森紫の選択
第4章 何が最善か
某日、夕刻、某所にて…。
そこは四角いつくりの部屋だった。 南向きの窓を背に東側と西側の壁にたくさんの造り付けの書棚があり、娯楽用の本から難しい記録書までが積み上げられていた。
出入り口の両開きの戸の脇には、季節外れの紫陽花が見事に生けられていて風雅を装っていた。
窓に背を向ける形で広く重厚な机と、籐の漆塗りの椅子に腰掛け、机の上の書簡と睨めっこしている人物がいた。
年のせいか、白髪が混じった藍色の髪を後頭部で纏め、深いしわの刻まれた目尻の凝りを、男性らしい分厚い手で揉み解している。
初老の紳士はふと顔を上げ、天井の一点を見つめ口を開く。
「入ってきなさい、玖羅」
天井の隅の升目が動いて、鮮やかな橙色の髪の背の高青年が飛び降りてきた。
「ただいま戻りました」
低く響く声。 あまやかな余韻を残すその声はとても心地いい。
「それで何か収穫はあったか?」
初老の紳士は興味なさげに書面に目を落としながら、その耳は声のほうに集中している。
玖羅は片膝をつき、敬礼をしたまま言う。
「中央宮の『鴉』と『梟』が動いています。 皇后様の容態が思わしくないようで。 『梟』が夜通し見張っていて、入れません。
『鴉』は解せない動きを見せたきり、中央宮で守りを固めています」
「ほぅ? 解せない動きとは?」
『鴉』も『梟』どちらも皇帝と皇后の直轄特別機関で、『鴉』は皇帝の、『梟』は皇后の直属暗躍機関みたいなものだ。
「『鴉』の解せない動きとは?」
「筆圭で農家の夫婦をなぶり殺しした後、皇帝の身元に報告に向かっております……」
紳士は書面からやっと目を上げ、何事かというような目で玖羅を見た。
「なんだ? 妙に歯切れが悪いな……? 何かあるのか?」
跪いたままの玖羅と紳士が視線を交える。
「私は幼かったから、あまり覚えていないのですが。 様は十二年前の話をしてくださったことがありますよね? 確かある貴族の方を領内に入れ、かくまったとか…」
「あぁ、彼の者のことか。それで彼が何だと?」
「その…殺された者の男の名が一緒なんです。 さらに筆圭の事件はもみ消されました。 お耳に入っていませんか?」
「役所では報告があがってきておらんな。あの地方は中央に息のある樹家のものが担当しておったろう。
女性ながらに気骨がある。 現当主よりよほどしっかりしたのがな?」
「はい…。 しかし今回は元当主の意向で樹家はこの事件に関わらぬと決めたようです」
「ふぉっふぉっふぉ…樹家の野良姫が、手も足もでんとはさぞ歯がゆかろうのぉ」
玖羅の顔が少し苦いものになった。
それはまるで、言おうか言うまいか悩んでいるようにも見える顔だ。
「ほかに報告していないことがあるな? 申してみよ」
「はっ、実はその農家の夫妻には一人娘がおりまして、これが亡くなった男性にそっくりで、かなりの知識人だとか…。
養護施設に行くのも嫌がり、一人両親が亡くなった家で、暮らしているとか」
「ふむ」と光悦は唸ってから宙を見据え、にたりと笑った。
「その娘、私の養女にするといったら、玖羅お前はどうする?」
「……拒否権など私にありません。主殿の御心のままに」
玖羅はただただ頭を垂れるだけであった。