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「い、い、い、今……、なんつった……?」
俺は、震える声でそう言った。アルフから発せられた名前に驚きを隠せないでいるからだ……。
その理由は二つある。一つは、半信半疑であったアルフの過去を見てきたという夢かもしれない疑惑が完全になくなったこと。夢ならアルフの口から『マーちゃん』という名が出てくることはない。もう一つは、天界の話が正確ならば、マーちゃんに関する記憶は全て消されているはず……。
俺の頭の上では、混乱中のため星がピヨピヨと回転していた。すると、目の前のアルフは不思議そうな表情を浮かべ、
「んっ? なんじゃ? 今じゃと……? だから……、幻術から覚めてよかったのぅって……、もうっ! 二度も言わすではない!」
と、ポリポリと頭を掻きながら、赤面を背けながら口にする。ラブコメ漫画なら嬉しい展開だが、今の俺にはそんなことを喜んでいる余裕はない。
「いやいやいやっ! その後っ! その後だって!」
と、口を尖らせながら言うと、アルフは更に不思議そうな表情になり、
「はて? その後、何か言ったかのぅ?」
と、言った……。
俺の頭の上に、はてなマークが乱雑に浮き上がる……。
「はっ……? ちょっ! おいおいおいおいおいっ! 今、さっき言ったばかりじゃん! おかしいって! なんで覚えてねぇんだよっ!」
思わず声を荒げて言ってしまうと、アルフはムッとした表情に変わる。
「はぁ……? さっきから何を言っておる……? そもそも、その後に何も言っておらんぞっ! 何を言ったと思っておるのじゃ? ハッキリ言ったらどうじゃ?」
おいおい……、何かがおかしいぞコレ……。どうなってる……? ハッキリこの耳で聞いたんだぞ、それとも俺が幻聴を聞いたというのか……? いや、違う。確かに聞いたんだ。幻術のこともあって少し怖いが、ストレートに言う決心をする。
「だーかーらー! 幻術の解き方をマ――」
『マーちゃん』と言おうとしているが、舌が痺れて声が出ない。それどころか、幻術の中で受けた拒否反応とは桁違いなレベルで「マーちゃんのことは絶対に言わせない」という強い意志が俺を包む。そう、幻術の世界と同じ流れだ。違うところと言えば、俺の舌に呪印でもされているのか、マーちゃんの事が一切言えなくなっている。俺がそんな状態で呆然としていると、
「ま? なんじゃ? どうした? 幻術の解き方がなんだって?」
と、アルフは不思議そうな顔で、俺を覗き込むようにして言った。俺には、アルフが嘘を言っているようには見えない。そして恒例の『何がどうなってるのか、さっぱりわからない』モードに突入する。このままでは終われない俺は、頭をフル回転させ踏ん張って捻り出した手段を思いつく。それは、マーちゃんの名を出さずに確認すること。どうせ全てマーちゃんの仕業に決まってる……、だから俺は、マーちゃんに対して知恵比べで挑戦することに決めたのだ!
舌の痺れが徐々に薄れてきた俺は、初手として平然を装いながら口を開く。
「あ、あ、あ、あ、あのさ……」
あっ……! 緊張しすぎて声が裏返ってしまった……。もうすでに平然を装えない……。俺は恥ずかしさあまりに顔を隠そうと下を向いてしまう……。なにが『挑戦することに決めたのだ!』だぁ……? 意気込んでいって、はじめの一歩で挫けてるじゃないか……。あまりにも情けなすぎる自分に震え涙が出そうになっていると、アルフの方から声が上がる。
「マサオよ……、余は、あの魔王をちと見くびっておったかもしれんのぅ……」
と、言った。急に何を言い出すのかと思い、顔を上げ声の主へと視線を合わすと、そこには、ある一点を見つめまま真剣な顔つきのアルフがいた。その時――
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
地響きを震わせるほどの唸り声が、この大空洞内に響きまわる。その声の発生源は、ずっとアルフが見ている所だった。驚いた俺も慌てて、ソコへと視線を変えると、そこには――魔王ゴウマがいた。いや、正確にはゴウマだった者が姿を変えてゆくところだった。体全体から蒸気のような湯気を噴射し、身に着けていた装備は次々と地面に落ち、その形を変えていく。その表情は、痛み苦しみを耐えるような険しい表情を浮かべ唸り続けている。これは、ただならぬことだと素人の俺でも分かる。あと、俺は見逃さなかった、ゴウマの周りの空間が歪んでいることに……。
「おいおいおいおいおいっ! なになになになになにアレっ?」
物語の登場人物の中だったら、主要人物には絶対に入れないモブにしかできないリアクションをしてしまう俺、それに対してアルフは、
「まぁ、落ち着けマサオ。魔王の変身じゃ、よくあることだし、そんなに驚かんでも良い。それよりも気のなるのが……」
あぁ、コイツの落ち着きよう、きっと主要人物に入るんだろうと確信した。
そして、主要人物は続けるように口を開き、
「そうか……、ヤツも『知る者』と、いうことか……」
と、魔王ゴウマの変身を眺めつつアルフは、そう呟く――。




