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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
媼主の速贄
114/153

-媼主の速贄- 4

 夏の深更(しんこう)―――



 昼間の熱気が幾らかやわらぎ、月明かりが涼し気に室内を照らしている。


 蚊帳(かや)を張った和室の一室で、恭一郎は横になっていた。


 一般の病室の寝台では、背丈が大き過ぎた為、診療所に隣接している母屋(おもや)へと連れて行かれ、布団を敷いて寝る事になったのである。




「・・・・・・・・ぅっ・・・・」




 浅い呼吸と動悸(どうき)が、(いま)だに続いていた。


 かすかな夜風が、(なぐさ)めるように、汗ばんだ体を優しくなでる。


 しかし、内側から煮え立つような熱が治まる気配はなく、ドクドクと(うな)る鼓動が耳元を(さいな)んだ。




 ・・・・シャラン




 聞き覚えのある鈴の音に、恭一郎は、そっと目を開いた。





 ――恭一郎





 夜露(よつゆ)を思わせる()けるような落ち着いた声が、恭一郎に呼びかけて来た。


 恭一郎は、何とか上体を上げ、蚊帳の外に視線を向ける。


 月明かりの下に、真っ白な影が茫洋(ぼうよう)と見えた。




「・・・・そ・・・ばえ・・・?」




 水琴鈴(すいきんれい)の音が、再び鳴り響くと、それは規則的なリズムで近付いて来た。


 白い影は蚊帳を通り抜け、恭一郎の目の前へとたたずむ。


 線の細い、しなやかな姿態は、長身でありながら、どことなく華奢(きゃしゃ)に見えた。




「家に居ないと思ったら、コッチにおるから驚いたぞ」




 そう言うと、『(そばえ)』は枕元に、そっと座り込んだ。


 その姿は、まるで平安時代の文官(ぶんかん)のようであり、長い髪が畳の上に無造作に広がる様子は、枯山水(かれさんすい)のように美しい。




「なんと・・・随分(ずいぶん)と顔色が悪いではないか」




 『戯』は手を伸ばすと、恭一郎の肩に優しく手を添えた。


 横になるようにうながされ、恭一郎は、再び枕に頭をうずめる。



「『(うつろ)』から、恭一郎が会いたがっておると聞いて来たのだが・・・まさか入院とは」



「『虚』と・・・一緒じゃないのか?」



「他にも行く所があると言っておったのでな・・・まだ、戻って来ぬのか?」



 うなずくと同時に、恭一郎は体を縮こまらせ、小さくうめいた。


 その様子に、『戯』は焦燥の色を浮かべる。



「だ、大丈夫か?・・・重症だのう・・・」



「『戯』・・・『虚』に会った時、苦しそうだったか?」



「・・・いや、いつも通りであったぞ。だが、恭一郎がココまで重症という事は」



「やせ我慢だろうな」



「・・・だのう」



「アイツ・・・『死鬼喰(しきは)み』の『鬼』は、生みの親の俺が苦しんでても、何ともないとかほざいてた」



「また・・・・レベルの低いバレバレな嘘をつくのぉ」



「バレるのは承知の上だろ。ただ・・・俺に嫌われたいだけだ」



 苛立(いらだ)たしげな恭一郎に、『戯』は長い溜息をついた。


 恭一郎は目を細めると、『戯』から視線をそらす。


 

