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フー・メイク・ソレガアタリマエ

作者: 憂木冷



 本日の議題はこんなひとことから始まる。

「なあなあ、西ノ宮(にしのみや)議長。俺は不思議に思うんだ。清潔っていうのは、いったいどういう事なのかって」

 非公式組織『不満検討委員会』の不定期活動『不満検討会議』は、誰かの不満と共に始まる。

 言ってしまえば、ただのお遊びなのだが……名前を付けてその気になって話し合うと、ただの雑談もおもしろい結論に至ったりするので、普段の会話の中で、思い出したように会議が始まる事がある。

 構成員は二人。

 西ノ宮曲里(まがり)

 塔元とうもと香敏(かとし)

 議長は質問者でないものが務める。

 それ以外にルールはない。

「よーよー。今日もなんだか、濃いんだか薄いんだかわからない内容の質問だねー、とーもと男子」

「おまえの態度は驚くほど軽薄だけどな。なんだよ、よーよー、って」

 塔元は、軽く笑いながら生ビールの中ジョッキに口を付けた。

 酒に強いわけでも弱いわけでもなく、酒が好きなわけでも嫌いなわけでもない彼だが、居酒屋に入るととりあえず「生中ひとつ」と注文してしまう彼は、割と流されやすい人間だ。く言えば空気が読める。

「よーよー、今日はこんなんでいっちゃうよー、だから会話は困難よー。ちなみにとーもと男子の『男子』は、『お話するヒト』って意味でぇ、立川たてかわ談志だんしに掛かっているよー」

「おお――ふざけた態度と裏腹に意外と知的だ――だけど、それを自分で説明しちゃう所がたまらなくだせぇ」

 だせぇよまがりちゃぁああん。

 かとしの言葉にいとかなしー。

 居酒屋の奥のテーブル席に、酔っぱらいの叫びと、アルトソプラノのエセラップが響く。

 入店三分で完全に居酒屋空間に親和した二人は、暫く議題についてまったく忘れて話し込んだ。しかし本筋は酔っぱらった男女の喋りではないので少し時間を送ろう。

 一時間半後。

「あうちぃー。醤油こぼしたよー、それ取ってくれよー」

「あー……あーこれか、はいよ」

 白いティーシャツに醤油を垂らしてしまった西ノ宮は「ばっちーばっちー」と言いながら、受け取った手拭きタオルで汚れを拭った。

 その姿を見ながら、塔元は首を傾げる。

「……ん」

「な、ん、だよー」

「俺は大事なことを思い出したよ」

「明日は期末テストかよー?」

「それ忘れてたら流石にやべぇけど、今春休みだからありえねえよー」

「語尾パクんなよー」

「別にパクってね、え、よー」

「パクってんじゃんかよー」

「よーよー」

「よーよ、よー」

「曲里ちゃんとだと話が進まねえよー」

 二十分後。

「つまりだ」

 ダンッ。と音を立てて、ウーロン茶のグラスをテーブルに置く。

「俺は思うわけよ。『それってただの刷り込みじゃないのか』って」

「ちょっとまって、何の話よー……話だっけ」

 会話が全然進まないので、塔元香敏によりエセラップ禁止法が施行され、西ノ宮は約二時間ぶりに普段の口調に戻して話をしている。

「だから、清潔の話」

「清潔……」

「曲里ちゃんはさ、なんで家に帰ってすぐに手を洗うか考えたことある」

「わたし手洗わないからわかんない」

「いや洗えよ」

 清潔という言葉に対して問題提起している最中ではあるが、塔元にとってそこは譲れない気がした。

 しかし、西ノ宮は相変わらずタオルでポンポンと、醤油を垂らしたティーシャツの染み抜きをしながら。

「でも、手なんて食事の前に洗えばよくない」

 と言う。

「……え」

「なにか?」

「一理ある」

「ね」

 塔元は思う。二十歳を越えて公園で泥遊びをすることもそうそうないし、外出したからと言って、取り急ぎ手を洗う必要もないのか。そもそも外に居るときはずっとその手を自分の手首からぶら下げて生活していたわけだし、家に帰った途端、洗浄必至なほど手が汚らわしいものになるというのもおかしな話だ。

「だいたいわたしは思うよー……思うよ。家に帰ってから手を洗うヒトは多いけど、だからといって夕食前に再び、改めて、ちゃんと忘れずに手を洗うヒトって、以外と少ないんじゃないかって。一回洗ったからって油断してんじゃないのぉーって」

「あ、確かに俺、食事の前にあんま手洗ってないかも」

「おまえダメダメじゃん。出直して来いよー」

「うん……その語尾、そんなに我慢できないほど気に入ってんの」

「気に入ってるよー、と言いつつもー、面白い話ができないわたしは、変わったしゃべりで、若干、置きに行ってるよー」

「普段ふつうに喋ってるじゃん」

「普段はふつうに喋る? それはフー・ダン・イット?」

「『フー・ダン・イット』……? あ、ミステリー小説でよく出てくる『フーダニット』のことか。ひと単語ずつ区切って言ったんだね」

 WHO DONE IT ?

