表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/39

絶望の世界

第4話です。


 「今だッ撃て!!」

 騎士タカラの号令に合わせ悪鬼の前後左右から兵士達が魔法弾を放つ。

 ドドンッドンドンッ

 魔法弾を受けて悪鬼の動きが止まる。

 だがどんなに攻撃を与えても悪鬼の傷は瞬く間に治っていく。

 グルオオオ

 悪鬼が吠えると額の角から光を放つ。

「くるぞ!総員ぼう・・ぎ・ょ・・」

 光を受けたタカラ達の動きがまるでスローモーションのように鈍くなる。

 この悪鬼の放つ光には人間の動きだけを鈍化させる力がある。初撃を受けた時はあわや全滅かという状況に陥ったが、今回は前衛が盾を構え光を防ぎその影に後衛を隠した。

 悪鬼の放つ鈍化光線は連続で放つ事が出来ない事は既に分かっている。

「いくぞ!」

 前衛の影から2人の少年が飛び出す。

「いけーッ」

「勇者様ーッ」

 悪鬼との戦いを遠巻きに見守っているギャラリーから歓声が上がる。




 勇者。

 エレクシア聖王国に伝わる伝説の存在。世界を滅ぼすという邪神から世界を救う者。誰もが知っているおとぎ話。その勇者は今人々の目の前にいる。

 突如として現れた人間の天敵、101体の悪鬼。世界中に飛び散っていった悪鬼達は力を取り戻す為身を潜めている。が、中には既に動き出しているものもいる。今彼らが対峙している悪鬼もその一体である。



 ラの国のタリアシティを襲った悪鬼を勇者が討伐したと言う話は既に聖王国中に知れ渡っていた。現地には連日マスコミが殺到し復興の妨げをしていた。もちろん執拗な取材攻勢には理由がある。それは聖王国の王女アズサの存在である。彼女は元々特別な祭事にしか姿を見せなかった為詳しく知る者がいなかった。そんな王女が勇者を率いて人間の敵悪鬼と戦う、こんなセンセーショナルなものを放っておくはずもなかった。

 今もテレビで生中継されているなか、一足先に飛び出した少年が悪鬼の注意を引く。その後方の少年が両手に持ったナイフを振り回す。

 当然当たるワケがない。悪鬼との距離は相当に離れている。だが悪鬼の体が切り裂け黒い霧を吹きだした。

 悪鬼には通常の攻撃は効かない。現に兵士達の放った魔法弾は効果がなかったが少年の不可思議な攻撃は悪鬼にダメージを与えている。それこそが勇者の力なのだ。

 光の勇者ラフィート。彼の力は距離を無効とする。故にどんなに離れていようともその刃は悪鬼を捉える事が出来るのだ。

 ビキッとラフィートの持つ2本のナイフが砕ける。すかさず新しいナイフに持ち替えようとするが、その隙を狙って悪鬼が反撃に転じようとする。

「ちぃッ」

 悪鬼の足元でもう一人の少年が舌打ちをしつつ右手を地面につける。すると地を割って木の根が悪鬼の足に絡みつき動きを封じる。

 獣の勇者レキア。彼の力は生物を意のままに操る。動物、植物に関わらずに生きとし生けるもの全てが彼の武器なのだ。

「援護射撃!撃てッ」

 鈍化効果が切れたタカラ達が再び魔導器を起動させて魔法弾を放つ。

 エレクシア聖王国の人々は世界に満ちる魔力を用いて魔法を使う事が出来る。だがその威力には個人差があり使う場所、天候や時間帯などで変動する。それを均一化させ誰でもいつでも同じ力を使えるようにしたのが魔導器である。ライターなどの生活用品、自動車や鉄道などの交通機関、発電所などのライフライン、そして兵器、と用途に応じて様々な魔導器が開発された。

 魔法弾の直撃を受けて悪鬼が怯む。

「今だラフィート!奴の角を狙えッ」

 タカラが叫ぶ。ラフィートはナイフを一旦手放すと懐から『筋力UP』と書かれた一枚の札を取りだす。

増強ビルドッ」

 と、呟き腰に下げたショートソードを抜く。

 ググッと柄を握る手に力を込める。

「相手の動きをよく見て、目を離さずに、腰を落として・・・」

 タカラから教わった事を口の中で反芻しながら悪鬼の角に狙いを定める。

「いっけぇぇぇッディメンション・エェェッジ!!」

 その場で力の限りにショートソードを振り抜く。

 斬ッ!!

 確かな手ごたえと同時にショートソードが砕ける。

 ギャオオオオオッ

 角を切り落とされた悪鬼が悲鳴を上げる。

「す、すごい」

 カメラを回す記者達が驚きの声を漏らす。

 野次馬達の歓声に紛れて一人の女性が声を上げる。

「いいぞーラフィートくん、レキアも負けんなよーッ」

 女性の嬉々とした声にラフィートの表情が曇る。

「ハルカの奴、後で札代請求する気満々だな。やっぱまけてくれないんだろうなぁ」

 今ラフィートが使った札はハルカと呼んだ女性の固有能力、インスタントパワーである。



 固有能力とは人が持つ特殊能力である。その力は魔法と違って個人ごとに異なりそれを生活の糧として使っている者もいる。



 ハルカの固有能力インスタントパワーは札に書かれた能力を180秒間パワーアップさせるという力である。ただし、ハルカ本人と機械などの無機物に対しては効果がない。彼女は固有能力を商品として扱っていたが、不特定多数に委ねる事の危険性を目の当たりにして考えを改め、彼女が責任をもって必要な者にのみ与える事(有料)にしたのだった。

 

 ラフィートは涙目を堪えて悪鬼に向き直る。悪鬼の足元ではレキアが攻撃を続けていた。

「やばいッおいしい所をレキアに持ってかれる。せめて止めを刺さないと割に合わねえ」

 幸いインスタントパワーはまだ数枚残っている。地面に落ちたナイフに手を向けて、「来いッ」と念じるとスゥッとナイフが浮き上がりラフィートの手の中に納まる。

 ラフィートの固有能力は離れた物を引き寄せる事が出来る。ただし目に見えている範囲の物で自分が実際に持つ事の出来る重さの物に限るのだが。

「いっけぇぇぇッディメンチョムエヂッ」

 噛んだ。思いっきし噛んだ。全国にテレビ中継されている中で噛んでしまった。

「~~~ッ」

 しかも攻撃も外しインスタントパワーも切れた。ラフィートは顔を真っ赤にして立ち尽くす。

「バカがッ長ったらしい名前なんかを付けるからだ」

 醜態をさらしたラフィートを一瞥してレキアが呟く。

「名前なんて短く分かりやすくていいんだ」

 レキアは右手に獣の爪を纏うと悪鬼に切りつける。

「くらえッ獣の爪!」

「お前はもっと捻れー」

 すかさずハルカがツッコミを入れるとギャラリーからドッと笑いが起こる。

「ぐぬ、ハルカめ」

 赤面しつつも渾身の一撃で悪鬼に止めを刺す。断末魔の叫びを上げ霧散した悪鬼の一部がレキアの勇者のオーブに吸い込まれていく。



 勇者のオーブとはそれを持つ者こそが勇者である事の証であり勇者の力の源である。かつて悪鬼によって滅ぼされた失われた文明の遺志が込められたオーブには不死身の悪鬼を封印する力がある。これが勇者でなければ悪鬼を倒す事が出来ない理由であった。



 わあああっと歓声を上げる人々が、すげぇすげぇっと口にする。

 悪鬼との戦いの一部始終が生中継された事で勇者と悪鬼の存在は白日のものとなった。それがどの様な混乱を招くことになるのかはまだ誰にも分からなかった。

「みんな、おつかれさまー。うんうん、お姉さんも応援したかいがあったってもんね」

 戦い終わった男達をホクホク顔のハルカが使用済みの札を数えながらねぎらう。

「お前は、ったくしょうがねえな」

 呆れた顔でレキアがため息を吐く。

「しょうがないのはあんたでしょレキア。あんただけよお札使わなかったのは」

 ジト目でお札をパシパシと叩きながらハルカが詰め寄る。

「いや、今月はもう先立つものが・・・」

「なぁんだそんな事、フフッいつもみたいに分割でもいいのよ?」

 悪魔の如き囁きに、やめてくれっと耳を塞ぐ。

「お前達、今の戦い方はなんだ。めちゃくちゃじゃないか」

 早速タカラのダメ出しが入る。

「特にラフィート、あれだけ油断するなと言っておいたのに腑抜けたマネをしおって。しかも無駄撃ちが多かったぞ。あれではいくら武器を用意しても足りなくなるだろうが」

 ラフィートは反論できず、ううっと唸っている。

 ラフィートの勇者能力である距離無効は普通の武器では耐えきれずに壊れてしまうのだ。その為常に数本のナイフを用意している。もちろんこれも小遣いから引かれているのだ。(涙)

「ところで姫は?さっきから姿が見えないけど」

 みんなが周りをキョロキョロと見渡すと少し離れた所に人垣ができていた。どうやらアズサ姫に野次馬達が群がっているようだ。タカラは兵士達に合図を送り、アズサを助け出させた。

「大丈夫?姫ちゃん」

 ハルカが声をかけるとアズサはニコニコと微笑んで、はいっと答える。



 聖王エレクシニアスの十人目の子供であるアズサは長兄のシユウ、三男のイツキと同じく正妃ミズキを母に持つ。アズサには彼女だけが持つ特別な固有能力がある。

 『神眼』と呼ばれる人には見る事の出来ないモノを視る事が出来る力。同じ能力に『心眼』があるが、神眼はその上位能力である。この世のすべて、人の心や考えている事も視通してしまう為にその力を恐れられて幼い頃から蜃気楼の館に住む月の民のもとに隔離されてきた。


 災厄が来る。6人の勇者を集めよ。


 月の民から使命を受けたアズサはその言葉から勇者伝説を連想した。そして伝説を頼りに勇者を探し始めた。だがはやるアズサは周囲の反対を押し切って何かに導かれるかのように伝説に語られる決戦の地、マの国へ向かうがそこでアズサを待っていたのは勇者ではなく失われた文明の遺言、人類の敵101体の悪鬼への警告だったのだ。




「姫様ー、目線下さーい」

 カメラマンの要求に応えて手を振るアズサを遮る様にタカラが前に立つ。

「取材なら後日正式な手続きを済ませてからにしてもらおうか」

「は、はい、すみません」

 記者達はタカラに睨まれていそいそと引き上げていく。

 やれやれとため息を吐くタカラ。そんな彼に、「いつもありがとう」っとアズサが礼を言う。

「そんな、滅相もございません」

 頭を下げたタカラはアズサの傍にいる少年に気付く。

「姫様、そちらの少年は?」

 ビクッと体を震わしてアズサの後ろに隠れようとする少年の背を押してみんなの前に歩み出る。

「みなさん悪鬼との戦いお疲れさまでした。突発的な遭遇でしたが無事封印する事ができました。これも全員が力を合わせる事ができたからだと思います。ありがとうございました」

