5
魔王は死後、光の中に包まれている。
自分が死んだことを確認するのには、十分な時間が経っていた。
魔王は、足の爪先から頭まで全て真っ黒なフルプレートアーマー姿であった。
兜の左右側頭部にあたる場所には穴があり、そこから角が出ている。
フルプレートのせいで顔は全く見えないが、隙間から赤い瞳が光っていた。
――その姿は魔王とはわからず、ただの漆黒騎士にしか見えない。
「余は、死んだのか……」
と、呟く魔王。
その声は――魔王らしい野太い声ではなく、少年のような声であった。
――友人たちが声変わりする中、自分だけは声変わりをしない焦りで必死に低い声を出そうとしている思春期少年のような声である。
そんな中、光の奥から少女がやってきた。ラベンダーのように綺麗なパープル髪色、深海のようなグリーンの瞳、背中には羽が生えている。
「あなたがアルフですね?」
「そうじゃが、お主は?」
「私は女神様にお使えしてます、天使でございます」
「魔族の敵である女神が、余に何用じゃ?」
「アナタは転生者に選ばれました、これから女神様の所で転生の儀式を行います」
常に冷静な大魔王も、その言葉には驚きは隠せなかった。
「は? 余が転生者? 魔族ぞ?」
「転生者に魔族も人間もありません。公平に選ばれるのです!」
その言葉を聞くなりアルフは、カタカタと体を震え出す。
「そ、そ、そ、その話は本当じゃな? 魔王を騙して皆で笑いものにしてやろうとかしてるんじゃないのじゃな?」
魔王は天使の肩を掴むと、ユサユサと揺さぶった。
「は、は、はい……。ほ、ほ、ほんとうに本当です……」
「そ、そうか……。疑ってすまなかったのう」
なぜ、こんなに動揺しているかと言うと。
死んだことに、ものすごく悔いを残していたのだ。
戦いに明け暮れたせいで、一度も恋というものをしたことない。
一度でいいから燃えるような恋をしてみたい……。
と、魔王とは思えない願いがあった。
フルプレートの上からも赤面しているのが分かる大魔王は、照れくさそうに口を開く。
「ありがたく、その申し出を受けさせていただく!」
食い入り気味に来る魔王に、少し引き気味な天使は、
「そ、そうですか! 納得いただけたなら良かったです! そういえば、その兜お取りいただいてもいいですよ。ここでは、危険なことなんてないので」
「ああ、これか。これは呪いの兜じゃから一生取れんのじゃ! 気にせんで良いぞ!」
「はぁ……、そうですか……」
もう死んでいるのに何言ってるんだろうと思ったが、天使は顔に出さずにいた。
営業スマイルで天使は、
「では、中へどうぞ」
と、案内をする。
大きな扉に手を掛け、ゴクリとツバを飲み込む魔王。
魔族の王として天界に敵意を持っていたことを恥ずかしく感じつつ神殿のドアの開け、女神を見直す気持ちを持ちながら神殿の中へ入った。
神殿の中は静まり返り女神の姿はなかった。
しかし突如、自分の頭上から気配を感じる……。
視線を上に向けると――
「うおぉぉぉぉぉ! 死ねぇぇぇぇぇ! 魔王ぉぉぉぉぉ!」
静まり返った神殿に甲高い声が響き渡る。
視線の先には真っ白なワンピースを羽ばたかせる女性が空を舞っていた。
この者こそ、ここの主でもある『女神様』である。
金色の長い髪を大空に巻き上げ、振りかぶった腕には黄金の輝きを放つ剣を握りしめている。
振り上げた剣は空間をも切り裂く勢いで、神殿に入ってきた者の首目掛けて振り下ろした!