「アイツ・・・どこかで動けなくなってるかも知れないな」



「・・・うむ、迎えに行った方が良いな・・・」



「『戯』、探せるか?『現世(うつしよ)』で知り合いなら、『鬼』の『(えにし)』を追えるんだろ?」



 『縁』とは、『鬼』同士の繋がりである。


 恭一郎の住む世界――『現世』で、肉体が出会った者同士は、『鬼』同士が『縁』というモノで繋がる。


 『鬼』同士は、その『縁』をたどって、相手の『鬼』の居場所を探し出すことが出来るのであった。


 恭一郎に言われ、『戯』は天井を見上げると、探るように視線を動かす。


 しかし、目元を一瞬引きつらせ、大きく溜息をついた。



「・・・・いかん、『遁甲(とんこう)』しておる」



「とん、こう・・・?」



「『鬼』が、気配や身を隠す技があるのだが、それを使っておると、『縁』をたどれぬのだ」



「技を破る方法は?」



「あるにはあるが・・・下手をすれば負傷させてしまう」



「・・・これ以上、病状が悪化するのは辛いな」



「私が思い当たる所を探して来る。だから、恭一郎は安静にしておれ」



 恭一郎は、大きく溜息をついた。


 今まで、『虚』の隠ぺい気質が原因で起こったトラブルは、数知れない。


 しかも、だいぶ重要な事柄を平気で隠す為、恭一郎と『虚』のケンカは絶えることがなかった。


 そして、いつも『戯』が仲裁を買って出て、なんとか治まるのである。


 今回も、そんなパターンになりそうだと、恭一郎はげんなりした。



「・・・恭一郎が『瘴気(しょうき)』を操れれば、『虚』も少しは、隠し事が出来なくなるのだがなぁ」



「『瘴気』・・・?」



「・・・・『虚』の奴・・・本当に恭一郎に、何も教えておらんのだな・・・・」



「アイツに期待するな。それより、『瘴気』っていうのは何だ?」



「『鬼』を認知できる者なら見える。ほれ、夢彦に『虚』の分身が付いておったであろう?」



「あぁ・・・」



「ただ、その姿形は、必ずしも『鬼』の姿とは限らぬ。空気のように見えない場合もあるし、このような形をとる事もあるぞ」



 そう言うと、『戯』は、右腕の(そで)をまくって見せた。


 黄金(こがね)色に輝く腕輪が、いくつも付けられている。


 前衛的な装飾は、欧米のモノのようであった。



「これは、アヤメさんに付けられたものだ」



「・・・あ、アヤメに?」



「・・・・実は、私も・・・絶対安静と言われ・・・寝込んでおるのだ」



「は!?」



「実は先週・・・特高(とっこう)に引っ立てられて、気絶するほど殴られてな」



 特高とは、特別高等警察の略称である。


 反政府的な運動や人物を取り締まる、日本の政治警察であった。



「・・・お前、そういう団体に所属して」



「ご、誤解だ・・・ただ、取引先の出版社が取り締まられてな・・・私も、嫌疑を掛けられたのだ」



「嫌疑でも・・・潔白なら殴られるワケないだろ」



「・・・まともに話を聞いてくれる相手ではない。自白を強要されて、袋叩きにされたのだ」



 恭一郎は、苦々しい表情で『戯』を見つめた。


 『戯』も、バツが悪そうに、恭一郎を見返す。



「そ、それは置いといてだ。この腕輪は、そんな私を心配して、アヤメさんが付けてきたのだ」



「なんなんだ・・・・それは?」



「・・・・私が執筆活動をすると、締め付けて激痛が走る」



「・・・・呪いか?」



「呪いではない!アヤメさんの深い愛情の表れだ」



「・・・・重い、愛だな」



 恭一郎が苦笑いを浮かべると、『戯』も苦笑して(ほほ)をかいた。


 そして、腕輪を隠すように袖を直すと、居住まいを正す。



「ただ、アヤメさんは、意図的にコレを付けてきたワケではない。彼女は、『鬼』の存在すら知らぬからな」



「じゃあ、なんで付けられたんだ?」



「もう問題を起こさないでくれと、彼女が私に願っておるからだ」



「『瘴気』は、願いで操るって事か?」



「願いと言うより、想いの方が近いかのう。『瘴気』は、不安や恐怖と言った負の感情なのだよ。誰かに想いを向ければ、その相手が『瘴気』に侵される」



「・・・俺はアイツに、いつも苛立たしい感情をぶつけてるつもりなんだが・・・」



「フフッ・・・たしかにのう」



「・・・『虚』が『瘴気』について話さなかったのは、俺に『瘴気』を操る才能が無いからかもしれないな」



「いや、分からぬぞ。東雲(しののめ)殿の御師匠は、恭一郎と同じ『死鬼喰み』で、その方面では達人級であった」



「・・・・『戯』は、東雲の師匠に会った事があるのか?」



 その言葉に、『戯』はヒドく焦燥した表情を浮かべた。


 あまりに切羽詰まった様子に、恭一郎は目を丸くする。



「ど、どうした?」



「あ・・・あぁ~・・・なんという・・・・」



「『戯』・・・?」



「いや・・・・あの、恭一郎・・・・会わぬと決めたのだから、知る必要もなかろう?」



「・・・その言い回し、『虚』に口止めされてるな」



「え!?・・・えぇっと・・・・それは・・・」



 頭を抱え込んでうつむいた『戯』を、恭一郎は、しばし見守った。


 再び顔を上げた『戯』は、困った顔を恭一郎に向ける。


 その動揺しきった様子に、恭一郎は静かに微笑んだ。



「『戯』・・・もういい」



「・・・へ?」



「アイツが話さないのは、知ったところで、俺に何も出来ないからだ」



「―――」



「それに、聞いたら・・・また今日みたいに、夢見が悪くなりそうな気がする」



 そう言うと、恭一郎は肌掛けを引き寄せ、寝返りを打った。


 深く息をつくが、息が上がっているのか、不規則な呼吸を繰り返す。


 その痛々しい姿に、『戯』は悲哀の眼差しを向けた。



「『戯』・・・」



「なんだ?」



「そういう目で見られると、死に目に会いに来られてるみたいで、気分が悪い」



「えぇっ・・・いや・・・そんなつもりじゃ!」



「じゃあ、いつもどおり・・・なんか面白い話を聞かせてくれ」



「・・・・そうだな、えっと」



 『戯』が口を開いた刹那(せつな)、右腕に強烈な痛みが走った。


 あまりの痛さにひっくり返ると、『戯』は白狐の姿に変わり、のた打ち回る。


 そのパニックぶりに、恭一郎は吹き出すように笑った。



「す、すまぬっ、恭一郎!!話すだけでも無理だ!!」



「面白いな」



「き、きょういちろう!(はか)ったな!!」



「悪い、試したくてな」



 悪童(あくどう)のように笑いながら、恭一郎は目を閉じた。


 そして、そのまま大きく息をつくと、浅い呼吸で寝息を立て始める。


 楽し気な雰囲気のまま、急に静かになってしまった為、『戯』は呆気(あっけ)に取られた。




「・・・やっぱり、『虚』の生みの親だけあるのう」




 くつくつと静かに笑うと、白狐は蚊帳をすり抜け、再び月下へと躍り出た。


 振り返ると同時に、水琴鈴の清らかな音色が、辺りにこだまする。




「おやすみ、恭一郎・・・・・・いい夢を、見るのだぞ」




 白狐は月に向かって咆哮(ほうこう)すると、その身をひるがえして姿を消した。


 水琴鈴の残響は、まるで月が奏でる雅楽のように、青い山々に降り注ぐのだった。


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