び名も、そこから来ているのか?
――・・・・・・う、うむ
お前にとって、俺は飢えてても飢えてなくても、自分を飼い殺す、この世で一番の天敵だな。
あぁ・・・だから、後腐れないように、わざと嫌われるような事を言うのか。
――・・・・
仲良くしろとは言わない。
でも、お前は、俺を悪いようにしないで来てくれただろ?
だから、俺も・・・なるべく、お前を悪いようにしたくないと思ってる。
――・・・俺は、親父を殺したんだぞ。一生、許さぬのではなかったか?
『救われぬ・・・俺もお前も、救われぬのだ』
――・・・!
『空蝉の宴』の終盤―――黒幕とお前が、沢に飛び込むシーンに、そんなセリフがあった。
恭一郎は、瞳に暗い影を落とすと、ジッと『虚』を見つめた。
切なさをにじませた表情に、『虚』は、カタリと軋む音を上げる。
最初、『俺もお前も』の『お前』は、親父の事だと思ってた。
でも、幹久と小説の話をしてて・・・気が付いたんだ。
あの一文の『お前』は・・・『死鬼喰み』である、俺の事だって・・・。
――・・・・
お互い救われないなら・・・俺だけ、ノケモノにしないでくれ。
そう言った恭一郎の瞳を、沈みゆく太陽が紅く染めた。
どこか悲哀をにじませながらも、穏やかな湖面のように静かに揺らめいている。
かつて、御堂カエデが、自分の『死鬼』について語った時の眼差しを、『虚』は不意に思い出したのだった。