 お辞儀をするアズサに全員が慌てて頭を下げる。

「そしてこちらは3人目の勇者、機の勇者のキョーマさんです」

 アズサに紹介されて、おずおずと少年が頭を下げる。

「ど、どうも・・・キョーマ、です」

 あぁどもっとラフィート達もあいさつをしてからの微妙な沈黙。

「・・・え?ぅえええっ!!」

 全員が驚愕の声を上げる。

「この子が勇者って、どういう事?姫ちゃん」

 ハルカがキョーマの事を尋ねるとアズサは笑って頷く。

「先ほど偶然そこでお会いしまして、ビビッときちゃいました」

「ビビッとって姫ちゃんっ」

 さすがのハルカもアズサの天然っぷりには困惑せざるを得ない。

「そう、彼は想いを紡ぐ者・・・」

 遠い目をして呟くアズサを慌てて止める。

「いやいやいや」

「ちょ、待って」

「ストップ、姫ちゃんストーップ」

「はい?なんでしょう」

 キョトンとしているアズサは首を傾げる。

「なんでもうシメようとしてんのよ、ちゃんと説明しなさい」

 うんうんっと頷く一同に、アズサは手を頬に当てて、うーんっと考えてキョーマの方を見る。

「でもキョーマさんは勇者のオーブをお持ちになってますから間違いはないと思いますよ」

 キョーマはアズサに促されるまま勇者のオーブを見せる。

「本物?マジで」

 自分のオーブとを見比べるラフィート達にアズサはニッコリと微笑む。

「みなさん、仲良くしてあげて下さいね」

「はいっ僕、姫さまの為に頑張ります!」

 目を輝かせてキョーマはアズサの手を両手で握る。

「ええ、これから一緒に頑張りましょうね」

(!?あ、あいつッ姫の手を)

 狼狽するラフィートをチラッと見てキョーマはフッと口元を歪める。

「姫様、よろしいですか?」

 タカラに呼ばれたアズサがその場を離れると、キョーマは名残惜しそうにアズサの後ろ姿を見つめている。

「俺はラフィート、同じ勇者としてこれからよろしくなキョーマ」

 アズサを目で追い続けているキョーマにラフィートが手を差し出すがキョーマは一瞥すると、チッと舌打ちする。

「は?なんでよろしくしなきゃいけないんですか。姫さまを守る勇者は僕だけで十分ですよ」

「・・・へ?」

「ああ、それにしても姫さまの愛らしさはまさに天使。あの方こそ聖王国の至宝」

 キョーマはうっとりとした目でアズサを見つめている。

「あれ?今・・・いや、聞き違いか」

 ラフィートは仕方なしに宙に浮かせた手をそっと引っ込める。

「君が3人目の勇者かぁ、よろしくね。あたしはハルカ、でこっちはレキアね」

 レキアの腕を引っ張ってきたハルカがキョーマに声をかける。するとキョーマは満面の笑顔でレキアに飛びつく。

「はいっ、よろしくお願いします。レキア兄さん」

「に、兄さん?」

 いきなり兄と呼ばれて珍しくレキアがたじろぐ。

「さっきのレキア兄さんの戦い方、すごくかっこよかったです。僕、とても感動しました。僕もレキア兄さんの様な勇者になりたいんです。だからぜひ、兄さんと呼ばせてください」

「良かったじゃないレキア、新しい弟分ができて。二ヒヒ」

 面白がっているハルカだったが、キョーマはハルカにも笑顔を向ける。

「ハルカ姉さんもよろしくお願いしますッ」

「ね、姉さん?」

 ハルカはレキアとまったく同じ反応をしてしまう。

「はい、レキア兄さんの彼女さんなら僕にとっても姉さんと同じです。ぜひ姉さんと呼ばせてください」

「か、彼女ぉぉ!?」

 レキアとハルカが声をハモらせる。

「い、いや、俺達はまだそういうんじゃなくて」

 そう言いつつも心なしかどこか嬉しそうなレキアだった。

「そうそう、全然そういう関係じゃないから」

――ハルカのこうげき レキアに10のダメージ

「えー、お二人はとってもお似合いなのになあ」

――キョーマのえんご レキアは5かいふくした

「ないない。こいつは弟みたいなもんだから」

――ハルカのこうげき つうこんのいちげき レキアに15のダメージ

 ぐふッと膝をつくレキア。

「もうやめてあげて、レキアのHPが0になっちゃうからッ」

「そっかあ、まあいいや。それでも姉さんと呼ばせて下さいね」

 屈託なく笑うキョーマを見てさっきのはやっぱり聞き違いだったんだろうとラフィートはもう一度手を差し出す。

「まあ、これからよろしくなキョーマ。俺の事もラフィート兄さんって呼んでくれて良いぜ」

「・・・あーはいはい」

 キョーマはラフィートに目もくれず適当に相づちを打つ。ラフィートは空しく宙に浮かせた手を引っ込めざるをえなかった。

「みなさーん、そろそろ行きますよ」

 向こうでアズサが手を振っている。キョーマはパァっと表情を明るくすると一目散にアズサのもとへ駆け出す。

「あたし達もいこっか、レキア兄さん」

 ぷくくっと笑うハルカに、どうでもいいさっとレキアは答える。

 一人残されたラフィートは「俺にだけ態度違くね?」っと呟くのだった。

 






 ラの国の中心部と東部を結ぶ町ノウスバレー。南北に走る大渓谷によって分断されたこの町は長らく過疎っていたがユノハナの町の再開発を計画したムラサトコーポレーションによって渓谷に鉄橋が架けられた事で中央都市セントラルとの交通が容易になり今では東部へのターミナルステーションとして重要な拠点となっている。



 タリアシティやユノハナの町を襲った悪鬼の影響で鉄道は暫く運休していたがようやく再開される事になりノウスバレーも活気が戻りつつあった。

 アズサ達勇者一行も鉄道の運転再開に合わせてノウスバレーを訪れていたがそこで先程の悪鬼と遭遇したのである。



 戦いを終えた勇者達は夕食をとる為、町の食堂に入る。

 食堂の中では既に勇者達の勝利を祝って酒盛りが始まっていた。壁に掛けられた魔導テレビでは緊急特番の放送が始まり先程の戦いの解説がされている。どうやって調べたのか勇者達のプロフィールなどが紹介されているが人々の興味はもっぱらアズサの事だった。


⦅いやーそれにしても大変な事になりましたねイケナミさん⦆

⦅そうですねぇ。タリアシティーが悪鬼に襲われる前にアズサさまが警告をされていたそうですが、その時の市長達は耳を貸さなかったそうです。まったく、どういうつもりだったのでしょうね。アズサさまが身を挺して救って下さったからこそ最悪の事態にだけはならなかったそうです。思えば4か月前、突然勇者の選考が行われたのはこの事が予見されていたからだったんですね⦆

⦅そうなんですか、ではもう一度アズサさまのインタビューをご覧ください⦆


 画面にアズサが映ると、わぁっと歓声が上がる。

「我らの姫殿下に乾杯ッ」

「聖王国に栄光を」

「ついでに勇者達にもカンパーイッ」

 ウェイトレスに案内されながら酔っ払い達の横をラフィート達は苦笑いしつつ通り抜ける。

「俺らはついでかよ」

「姫ちゃんと比べたらそりゃあね」

 ラフィート達は店の一番奥、他の客から死角になる席へ通される。そこにはアズサとタカラ、それとキョーマが席に着いていた。

「おう来たか、こっちはもう始めてるぞ」

 タカラがラフィート達を呼ぶ。テーブルには既にいくつかの料理が並んでいる。

「んだよ、酒じゃねえのか」

「あんたは未成年でしょうが」

 席に着きながら愚痴るレキアのおでこをハルカが小突く。

「みなさん揃いましたね。では改めて今日はお疲れさまでした。タカラとハルカさん以外は未成年なのでお酒はいただけませんがご容赦くださいね」

 微笑むアズサにレキアはばつが悪そうに頬をかく。その間にも次々に料理が運ばれてくる。

「ではこれからの事を説明するぞ。食べながらで良いから聞いてくれ」

 タカラが話を進めようとしたがハルカが、ハイハーイっと手を上げて遮る。

「ハルカ殿、どうかしたか?」

「あたしもギリ未成年でーす」

 え?っと全員がハルカを見る。

「はあ?お前この前二十歳なったって言ってただろ、なにいってぅ」

 ハルカの肘がレキアを黙らせる。

「今年で二十歳になるんですぅ。まだ19歳でっすぅ」

 そう言いながら注がれた酒をグビッと飲み干す。

「酒飲んでんじゃねぇかッ」

 ツッコミを入れるレキアをペチぺチと叩きながら、「カタい事言わないの」っとアハハっと笑う。

「あー、話を戻すぞ。これからの事だが」

 ハルカ達のやり取りをため息交じりに聞き流してタカラが話を進める。

「明日は鉄道の運行再開の日であってかなりの混雑が予想される。我々としてもいち早く中央都市へ向かいたいところだが、まずは各種物資、関係者らの搬送を優先すべきだと姫様は仰られている。なので我々は明日の午後の便で中央都市へ向かう事にする。それでも夕方には中央都市に到着できるだろう」

「そうか、やっと中央都市に着くのか。最初から電車が使えればもっと早かったのにな」

 肉を頬張りながらぼやくラフィート。その隣でハルカがアズサのグラスに飲み物を注いでいる。

「フフフッそうですね、でも中央都市まで行けばようやく一段落です。がんばりましょうね」

 アズサのポワポワした雰囲気に見惚れながらラフィートは同じくアズサに見惚れていたキョーマに話しかける。

「そう言えばキョーマ、お前ってどんな能力持ってんの?」

 とたんにキョーマの表情が曇る。

「ええっと・・・」

 口ごもるキョーマに代わってニコニコと微笑みながらタカラにお酌していたアズサが説明する。

「キョーマさんの勇者能力ちからは物体を組み直して別の物に作り変えるものですよ」

「えっそうなんですか?」

 何故かキョーマ本人が驚いている。それもそのはず、キョーマはまだ自分の勇者能力を理解していなかった。

「お前、自分の力の事分かってなかったのか?」

 ハルカの酒に手を伸ばそうとして、ピシッと手を叩かれるレキア。

「は、はい。いきなりすぎてどうすればいいのか分からなくて」

「そうか?俺は最初っから分っていたぜ。ラフィートお前もそうだったんだろ」

「うーん、まあそうだな。体が勝手に動いたって感じだったけど」

 あの時の事を思い出してみるとアズサを守りたくて無我夢中だった。だからレキアの様に力の使い方を理解していた訳ではない。

「実際に使ってみればすぐに分かるさ。そうだな、このスプーンで試してみろよ」

 そう言ってレキアはキョーマにスプーンを手渡す。

「や、やってみます。うーんと・・・」

 スプーンを受け取るとキョーマは目を瞑って力を込めてみる。

 一瞬スプーンが光った気がした。気がしただけだった。スプーンには何の変化も起こらない。

「あの・・・どうやれば?」

 成り行きを見守っていたラフィート達がガクッと肩を落とす。

「そもそも別の物に変えるってどういう事?」

「そりゃあ、そのまんまの意味だろ」

 レキアがスプーンを持ちぐにぐにと弄る。

「ここがこうなって、こっちががこうなって・・・で、こうなるっと」

「いやそれだと変形じゃね?もっとこう、スプーンとフォークがこうなってとかってんじゃあ」

 ラフィートがスプーンとフォークをカチカチと合わせる。

「おいおい、それじゃあ合体だろうが」

「変形合体はロマンだと思いますけど、そうじゃなくてですね」

 ため息交じりにキョーマが二人にツッコミを入れる。

「そうだ、こういう時こそ姫に助言をしてもらおう」

 うんうんっと少年達は頷きアズサを見る。

「はひ?どうかしまひらら」


 ・・・


「酔っぱらってる!?」

 頬を桃色に上気させ恍惚とした表情をしたアズサを見て思わず全員が声を上げる。

「ちょっ、ハルカ、なんで姫に酒を飲ませてんのッ」

 アズサのグラスに酒を注ぎ足そうとするハルカを慌てて止める。

「えー、いいじゃない。カタい事言わないの」

「ちっとも良くない。姫を酔わせてどうする気だよ」

「ウフフ、大丈夫れすよ。この程度では酔ったりしませんにゃあ」

(にゃあって・・・)

