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「あれっ?」
思わず声が出た。今まで握り締めていたモノがないからだ。世界を切り取り隔離する神器であり、ワタシが唯一あのバケモノに勝てる手段である。
「えっ! えっ! えっ……?」
自分の辺りを瞬時に見回す。しかし、何処にも落ちていない。ざわざわっと頭の血の気が引く感触を味わう事になる。
「そ、そんな……嘘でしょ……」
『絶望』今の状況を一言で表すとこうだ。もう目的を達成する手段はない、これからどうすれば良いのか考える余裕もなかった。そして、ある不安が頭をよぎった。それは、アルフに取られたのでないかと言うことだ。以前、マト様から与えられた神器『次元刀』は、気付かないうちに奪われていた。あの時と同じ様にアルフが『雨季の杖』を奪ったとすれば、もう終りだ……。このワタシを世界から隔離するかもしれない。耐えられない恐怖がワタシを包み始めた。
そんな状況下で更にとんでもない自分の失態に気付いてしまう。命の危機を脱したとはいえ今だ気を抜ける状況でもないにも関わらず、声を荒げ感情をあらわにしてしまったことだ。倒す手段がなくとも生き残り手段はまだある。それなのに、こんな大事な場で大声を上げアルフを刺激することはとんでもない事だった。
ワタシはゴクリと生唾を飲み込むと、足元に向けられた目線を少しづつ上げ、二人がいる場所へと合わせようとする。あんな大声を上げたんだ、きっとワタシに注目しているに違いない。心臓の鼓動が暴れまくる中、二人を見た。そこには――
「のうのう、マサオよ! もう一度言って欲しいのじゃ!」
「はぁ?」
「余への愛の告白じゃ! フフフ……」
「お、おま……! 愛の告白って……そ、そんなこと言えるかバカっ!」
「照れおって、かわいいヤツよのぅ! なぁなぁ良いではないか、もう一度もう一度だけじゃって!」
「あーもう! しつこいヤツだな! 絶対に言わんからな! それよりもいい加減、俺から離れろよ! いつまで抱きついているつもりだ?」
「むふふー! ずっとじゃよ! ずーっとこのままでいるのじゃ!」
「お前はコアラかっ!」
二人はワタシに気付いていなかった……。アルフはマサオに抱きついたまま、頬を薄紅色に高揚させ、とろける目で彼を見つめ、満面の笑みを浮べながら談笑していた。その手には、杖は握られてはいなかった。再び肩透かしを受ける形にはなったが、希望が見えてきたのも確かだった。『雨季の杖』が何処にいったかは気になるはするが、ここはアルフの機嫌を損なわないように努め、この場を切り抜けマト様の元へ戻り、打開策を練るのが賢明だ。この先の方針が見出した事で、硬直していた肩から力が抜け下ろした瞬間だった。目を疑う光景がワタシの視界に入った。
マサオの背後にあるモノが宙を浮いていたのだ。それは、間違いなく無くしたはずの杖『雨季の杖』だった。プカプカと浮遊する杖は、マサオの頭より高く浮上すると、ゆっくりゆっくりと二人の周りを動き始めた。
ワタシは驚いた。あの杖……自動飛行付きだったのか! っと、一瞬考えはしたがそんなはずはない。誰かが魔法でコントロールしているに違いない。しかし、誰がやっているのか……? この場には、四人の生命反応しかない。ワタシ、アルフとマサオ、あと壁際に寝転んでいる勇者。あの勇者はまだ生きているが、虫の息で魔法が使える状態ではない。だったら誰がアレを動かしている……? まさか外部から誰か入ってきてコントロールを……? いや、それこそありえない、この空間はワタシが張った結界で、出ることも入ることもできやしない。もし結界の外からやってるとするならその魔力は結界で塞き止めているはずだし、ワタシが気付かないわけがない。
誰だ誰だと考えていると、みるみるうちに『雨季の杖』は、二人の周りを取り囲むように動いている。そして、ワタシは気付く。その動き……まさか……アルフをこの世界から切り離そうとしているのか……? そう思った時、『雨季の杖』の上部に付いていた宝石が各色で光始めた。暴れ出す心臓を抑えることもできず、息を殺して見続けていると――
「く、くそっ! マサオっ! 今すぐここから離れるんじゃっ!!」
『ドンっ!』
聞いたことのない焦った声を上げるアルフは、マサオのことを突き飛ばした。突き飛ばされたマサオは、驚いた表情のまま尻もちをついてゴロゴロ転がった。そして、次の瞬間だった。『ピカッ!』と、大空洞内全体を照らすほどの眩い光が発生した。あまりの光に手で目を覆い隠すがそれでも眩しくて目をつぶった。それでも、その光は強くまぶたの裏が真っ赤に見えるほどだった。音は無くただ光だけがこの空間を支配している。そして何が起きたのか、分からないでいると、最初に聞こえた音は、彼の声だった。
「な、なんだなんだ……? 何が起こった……? アルフ? どこにいる……? くそ、なんだこの光は?」
マサオの声である。続いて聞こえてきたのは、こんな何も見えない状況で『コツン……コツン……』と、足音が聞こえてきた。そして、次の瞬間ワタシの身に震えが走る。今までワタシたち以外誰もいなかったはずなのに、突如何者かが現れたのだ。見えなくても分かる、肌から感じるその者の威圧は常人のレベルを遥かに超えていたからだ。気付くと自分の息が荒くなっている。息苦しい……この感じ似ている、あの時のアルフと同じだ。その時――
「ご苦労だったな、魔王ゴウマ。いや、クリスと言ったか。まさか下界人が我々を騙すことができるとは思ってなかったぞ。まぁいい、特異点の封じ込めに成功した」
聞き覚えの無い男の声が聞こえる。まだ前が見えないワタシは「誰……?」と聞き返そうとすると、
「はぁ……臭い臭い……下界は臭くてたまらん。こんな所、一時でもいたくないね。はぁ……さっさともう一つの仕事を終わらせて帰るとしよう……」
その謎の者が言った。ワタシの胸騒ぎが止まらないでいた。彼の『下界』という発言から察しがついていたからだ。今はマズイ、今出会うのは本当にマズイ。頭の中を駆け巡るのはそんな事ばかりだった。頬を滴り落ちる汗を拭うことも忘れて必死で視界の回復に努めた。そして、光が大分収まり恐る恐る目を開くと、そこには、成人した人間の男性が立っていた。しかし、ただの人間ではない、彼の背中には、真っ白で大きな翼を生やしていたからだ。嫌な予感が当たった……彼は、『天界人』だ――。そして、彼はワタシに言った。
「もう一つの特異点には困ったもんだねぇ……。下界人を『知る者』にして、我々の仕事を増やしてくれるんだから……もう……。まぁ、どっちみち同じか……。クリスさんだっけ? 申し訳ないけどね、死んでもらうよ」
本当の命の危機は、ここからだった――。