丁寧に研がれた鋭い刃は、その者の首元にめり込む――
『カッキィィィン!』
甲高い金属音が天界中に響き渡り、その衝撃とともに周りにあった家具がガタゴトと飛び跳ねる。
飛び跳ねた家具がガタガタと床に落ち、綿埃がふわっと静かに落ちた。
「ヒュンッヒュンッ」と風を斬る音と共に、先が尖った物体が宙をクルクル舞い床に突き刺さる――
「へ?」
自分が持っているものが異様に軽くなっていること、異常な手の痺れに彼女は唖然とする。
彼女は、恐る恐るソレを覗き込むと剣は半分に折れていた――
「えっ? 嘘でしょ……、伝説の聖剣なのよ……」
目の前の現象に信じられずにいた。
この剣は、ある王の伝説に登場する剣である。
神話に登場する剣は、天地がひっくり返っても折れることはない。
「なんじゃ? 今、何かしたのか?」
自分の首に何かが当たったが、気にせず斬りかかった者を見ていた。
――女神は恐怖した、規格外の魔王に……。
魔王は未だに何が起きているのか分からずにいた。
しかし、彼女が持っている剣、床に刺さった折れた刃先、すぐに連想できた。
「なるほど、余を殺そうとしたのか……。いや、余はもう死んでいるから転生自体なくそうとしたのか、こんな姑息なこともせずに正々堂々とかかってくれば良いではないか!」
魔王は涼しい顔で言った、対して女神は顔を真っ赤にする。
「私は女神よ! アンタら魔族の者と違うのよ! 舐めた態度はやめなさい!」
アルフは「はぁ……」と深い溜め息をつき、
「わかったわかった、少しでも女神を見直した余が恥ずかしい! そっちが来んなら余から参ろう!」
シュッ! と魔王の姿は消えた。
次の瞬間、女神の前に現れると顔めがけて拳を振り落とした――
女神はニヤリと笑顔を浮かべる。
その理由は天界と下界の違いにある。
どんな者も天界では女神を傷つけることは物理的にできないようになっている。
無駄無駄、私に触れることなんてできないんだから! この後、どう言ってやろうかしら? 魔王なんて大した事ないわね! が、いいかしら。できればプライドを傷つけることを言いたいたわ!
――と女神は考えていた。
ところがどっこい、女神の顔は酷く歪みギギギっと頬骨が軋む音と同時に宙に浮き、そのまま何枚もの壁を突き破り神殿を飛び出してしまった。
「ちょぉぉぉぉぉ! 痛い痛い痛い! ちょぉぉぉぉぉ痛いよぉぉぉぉぉ!」
女神は自分の頬に手を当てながら無様にゴロゴロと転げ回っていた。
「な、なんなのよアイツ! 女神に攻撃できるなんて!」
鼻口から血を垂らしながらヨロヨロと立ち上がる。
すると、目の前にアルフが立っていた。
「ヒィッ! ちょちょちょっと待って! さっきのは違うんだって! そそそう、転生の儀式なんだって! 攻撃しようなんてしてないんだって! もう慌てん坊さんねぇ」
誰でも分かる嘘を付くのである、さすがに魔王も信じるはずがない――
「え? そうじゃったのか! 殴ってしまってすまなかったのぉ……、まぁ軽くだし大丈夫じゃろ?」
――最強の大魔王は、ただの脳筋だったようだ……。
女神は心底震えた……、
今のが軽く? 嘘でしょ? 本気を出したらどうなっちゃうのよ?
そして理解した、魔王を消滅させることは無理だ。
慌てふためいたが、あることに気づく――
転生には2つある。そのままの姿で転生か、姿を作り直してからの転生なのだ。
そうよ! なんで気づかなかったのよ、作り直せばいいのよ。それなら神々にもバレないわ! 私、馬鹿ねぇ! クソ魔王、死より辛い苦しみを与えてあげるわ!
――と女神らしかなぬ企みを持つのである。
「あ、あのぅ、転生の儀式を続けるので、さっきの所まで戻っていただいてもいいですか?」
殴られた頬を摩りならお願いし、魔王は快く承諾し転生のための神殿の中心に。
椅子に座り静かに目を閉じ、作り直しの転生の儀式が始まった――
女神はニヤけている。
フフフ……、何に作り変えてあげましょうか? まず人間よね。魔族が人間に転生したらそりゃ苦しむわよ! そうだ、どうせなら可愛らしい少女にしてあげればいいわ。女神を殴った罰なんだから、せいぜい苦しみなさい!