「カワイイけど、酔ってる。思いっきし酔ってるから」

 ラフィートがアズサの手からグラスを奪い取るとアズサは、あぁんっと名残惜しそうに吐息を吐く。

「はうぅ、ラフィートさんはイジワルですぅ」

「タカラのおっさん、なんで止めなかったんだよ」

 アズサをなだめつつタカラを見るとタカラは注がれた酒をちびちびと飲んでいた。

「姫様に酌をしていただけるなど私はなんと果報者である事か。かつてこれ程までに美味い酒があったであろうか、否、断じて否ッうおおおーん」

「・・・そんな泣きながら飲まんでも。おっさんも酔ってんのかと」

「ラフィートさぁん」

「おぅわッひ、姫?」

 アズサにすがりつかれてラフィートは体を硬直させる。

「私ぃもう少し飲みたいにゃあ。ね、もうひと口らけ」

 ラフィートに取り上げられたグラスを取り戻そうとアズサが手を伸ばしてくる。っと、不意にアズサがバランスを崩してラフィートの胸に抱きつく形になる。

「わお、姫ちゃんったらダ・イ・タ・ンッ」

 ハルカに茶化されてサーッと一気に酔いの醒めたアズサが顔を真っ赤に染める。

「あ、あああの、わ私・・・酔っていたみたいです。ごめんなさい」

 その潤んだ瞳に見つめられて思わずアズサの華奢な体を抱きしめたくなる衝動に駆られる。

「ちょっ、なにしてるんですかッ」

 キョーマの悲鳴のような声に合わせて弾かれるように二人は体を離す。

「あっ・・・やっぱり」

 二人を見てキョーマは小さく声を漏らすと、ギリッと奥歯を噛む。

「ぼ、僕・・・先に失礼します」

 そう言い残してキョーマは逃げる様に店を出て行った。

「どうしたんだあいつ?」

 声をかける間もなく出て行ってしまったキョーマを見送ってふと、アズサの方を見るとハルカがアズサにグラスを手渡していた。

「ハイ姫ちゃん、お水」

「あ、ありがとうございます」

「ちょっと待てーッ」

 グラスを受け取ろうとするアズサをラフィート達が全力で止める。

「ハルカお前それ絶対酒だろッ」

 レキアにグラスをひったくられてハルカが口をとがらせる。

「あによ~ちゃんとしたただ・・の水なのにぃ」

「なんだよ、ちゃんとしたただ・・の水って・・・はい姫、こっちが本物のお水」

 ラフィートから差し出されたグラスを、ありがとうございますっとアズサは受け取る。

 この時、みんなの注意がアズサに向いているどさくさにレキアは遂に念願の酒を手に入れたのだった。

「やったぞ、よし今のうちに」

 ハルカに止められる前にレキアは一気に喉に流し込む。

 ブフゥゥゥゥッ!!

 水だった。それは本当にただの水だった。勢いよく吹きだしたレキアを見てハルカが笑い転げている。

 コクッコクっと水を飲み干したアズサが、ふぅっと一息ついてグラスを置く。

「それにしても姫、何で酒なんか飲んじゃたのさ?」

 いつものアズサらしくない失態に疑問を持ったラフィートが尋ねると、アズサは少し困った顔をして答える。

「そう、ですね。何故でしょうか、何故かお酒を飲まなければいけない気がしてしまったのです。抗う事の出来ない流れ、みたいな何か・・・言葉で説明するのは難しいのですが」

 アズサの言っている意味はよく分からなかったがほろ酔いのアズサはすごく可愛かったなぁっとラフィートは顔を緩める。

「も、もう、お願いですから今の事は忘れて下さいね」

 それを見てアズサは恥ずかしそうに赤く染めた頬に両手を当て首を左右に振る。

「そんな事よりもさ、姫ちゃんはキョーマ君の事、どう思う?」

「キョーマさんの事ですか?どうと聞かれましてもまだお会いしたばかりですし」

「二ヒヒッあの子、間違いなく姫ちゃんにラブラブよ」

「ラブラブ・・・ですか」

「うんうん、キョーマ君ずーっと姫ちゃんの事見てたもん。間違いないわ」

 首を傾げているアズサを見てハルカは目を細め、口元に手を当てながらラフィートにそっと囁く。

「ラフィート君もうかうかしてられないねぇ。恋のライバル登場ってね」

「こ、恋ぃッ」

 ラフィートは声を上げかけて思わずハルカの口を塞いでしまう。それでもハルカはニヤニヤしながらモゴモゴと何か喋っている。

「コイがどうかしました?」

「い、いや、恋・・・こい、コイ、鯉の刺身が食べたいなーなんて」

 我ながら苦しい言い訳だと思ったが、アズサは疑う事なく「そうですか?なら注文しましょうか」っと、ウェイトレスを呼ぶ。

 ラフィートがため息をつくとハルカが、「素直じゃないなぁ」と呟いている。

 さして食べたかった訳でもない鯉の刺身をつまんでいるとアズサが全員の顔を見渡して話を切り出す。

「私はキョーマさんとお会いして彼が機の勇者であると確信しました。けれど、それだけではないのです。キョーマさんからは別の何かを感じるのです」

「別の何か?」

「はい。それが何なのかは分からないのですが、とても危うい、と言いますか放っておいてはいけない感じがするのです」

「うふふん、それってつまり、こ・い」

酔っ払いおまえは黙ってろ」

 レキアはハルカを押しのけてアズサに頷いて見せる。

「姫さんが何を心配してるのかは分からんが、あいつの事は俺達も気にかけておくよ。それでいいんだろ」

「はい、どうかよろしくお願いします」

 アズサ達の話が一段落するのを待っていたのか、ウェイトレスがつついッと近寄ってきて恐る恐る話しかけてくる。

「あ、あのぉ、姫さま、少しよろしいでしょうか?」

 はい、とアズサは答えてスッと居住まいを正す。

「あの・・・サインしてくださいッ」

 ウェイトレスは恥ずかしそうにそう言って両手で持った色紙をサッとアズサの前に突き出してきた。アズサがにこやかに快諾するとウェイトレスは嬉しそうにサインされた色紙を抱えて戻っていく。

 すると、それを見ていた他の客達もワアっと押し寄せてきて、あっという間にアズサのテーブルの周りに人だかりができてしまった。アズサだけでなくラフィートとレキアにも我先にと人が押し寄せしっちゃかめっちゃかになってしまう。

 こうなるともう食事などしていられない。席を立とうにもこの人だかりでは身動きも取れなかった。

 そんな中、店内の魔導テレビには次のニュースが報じられていた。

⦅最近頻発している鉄道車両失踪事件ですが、依然として犯人や犯行動機、手段などは分かっておらず現在も捜索は続けられています。捜査当局は明日の東部鉄道の運転再開を前に周辺地域に警戒を促しています。CMの後は気になる明日のお天気のコ-ナーです⦆




 アズサ達と別れたキョーマは駅前にある噴水広場のベンチに座っていた。駅では慌ただしく明日の始発の準備作業が進められている。その様子をキョーマは頬杖をついて何気なしに眺めていた。道行く人々の話題はやはりアズサや勇者たちの事でもちきりだった。アズサの名前を聞くたびにキョーマは誇らしくなる。


――見つけました。あなたが機の勇者様ですね。


「・・・そうだ。僕は姫さまに選ばれた勇者なんだ」

 アズサに見出してもらえた事に優越感に浸るも不意にラフィート達の言葉を思いだす。


「自分の力の事分かってないのか。俺は最初っから分っていたぜ」


「体が勝手に動いたって感じだった」


 勇者能力。それは勇者だけが使える超能力。


「キョーマさんの勇者能力は物体を組み直して別の物に作り変えるものです」


 アズサに教えられてもキョーマにはどうやれば使えるのか分からない。試しに足元に転がっていた空き缶を拾って、んっと力を込めてみる。

 やはり何の変化も起こらない。

「ちきしょう、なんでできないんだよ・・・」

 ラフィート達にできてどうして自分にはできないのか。この際できるできないはどうでもいい。キョーマはただアズサに失望されるのが怖かった。

「これから一緒に頑張りましょうね」

 眩しいばかりのアズサの笑顔を思い出して顔を緩めると同時に先程の光景を思い出してため息を吐く。

「あいつ、ラフィートとかいう奴、なんなんだよ。僕の姫さまにあんな事して・・・」

 だがキョーマには分かっていた事だった。でも確信はなかった。夢かもしれない、夢であってほしい。それが現実になった事でキョーマは理解した。

「これが僕の固有能力・・・」

 未来を予見する力、未来視ビジョン。これまでにも何度か見た事はあった。今日アズサと出会う事も、アズサと見知らぬ少年が抱き合う事もあらかじめ分かっていた。

 昼間ラフィートを見た時に彼がその少年だとすぐに分かった。だからラフィートをけん制してアズサから引き離そうと考えた。だが結局未来視ビジョン通りにアズサはラフィートに抱きついてしまった。

「僕の未来視ビジョンは絶対に当たる」

これはもう間違いなかった。

 だけど当たるからなんだ。それを変えられないのであれば何の意味もない。望まない未来を指をくわえてみているしかできないのか。

 くやしい。ラフィートに負けたくない。アズサを想う気持ちは誰にも負けていないはずだ。

 ドクンッ

 っと、心にドス黒い感情が生まれる。

(あいつさえ居なければ、ラフィートなんて居なくなってしまえばいい)

 そんな事を思ったとき、何かが耳元で囁いた。


――そうだ、心を解きはなて。


「え、なに?」

 声のする方へ顔を向けるがそこには誰も居ない。


――お前の思うがままに力を振るえ。


 何かが心に囁きかけてくる。キョーマは立ち上がり、キョロキョロと周りを見まわすがやはり誰も居ない。

 

――すべてはお前のものだ。

 

 キョーマは胸を押えうずくまる。

「な、んだ・・・これ、気持ち、悪い」

 

――さあ、夜海やみに溺れろ・・・

 

 キョーマが頭を抱え呻き声を漏らした時、勇者のオーブが一瞬煌めく。

『キョーマさん』

「姫さま?」

 アズサの声に顔を上げる。が誰も居ない。同時に胸の不快感も薄れていく。

「何だったんだ、今の・・・」

 ベンチに座り直し、はあっと吐息をもらす。

「あ、もうこんな時間か。戻らなきゃ」

 時計を見てふらつきながらも立ち上がると、その場から離れていった。

 そんなキョーマを忌々し気に黒いフードをかぶった男が睨む。

「チッだがまあいい。種は植え付けた」

 クカカッと笑う男の姿はスゥッと闇に溶けるように消えた。



 



