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女神の発言により、一気に今起きていることに現実感が膨れだす。
魔王アルフの手下なのか? 使い魔なのか? ただ飼われていただけなのか、さっぱり分からない猫、通称『マーちゃん』の中に入ってしまった、この俺『マサオ』は、戸惑っている。
異世界転生などという非現実現象の初日に、再び臨死体験し猫の中に意識をダイブするなんてリアリティーがなさ過ぎる。長い長い夢の中なのか、妄想ばかりして頭がおかしくなったのか、俺は半身そう思いながら行動してきた。だからこそこんな状態になった俺が、目の前で何が起きようとも、ある程度冷静に観察できてきたのは、それが理由だ。
しかしながら、この全てがマーちゃんが作りあげたシナリオならば、今起きている現象は必然であって、異世界転生もまた必然に変わってしまう。マーちゃんは、この俺に女神の願いを伝えるためだけの駒として使っているのか、それとも……もしかしてこの俺の前世は――。
「そろそろ、大魔王アルフの最期が映し出されるわよ。アナタが死んだ直後の映像ね」
ない頭をフル回転をして悩み続ける俺のことなんて無視するかのように、女神イリアはそう言った。
俺いやマーちゃんの目線に丁度良い高さに設置された水晶は、中心部から徐々に光だしその映像を映し出した――
――先程までいた見覚えのある場所、魔王アルフの自室の前、勇者ユウタ一行と激戦を繰り広げた大広間は、天井が崩れ始め瓦礫が雨のように降り注いでいる。映像は大きく揺れていた、それは終わりを向かえることに世界自身が震えているかのように。そして水晶の映像は、ブロックノイズが激しく空間全体がねじり曲がり断裂していた。映像スピードもまたおかしくコマ落ちしているのか、ゆっくりなったり早くなったりと一定ではなかった。
「この映像の乱れ、水晶が悪いんじゃないの。実際にあの世界で起きたことなのよ。世界のシステムが壊れるということはこういうこと、空間はその場に維持できなくなり、時間の流れも一定ではなくなる。私は、このような世界の終わりをたくさん見てきたわ……」
悲しみと悔しさを合わせたような声で女神は、そう言った。
――そんな状態の世界の中、アルフはそこにいた。
真っ黒の甲冑に包まれた彼女は両足の膝を地面につき、大切そうに両手で白い何かを抱えていた。それは、マーちゃんの亡骸だった。震える両手は止まることなく、兜の奥の瞳はそれをずっと見続けているようだった。そして――
「マーちゃん……マーちゃん……マーちゃん……マーちゃん……」
と、震える声でアルフは、何度も何度も何度も何度も言っていた。
見ていられないそんな姿のアルフを見て、熱くなる、沸き立つ、奮い立つ、そんな感情が溢れ出す。どうにかしたい……どうにかしてあげたい……助けてあげたい……、頭の中はそんなことで一杯になる。
「マーちゃん……、余は……余は……、一人じゃ生きていけない……、一人は嫌なのじゃ……、余を一人にしないでたもう……、マーちゃん……マーちゃん……、うぅ……」
アルフはそう言い終えると、大事に抱えた亡骸を静かに地面に置き、立ち上がる。そして歩み始めると何かを探しているのかキョロキョロと見回し始め、ある物を見つけそれを掴み上げる。
――それは、勇者が持っていた剣だった。
「あの剣は、私がユウタに渡した聖剣よ。ちなみに、あの世界にある物質で大魔王アルフを傷つけられる武器は存在しないわ。さすがと言うところかしら、とっさにアレを選ぶなんて」
水晶を指差しながら女神は言った。
これから何が始めるかは知っている、だからこそ見せないでくれ、何の意味がある? 俺は心の中でマーちゃんへ叫んだ。しかし、水晶への視線は変わることはない。
剣を握りしめたアルフは、確認するかのように刃先を指先で触り始める。そして、手慣れた手つきでその剣を逆手に持ち替えると、刃先を自分の首へと向けた。
「マーちゃん……待っててね……」
と、アルフは小声で呟いた。
そして、次の瞬間だった――
なんの躊躇いもなくアルフは、そのまま自分の首へと突き刺した。
――そして俺は、その光景を見た。
目を背けたいができない。目をつぶりたいができない。
なんの抵抗もできないまま、その光景は俺の中へと入ってくる。
やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめろ! やめてくれ! 頼むからやめてくれよ! 本当にやめてくれよ……。
俺の願いは届かない、ただ虚しくその願いは消えてゆく。
悲しみと苦しみの中で突如、声が聞こえてくる。
「一人は嫌なのじゃ……、一人は嫌なのじゃ……」
アルフ? アルフなのか? 俺には聞こえる。
そして――
「一人は嫌なのじゃ……、一人は嫌なのじゃ……、マーちゃん……マーちゃ……マ……、……、――マサオ!」
「はっ!」
次に気がつくと、目の前は地面だった。
黄金色の地面は、俺の鼻息によって周りのホコリを吹き上がらせていた。
息、匂い、この肌に感じる感触、そしてこの現実感。
俺は――戻ってきた。




