表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
螺鈿の葬列
103/153

-螺鈿の葬列- 17

 



「冷たっ!」




 廊下の板の間を踏むと、慣れない冷たさに『シキ』は思わず叫んだ。


 足だけでなく、底冷えする寒さが、『シキ』の体全体を冷やしていく。


 『シキ』は真っ暗な作業場に足を踏み入れると、キョロキョロと辺りをうかがった。




「・・・・あれ、この辺に・・・・」




 『シキ』は手を壁に当て、照明のスイッチを探した。


 場所は分かっていたが、いつもと視線の高さが違う為、距離感が全くつかめず、壁をなでては空振りする。




「・・・あ!」




 それらしい突起を見つけて跳ね上げると、白熱電球の(だいだい)色の光が輝きだした。


 お天道様みたいに光るそれを、『シキ』はワクワクとした様子で見つめる。


 そして、真下まで近寄ると、そっと指先で触った。


 ほんのり温かかった為、手先を温めようと、『シキ』は指先で握り締める。




「熱っ!」




 人差し指が、ヒリヒリするのを眺めていると、少しずつ痛みが和らいでいった。


 そんな指先の変化に、『シキ』は目を輝かせる。




「お・・・・・・面白~い!」




 玄関の鍵を開けると、そのまま『シキ』は裸足(はだし)で飛び出した。


 体がフワフワと浮いているような感覚に、小首をかしげて立ち止まる。


 裸足であるにも関わらず、痛みもなければ踏みしめている感覚も曖昧(あいまい)であった。




 ・・・砂利って、もっとゴツゴツしてなかったけ・・・?




 違和感はあったものの、こんなものかと大して気にせず、『シキ』は縁側の方に視線を送った。


 視線の先には、桜の古木が立っている。


 所々色付き始めており、駆け寄ってみると、完全に色を変えた葉が地面に散らばっていた。




 綺麗・・・




 拾い上げてみると、雨に()れたワケでもないのに、わずかにシットリしていた。


 枯れているように見えるのに、まだ瑞々(みずみず)しい。




 ボクたちと同じ・・・死にかけているけど、まだ生きている。




 『シキ』は、ほのかに微笑を浮かべた。


 そして、いとおしい者を見つめるかのように、桜の古木を見上げる。


 こうして真下から見上げていると、桜と見つめ合っているようで、水谷も『シキ』も、心が安らかになるのであった。




 そう言えば、散華さんの作品も、桜が多いな~。




 金粉をまぶして描いた蒔絵(まきえ)の桜は、神々しくて、心が洗われるようであった。


 ただ、散華の作る荘厳(そうごん)な世界に躍り出たい気持ちはあっても、『シキ』は、いつもジッと遠くで眺めている。


 桜の花びら一つ揺るがすだけで、散華の作り上げる世界を台無しにしてしまいそうで、怖かったからであった。


 でも、その中途半端な干渉が、美しい世界に妥協点という欠陥(けっかん)を生み出し、駄作という烙印(らくいん)を押させてしまっているのである。


 作品が破綻して、散華が少なからず気落ちするのも、本当にいたたまれなかった。





 ―――でも、今は違う





 ふいに、『シキ』の口元が、わずかに吊り上がった。

 

 成り代わった今なら、『無害化』する事は不可能であり、水谷と『シキ』が、ココに居続ける理由もない。


 