 翌朝。

 部屋の外からの物音にキョーマは目を覚ます。寝ぼけまなこをこすりながら窓から外を見てみると、そこには檄を飛ばすタカラとラフィート達がいた。

「ふあぁぁ、こんな時間に何してるんだろ」

 時計を見ると6時を回ったところだった。

「いいかお前達、まっすぐ上げて、まっすぐ下ろす。それだけだ、難しい事は何もない。上げて下ろす、上げて下ろす」

 タカラの号令に合わせてラフィートとレキアが剣を振り回す。

「ラフィートッ曲がっているぞ、まっすぐ上げろ」

 応ッと返事をしたラフィートが剣を振りあげる。

「だから曲がっていると言っている。まっすぐに振れんのかッ」

 タカラが手に持った棒でバシンッとラフィートの腕を叩く。

「痛って、まっすぐまっすぐ」

 ラフィートは文句の一つも言わずに素振りを続ける。

「もっと腹に力を込めろ、腕だけで振ろうとするな。ラフィート腰が引けているぞ。背筋を伸ばせ」

「お、応ッ」 

「レキア、速さで誤魔化そうとするな。一振り一振りに集中しろ」

「チッ分かってるよ」

 レキアは舌打ちしつつ言われた通りに剣を振る。

「うあぁしごかれてるなぁ」

 そんな様子を他人事のように眺めていたキョーマだったが大きく欠伸をするともうひと眠りするために布団に潜り込むのだった。




 しばらくして。

 再び部屋の外からの物音にキョーマは目を覚ます。

「ふあぁぁ、あの人達まだやってんのかな」

 欠伸をしながら窓の外を見てキョーマは目が点になる。外にいたのはラフィート達ではなくアズサとハルカだったからだ。大急ぎで身支度を整えてアズサ達のもとへ向かう。

「お、おはようございます姫さま」

 キョーマに気付いたアズサがいつもの笑顔でキョーマを迎える。

「はい、おはようございます」

「おはよキョーマ君、やっと起きてきたね」

 2人はおそろいの色違いのジャージーを着ていた。なによりキョーマは2人の髪型、ポニーテールにしたアズサに見惚れてしまう。

「かわいい・・」

 思わず口に出してしまったキョーマにハルカは目元を緩める。

「おー、キョーマ君はポニーテール萌えかなぁ」

「え、いやぁ、あー、ああそうだ、お二人は何をしてるんですか?」

 何とか話題を逸らそうと別の話を振るとアズサがそれに応える。

「これからハルカさんとジョギングしようとしていたのですよ」

「へぇジョギングですか」

「はい、私も少しは体力をつけないと。いつまでも足手まといになる訳にはいきませんから」

「姫ちゃんの体力のなさはかなり問題だからね」

「はぅ」

「ほら姫ちゃん、ちゃんと準備運動しなきゃダメよ」

「はーい」

 そう言ってストレッチを始める。そんな二人を棒立ちになって見ているキョーマにハルカが声をかける。

「キョーマ君はどうする?」

「え、僕ですか」

 うーんっと考えてアズサと一緒にジョギングをする自分を想像してみる。

 良いかもしれない。

「は、はい。じゃあ僕もいっしょに・・・」

「お、良い心がけだね。丁度レキア達もさっき出て行ったばかりだからダッシュすれば追いつけるっしょ」

「へ?」

「フフフ、キョーマさん頑張って下さいね」

「え、あれ?」

 何故かラフィート達を追いかける事になってしまったがアズサに見送られてはしょうがないので走る事にする。

「よし姫ちゃん、あたし達もそろそろ走るよ」

「はい、頑張ります」

「いくよ、よーい・・・どんッ」

「はう、もう走れません」

「ちょっ、まだ走ってないってば。準備運動で力尽きないで」

「すみません」

「ほら、がんばって」

「は、はぅ」

 すごくアズサ達の様子に後ろ髪を引かれつつも、小走りでしばらく行くとラフィート達には意外とあっさり追いつけた。

「ん、なんだお前も来たのか」

 キョーマに気付いたレキアが振り向きながら声をかける。

「はい、僕もご一緒させて下さい」

(なんだ、こんなペースなら僕でもついて行けそうだな)

 安堵するキョーマだったが、ふと気になる事があった。

(あれ?今って7時半くらいだったよな。確か6時くらいからなんかやってたはずだからもう一時間以上こんな事をやってるのかこの人達)

「大変ですね、レキア兄さん達はこういうのを毎日やってるんですか?」

「ああ?、いやこれは違うぞ。隊長のおっさんから出されてた訓練はもう終わってる。これはいわゆる自主トレみたいなもんだ」

「自主トレ、ですか」

(言われてもないのに自分から走ってるってどうなんだろ)

 そんな疑問を考えているとラフィートが会話に加わる。

「ふっふっふ、これは勝負なのだよ」

「え?勝負・・・」

 勝負と聞いてキョーマに嫌な予感が走る。

「そう、今日の朝飯のおかずを賭けた勝負だ。勝者は敗者から好きなおかずを一品奪い取れるのさ」

「今日の朝食は俺の好物ばかりだからな、負けるわけにはいかないぜ」

「めかせ、本気で俺に勝てると思ってんのかよ」

 火花を散らす2人は引き気味になるキョーマに構わず盛り上がっている。

「このまま駅前まで行ったら迂回して宿まで戻ってゴールな。ほぼ一本道だから迷わないだろ」

「んじゃ行くぜッよーい、ドン!」

「えっ、ちょっ」

 言うが早いか、二人は一気に加速してあっという間に見えなくなった。取り残されたキョーマも渋々スピードを上げて追いかける。


 駅前まで来るとすごい人だかりができていた。

「ああそうか、もう電車が出てるのか」

 みんな次の便を待っているのだろう。駅に溢れかえっている人達を横目にキョーマは呟く。

「姫さまの言う通り時間をずらしたのは正解だったな。まさに急がば回れってね。さすがは僕の姫さまだ」

 この混雑を見越したアズサに感心しつつ、キョーマは宿への帰路につく。


「ぜ、はあ、ぜぃ、はぁやっと着いたよ。なんで、僕が、こんな目に」

 息を切らしながらよろよろと宿にたどり着いたキョーマがぼやいていると、既に到着していたラフィート達の話し声が聞こえる。

「くっそお、後少しだったのに」

「バカが、最後でよそ見なんてするからだろ」

 あの様子はどうやらレキアが勝ったようだ。まあ、当然だよなっとキョーマは思う。

「うう、あんなの見せられたら誰だって気になるだろ」

「・・・そ、そうか?いや、まあな」

 二人はチラチラと目線を泳がせている。何の事だろうとキョーマも二人の目線を辿るとその先にはアズサ達がいた。

「ほら、姫ちゃんもう少し。がんばって」

「は、はいぃ」

 どうやらジョギングはあきらめて体操に切り替えていたようだ。それを見たキョーマも思わず息を呑む。

 ピョコピョコとポニーテールを揺らすアズサの愛らしさは言わずもがな、その隣でたわわな胸をたゆんたゆんっと弾ませるハルカのボリューミーな動きは青少年達には破壊力抜群だった。

「はあい、後は深呼吸。すぅーッはぁー」

「すぅーッはぁーぅ」

 体操を終えた途端、アズサはその場にぺたりっとへたり込む。

「はうぅ、もう限界です」

「あはは、えらいえらいよく頑張ったね。さ、朝ごはんにしよ」

 ハルカに頭を撫でられアズサはくすぐったそうに笑う。

「みんなもお疲れーッ」

 呆然と眺めている少年達に気付いたハルカは笑顔で手を振りながら彼らにねぎらいの言葉をかけるとアズサに肩を貸して宿の中へと入っていった。

「いいなあ、ハルカ姉さん・・・いいなぁ。やさしいし、キレイだし、スタイルいいし、大きいし」

アズサ大好きっ子のキョーマでさえもハルカのわがままボディの魔力には抗えないのか、だらしなく鼻の下を伸ばしている・・・のかと思えば、

「姫さまもいつかあんな風になるのかなあ、いいなぁ」

 と、妄想を膨らませていたようだった。

「それは流石にあの姫さんには荷が重すぎると思うがな」

「何て事を言うんですかレキア兄さんッ僕の姫さまに不可能なんてありませんよ」

「意味わかんねえよ。だいたいあの姫さんに巨乳は似合わなぶっふ」

 レキアは前にアズサの胸を触ってしまった時の感触を思い出してしまってむせてしまう。

「俺は今のままの姫が一番かわいいと思うけど?」

 やれやれっと言うようにかぶりを振るキョーマ。

「お二人とも分かっていませんね、いいですか?我々の業界にはギャップ萌え、というものがありましてですね」

 「・・・なんだよ我々の業界って?」っとツッコミたいところだがキョーマの言わんとすることも分かるので黙っておく。

「目を閉じて想像してみて下さい。あの愛らしい姫さまがハルカ姉さんみたくこう・・・」

 キョーマが身振り手振りで説明しようとしていると背後でタカラが咳払いをする。

「そうだな。想像してみるんだな。今から私が何と言うのかを」

「タカラのおっさん、いつからそこに」

 ラフィートが恐る恐る振り返るとタカラは、フンッと鼻を鳴らす。

「このバカタレどもがッ姫様に不埒な妄想するなど言語道断!もう一周走ってその邪まな心を洗い流して来い!!」

「は、はいぃぃッ行ってきまーす!!」

 タカラの怒鳴り声に三人は脱兎の如く駆け出すのだった。






 朝食後、ラフィート達は思い思いに時間を過ごし、お昼を過ぎた頃荷物をまとめて駅前へと向かう。既に朝の時の様な混雑は収まっており駅前はいつもよりは少し人が多いといった感じだった。

「いいかお前達、出発の前に言っておく事がある」

 ラフィート達勇者三人にタカラが声をかける。

「なんだよ改まって、姫達が待ってんだけど」

「いいから聞け。いいか、お前達は勇者だ。自分で考えているよりもより多くの人々がお前達に注目している。中央都市セントラルの様な大都市に行けば今以上に好奇の目にさらされる事になるだろう。その事を覚悟しておくんだな」

 今以上に、という言葉に昨夜の騒動を思い出してラフィートはゴクっと喉を鳴らす。

「これからはなるべく目立たないように行動しなければならない、少なくとも自ら勇者だなどと触れまわらない事だな」

「ああ、分かったよ、けど」

「俺らはともかく姫さんはどうすんだ?目立つだろあの子はさ」

 レキアの言う通り今もアズサの周りには何人かの野次馬が声をかけようとしているが、ハルカによってことごとく追い返されている。

「姫様はいいのだ。あの方に身分を偽る必要などは無いのだからな」

 タカラの言葉には妙な説得力があった。末姫とはいえアズサは聖王の血を引く者、自分達とは立場が違う。それは誰もが知るところなのだ。

「そうです!姫さまは特別なんです。だから勇者ぼくがお守りしなくちゃいけないんです」

 鼻息を荒げるキョーマをレキアが、分かった分かったとなだめる。

「タカラ、お話は終わりました?」

「はっどうぞ」

 タカラはアズサに一礼するとその場をアズサに譲る。アズサはラフィート達の目を真っ直ぐに見つめ問いかける。

「勇者である皆さんにお聞きします。あなたは何の為に戦うのですか。その強力な勇者の力をどのように使いますか」

 ラフィート達は突然のアズサの問いかけに答えに詰まってしまう。

「では例えば、この先に二つの町があります。一つは10人の住む町、もう一つは100人が住む町です。この二つの町が悪鬼に襲われています。二つの町は離れている為、同時に助けに行く事は出来ません。あなたはどちらの町を助けに行きますか?」

 10人の町と100人の町どちらを助けるか、か。ラフィートは暫く考え込むがレキアは即答する。

「そうだな、俺なら100人の方だな」

「え、なんで?」

「簡単な数の話だろ。10人助けて100人見捨てるくらいならその逆が良いに決まってる」

「いや、そうかもしれないけど、そうじゃなくて」

「お前はどうなんだよ、10人と100人どっちを助ける?」

「俺は・・・」

「両方、なんて言うなよ。今はそう言う話はしていないからな」

「ッ!」

 図星をつかれラフィートは声を詰まらせる。

「全員助けられるなら最初から問題にならないだろ。姫さんは俺達の覚悟を聞きたいんだよ」

「覚悟?何の?」

「決まってんだろ、助けない人間を選べるか、さ」

 「そんなっ」とラフィートはアズサを見る。アズサは何も言わず彼らの答えを待っているようだった。

「別に難しく考える事もないでしょう。僕の答えはもう出てますよ」

 未だ悩んでいるラフィートにキョーマは冷ややかな目を向ける。

「10人だろうと100人だろうと関係ないんですよ。僕は大切な人がいる方を守ります。て言うかむしろその人だけでも構わないんです。そう僕は姫さまだけ守れれば後はどうなったって構いません」

「何言ってんだよお前、いくら何でもそれはッ」

 「言い過ぎだっ」と声を荒げるレキアだがキョーマは意に介さずと言葉を続ける。

「言い過ぎですか?レキア兄さんだって、もしハルカ姉さんが襲われていたら先に姉さんを助けに行くでしょ?誰だってそうです。僕にとってそれは姫さまだって言うだけの話ですよ」

「だからそう言う話じゃねえよ」

 キョーマの言っている事は分かる、分かるけどもそれは何か違う。そう思ってもラフィートには反論する事ができない。

(俺は何の為に戦っているのだろう・・・)

 アズサの為?仲間の為?家族の為?世界を守る為?