 誰がやった?

「まあ、いいや。もう今日は好きに喋ったらいいよ」

 エセラップ禁止法撤廃。

 しかし。と塔元は思う。

 食事前に手を洗うのは、食物に触れる可能性の高い手から、体内に入るべきでない菌を落としておくという衛生管理だとして。それは最低限必要な清潔さと、とりあえず受け止めるとして。それ以外の事についてはどうなのだろう。

 日常生活の中で、『清潔』という言葉と関連付くものや行動は、以外と多い。

「それじゃあ、西ノ宮議長」

「なんだよー」

 今更過ぎるが、そのしゃべり方、疲れないのかなと思いつつ、塔元香敏は訊く。

「例えば食器洗い洗剤についてだけど、トーストを置いただけのお皿に洗剤を付けて洗う必要はあると思いますか」

「ほー」

 西ノ宮は、「よー」と言っていたときと同じ口の形で相槌を打ち、レモンサワーの入ったグラスを中指で弾いた。キンッとグラスは音を立て、氷たちの位置関係が少しだけずれた。

「そんな所に疑問を持つかよー」

「だって無駄が多すぎるじゃん。究極的には、トースト置いただけの皿なんて、乾いた布で拭いてパン屑落とせばそれで十分だと思うんだけどさ」

「パン屑落としにこだわるお前はパンク、よーへいっ」

「うるさい」

「でも、トーストみたいにお皿が汚れない料理って、結構珍しいんじゃないの、よー」

「そう。そこですよ、俺が話したいのは。『汚れ』。お皿に付いたソースとか煮汁とかご飯粒とか、一括して汚れと言うけれど、それの落とし方って、同じなはずないじゃん。銀食器使ったら専用の布で磨くけど、それ以外の食器はどんな汚れ方しててもいっしょくたってどう考えても変じゃん」

「まー、銀食器なんか普通の家じゃ使わないけどよー」

「それは、話をわかりやすくするために言っただけだよ。でも分かり易いついでにもういっこ言っとくと、俺はそういういっしょくたにされている食器を見て思うよ。多分ルールで決まってなかったら、誰もゴミの分別すらしなくなるんだろうな、って。全部いらないものは燃える燃えない関係なく『ゴミ』っていっしょくたに呼ばれんだろうなって」

「わたしはちゃんとするよー」

「え、なぜ突然自己弁護。曲里ちゃん相変わらず躊躇なくダサいことするよなぁ」

「それがわたしの売りなんだよー」

「まあ、確かに」

 塔元は静かにうなずく。

 彼は知っているのだ。どれだけ彼女がおどけた態度をとっていようとも、西ノ宮曲里という人間がものすごく良い奴だということを。隣に立っているだけで、自分の事が恥ずかしくなるくらい彼女が善良な人間だと、知っているのだ。

 塔元からしてみれば「西ノ宮は周りに気を遣わせない為に道化を演じている」し、逆に西ノ宮からしてみれば「良いヒト扱いが恥ずかしいのでアホなフリをしている」という感じだ。

 塔元のそれは信頼感とも言えるかもしれない。どんなにダサい事を言っていても、やっていても、それはただ本人がフザケているだけだし、だから、「ダサい」と直接言っても傷ついたりはしないだろう、と。