 あとは、ボクたちが居なくなればいい。




 しかし、坂に向かって歩き出そうとしたところで、ぐらりと視界が揺らめいた。


 『シキ』は、何とか倒れ込むのをこらえ、桜の古木にしがみ付く。


 思い通りにいかない体に、『シキ』は小さく舌打ちした。




 もしかして、このフワフワするの・・・睡眠薬のせいかな




 水谷は、『隠世(かくりよ)』の恐ろしさに眠れず、医者に先ほど飲んだ睡眠薬を処方してもらっていたのである。


 ココに来てからは、しばらく飲んでいなかった。


 カエデから受けた鍛錬による自信と、散華という強力な助っ人がいる安心感から、薬に頼らずにすむようになったからである。


 この半年間の事を思い出し、焦点の合わない視界が、更ににじんだ。




 帰るぐらいなら・・・死んだ方がいい




 (まぶた)を閉じて桜の幹に顔をすり付けると、その感触が、急にハッキリと(ほほ)に伝わって来た。


 ごつごつとした表面は、どこか温かかく、『シキ』は爪を立ててしがみ付く。




「『シキ』」




 聞きなれた声に呼び掛けられ、『シキ』はハッと顔を上げた。


 散華が縁側に立っており、神妙な顔でジッと『シキ』を見つめている。


 その無機質な表情に、『シキ』は、初めて名を呼ばれた嬉しさが、急速にしずまりかえった。


 そんな『シキ』の心境を読み取ったのか、散華はいつもの苦笑いを浮かべる。



「上がって来い。体が冷える」



「怒らないんですか?」



「怒らせるような事をしたのか?」



 しばらく散華の顔色をうかがっていた『シキ』であったが、散華の寒そうな様子に、慌てて縁側に駆け寄る。



「あ~ぁ・・・足が泥だらけだぞ」



 縁側に上りかけ、『シキ』は慌てて止まった。


 すると、散華は吹き出すように小さく笑うと、寝室から作業場の方へと出て行く。


 ほどなくして、その手に雑巾を持って戻ってくると、『シキ』に()くよう手渡した。



「・・・・ふ~んっ!・・・」



 しかし、意外と足に付いた泥というものは取れなかった。


 皮膚の溝に入り込み、こすっても汚れが伸びるだけである。


 雑巾を片手に『シキ』が奮闘していると、その横で、散華は火鉢に火をつけ始めた。


 『シキ』が、ジッと炭火を眺めていると、散華は(あき)れ顔でつぶやく。



「絶対に炭に触るなよ」



「どうして触ろうとしたのが分かったんですか?」



「目がワクワクしてる・・・」



「全部お見通しなんですね~」



 『シキ』がケタケタ笑うと、散華は溜息交じりに苦笑いを浮かべた。


 側にあった布団を手に取ると、落とすように『シキ』に掛ける。



「火鉢抱いて布団被ってろ」



「あの・・・体を取り返しに来たんですよね?」



「いいや、様子を見に来ただけだ」



「・・・えぇ?」



「俺が、どうこう出来る問題じゃない。返せと言ったところで、返さないだろ」



「でも、散華さん・・・『鬼喰(おにぐ)らい』じゃないですか」



東雲(しののめ)にも言っているが、『鬼喰らい』が人の心を救えるなんておごりだ」



「そんな事・・・」



「それより、東雲に何か言われたな?」



 『シキ』は、目を見張って散華を見た。


 そして、叱られた子供のように、しょんぼりとつぶやく。



「具合が良くなったら、帰れって・・・」



「まったく・・・それが、俺やお前の最善だとか言われたんだろ?」



「え・・・あ、はい・・・」



「俺達を心配して言ってはいるが、アレは、アイツにとっての最善だ」



(ねえ)さんにとっての最善・・・?」



「アイツは最悪の事態を常に考えているからな。お前が殺されないかと心配しているんだ」



「『裏御前(うらごぜん)』に・・・ですか?」



「カエデにだ」



 『シキ』は息を呑んだ。


 散華は、『シキ』から視線をそらすと、赤々と燃える火鉢の炭を凝視する。


 その光が、暗澹(あんたん)たる瞳を際立たせた。



「カエデは、『裏御前』の制裁役・・・人殺しだ」



 炭火が()ぜると同時に、『シキ』の鼓動が、嫌な音を立てて体に響いた。


 散華も苦心しているのか、(ひたい)に手を当てて小さくうめく。



「だから・・・姐さんは、帰れって・・・」



「まして、お前はカエデに()れてるからな。好きな女に殺されるなんて、最悪だろ」



 『シキ』は、きょとんとした顔を散華に向けた。


 すると、散華は不思議そうな顔で見返す。



「なんだ?」



「え、今・・・なんて」



「好きなんだろ?カエデの事が」