 ラフィートにはその答えが出せない。もちろんアズサの力になりたいと思った。でもそれはアズサの事が好きだから、アズサの気を引きたかったからなのか、これではキョーマの言っている事と変わらない。

――それでもッ

「違うッそれは違うんだキョーマ、違うんだよ・・・」

「違う違うッて何が違うんですか?はっきり言って下さいよラフィート

 否定しかしないラフィートにキョーマは苛立ちを隠せずに語尾を強める。

「分からない、けどそうじゃないんだ。なんて、言ったらいいのか・・・」

「はっきり言えって言ってるだろ、じゃなきゃ黙ってろよ!」

 挑発的なキョーマの態度にラフィートも次第に苛立ち始める。

「どうしました?そんな怖い顔して、言いたい事があるなら言えばいいじゃないですか。・・・はあ、そんなんだから“届かない男”とか呼ばれちゃうんですよ」

 キョーマの一言にラフィートの表情が変わる。

「お前、どうしてそれを・・・」

「あれ?届けない男でしたっけ?まあどっちだっていいんですけど」

「ふざけるな!!」

 限界だった。ラフィートは感情を抑えきれずキョーマの胸ぐらを掴む。

「バカッよせ」

 キョーマを殴ろうとするラフィートの腕をレキアが抑える。

「離せレキアッこいつは!」

「ちょっと煽られただけでキレるんですか、これだから田舎者は」

「お前もッいい加減に」

「やめないか!!」

 タカラの怒声に3人の動きが止まる。

「姫様の御前だぞ。わきまえないか、愚か者」

 ハッとなってアズサを見る。アズサは悲し気な表情でラフィートを見ている。

「この事はいずれ決断しなければならない時が来るでしょう。その時に迷わぬよう、心に留めておいて下さいね」

 アズサは淡々と語ると、それからっと続ける。

「私は、暴力を振るうのはよくないと思います」

「あ、これは・・・その」

 振りあげた拳を慌てて下ろし言い訳をしようとするがアズサはラフィートに背を向ける。

 いい気味だと言いたげなキョーマだったが、

「人を貶めるような事を言う人もキライです」

 と、去り際のアズサの呟きに愕然となる。

「違うんだ、姫・・・」

「キライ・・・姫さまにキライって言われた・・・」

 その場に崩れ落ち、落ち込むラフィートとキョーマに呆れてレキアはため息を吐く。

「お前等なぁ」






 アズサ達を乗せた16車両連結の列車がノウスバレーを出発してから一時間。中央都市セントラルまで4時間ほどの行程の中で一番の見どころと言われる渓谷越えが間近にせまり車内はにわかに浮足立ちはじめていた。

 アズサが乗車する事を事前に知らされていた鉄道会社が配慮したのか、車内は混雑する事も無く各々自由に席に着くことができた。

 車窓に流れる景色を頬杖をついて眺めているラフィートは小さくため息を吐く。

 ・・・またため息を吐く。

 ・・・もう一度ため息を吐く。

 ・・・さらにため息を・・・

「うぜえ、いい加減にしろよラフィート」

 向かいの席に座っているレキアがウンザリした顔でラフィートを睨む。

「だって、姫が・・・あんな悲しそうな顔を」

「自業自得だろうが。年下ガキ相手にキレやがって」

 ラフィートは、うぅっとうなだれる。頭に血が上ったのだとしてもアズサの前でキョーマに手を上げようとするなんて自分でも信じられなかった。

「あいつ、俺の事嫌いなのかな。俺、あいつに何かしたかな」

「なんだいそりゃ」

「あいつ、俺にだけ態度が違うんだよな。なんでだろ」

「なんでってお前、あいつも姫さんの事が好きだからだろう。だから恋敵を牽制すんのは当然だろう」

「こ、恋敵ぃッ」

 上擦った声を上げて立ち上がるラフィート。

「お、お俺はべ別に姫の事はッ」

「好きなんだろ?」

「はい、好きです。大好きです」

 顔を真っ赤にしてしゅんっと腰を下ろす。

「ぼやぼやしてるとあいつに姫さん取られちまうぜ」

「んなッ!?」

 また立ち上がったラフィートに周囲の乗客の視線が向けられる。それに気付いてそろそろと腰を下ろす。

「告白するのかしないのか。いい加減腹を括ったらどうだ?」

「でも、身分とか、全然違うし・・・迷惑かも知れないし、今のままでもゴニョゴニョ」

 もじもじと蚊の鳴くような声で呟き最後の方は聞き取れない。レキアはあきれ顔でため息を吐く。

「はあ、お前がそれで良いなら別に良いけどな」

「そういうお前はどうなんだよ」

 ラフィートも言われっぱなしはシャクなので言い返す。

「あん?何の事だ」

「ハルカだよ。お前だって告白しないのか?」

 ハルカの名前を出された途端レキアは固まってしまう。ラフィートはニヤニヤしながらレキアの顔を覗き込むが、意外な事にレキアは冷静だった。

「まあ見てな、いつまでも弟扱いさせねえからよ」

 自信満々で不敵に笑う。何か策があるのだろうか。気にはなったがお手並み拝見っと言ったところかなっとラフィートは思うのだった。




 ラフィート達の隣の車両に深刻な表情をしたキョーマは座っていた。

「お終いだ・・・お終いだ・・・姫さまに嫌われてしまったら僕は、僕は・・・」

 キョーマは頭を抱えて俯き、ブツブツとくり返している。

 私、キライです・・・キライです・・・キライです・・・

「違うんです姫さま、僕はそんなつもりじゃなかったんです。そう、僕は悪くない、僕じゃない・・・あいつだ」

 ドクンッと黒い感情が渦を巻きはじめる。

「あいつだ。ラフィートのせいだ。あいつさえいなければ。あいつさえ、あいつさえ・・・」

 ズキッとこめかみに痛みが走りキョーマは呻きながら眉間を押える。すると頭の中にぼんやりと何かが浮かび上がってくる。

 未来視ビジョン

 必ず実現する未来を映すキョーマの固有能力。それはキョーマの意思とは関係なく発現する。

「なん、だよ・・・これ」

 未来視が映し出した未来、それは口づけをするラフィートとアズサの姿だった。

「嘘だッこんなのありえないッ」

 キョーマの未来視が映すのは結果のみでそれに至る過程はキョーマには分からない。

「なんで?なんでだよ、なんなんだよおぉぉ」

 

――あいつだッ全部あいつのせいだッ

 

 心の底から湧き上がるドス黒い感情が抑えきれない。

「居なくなればいいのに、居なくなればいいのに、居なくなればいいのにぃぃ」

 その時だった。

 ぐにゃり、と未来視が歪む。

「え、なに・・・」

 次第に歪みが収まり未来視が鮮明になる。だがそこには先程とは違う映像だ浮かぶ。

 アズサが一人立ち尽くしている。そこにラフィートの姿は無い。

「?今のは・・・」

 何が起きたのかキョーマ自身にも分からなかったがラフィートの姿が無い事で少しだけスッキリとした気分になった。そのせいか、未来視の中のアズサの絶望したかのような表情に気が付かなかった。




 先頭車両にはアズサとハルカ、護衛のタカラと数人の兵士達だけがいた。鉄道会社の配慮で先頭車両だけアズサ達の貸し切りになっていたのだ。

「すごいねぇ一車両貸し切りなんて、さっすがお姫様」

 ハルカが意地悪く皮肉を言うと、タカラがそれに答える。

「ふむ、本来なら一車両ではなく全車両貸し切りにするべきところなのだが、姫様は一車両で十分だと仰られてな。全く、姫様の奥ゆかしさは聖王国一であろうな」

 誇らしげに語るタカラに価値観の差を感じるハルカだった。

 愛想笑いを浮かべながらアズサを見ると、アズサがどこか浮かない顔をしている事に気付く。

「姫ちゃん大丈夫?車酔いしちゃった?」

「あ、いえ大丈夫です。ちょっと考え事を・・・」

 心配をかけまいと明るく振る舞うもぎこちない仕草で大丈夫でないのがバレバレである。

「いい?姫ちゃんは隠し事がすっごくヘタなの。心配かけたくないのは分かるけど、逆に心配になっちゃうんだから無理しないでちゃんと話して。ね」

 やさしくウインクするハルカにアズサは少し照れ気味に、はいっとうなづく。

「・・・実は、先程から胸騒ぎがするのです。何か・・・とても嫌な感じがして」

「胸騒ぎ?」

 アズサはうつむき両手で胸を押さえている。ハルカはタカラと顔を見合わせるとアズサの隣に座り直す。

 ハルカは震えるアズサの肩を抱き、大丈夫よッと囁く。それでもアズサの不安は拭えない。

 その時だった。

「隊長、報告します」

 車両に入ってきた兵士が敬礼する。タカラは立ち上がり敬礼を返す。

「当車両後方に追走する車両を確認しました」

「追走?どういう事だ」

 これを、っとケータイ端末を見せる。それには車両最後尾の後方から接近してくる列車らしき姿が映っていた。

「車掌に確認したところ運行ダイヤにこのような予定はないとの事です」

「向こうの列車とは連絡取れたのか?」

「いえ、向こうからの返信はありませんでした」

「ねえ、どういう事?」

 ハルカが不安そうに尋ねる。

「まさか追突する、なんてことないよね?」

「う、うむ。そうだな」

 タカラは空返事を返しつつケータイをイジッて何かを調べている。

「隊長さん聞いてる?何見てんの」

 ハルカはタカラのケータイを覗き込む。そこには見覚えのない男達の姿があった。いや、その中の何人かはどこかで見た気がする。

「あれ?この人達って・・・」

「ラの国で確認されている反王制主義者テロリスト達だ」

「テロリスト?あぁ、なんか聞いた事ある。名前なんて言ったっけね姫ちゃん」

 ハルカがアズサに振るとアズサは心ここにあらずといった感じでいる。

「姫ちゃん?どうかしたの」

 ハルカの声に我に返ったアズサが、何でもありませんっと言うとハルカはむっと顔をしかめる。あっとアズサは口元に指を当てて先程のやり取りを思い出す。

「・・・実はそのテロリストの中に私の、その・・・知り合いの方がいるそうなのです」

「えっそうなの」

 アズサの意外な告白に驚くと同時に気まずい空気になんと声をかけていいのか悩んでしまう。ハルカはタカラに目線を送り助けを求めるのだった。

「あー、おほんッここ連日の報道で姫様がラの国におられる事は知れ渡ってしまっているからな、いつぞやの馬鹿どもの様な行動を起こす輩が出ないとも限らん。警戒するのに越した事はないのだ」

