105
「こ、このワタシが……ゴミだと……? 世界の平和を願う『マト様』の使徒であるワタシに向かって……? ゆ、許せない! 許せない! 許せない!」
目ん玉をひんむかせ、口を尖らせ、顔を真っ赤にさせたクリスは、そう怒鳴った。そんな彼女に対してアルフは、表情一つ変えないまま静かに右眼だけを瞑った。そして、アルフはクリスに向かってゆっくりと歩み始める。
近づいてくるアルフに気付いたクリスは、腰にかけていた短めな杖らしきモノを取り出す。その杖の頭頂部には、色鮮やかな宝石が散り詰められていた。さっきの刀同様、この杖もかなりの貴重品なのが伺える。その杖を前に構えたクリスは、戦闘に備えた。とうとう始まると感じた俺は、生唾を飲み込む。
一歩一歩と歩みを続けるアルフ、その歩数が増える度、俺の息は荒くなる。戦闘前の異様な静けさだけは、どうも慣れそうにない。心臓は口から飛び出すんじゃないかと思うくらい暴れるし、脇からは暑くもないのに滝のように流れる。もし俺に戦いを止めるだけのチカラがあれば今すぐにも止めてやりたい。なぜ、こんな状況になっているのか、何が起きてこうなってるのか、さっぱり分からないでいる。何の事情も知らない俺だが、殺し合い以外にも解決方法があるんじゃないかと、つい考えてしまう。だけど、何も持たない俺は黙って見ているのほかなかった……。
口の中がカラカラに渇いていることに気付いた瞬間、アルフの右脚は地面を力強く蹴った。その地面は、地雷が仕掛けられていたかのように硬い岩は砕け爆発する。その反動でアルフは、一気に前へと進む。その姿は、走ると言うより飛んでいた。地面ギリギリを低空飛行する戦闘機のように、土煙を立てながら物凄いスピードで進んでいった。
「ハハハッ! 通常移動でワタシに勝てると思っているの? どんなに速かろうが『コード』が見えるワタシに見えないスピードはないっ!」
クリスが微笑混じりに言った。コードとは、何なのか分からない。でも、きっとヤツにとっての秘策なのだろう。それに、アルフのスピードは俺にも分かる。……そんなに速くはない。グルモやゴウマだったクリスのスピードは全く見えなかったが、アルフの姿はハッキリと見える。不安がこみ上げた瞬間、アルフは一気にスピードを上げた。立ちのぼる土煙は、10倍にも大きくなった。「おー!」と声を上げるくらい期待したが、それでもアルフの姿は俺の目には映っていた。物凄く速くはなったが、それでも俺の目で捉えられるレベルだった……。
駄目だ……負ける……っと心が呟いた時、アルフはクリスの目の前まで迫った。高鳴る心臓はピークを達し、荒い呼吸は酸素を求め続け、渇いた喉は水分を欲する。俺は息を飲んだ。――次の瞬間どうなるのか、俺の右眼はちゃんと捉えていた。
そこに映った姿は――何もせずそのまま通り過ぎるアルフの姿だった……。クリスもまた何もしなかった……。お互い何もしない、何が起きているのか分からない。戦いと言うものを全く知らない無知な俺のせいなのか、戦いっというものはそういうものなのか……と、頭を悩ませる。その後、アルフはクリスの真後ろで静かに足を止めた。クリスの後頭部を見つめたままピタリとも動かない。今……どういう状況なのか分からないでいると――
「き、き、消えた……? そ、そんなはずは……ワタシは確かにコードを見ていた……消えるはずがない……もしや物理的移動じゃないのか……? い、いや……転移魔法でもないはず……魔力の痕跡が全くない……ど、ど、どうやって消えた……はぁはぁ……どこいった……? どこだ……どこだ……」
と、取り乱して声を上げるクリス。その顔は真っ青に染まり、目はキョロキョロと左右へと動かしている。俺には何を言っているのか分からない。ふざけているのか、と思っていると、キョロキョロとしていたクリスの視線が俺を捉える。マヌケな表情を浮べるクリスと目があってしまった。気まずさから俺はアルフへと視線を動かす。すると、その視線移動でクリスは気づいたのか、表情は固まり、頬に一筋の汗が流れる。そして、顔は動かさず後ろを意識した目線になった。
「……はぁはぁ……そ、そんな……はぁはぁ……い、いつのまに……?」
クリスは震える声でそう言った。冷たい表情のアルフは、何も答えない。アルフは右手をクリスの背中にゆっくりと近づけると、そのまま軽くタッチするかのように触れた。
次の瞬間だった――クリスの体はなぜか吹っ飛んだ。物理法則を無視するかのように物凄い勢いで飛んでゆく。自分に何が起きたか分からないクリスは、表情を変えることもできず、体勢を変えることもできず、ただただ飛ばされていた。そして、その勢いのまま岩へと突っ込む。衝撃で砕け粉々になった岩たちは、小さな石となり上空へ舞い上がった。落ちてくる石たちは、そのままクリスへと降りそそぎ、その姿を覆い隠してしまう。そう、あの時のグルモと同じように……。そこまでの一連の流れは、ほんの一瞬の出来事だった。自分の口が、開いたままでいることに気付かなかったくらいに――。