 『シキ』は、顔を真っ赤にして慌てふためいた。


 そんな様子に、何を今更といった風に、散華は目を細める。



「変化でカエデの姿になっただろ?あの出来栄えを見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)だ」



「な、な、なんで!?」



「本人より品があって美人だった」



 そう言うと、散華はイタズラっぽく、ほくそ笑んだ。


 『シキ』は恥ずかしさのあまり、布団を手繰(たぐ)り寄せて顔を隠す。



「まぁ、来た時から気付いてたけどな。だから俺は、(はな)から(あきら)めてた」



「諦めてた、って・・・?」



「俺が断って追い返したところで、お前をカエデから引き離すのは無理だってな」



 『シキ』は、ますます顔を真っ赤にした。


 穴があったら布団ごと隠れそうな様子に、散華は小さく息をつくように笑う。



「わ、笑わないで下さいっ・・・」



「すまない。ただ、あの空気読めない女じゃ、苦労するだろうと思ってな」



「・・・やっぱり、そう思いますか?」



「『きらら』を『無害化』するのは、本当に苦労した・・・まとまらないんだ。好き勝手で、やりたい放題だからな・・・」



「・・・ボクと真逆ですね」



「それでも、俺が完成まで()ぎつけられたのは、そうまでさせる何かが、アイツにあったからだ」



 そう言うと、散華は、かすかに口元をほころばせた。


 『無害化』の最中、『シキ』がほんの少し前に出て来た時に見せる、静かな笑みであった。



「『シキ』、俺が今までに他人を『無害化』した人数、当ててみろ」



「・・・え、え~っと・・十人くらい、ですか?」



 『シキ』の答えに、散華は苦笑いを浮かべた。


 さすがに少な過ぎたかと思い、『シキ』は申し訳なくなって身をすくめる。



「カエデと東雲だけだ」



「・・・え?」



「俺が滅多に外出しないせいもあるが、十年に一度ぐらいしか、自分から『無害化』したいと思える人物に出会わない」



「―――」



「『シキ』―――お前も、その一人だ」



 不意に、『シキ』は瞳からポロポロと涙をこぼし、呼吸が上手く出来なくなった。


 人の体の不可思議さに、『シキ』は大いに戸惑う。



「お前も絶対に完成させてみせる。そうさせるモノが、お前にはある」



「・・・嘘だ」



「嘘じゃない」



「・・・体を返させたいだけですよね・・・だって・・・皆、ボクを・・・」



 『シキ』は、ゆらりと立ち上がって、被っていた布団を、頭から落とした。


 眼鏡を外し、畳の上に放り投げる。


 その瞳に暗い影を落とすと、散華からわずかに距離を置いた。



「師匠も・・・姐さんも・・・・・・散華さんも・・・」



「『シキ』?」



「ボクがココに居るべきじゃないって・・・思ってますよね!!」



 床に手を付き、『シキ』は上体を低く(かま)えた。


 そして後ろ足を大きく蹴り上げ、勢いよく散華に飛び掛かる。


 倒れ込んだところを抑え込み、首元目掛けて犬歯を()いた。



「―――っ!!」



 寸でのところで、散華は(てのひら)で、『シキ』の顔を抑え込んだ。


 ()みかかろうとする『シキ』を、両手に力を込め、必死に押し返す。



「ココに連れて来たのは・・・間違いだって・・・皆、思ってるんですよね!?」



「『シキ』・・・落ち着けっ!」



「助けられたらいけないんですか!?それって、死ねって事じゃないですか!!」



「誰も、お前が死んでいいなんて思ってない!!」



「だからっ・・・だから、これ以上、自分たちに関わるなって思ってるんでしょ!?」



 (つか)まれた顔を突然離され、『シキ』は体勢を崩した。


 危うく顔面から床に落ちそうになるところを、散華に締め上げられて紙一重で助かる。


 起き上がろうともがいたが、締め付ける腕の力が思いのほか強く、全く身動きが取れなかった。


 文字通り手も足も出ず、『シキ』は苛立(いらだ)たし気に、散華の耳元で(わめ)き散らす。



「だからあの時、謝ったんですよね!?」



「―――!?」



「師匠を連れてきた事じゃなく、こんな事に巻き込んで、すまなかったって!」



「あぁ、そうだ!こうなる予感がしてたのに、黙ってるべきじゃなかったからな!」



「やっぱりそうじゃないですか・・・後悔してるじゃないですか!!」



 『シキ』は身をよじると、散華の肩に思い切り噛みついた。


 ジクッとした感触と共に、口の中に血の味が広がるのを『シキ』は感じる。


 ぎこちなく動く散華の右腕が、痛そうに『シキ』の頭に伸びた。