(いつぞやの馬鹿、あの子達の事ね)

 ハルカはつい先日、ユノハナの町でアズサを誘拐しようとしたユノハナレジスタンス達の事を思い浮かべて苦笑いをする。

「じゃああの列車はテロリストの仕業なの?」

「分からんが、その可能性も視野に入れておかねばならん」

 タカラは立ち上がり兵士達と共に車両を移動しようとする。

「待ってタカラ、私も一緒に行きます」

「いえ、姫様はこちらでお待ちを」

「一緒に行きます。胸騒ぎが収まらないのです」

 ですが、っというタカラの制止を振り切ってアズサも移動する。ハルカはタカラの肩を、ポンッと叩きアズサに続く。タカラも、仕方ないかっと納得せざるを得なかった。

「あれ?姫、っとハルカ達もどうしたの」

 隣の車両にいたラフィートとレキアがアズサ達に気付き声をかける。他の乗客達もアズサを見てざわつきはじめる。

「ちょっと問題が起きた。お前達も来い」

 タカラに促されラフィート達もアズサに続く。さらに隣の車両でキョーマを加えて一行は最後尾車両へ向かう。その途中で少年達はハルカに簡単に状況を聞く。

「テロリスト?マジで?」

「ううん、まだ分かんないんだけどね。その可能性もあるって事」




 最後尾に着くと車両内は後方の列車に気付いた乗客達がざわついていた。

「なにか変わった事はあったか」

 監視している兵士にタカラが尋ねる。

「はっ、現在まで変わりはありません。が、確実に近づいてきております」

「通信は?取れたのか」

「いえ、依然応答はありません」

 ラフィート達も後方を覗き込む。確かに遠くから接近してくる列車が見えた。

「ラフィート、お前なら見えるだろ?本当にテロリストがいるか分かんないか」

 レキアに言われてラフィートは勇者能力『距離無効の目せんりがん』を使って見る。

「なんだこれ・・・中身めちゃくちゃだ」

「めちゃくちゃ?どういう事だよ」

「そのままの意味だよ。外側は普通の電車だけど中はいろんな電車が混ざりまくってる」

「人は?誰かいるの?」

「いや誰も居ない。っていうかどうやって動いてんのこれ」

 ラフィート達の話を聞いてタカラがまとめる。

「あの列車が人間の仕業ではないとすれば考えられる事はひとつだ」

「そうか悪鬼かッ」

「悪鬼?そうなの姫」

 アズサに説明を求めようとするラフィートだがタカラに止められる。

「馬鹿者、状況を考えろ。他の乗客もいるのだぞ」

 小声で諭される。こんな所でアズサの固有能力しんがんを公にする訳にはいかないのだ。ラフィートは慌てて口を塞ぐ。

「あれが悪鬼だとしたらやっぱり狙いは姫ちゃんなの?」

「おそらくは、な」



 未だ悪鬼について分からないことが多いが、何故かアズサを優先して襲う傾向がある。今回もそうなのだとしたら無関係な乗客達を巻き込んでしまった事になる。



「タカラ、何とかあの悪鬼を止められませんか。このままではいずれ追いつかれてしまうでしょう。そうなれば皆さんを危険に晒してしまいます。それにこのまま中央都市まで引き連れていく訳にはいきません」

「ならさ、俺達だけ降りて悪鬼をこっちに引き寄せるってのはどう?」

 アズサを狙う悪鬼の習性を利用するつもりの提案だった。

「駄目だ。姫様を囮にするなど論外だ。それに奴らの習性についてははっきりとしていない。仮定で動くのは危険だ」

 そう、もしあの悪鬼がアズサを狙わずこの列車を追っていってしまったら意味がない。

「じゃあどうすんだ。俺はともかくレキアじゃ攻撃が届かないだろ?」

「だからと言って悪鬼には魔導器じゃまともにダメージ通らないしな」

 ハルカは待ってました、とばかりに懐から取りだした札をレキアの目の前でチラつかせる。

「そんなあなたに、はい課金装備インスタントパワー♡」

「・・・ちょっと黙ってろ」

 ハルカがブーたれているが無視して話を戻す。

「相手が人間でないのなら遠慮は無用。あれを持ってこい」

 タカラは狙撃用の魔導器を用意させる。そして窓から身を乗り出し悪鬼に狙いを定める。


 バァンッ


 打ち出された魔法弾は悪鬼に命中する。が、僅かに傷が入っただけだった。次にタカラはハルカにインスタントパワーを要求する。

「毎度ありッ」

 ハルカは笑顔で札を差し出す。複雑な気持ちで札を受け取り、インスタントパワーを発動させる。


 バシュッ


 強化された魔法弾が命中する。今度は大きく削り取る。

「再生しないのか」

 不死身の悪鬼はどんな傷でも瞬時に再生してしまうはずなのだが、車両のボデーは破損したままだった。

「なるほどな、あの車両部は奴の本体ではないという事か」

「どういう事?」

「以前、木に擬態する悪鬼がいた。奴もそのようなものなのだろう。最近騒がれていた車両失踪事件は奴の仕業だったのだろう。そしていくつもの車両を取り込み鎧のように外殻として纏い本体をあの中に隠している」

「っと、姫ちゃんが申しております」

 ハルカがめざとくタカラの影にいるアズサを見つけニヤニヤと目を細める。

「だと思った。タカラのおっさんにしては妙に切れすぎてるもんな」

 ばつが悪そうに、コホンっとタカラは咳払いをして仕切り直す。

「ともかくだ、問題は外殻鎧を剥がした後の事だ。奴が本体を現したとしてどのように対処すべきか」

「結局この列車が追われている事に変わりはないからな」

「あいつを止めないと中央都市までついてきちゃうんだよな」

 どこか緊張感の欠ける勇者達とは逆に両手をギュッと握りしめアズサは顔を上げる。

「そうです。私達は悪鬼に後れをとるわけにはいかないのです、決して」

 いつにもなく真剣なアズサの口調に全員が身を強張らせる。と、そこに車内アナウンスが流れ、間もなく渓谷に入るという旨が伝えられる。

「どうするの?渓谷越えたらもう、すぐ中央都市よ」

「手はある。が、どうしたものか」

「何だよ、はっきりしろよ」

「・・・」

 タカラは暫し考えた後、意を決して語る。

「このまま奴を渓谷に誘い込み、鉄橋を破壊し奴を谷底へ落とす」

 タカラの発案に全員が言葉を失う。

「奴を谷に落としてしまえば時間を稼ぐ事が出来る。この隙に我々は中央都市へ先行し迎撃の準備を整え奴を迎え撃つ。それが最も確実に被害を抑える事が出来る」

「ちょっ、ちょっと待ってよ。本気で言ってるの?」

 ハルカがタカラの言葉を遮り反論する。

「橋を落とすって、そんな事したらどれだけ被害が出ると思ってんの」

「別にいいじゃねえの、後で直せばいいんだし。電車が止まればユノハナの町もバカ貴族どもが来なくなって静かになるだろ」

「おバカッ問題はユノハナだけの事じゃないのよ。橋を落としたら架けなおすのに何年かかるとおもってるのよ。その間、流通が止まってどれだけの人が苦しむ事になるのかも分からないの?ホントおバカッ」

「バカバカ言うんじゃねえよ、バカって言う方がバカなんだぞ」

「うっさい!バカはあんたの口癖でしょうがッこのバカレキア!第一あの橋はあんたの・・・ッ」

「・・・?」

「な、なんでもない!とにかくあの橋は壊しちゃダメなの!!」

 言い争う二人を止めようとラフィートは間に入るがハルカの矛先はラフィートにも向けられる。

「ラフィート君も他人事じゃないでしょ。タリアシティだって復興が始まったばかりなんだから」

 そうだった、とラフィートは故郷の現状を思い出す。悪鬼に襲われ、半壊したタリアシティに物資を運ぶ為にも電車は必要なのだった。

「だからといって中央都市が奴に襲われればラの国全体に損害が出るんだぜ」

「でもッそれでも・・・ダメよ。お願いッ姫ちゃん」

 ハルカはすがりつくようにアズサを見る。アズサは何も言わず目を閉じて考え続けているようだった。

「そんな事よりこのまま悪鬼に追い付かれたら姫さままで危険になってしまいますよ。橋の一つや二つ構わず落としちゃいましょうよ」

 今まで黙っていたキョーマが待ちきれないっと言った感じで口を出す。キッとハルカが睨むが全く気にも留めない。

「姫様、いかがいたしましょうか」

 タカラがアズサに判断を委ねる。アズサが目を開き喋ろうとした瞬間。

「ダメだ!橋を落としちゃダメだよ。ここは中央と東部をつなぐ重要な拠点なんだ、何があっても守らなくちゃダメなんだ」

 ラフィートがアズサの前に出て声を上げる。だがキョーマはあてつける様にため息を吐く。

「またですか、いい加減にしてくださいよ。反対するなら他にどうすればいいのか、ちゃんと教えて下さいよ」

 ウンザリっというようにキョーマがラフィートを睨む。

「それは・・・そう、渓谷を抜けても中央都市まではまだ距離がある。だからそれまでに悪鬼を倒せればいいんだ」

「だ・か・らッどうやって倒すんですか?それを、」

「分かりました」

 アズサがキョーマの言葉を遮る。そしてゆっくりとまわりを見渡し宣言する。

「よろしいですか、鉄橋を破壊してはなりません。わたくし、聖王エレクシニアスが子、アズサ・S・エレクシアの名において命じます。我が騎士タカラは勇者達と共に聖王国の民の命と財産を守り、自由交易都市へと侵攻する悪鬼を打ち倒すのです」

 アズサの凛とした声にタカラ達兵士一同は、ハッと敬礼する。それを見ていたラフィート達も慌ててタカラ達に倣う。

 アズサの宣言に乗客達から歓声が上がるなか、タカラは素早く兵士達に命令を出す。

「乗客達を前の車両へ避難させろ、それから中央都市へ緊急連絡ッ残りの者は戦闘準備だ。急げッ」

 



 兵士達が慌ただしく動く中、列車は遂に渓谷に架けられた鉄橋にさしかかる。本来ならその絶景を楽しむはずだったラフィート達は窓の外の景色に思わず感嘆の声を漏らす。

「すっげぇ、高いなあ」

「どうやってこんな所に橋を架けたんだよ」

「ま、ムラサトの数少ない功績って奴ね」

 そう言ってハルカはラフィートに顔を寄せる。

「ありがとうラフィート君。この橋を守るように姫ちゃんに言ってくれて」

「え、いや。うん、俺がそう思っただけだから」

「姫ちゃんには感謝しなくちゃ。でも責任を全部押し付けてしまったのよね」

「姫は関係ないだろ?この作戦を言い出したのは俺達なんだから」

「違うのよ。君も聞いたでしょ。姫ちゃんは自分の名前を名乗ったのよ。それはこの戦いで何が起こってもあたし達の代わりにその全ての責任を負うっていう宣言なのよ」

 言われて、前にも似たことがあった事を思い出す。

「タリアシティが悪鬼に襲われた時、姫は最後まで残って俺達が避難する時間を稼ごうとしたんだ」

 何故そこまでするのかと尋ねるとアズサはそれが自分の義務であり使命だと言った。

「ユノハナの時もそうだったわね。あたし達の事なんて構わないで逃げれば良かったのにテコでも動こうとしなかったんだから」

 何とか説得出来たもののあの時はアズサの体力のなさで逆にピンチになりかけたのだけれど。

「そういえば姫から命令されるのって初めてだけど、こういうのなんかいいよな」

「なんだ?新しい趣味に目覚めたのか」

「ばッそんなんじゃねえよ」

 否定するラフィートだが実は満更でもなかったりする。

 それはともかく、まだ知りあって間もないがアズサの人となりはラフィート達にも分かる。だからこそアズサを守りたいと思ったのだ。

「負けられないね、姫ちゃんの期待に応える為にも・・・絶対に」

 ラフィートとレキアは気を引き締め直し、ああっと頷く。だがキョーマは違った。

「なんでだよ、なんで姫さまはこんな奴の言う事なんかを・・・クソッ」

 心の奥底に芽吹いたドス黒い感情が抑えきれない。っとその時兵士が叫ぶ。

「悪鬼ッ急速接近!来ますッ!!」

 悪鬼は鉄橋に入った途端に速度を上げ迫ってきた。一気に距離を詰められ体当たりを受ける。激しい衝撃に悲鳴が上がるなか、かろうじて踏ん張ったキョーマがアズサを心配し姿を探す。

