-蛇落の褥- 3-2
十月も残りわずかとなった頃、だいぶ季節は秋めいていた。
ほんの少し乾いた風に吹かれながら、幹久は、夢彦の自宅の庭先を歩いている。
いつものように玄関のベルを鳴らすと、奥からパタパタと軽快な足音が聞こえて来た。
引き戸が開けられると、穏やかな笑みを浮かべ、夢彦が羽織姿で顔を出す。
「あれ、お出掛けですか?」
「いやいや、単に冷えてきたから着込んでいるだけだよ」
「じゃあ、温かいお茶が丁度いいですね」
いつもの風呂敷包みを見せると、夢彦は満面の笑みを浮かべた。
この酒まんじゅうに一種の魔力を感じると、幹久は密かに思う。
「あと、この前お話しした、父の蔵書を持ってきました。蔵で眠ってたので、ほこりっぽいですけど」
「ありがとう。蔵があるなんて、さすが華族の家だなぁ」
「大して大きくないですよっ。本物か贋作かも分からない骨董品しか入って」
急に、夢彦が遠くを見るような目をした為、幹久は視線を追って後ろを振り向く。
見ると、庭の門扉の辺りに、一人の陸軍兵卒が立っていた。
長身で、身長は二メートル近くあり、日本人男性の平均的な身長より、頭一つ分はデカい。
そんな威圧的な雰囲気を醸し出した大男に、夢彦はゆっくりと近付くと、男の二の腕の辺りを掴み、帽子で隠れた素顔をのぞき込んだ。
「恭一郎・・・?」
恭一郎と呼ばれた男は、帽子を取って顔を見せた。
鋭い眼光が、いかにも軍人という雰囲気を醸し出していたが、控えめに破顔すると、秋風のように清々しい印象に変わる。
「久しぶり」
声を掛けられても、夢彦は放心状態で立ち尽くした。
そんな夢彦に苦笑いを浮かべると、不意に恭一郎は、幹久の方に目を向ける。
そして、眉間にシワを寄せると、あからさまに怪訝そうな顔をした。
「お前、誰だ?」
ドスのきいた声を掛けられ、幹久はビクッと震えた。
しかし、今にも逃げ出したいのをこらえ、消え入りそうな声を上げる。
「あ、あの・・・宝条幹久と申します・・・その・・・出版社の者で」
すると、恭一郎は更に眉間にシワを寄せ、険しい視線を送って来た。
今にも斬りかかって来そうな様子に、幹久は両手を上げて逃げ出したくなる。
差し入れの風呂敷包みを思わず抱くように持ち直し、怒られている子供のように身を縮めた。
「お前みたいな奴、初めて見た」
「・・・え?」
「お前・・・人間なのか?」
幹久は、心をえぐられるような気持ちになった。
学校で「普通じゃない」「変な奴」と言われるのは慣れているが、仕事中に、しかも初対面の相手に人でなし扱いされるとは思わず、泣きそうになる。
そんな幹久の悲痛な様子に、珍しく夢彦が声を荒げた。
「恭一郎、なんて事を言うのだ!彼ほど気づかいの出来る人間はおらんのだぞ!!」
「―――・・ぇ、あぁ」
「すまんな、幹久君。昔から人の好き嫌いが激しくて、言葉端がキツいんだ」
幹久は無言で夢彦を見つめた。
すると、恭一郎もうかがうような視線をやめて、気まずそうな顔で夢彦に視線を移す。
「・・・そうか、俺の勘違いだったみたいだ」
「失礼にもほどがあるぞ。ちゃんと謝れ」
夢彦が言うか否や、恭一郎は幹久の所に颯爽と歩み寄った。
近くに寄ると余計に長身に見え、幹久は思わず震えだす。
軍服のせいもあるが、かなりの強面で、威圧的な雰囲気に押し潰されそうであった。
どんな横柄な態度をとられるのかと、幹久は身をすくませる。
「申し訳ない」
「・・・!」
「けなすつもりはなかった。俺の思い違いだ。許してほしい」
軍人らしい高圧的な印象が嘘のように消え、恭一郎はスッと自然な動きで頭を下げた。
切れ長の瞳が、真摯な眼差しで幹久を見つめて来る。
上辺をつくろっている様子もなく、瞳にわずかな焦燥の色が浮かんでいるのを、幹久は感じ取った。
「偉いぞ~、恭一郎!」
すると、夢彦が駆け寄り、恭一郎の背中を盛大に叩いた。
その気の抜ける言葉と態度に、恭一郎は、バツが悪そうに苦笑いを浮かべる。
幹久も同意するように苦笑いを浮かべると、恭一郎は静かに微笑み返し、夢彦に向き直った。
「お前が東京にいると聞いて、基地に帰る前に寄った」
「誰に聞いたんだ?」
「お袋から」
「よくココが分かったな」
「お袋が、お前から手紙をもらったからと、宛先を送ってきた」
それを聞くと、夢彦は、恭一郎の胸倉を思い切り締め上げた。
身長差があり過ぎて形だけであるが、獣が飛び掛かるような勢いに、幹久は目を丸くする。
「住所が分かってるなら、なんで文の一つも寄こさない!!」
「お袋の手紙を受け取ったのが、出兵当日だった」
「出兵!?」
「ロシアに行ってきた」
「お前っ・・・シベリアに出兵していたのか!?」
「あぁ」
「~~~~~っ!」
夢彦は、鋭い眼差しで恭一郎を睨みつけながら黙り込んだ。
いつもは険悪な雰囲気を取り成す夢彦が、自ら殺伐とした空気を作り上げるのを見て、幹久は言葉を失う。
どうすれば良いのか分からず、幹久は、怒られている当の本人である恭一郎が、早く謝ってくれないかと、ひたすら願った。
「とりあえず、夢彦」
「何だ!?」
「ヒマか?」
「ヒマではない!これから原稿を仕上げて渡さねばならん!」
「・・・幹久とか言ったな。お前、昼メシ食ったか?」
急に話を振られて、幹久は挙動不審となった。
真っすぐ見つめて来る恭一郎にオロオロするも、なんとか首を横に振る。
「じゃ、俺が昼代を払うから、夢彦を貸してくれ」
「金で物を借りるみたいに言うな!」
「お前の分もおごるから、怒るな・・・」
吠えかかる犬のような夢彦を、恭一郎は溜息交じりになだめすかした。
自分に非があると思わなければ、頑として謝らない人だと、幹久は恭一郎を分析する。
その潔い姿が自分とは大違いだと、幹久は憧憬の眼差しで恭一郎を見つめたのだった。