 なので気遣いはなくふたりは話す。

「君がどんだけダサいかは、とりあえず置いといて。いつも食器洗ったりする?」

「ママがね」

「じゃあたまには?」

「弟はね」

「じゃあ曲里ちゃんは?」

「お皿を汚す専・門・家ー、いぇい」

「これは、早く死語になってほしいと個人的に思っている言葉なんだけどさ。世の中には女子力ってものがあるらしいよ」

「女子力? それでエネルギー問題解決するのかよー」

「するわけなだろ」

「奈良無用ー」

「おい、エセラッパー。誤字には気を付けろ。奈良県は無用じゃない」

 昔はみやこもあったんだぞ。なんて言ってもまた話が脱線しそうだったので、それは呑み込んだ。

「だけど、エネルギー問題ってのは、流石西ノ宮議長、良い線をついてくるねぇ」

「なんだよー」

「いや、お皿を汚す専門家にはわからないかもしれないけれど、食器を洗うのって、意外なほど水を使うんだよ」

「おうー、それはわかるかもよー」

「わかるの?」

「わたしんち、お風呂にパネルが付いてるよー。使ったお湯が表示されるよー、気づけばいつも二百リットル越えちゃうよー」

「それは使いすぎだ」

 というか、二百リットルも使ったら並の湯船ならそこそこ満タンになるんじゃないだろうか。食器洗うのって、節水しているつもりでも、家族四、五人分の食器を洗うと二十リットル位すぐに使っちゃうんだよね。と言おうとしていた塔元だが、相手はその十倍使っていたのでそちらに話を合わせる事にした。

 食器の汚れ別洗い方議論はまた次回になりそうだ。

「それで、食器がなんだよー?」

「話戻すなよ」

 わざとやってんのかと思うほどの返球だ。

「もう食器でもお風呂でも何でもいいや。考えてみれば、具体例が必要ってわけでもないし――要するに俺が言いたいのは、多くのヒトが当たり前のようにやっている当たり前のことって、『それが当たり前』って理由だけで思考回路の検問スルーしすぎじゃないかということ」

「でもそれって悪いことなのかよー? 当たり前の事を当たり前にやらないで全部考えて生きるのって、簡単じゃないと思うよ」

 よー、ではなく「よ。」と西ノ宮は言った。

「悪いことか悪くないかは、それこそいっしょくたにはできないけど……場合によっては悪いことだと思うよ――例えばだけど、『エネルギー削減。資源を大切に』とか政治家が言いながら、でもその政治家の一家は五人家族で全員風呂入るたびに二百リットルのお湯使ってたとしたらどうよ、一日一トン。そんなん国を変える前に自分の生活を変えろって話じゃん」

 考えないことは必ずしも悪い事ではないけれど、それにもちろん考えたほうがいいのだけれど、考えるべき人間が考えないのは悪いことだろう。

 酒飲みの場。一見騒いでいるだけの男女でも、なかなか深い内容の話になることはままある。しかし、本人たちの意識としては、ただ不満を漏らしたり、楽しく話し込んでいるだけなのだけど。

「そんなやついるかよー」

「いやいや変な奴っているもんだよ……君みたいに」

「わたしのどこが変なのよー、よー」

「自覚していない時点で変」

「人《1》の世《4》虚《67年》しい応仁の乱。以後《15》奴《82年》を見た者はいない……本能寺の変っ」

「待って、何そのかっこいい語呂合わせ。本能寺の変と言えば『イチゴパンツ』だと思ってたわ」

「クールジャパンのヘンタイボーイ、へーいよー」

「なんだそのムカつく和製英語」

 テキトウなタイミングで、西ノ宮はまた、レモンサワーのグラスをキンッと弾く。

 それを見て、塔元は中ジョッキに半分ほど残っている生ビールを一気に喉へ流し込んだ。西ノ宮のレモンサワーも、同じく半分ほど残っていたが、彼は「そろそろ行くか」と言う。

「よー、そろそろ潮時、時間は宵闇丑三つ時」

「丑三つ時にはまだ三時間十五分くらい早い」

「酔ってるよー」

「さて、帰ろうぜ」

 塔元はいつも、西ノ宮がグラスを二回弾いたら、帰りを促すことに決めていた。彼女は、飲めなくなってくると、手持ちぶさたな手でグラスを弾く癖がある。

 こうして非公式組織『不満検討委員会』の不定期活動『不満検討会議』は、特に結論を出さずに終結する。

 結論が出るのは時々だ。

 そもそも簡単に結論なんて出せてしまうなら不満なんて抱かないだろう。解決しないから満たされないのだ。

「じゃ、会計――」

「わたしが払うよー」

「どうした……その心は?」

「宝くじで三億円当たった」

「うそぉおおおおお」

「うっそぴょーん」

「うそかよ」

「香敏ん。どうしてヒトは嘘を付くのかな」

「ほう、次回はそれについて考えてみるかい、曲里ちゃん」

 覚えていればね。

 




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― 新着の感想 ―
[一言] 良いコ《15》と初《82》体験とかいうセクハラをかます教師がいるとかいないとか
2016/05/08 14:19 退会済み
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