「姫さまッご無事です・・・か?」

 倒れているアズサを見つけ駆け寄ろうとして、ギョッとなって立ち尽くす。

 悪鬼の体当たりの衝撃を受けバランスを崩したアズサを庇おうとして飛び込んだラフィートに覆いかぶさるようにアズサは転倒してしまう。その結果二人はお互いの吐息のかかる距離で見つめあっている。 「あ、あああの・・・えっと・・・」

「その・・・ケガしてない?」

「は、はいっだ大丈夫、ですっあぅ」

 アズサは慌てて離れようとして逆にバランスを崩してラフィートの胸に抱きついてしまう。

 折り重なり密着した身体から早鐘を打つ心臓の鼓動が伝わってしまいそうで恥ずかしさに身動きが取れなくなる。

 その様はキョーマから見れば二人は抱き合い、口づけしているようにしか見えない。

「ななな、なにしてるんですかぁッ」

 キョーマはアズサをラフィートから引き離すと鬼の形相で殴りかかる。

「お前はッお前がッなんでッいつもいつもいつもッ」

「バカッ何してんだお前」

 レキアがキョーマを押える。が、

「はなせッはなせよッ」

 っと暴れ続けるキョーマをレキアが殴りつけて黙らせる。

「バカがッ落ち着けっての」

 フーッフーッっと息を荒げるキョーマを押さえつけていると、ズゥンっと車両が歪む。

「今度は何だッ?」

「いけないッ悪鬼がこの車両を取り込もうとしてます」

 アズサの声にすぐさまタカラが動く。

「お前達早く来いッこの車両を切り離すぞ」

 タカラは全員の移動を確認すると連結器を操作して車両を切り離す。その際時限爆発式の魔導器をセットさせる。

「ちょっと待って、鉄橋は壊さないってッ」

 ハルカがタカラに食ってかかる。

「大丈夫だ、鉄橋には補強の魔法をかけてある」

 切り離された車両を悪鬼が取り込んだ瞬間、ボンッと爆発が起こる。怯んだ悪鬼が速度を落とし離れていく。

「今のうちだ。総員配置につけッ」

 兵士達が魔導器を手に迎撃態勢をとる。

「ラフィート、俺達も行くぜ」

「ああ、分かった」

 車両の屋根に登ろうとするラフィート達にキョーマも続こうとする。

「キョーマ、お前はいい。姫さん達と下がってろ」

「え?何で」

「お前はまだ戦えないだろ?足手まといは要らない」

「あ、足手まといだって?僕が・・・」

 レキアの言葉にショックを受ける。と同時にラフィートには負けたくないという劣等感が沸き上がる。

「僕だってやれますッ」

 自らを振るい立たせてキョーマはラフィート達を追う。その姿にアズサはいい知れない胸騒ぎを覚える。

 

――このままで何か取り返しのつかない事になる。

 

 そんな予感がアズサを襲う。だがどうするべきかが分からない。

「みなさん、どうか無事で」

 アズサに出来るのはただ祈る事だけだった。

 


 ドンッ

 ドンッ

 ドンッ

 

 兵士達が次々に魔法弾を打って悪鬼をけん制している。魔法で補強されている鉄橋は直撃さえさせなければ傷つける事は無い。

 屋根の上から機会を窺っているラフィートとレキアは作戦を練る。

「まずは奴の外殻を破らないことにははじまらねえ」

「俺の次元刃は連発できないし、距離が離れていたらレキアは攻撃できないよな」

「俺も魔導器を使うっきゃないが・・・あの札はできるだけ使いたくねえ」

「俺の魔力じゃ札の力使ってもたかが知れてるし」

 元々魔法が苦手なラフィートではインスタントパワーでブーストしたとしてもたいして効果を望めない。

「とにかく俺は奴に飛び移るから援護を頼む」

「しかないか、それであいつの本体が出てくれば俺も次元刃をぶち込める」

 ラフィートが腰に下げた剣に手をかけると、風圧に流され気味にキョーマが二人のもとにたどり着く。

「ぼ、僕だってやれますッやれるんです!!」

「キョーマ、来るなっつっただろ、何してんだ」

「僕も勇者です。負けたりしません!」

 ただラフィートへの対抗心で意固地になっているキョーマにはレキアの説得を聞く気が無い。

「ま、魔導器くらい僕だって・・・」

 おぼつかない手つきで魔導器を持て余す。

「おいおい、やめとけって」

 と言うラフィートをギリッと睨む。

「うるさいッお前にだけは絶対に負けられないんだ!」

「あのな、お前は誰と戦ってんだよ。相手は俺じゃなくて悪鬼だろ?」

 明らかな敵意を向けられてラフィートも内心動揺している。

 

 キィィィン・・・

 

 その時何かが騒めく。

「なんだ?勇者のオーブが・・・」

 三人が勇者のオーブを取りだすと、オーブは輝きを放って共鳴し始める。次第に輝きは耳鳴りと共に強烈な閃光へと変わる。

 異変に気付いたアズサが、ハッと顔を上げる。

「だめッだめぇぇぇッ」

 アズサの叫びが届くことなくオーブの放つ閃光は光の爆発を起こす。

 押し寄せる光の奔流の中でラフィートはアズサの悲鳴を聞いた・・・気がした。






 閃光が収まり耳鳴りも止んで静寂が訪れる。

 気だるさに押しつぶされそうになる体を振るい立たせてラフィートはゆっくりと瞳を開く。

 まるで頭の中をぐちゃぐちゃにかき回されたような気持ちの悪さに吐きそうになる。

 焦点の合わない瞳に映る世界が鮮明になっていくにつれ、それが見覚えのない場所であることが分かる。

「どこだ・・・ここ」

 ふらつきながらあたりを見回してみるとそこはただの廃墟だった。倒壊している建物の数やその規模からかなりの大都市だったのだろう。

「俺・・・今まで、何をして?」

 記憶があやふやで何をしていたのかなかなか思い出せない。

「確か、俺は・・・電車に、乗って姫と・・・」

 姫?

「そうだ、姫だ。俺は姫と一緒に中央都市に向かっていたんだ。だけど途中で悪鬼に襲われて、それで・・・」

 キョロキョロと周りを見渡してアズサ達を探すが姿は見えない。それどころか人っ子一人居ない。

「姫ぇーッアズサッさまー。聞こえていたら返事をして下さーいッ」

 大声でアズサに呼びかけるが返事はない。どさくさまぎれに呼び捨てで呼ぼうとして言い直したのはナイショである。

「レキアー、タカラのおっさーん、誰か居ないのかーッ」

 仲間たちを探しながら廃墟をさまよう。だがどこまで行っても人の気配がしない。まるで世界に自分一人だけしか居ないのではないかと不安になってくる。

 ラフィートは声の限りに叫んでみる。だが、こだまが返ってくるだけで何の反応も無い。落胆しその場にしゃがみこむと一気に疲労感が湧いてくる。

「ここはどこなんだ・・・みんなは、どこに行ったんだ」

 地面に手をついて空を仰ぎ見る。空はいつもと変わらぬ透きとおるような緑・・・?

「え?緑って?なんでッ青じゃないの?」

 それに真円を描く白き月がはっきりと見えている。

 気持ちを落ち着かせ、改めて辺りを見渡す。

「見憶えが無い?いや、よく考えるとここ、どこかで見た事があるぞ既視感?でもまさか・・・」

 緑色の空、真昼の白き月、見憶えのある街並み。

 とても信じられる事ではない。ますます頭が混乱してくる。せめてここが全く知らない場所であるならまだマシなのに、中途半端な記憶が気持ち悪い。

「誰かッ誰かいないのかッ」

 誰かに説明してほしい。その時ラフィートに閃きが走る。

「そうだッケータイ!」

懐をまさぐってケータイを取りだして起動させる、が。

「あ、あれ?動かない、なんでッ」

 ラフィートはケータイの画面を叩いたり、適当にボタンを押してみたり、電波を探す様にうろうろと動き回るがそもそも起動すらしていない。

「どうなってんだよ・・・」

 うんともすんとも言わないケータイを見つめるラフィートの視界の片隅を不意に人影がよぎる。

「姫・・・?」

 だが誰も居ない。見間違えたのか?見間違いでもいい。誰かに会いたい一心でラフィートは消えた人影を追う。瓦礫を越えて進むと開けた場所に出る。ここは公園だったのだろうか、遊具らしき残骸が隅にまとめられていた。

「キャアアッ」

 突然悲鳴が聞こえた。その声のする方へ視線を向けると、公園の中心に祭壇らしきものがあり、一人の少女がいた。

 腰まで伸びたサラサラの黒髪と雪のように白い肌の少女。

「姫ッ?」

 だがその少女を数人の黒い人影が取り囲んでいる。怯えて竦みあがっている少女に黒い人影が飛びかかろうと動き出す。

「やめろぉぉぉ」

 ラフィートは駆けだし黒い人影に体当たりをする。

「姫にッ手を出すなぁ!!」

 黒い人影を殴りつけてそれが人間でない事に気付く。

 なんだこいつら?

