外科病棟は、B棟へ移りました
ボタンは、かけ間違うとヤバい。
親戚中に、激震が走った。
三男の嫁が、反旗を翻したのだ。
男三人の妻は、それぞれ、その役目を分担し、まあまあ上手くいってたはずだった。
最初に、同居した長男は、10年節を唱え、10年同居した。
次の10年は、次男が。
そして今、三男夫婦が5年目に、入っていた。
父親は、とうに無く、未亡人の母親が長生きしていた。
よりによって、胃ガンが、わかったのだ。
年齢もあって、切除すれば、転移も無く、事なきを得そうだったが。
ホッとしたのも束の間、二番目の兄嫁が、やってくれた。
「一緒にいて、気がつかなかったの⁉️」
ドッカ〜〜〜〜ン‼️
地雷を踏むところか、スカッドミサイルをぶちかましたのだ。
三男の嫁は、泣き崩れ、実家に帰ってしまった。
もちろん、三男も一番小さい従兄弟のマナちゃんもだ。
言っちゃった本人は、悪気がないのが、不味い。
聞いただけよ?気がつかなかったのって、それだけなのだが…取り返しがつかない。
残された大人達は、ため息をつくしかない。
子供が、小さくて仕事をしてないのは、三男の嫁だけで、後は、家のローンや子供の学費で、共働きだった。
で、長男の息子で大学生だった俺に、白羽の矢は、刺さった。
おばあちゃんの面倒を見るのだ。
ほとんど、看護士が、するから、見守りと、話相手だと、丸め込まれ、大学病院に、蹴り出された。
「大丈夫よ。土日には休めるし、内定が決まってる四年生なんでしょう。」
一言多い次男嫁は、この後、旦那に、口を開くなと、怒鳴られた。
どのみち、またやらかすだろうけど。
俺は、三男の嫁さんより、図太く、パチンコ玉があったぐらいのダメージで済んだ。
手術自体は、まあまあ、普通。
てか、術後の日々に、比べれば、春爛漫の宴だった。
とにかく、食べられない事に、文句を言う。
食べちゃいけないけど、目が卑しい。
85歳の婆さんが、こんなに食い物に固執するなんて、聞いてないよ。
胃を3分の2切ったんだから、そもそも食べられないし、消化出来ないだろうに。
手術の三日後には、うなぎをくわせろって、騒いだ。
甘い長男のオヤジだが、流石に、頭にきたらしい。
「腹に、穴があいて、腸が出てくるぞ。」
笑えるが、言い合っている本人同士は、真剣だ。
2人部屋から、4人部屋に、移る頃には、落ち着いたし、実際、量は食べられなかった。
それよりビックリしたのは、この婆さんが、入院前は、俺より食ってた事だ。
テレビを見ながら、話しているのを聞いてると、1日がわかる。
まず、朝ごはん、これは普通。
で、10時にお茶って名前の羊羹か煎餅をしこたま食う。
からの昼ごはんを、普通に。
この時点で、もうヤバい。
3時の、オヤツは、ケーキかプリンか、果物らしい。
で、5時にお茶と珍味を食い、夕飯になだれ込む〜〜‼︎
で、食後のお茶してからの、寝る前に、なんかを食う。
内緒だよと言って、布団の中でもお菓子を食べていたってのには、呆れてしまった。
まるっきり、ご飯の方がオヤツみたいだ。
実体化された等身大の婆さんは、胃ガン意外のガンなら、大腸ガンだな、と、思われるぐらい、何せ食いまくっていたようだ。
泣き言を言いたいぐらい、今は食えないし、味付けも、淡白だ。
4人部屋は、中々賑やかで、まあまあ気がまぎれる。
飯の介護はいらないから、俺は食堂へ食いに行く。
ここの食堂は、うまかった。
ラーメンも豚骨があるし、サラダはバイキング形式で、トマト好きの俺には、ランチが楽しみだった。
が、帰るのが、辛い。
食堂を出ると、匂いが鼻につく。
せっかく食べた物が、薬臭い塊に変わってしまうのだ。
消毒液の中の病人の暮らしが襲ってくる。
オヤジに泣きつき、見舞いは、1日中から、午後の3時からに、してもらった。
もう、トイレも自由に行けたし、女ばかりの病室に、若い男の俺がいる違和感も減る。
みんな、午前中はユッタリできるだろう。
この大学病院は、デカイし古い。
その上、建増し建増しで迷路になっている。
渡り廊下なんか、中学以来だ。
地下のボイラー室前を通らないと、駐車場には、でられない。
で、中途半端なエレベーターが、何基もある。
一階から三階までや、五階から屋上までや、地下2階に行くのに、別棟のエレベーターに乗らなくちゃいけない。
診察室自体は、新しい棟に、集約されているので、外来は便利だが、病室や手術室に、シワ寄せが来ているのだ。
婆さんのいる棟は、まあ、古い。
ダンジョンを攻略するように、エレベーターや階段を駆使して、今や最短で、たどりつけるようになった。
だが気をぬくと、罠にはまる。
いくら内定の決まった四年とはいえ、学校に行かなくちゃならない時がある。
まあ、彼女がいないから、デートなんかは、ないが。
久々会った仲間の咲世子に、医学科の匂いがするって、鼻にシワをつくられた。
「エッエッ、死臭がするって。」
慎二が、からかう。
「消毒液の匂いが取れないんだよ。」
染み付くって事はこういう事だ。
みんなには、言わなかったが、外科病棟は、リアルだ。
まあ大人は、いい。
小児外科が、嫌だ。
手や足に包帯をして、点滴に繋がれた、子供。
まさに、檻!って、感じの柵付きベットの中で、泣く幼児。
松葉杖の女の子。
頭も顔もぐるぐる巻きの子供。
古いし暗いし、病が悪くなりそうなトコに、子供を入れるなって、言いたいぐらいだ。
つねに蛍光灯がチカチカし、奥は、本気で脅かすくらい暗い。
青白い母親が、グッタリした子を抱いて歩き回ってたりする。
怪談噺が、作り物なのが、むしろホッとする。
大体、ばあちゃんの病室だって、切ったり貼ったりした人ばかりだ。
平均70歳の病室に、腹を切られた女の人達が、4人として、ザッと、10室は、あるはず。
ゾッとしながら、大学を後にし、午後からのお見舞いに向かう。
週5日の通勤。
慣れた電車、慣れた道。
ばあちゃんの退院も決まったし、明日は土曜日なので、もう来る事はない。
外来を抜け、いつもの道順をたどる。
壁が出た。
迷うほど歩いてはいない。
が、いけないのは、明白。
ついに、外来受付に、行く。
ばあちゃんの名と病室の番号を言うと、ニッコリと微笑んでくれた。
「外来はA棟ですので、外科病棟は、B棟になります。」
見取り図のパンフレットを渡された。
そこには、A,B,Cの3つの病棟が、それぞれ一階、三階、六階、九階で、繋がって建っている、真新しい病院の写真と見取り図が、デカデカと描かれていた。
近代的な病院の未来図を見るようだったが、それが今の現実だと気付いた時、俺はそのまま玄関を目指した。
2度とこの病院には来ないと、誓いながら。
今は、ここまで。