-媼主の速贄- 4
夏の深更―――
昼間の熱気が幾らかやわらぎ、月明かりが涼し気に室内を照らしている。
蚊帳を張った和室の一室で、恭一郎は横になっていた。
一般の病室の寝台では、背丈が大き過ぎた為、診療所に隣接している母屋へと連れて行かれ、布団を敷いて寝る事になったのである。
「・・・・・・・・ぅっ・・・・」
浅い呼吸と動悸が、未だに続いていた。
かすかな夜風が、慰めるように、汗ばんだ体を優しくなでる。
しかし、内側から煮え立つような熱が治まる気配はなく、ドクドクと唸る鼓動が耳元を苛んだ。
・・・・シャラン
聞き覚えのある鈴の音に、恭一郎は、そっと目を開いた。
――恭一郎
夜露を思わせる透けるような落ち着いた声が、恭一郎に呼びかけて来た。
恭一郎は、何とか上体を上げ、蚊帳の外に視線を向ける。
月明かりの下に、真っ白な影が茫洋と見えた。
「・・・・そ・・・ばえ・・・?」
水琴鈴の音が、再び鳴り響くと、それは規則的なリズムで近付いて来た。
白い影は蚊帳を通り抜け、恭一郎の目の前へとたたずむ。
線の細い、しなやかな姿態は、長身でありながら、どことなく華奢に見えた。
「家に居ないと思ったら、コッチにおるから驚いたぞ」
そう言うと、『戯』は枕元に、そっと座り込んだ。
その姿は、まるで平安時代の文官のようであり、長い髪が畳の上に無造作に広がる様子は、枯山水のように美しい。
「なんと・・・随分と顔色が悪いではないか」
『戯』は手を伸ばすと、恭一郎の肩に優しく手を添えた。
横になるようにうながされ、恭一郎は、再び枕に頭をうずめる。
「『虚』から、恭一郎が会いたがっておると聞いて来たのだが・・・まさか入院とは」
「『虚』と・・・一緒じゃないのか?」
「他にも行く所があると言っておったのでな・・・まだ、戻って来ぬのか?」
うなずくと同時に、恭一郎は体を縮こまらせ、小さくうめいた。
その様子に、『戯』は焦燥の色を浮かべる。
「だ、大丈夫か?・・・重症だのう・・・」
「『戯』・・・『虚』に会った時、苦しそうだったか?」
「・・・いや、いつも通りであったぞ。だが、恭一郎がココまで重症という事は」
「やせ我慢だろうな」
「・・・だのう」
「アイツ・・・『死鬼喰み』の『鬼』は、生みの親の俺が苦しんでても、何ともないとかほざいてた」
「また・・・・レベルの低いバレバレな嘘をつくのぉ」
「バレるのは承知の上だろ。ただ・・・俺に嫌われたいだけだ」
苛立たしげな恭一郎に、『戯』は長い溜息をついた。
恭一郎は目を細めると、『戯』から視線をそらす。
「アイツ・・・どこかで動けなくなってるかも知れないな」
「・・・うむ、迎えに行った方が良いな・・・」
「『戯』、探せるか?『現世』で知り合いなら、『鬼』の『縁』を追えるんだろ?」
『縁』とは、『鬼』同士の繋がりである。
恭一郎の住む世界――『現世』で、肉体が出会った者同士は、『鬼』同士が『縁』というモノで繋がる。
『鬼』同士は、その『縁』をたどって、相手の『鬼』の居場所を探し出すことが出来るのであった。
恭一郎に言われ、『戯』は天井を見上げると、探るように視線を動かす。
しかし、目元を一瞬引きつらせ、大きく溜息をついた。
「・・・・いかん、『遁甲』しておる」
「とん、こう・・・?」
「『鬼』が、気配や身を隠す技があるのだが、それを使っておると、『縁』をたどれぬのだ」
「技を破る方法は?」
「あるにはあるが・・・下手をすれば負傷させてしまう」
「・・・これ以上、病状が悪化するのは辛いな」
「私が思い当たる所を探して来る。だから、恭一郎は安静にしておれ」
恭一郎は、大きく溜息をついた。
今まで、『虚』の隠ぺい気質が原因で起こったトラブルは、数知れない。
しかも、だいぶ重要な事柄を平気で隠す為、恭一郎と『虚』のケンカは絶えることがなかった。
そして、いつも『戯』が仲裁を買って出て、なんとか治まるのである。
今回も、そんなパターンになりそうだと、恭一郎はげんなりした。
「・・・恭一郎が『瘴気』を操れれば、『虚』も少しは、隠し事が出来なくなるのだがなぁ」
「『瘴気』・・・?」
「・・・・『虚』の奴・・・本当に恭一郎に、何も教えておらんのだな・・・・」
「アイツに期待するな。それより、『瘴気』っていうのは何だ?」
「『鬼』を認知できる者なら見える。ほれ、夢彦に『虚』の分身が付いておったであろう?」
「あぁ・・・」
「ただ、その姿形は、必ずしも『鬼』の姿とは限らぬ。空気のように見えない場合もあるし、このような形をとる事もあるぞ」
そう言うと、『戯』は、右腕の袖をまくって見せた。