「俺は、浅はかで自己中心的で薄情だ!だから、お前に帰れなんて言わない!!」




 『シキ』は、スイッチを切られたかように押し黙った。


 微動だにしないでいると、頭に大きな手が添えられる。




「お前の言葉を借りれば、『裏御前』ごときで、十年来の幸運を手放すか」



「――――」



「後悔するぐらいなら、名前を聞く前に、追い返してるに決まってるだろ!」



 口の中に広がる鉄の味に、『シキ』は、急に取り返しのつかない事をしたと焦りを覚えた。


 発作を起こした時みたいに、うまく呼吸が出来ない。


 『シキ』が嗚咽(おえつ)し始めると、散華は悲哀のこもった目で、天井を見つめた。




「だから・・・帰って来てくれ」




 『シキ』は泣きながら、何故か不意に、亡くなった祖母の事を思い出した。


 病の苦しさにたえられない時、家族に虚言癖だと(ののし)られた時、いつも寄り添ってくれた、優しい人。


 その手も、眼差しも、ひだまりのように穏やかで、自分の唯一の理解者であった。



 その祖母が死んでから、ずっと独りであった。


 誰も、『シキ』の存在を信じてくれない。


 自分の居場所は、いずれ入るであろう霊安室だと、病院の寝台で諦めていた。


 そんな事を思い出しながら、『シキ』は、かすれた声で散華に問い掛ける。



「・・・いいんですか?」



「イイも何も、帰られたら困る」



「・・・身の回りの世話が、必要だからですか?」



「馬鹿・・・『無害化』しない『鬼喰らい』なんて、生きてる価値ないだろ」



「・・・そんなことないですっ」



 『シキ』は、飛び起きるように上体を起こし、散華を見下ろした。


 困惑する『シキ』に、散華は苦笑いを浮かべる。



「俺に生きてる価値があると思うなら、ココにいてくれ」



 あふれ出て来る涙が散華の着物に落ちていくと、そのすぐ側に、黒い影が寄り添う。


 見ると、『シキ』が猫なで声を上げ、()うように水谷を見上げていた。


 水谷は、慌てて散華の上から、転がるように体を下ろす。



「散華さんっ、大丈夫ですか!?」



「あぁ」



 散華が痛そうにゆっくり起き上がると、それを待っていたかのように、『シキ』は、散華の膝の上に飛び乗った。


 そして、小さくあくびをすると、身を丸めて眠り始める。


 我ながら厚かましいと、水谷は小さく溜息をついた。




「おかえり」




 急に声を掛けられ、水谷は一瞬戸惑った。


 しかし、小さく息をつくと、ぼんやりとした笑みを返す。



「『隠世』の方は、大丈夫だったか?」



「姐さんの方が、オロオロしてました」



「アイツは追い込まれると、急に弱気になるからな・・・」



「姐さんの方が気の毒になってしまって、さっきまで与謝野(よさの)晶子(あきこ)さんの詩についてお話してました」



「お前の方が、よっぽどシッカリしてる・・・」



 散華は、吹き出すように苦笑いした。


 そして、昇り始めた陽の光を浴びながら、ぎこちなく体を伸ばす。


 しかし、腕を真上に上げた所で、痛そうに縮こまった。



「散華さんっ・・・怪我、大丈夫ですか?」



「大したことない」



「・・・本当にすみません」



「気にするな。それより、成り代わった『シキ』が、身を誤らなくて良かった・・・」



「睡眠薬で足止め出来なかったら、今頃、神田川に浮かんでいたかもしれないですね」



 水谷の言葉に、散華は目の奥に暗い影を落とした。


 その表情から、水谷の死を、本人よりも深刻に思っている様子が伝わって来る。



「・・・すみません、成り代わるのが大変危険だと、身に染みました・・・」



「この身を呪わない日なんか、一日たりとも無い」



「・・・え?」



「好きで・・・独りになったワケじゃない」



 そう言った散華の瞳には、暗い影が全体に満ち満ちていた。


 その影が、瞳の奥で炯々(けいけい)と光る、強い意志を際立たせており、水谷は言葉を失う。



「『シキ』の作品は、必ず完成させる」



「――――」



「だからお前も、俺の最善に付き合え」



 散華の言葉に、水谷は、今までの過ちに気付かされた。


 『無害化』に失敗していたのは、散華が自分の『鬼』を出し過ぎたせいではない。


 勝手に散華の人柄を決めつけ、寄り添わなかったのは自分の方だったのだと。


 (あかつき)に浮かんだ散華の影に、水谷は寄り添うように距離を縮めたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