――そんなことを考えながら儀式は続く。
虹色の光が立ち込め魔王の姿が変化するはずだった。
しかし、全く変化がない……、女神は焦る、そして気づく。
自分より力がある者の作り直しができないこと。
一時的にも魔王の力を封印しないと作り直しはできない。
ぎこちない笑顔を作りながら――
「あ、あ、あのぅ、魔王様の力が強すぎて転生できないみたいですぅ……」
「そうか、それならどうすれば良いのじゃ?」
「強すぎる力を封印する方法がありまして、抵抗しないでいただければ……」
「なにぃ! 余の力を封印すると申すか!」
「ヒィィィ! 転生後すぐさま封印を解きますので……」
気づけば土下座をしていた、生まれて初めての土下座であった……。
「そうか、それなら良いぞ」
彼女はニヤリとし、封印を始めた。
しかし封印が進まない……。
「あの、抵抗しないでいただけますか?」
「余は抵抗しとらんぞ」
女神は絶望した。
コイツは無理だ。
最高レベルの封印術してるに封印できない……。
残る封印術は生贄封印しかない。
生贄封印とは、文字通り生贄となる者の存在を使い封印することである。
さすがに彼女は悩んだ、この一線を超えたら私は女神失格だと――
……、女神失格とか知っちゃこっちゃねぇ!
自分を存続させるためなら天使の一人二人の犠牲なんて、たかが知れてると自分を納得するのであった。
――最低な女神である。
「天使ちゃ~ん! ちょっと来て!」
「はい、お呼びですか?」
神殿の前で説明していた天使がやってきた、女神は笑顔で答える。
「ちょっとね、手伝って欲しいの。転生者の隣に立ってるだけでいいから」
「はい、わかりました。女神様のお手伝いが出来て光栄です!」
天使は何の疑いもなく満面な笑みで魔王の隣へ立つ。
女神様は表情も変えず封印を始める。
天使は急に光だし少しずつ体が薄くなっていた。
さすがに気づいた天使は――
「あのぉぉぉ! 私、消え始めているのですがぁぁぁ! 女神様ぁぁぁ!」
女神は笑顔で返す。
「大丈夫、大丈夫! 痛くないから、ちょっと消えるだけだから」
「えぇぇぇぇぇ! 私、消えちゃうんですか? 困りますぅぅぅぅぅ!」
困る天使を無視して封印を続ける。
そして、とうとう天使は完全に消えてしまった。
封印術の術式が刻み込まれていた1枚の羽を残して……。
魔王は全ての力を封印されてしまった。
女神の体は小刻みに震えだす――
「フハハハ! 魔王ざまぁ! お前の力は全て封印した! ばぁぁぁかぁぁぁ!」
女神の声が神殿中に響き渡る。
魔王も驚き振り向く――
「転生のために封印したのではないのか? それに転生移後に封印を解いてくれるのじゃろ?」
女神は笑いながら言い放つ、
「そんなことまだ信じていたのかよ! 解くわけねぇじゃん! 馬鹿だねぇ! ご希望通り転生はしてやるよ! クククっ! 人間の少女としてな! せいぜいがんばってくれや! ウハハハハ!!」
さすがの魔王も騙されたことには、感情的にならずにはいられなかった。
しかし、全ての力を封印されて動くこともできない――
「キ、キサマ! よくも謀ったな! 余は大魔王アルフぞぉぉぉぉぉ!」
間髪を入れずに、作り直し転生の儀式は始まる。
そして、みるみるうちに魔王の姿は変わっていった。
体は小さくなり、フルプレートアーマーがその場にガタガタと落ちていく。
銀色の長い髪、赤く透き通った瞳、可愛らしい顔立ち、アルフは……人間の少女となった……。もう大魔王とは想像できない姿だ……。
「はい、はい、知ってまちゅよ! アルフちゃんは、まおうちゃまでしたねぇ! フハハハハ!」
女神は笑いながら話を続けた――
「そうだ、言い忘れるところだった。勇者を異常に強くしたの私なの! それに最終バトルの時に奇妙な現象を立てつつけに起こしてたのも私なの! ハハハハハ! ざまぁぁぁぁぁ! そろそろ時間ね! ばぁいばぁい! 転生後の人生お楽しみくだちゃいね」
体全体が光に包まれ、少しずつ体が消え始めている。
魔王は幼い声で必死に叫んだ――
「きさまぁぁぁぁぁ! 絶対にぃぃぃぃぃ! 許さんぞぉぉぉぉぉ!」
そして……魔王は異世界へ転生した――。