黄金色に輝く腕輪が、いくつも付けられている。
前衛的な装飾は、欧米のモノのようであった。
「これは、アヤメさんに付けられたものだ」
「・・・あ、アヤメに?」
「・・・・実は、私も・・・絶対安静と言われ・・・寝込んでおるのだ」
「は!?」
「実は先週・・・特高に引っ立てられて、気絶するほど殴られてな」
特高とは、特別高等警察の略称である。
反政府的な運動や人物を取り締まる、日本の政治警察であった。
「・・・お前、そういう団体に所属して」
「ご、誤解だ・・・ただ、取引先の出版社が取り締まられてな・・・私も、嫌疑を掛けられたのだ」
「嫌疑でも・・・潔白なら殴られるワケないだろ」
「・・・まともに話を聞いてくれる相手ではない。自白を強要されて、袋叩きにされたのだ」
恭一郎は、苦々しい表情で『戯』を見つめた。
『戯』も、バツが悪そうに、恭一郎を見返す。
「そ、それは置いといてだ。この腕輪は、そんな私を心配して、アヤメさんが付けてきたのだ」
「なんなんだ・・・・それは?」
「・・・・私が執筆活動をすると、締め付けて激痛が走る」
「・・・・呪いか?」
「呪いではない!アヤメさんの深い愛情の表れだ」
「・・・・重い、愛だな」
恭一郎が苦笑いを浮かべると、『戯』も苦笑して頬をかいた。
そして、腕輪を隠すように袖を直すと、居住まいを正す。
「ただ、アヤメさんは、意図的にコレを付けてきたワケではない。彼女は、『鬼』の存在すら知らぬからな」
「じゃあ、なんで付けられたんだ?」
「もう問題を起こさないでくれと、彼女が私に願っておるからだ」
「『瘴気』は、願いで操るって事か?」
「願いと言うより、想いの方が近いかのう。『瘴気』は、不安や恐怖と言った負の感情なのだよ。誰かに想いを向ければ、その相手が『瘴気』に侵される」
「・・・俺はアイツに、いつも苛立たしい感情をぶつけてるつもりなんだが・・・」
「フフッ・・・たしかにのう」
「・・・『虚』が『瘴気』について話さなかったのは、俺に『瘴気』を操る才能が無いからかもしれないな」
「いや、分からぬぞ。東雲殿の御師匠は、恭一郎と同じ『死鬼喰み』で、その方面では達人級であった」
「・・・・『戯』は、東雲の師匠に会った事があるのか?」
その言葉に、『戯』はヒドく焦燥した表情を浮かべた。
あまりに切羽詰まった様子に、恭一郎は目を丸くする。
「ど、どうした?」
「あ・・・あぁ~・・・なんという・・・・」
「『戯』・・・?」
「いや・・・・あの、恭一郎・・・・会わぬと決めたのだから、知る必要もなかろう?」
「・・・その言い回し、『虚』に口止めされてるな」
「え!?・・・えぇっと・・・・それは・・・」
頭を抱え込んでうつむいた『戯』を、恭一郎は、しばし見守った。
再び顔を上げた『戯』は、困った顔を恭一郎に向ける。
その動揺しきった様子に、恭一郎は静かに微笑んだ。
「『戯』・・・もういい」
「・・・へ?」
「アイツが話さないのは、知ったところで、俺に何も出来ないからだ」
「―――」
「それに、聞いたら・・・また今日みたいに、夢見が悪くなりそうな気がする」
そう言うと、恭一郎は肌掛けを引き寄せ、寝返りを打った。
深く息をつくが、息が上がっているのか、不規則な呼吸を繰り返す。
その痛々しい姿に、『戯』は悲哀の眼差しを向けた。
「『戯』・・・」
「なんだ?」
「そういう目で見られると、死に目に会いに来られてるみたいで、気分が悪い」
「えぇっ・・・いや・・・そんなつもりじゃ!」
「じゃあ、いつもどおり・・・なんか面白い話を聞かせてくれ」
「・・・・そうだな、えっと」
『戯』が口を開いた刹那、右腕に強烈な痛みが走った。
あまりの痛さにひっくり返ると、『戯』は白狐の姿に変わり、のた打ち回る。
そのパニックぶりに、恭一郎は吹き出すように笑った。
「す、すまぬっ、恭一郎!!話すだけでも無理だ!!」
「面白いな」
「き、きょういちろう!謀ったな!!」
「悪い、試したくてな」
悪童のように笑いながら、恭一郎は目を閉じた。
そして、そのまま大きく息をつくと、浅い呼吸で寝息を立て始める。
楽し気な雰囲気のまま、急に静かになってしまった為、『戯』は呆気に取られた。
「・・・やっぱり、『虚』の生みの親だけあるのう」
くつくつと静かに笑うと、白狐は蚊帳をすり抜け、再び月下へと躍り出た。
振り返ると同時に、水琴鈴の清らかな音色が、辺りにこだまする。
「おやすみ、恭一郎・・・・・・いい夢を、見るのだぞ」
白狐は月に向かって咆哮すると、その身をひるがえして姿を消した。
水琴鈴の残響は、まるで月が奏でる雅楽のように、青い山々に降り注ぐのだった。