「人間じゃない?でも悪鬼でもないよな」

『グルルルゥ』

 その人型をした黒い獣達は唸り声を上げてラフィートに標的を移す。ラフィートは、相手が人間じゃないならっと腰のショートソードに手をかけ、ハッとなる。

「しまった、昨日壊したのそのままだった」

 この事がタカラに知れたら、

「バカモンッ自分の装備も管理できんとは気がたるんどる証拠だッ」

 っとどやされるところだ。

 ナイフに持ち替えてラフィートは少女を庇える位置に立ち、構える。

「姫ッご無事ですか?」

 黒い獣達をけん制しながらアズサの無事を確かめようと目線を向ける。

「あれ?姫じゃ…ない?」

 その少女は確かにアズサに似ていたがよく見ると目の色が違う。アズサの目は煌めく紅玉ルビー色だがこの少女の目は褐色を帯びた柘榴ガーネット色だった。

「あ・・・もしかして、王子さま?」

「へ?王子って」

「はわわっななんでもありませんッごめんなさい」

 少女は真っ赤になった顔を両手で隠してしまう。その仕草がたまらなくかわいらしくてラフィートも照れてしまう。

「あ、えと俺ラフィートって言うんだけど、君は?」

「は、はいッわたしはナアルフィと言います」

「ナアルフィか、ごめん、知ってる人に似てたんでつい」

「いいえ、わたしの方こそごめんなさい」

「いや、ごめんって言うのは俺の方なんで」

「そんな・・・ごめんなさい」

「だからごめんって、プッククッ」

「フフフッ」

 お互いに謝り返しているのが可笑しくて思わず吹き出してしまった。

 グオォォォンッ

 待ちきれないっと言った感じで黒い獣が吠える。

「おわっ忘れてた」

 ラフィートは黒い獣に向き直りナイフを構える。すると突然黒い獣はオロオロとしはじめて弾かれたように何処かへと散っていった。

「なんだ?どうなってるんだ」

 訳が分からずにいるラフィート。だがナアルフィは違う。黒い獣達の様子を見て震える手でラフィートの腕をとり引っ張る。

「ラフィートさんッ早く、こっちへ」

「えっどういう事?」

「いいから早くッ悪鬼が近くに来てるからッ」

「悪鬼だって!?」

 ナアルフィに引かれるまま公園の影に身を潜める。

「なあナアルフィ?」

「しッ黙って」

 ナアルフィは両手でラフィートの口をふさぐと緑色の空を見る。つられてラフィートも空を見上げる。

「!?」

 緑色の空に巨大な竜が現れる。竜型の悪鬼は上空を一廻りすると翼を羽ばたかせて飛び去っていった。

「あ、あんな悪鬼がいるのか」

「うん、最近よく見るようになったの。まるで何かを探してるみたいに決まって同じ場所を回ってるみたい」

 ナアルフィはそう言うと祭壇の方へ戻っていく。ラフィートはあたりを見回すがもう黒い獣達の姿は無い。

「あの黒いのは何だったんだ?」

「ん?邪鬼の事を知らないの?」

「邪鬼?邪鬼ってなんだ?悪鬼じゃないのか?」

「うん、全然違うよ。悪鬼は・・・どうする事も出来ないけど、邪鬼はまだ対処できるから」

 祭壇に花を供え直すとナアルフィは手を合わせる。

「これは?」

「慰霊碑。悪鬼に殺された人たちの」

「悪鬼に…殺された?」

「うん。だいぶ前に悪鬼に襲われて、たくさんの人たちが犠牲になったの。ここだけじゃなくて世界中でも悪鬼が暴れまくって・・・邪鬼は悪鬼に殺された人たちの怨念から生まれるって聞いた事があるわ」

「人の怨念って幽霊みたいなものか?」

「うん、でもちゃんと体があって人を襲ったり、畑を荒らしたり、その・・・女の子を攫ったりって好き勝手に暴れているの。悪鬼と違ってわたし達でも倒せるから何とか出来るんだけど、厄介なのは邪鬼はいつも群れて行動するって事かな」

「じゃあ今の奴らは何でいなくなったんだ?」

「悪鬼が現れたから、かな。邪鬼は悪鬼を怖がってるみたいだから」

「ふうん、邪鬼は悪鬼の仲間って訳じゃないのか」

 ナアルフィは立ち上がると、あっとラフィートに向き直る。

「ごめんなさい。まだお礼を言っていませんでした。ラフィートさん、助けてくれてありがとうございました」

 ぺこりっとナアルフィは頭を下げると、フフッと微笑む。

「ああ、うん。たいしたことは出来なかったけど。それよりも、ここって何処だか分かる?見憶えがある気はするんだけど思い出せなくてさ」

「ここですか?」

 ナアルフィは何かを察してラフィートの質問に答える。

「ここは悪鬼から逃げてきた人たちが集う名も無い街。かつては中央都市セントラルと呼ばれたラの国の首都、自由交易都市セントラルシティです」






 廃墟と化した市街を抜けてしばらく行くと小さな集落に着く。

 ナアルフィの話では似たような小さな集落が他にもいくつかあると言う。ラフィートはナアルフィに案内されて彼女の暮らす家へとやってきた。家に入るとナアルフィは顔をのぞかせた初老の女性に、ただいまっと声をかける。

「お帰りナアルフィ。また慰霊碑へ行っていたのかい?」

「うん、そうだよ」

「おや、その子は?見ない顔だけど」

 そう言ってナアルフィの後ろのラフィートに気付く。

「あ、どうも」

 ラフィートは軽く会釈をする。その女性はナアルフィからこれまでのいきさつを聞くなり顔を真っ青にしてナアルフィを抱きしめる。

「おばさん?」

「あぁ、無事でよかった。お前にもしもの事があったら私は・・・私は・・・」

「・・・ごめんなさい」

「もう、危ないから一人で行くのはやめておくれよ」

「うん、分かったわ」

 ナアルフィが頷くと今度はラフィートの手を取り頭を下げる。

「ラフィート君、だったわね。ありがとう、ナアルフィを守ってくれて。なんてお礼を言えばいいのか」

「あいえ、たまたま通りかかっただけだから」

「フフッラフィートさんはとてもかっこよかったのよ。まるで本物の王子さまみたいに」

「またこの子は、そんなおかしな事ばかり言って。ごめんなさいねこの子ったらいくつになっても夢見がちでねぇ」

「もう、おばさんってば」

 ナアルフィは照れくさそうにおばさんを押しのけてラフィートをリビングに通す。

「今、お茶を入れるから待ってて」

 ナアルフィの用意したお茶菓子をつまみながらラフィートは話を切りだす。

「なあ、ナアルフィ。さっきの話なんだけどここで一体何があったんだ。どうしてこんな事になったんだ?」

「ラフィートさんも知ってるよね、3年前に101体の悪鬼が現れたのは。中央都市も悪鬼に襲われてみんな生き残る為に必死で戦った。けど、悪鬼には敵わなかった」

 ナアルフィの声が震える。その瞳にはうっすら涙が浮かぶ。

「3年・・・前?今年は聖歴S50年だよね?」

「え?違うよ。今年は聖歴UN、S50年は3年前よ」

 ナアルフィの言ってる意味が分からない。UNってどういう事だ、3年前って?そもそもここは本当に中央都市なのか、そんな思いが顔に出ていたのか、ナアルフィが不安げに見つめている。

「姫は・・・勇者はどうしていたんだ?勇者達は悪鬼と戦っていたはずじゃあ」

 ラフィートがタカラに言われた事を思い出して自分が勇者である事を伏せて尋ねる。だが、ラフィートの問いに答えたのはナアルフィ達ではなくリビングに入ってきた初老の男性だった。

「逃げたんじゃよ、あの者達は俺等を見捨ててな」

「なっえ?誰」

「おじさん、おかえりなさい」

 ナアルフィは席を立ちおじさんを出迎える。

(おじさん、か。そういえばナアルフィの両親はどうしたんだろう。一緒に住んでる訳じゃなさそうだけど。いや、変な詮索はしない方がいいよな)

 ラフィートがそんな事を考えている間にナアルフィはおじさんから荷物を受け取るとそれをしまう為に部屋を出る。おばさんもナアルフィと一緒に行ってしまった為、ラフィートはおじさんと二人きりで向かい合う事になりどこか気まずい感じになる。

「ところで、君はうちのナアルフィとどういう関係なのかね?」

「え?」

 予想外の質問に一瞬思考が止まる。

「もしかしてだが、交際している・・・のかね。いや、分かるッうちの子は可愛い。男ならあんなに可愛いナアルフィを放っておけるわけがない。だがダメだッ断じて許さん!」

「いや、ナアルフィとは会ったばかりで」

「なんじゃとッ君は鬼か!会ったばかりの少女をてごめにしようなどとッ」

「いやいや何言ってんのこのおっさん」

 ムキーッと目尻を吊り上げ激昂するおじさんを戻ってきたナアルフィ達がなだめる。

「あんた、この子はナアルフィの恩人なのよ」

「そうよラフィートさんはそんな人じゃないから」

「いやしかしだな」

 おじさんは食下がるもおばさんに睨まれてしゅんとなる。それから2人にこれまでのいきさつを聞かされて、なるほどそういう事だったかっと納得する。

 で、ナアルフィにお茶を淹れなおしてもらって一息つく。

「それで、ラフィート君。この辺じゃあ見ない顔じゃがどこから来たのかね」

「えっと、タリアシティですけど」

 タリアシティの名を聞いた途端に3人は顔を見合わせる。

「タリアじゃと・・・そうか、まだ生き残りがおったのか」

「え、どういう事?生き残りって・・・」

「東部が壊滅してからもう1年か、最近じゃあ避難してくるものも減って落ち着いてきていたんじゃがな」

 そう言っておじさんはズズッとお茶を啜る。

「もうっおじさんはまたそんなこと言って。大丈夫よラフィートさん、ここの人達はみんな似たようなものだから」

 顔面蒼白になっているラフィートを心配してナアルフィがそっと手を握る。その手の温かさに心が安らぐ。

「ありがとうナアルフィ。それで教えて欲しいんだ、どうしてこんな事になったのか。さっきの勇者が逃げたって言ったけどあいつらが、勇者が逃げるわけがないじゃないか」

 そう言うラフィートに対し怪訝な顔をするおじさん達だったが、ナアルフィに小声で、

「ラフィートさんは何かのショックで記憶が混乱してるらしいの。だから教えてあげて、ね」

 っと耳打ちされる。

「しかしだね、お前は平気なのかい?」

 ナアルフィは少し顔を曇らせるも、

「うん・・・大丈夫」

 っと頷く。そう言う事ならばっとおじさんがラフィートに目を向ける。

「君は3年前の事は憶えているかね」

 3年前、ナアルフィも言っていた事だ。ありえないと思うがどうやらラフィートは聖歴S50年から3年後に来ている事になるらしい。とりあえず無言で頷いてみせる。

「3年前、突然現れた101体の悪鬼が世界中で暴れはじめたのじゃ」




 あの日、巨大な列車の様な悪鬼によって中央都市は壊滅した。それが全ての始まりだった。全世界にテレビ中継された悪鬼による蹂躙。悲鳴と怒号の飛び交う中、人々が目にしたのは我先にと逃げ去っていく勇者達の姿だったのだ。



「う、ウソだッありえない!」

 思わず身を乗り出すラフィートだがおじさんは動じることなく続ける。

「嘘なものか。この子の母親はその時に死んだ。まだ助けられたかも知れなかったのに、助けを求めるナアルフィの目の前を奴らは素通りしていったのじゃ」

 ハッとなってナアルフィを見るとナアルフィは肩を震わせてうつむき、涙をこらえているようだった。

「そん、な・・・」

 あのアズサが助けを求める子を見捨てていくなんて。だが、ラフィートがショックを受けたのはそこではない。列車の様な悪鬼、そうラフィートがつい先刻まで戦っていたあの悪鬼だ。

「あいつが、中央都市を・・・」


――俺のせいだ・・・あの時、レキアやタカラのおっさんの言う通りにしていれば良かったんだ。それなのに俺は故郷タリアを守りたいが為に出来もしない事を言ってしまったんだ。


 レキアの言葉じゃないが中途半端な覚悟のせいで10人を守る為に100人を犠牲にしてしまった。いや、その10人ですら守る事が出来なかったのだとラフィートは肩を落とす。

「中央都市壊滅後、世界中の大都市が悪鬼どもの襲撃を受けた。不死身の悪鬼を前に人間の力など無力じゃ」

「勇者は?その後どうなったんだ」

「ふむ、奴らは暫くは悪鬼と戦っとったよ。中央都市を見捨てた罪滅ぼしっとでも言わんばかりにな。じゃがそれも聖王都に戻るまでじゃったな」

 おじさんは一息ついて続ける。

「聖王都の戦い。5体の悪鬼の襲撃を受けた聖王都は4人の勇者の善戦も空しく崩壊した。だが、問題はその後じゃった。悪鬼との戦いで聖王様が崩御なされ、その後を第一王子シユウ殿下が継がれた。じゃがシユウ殿下の即位を是としない第二王子のクオルス殿下が謀反を起こされた。あろうことかお二人は戦争をはじめられたのじゃ。悪鬼という最悪の敵がいるにも関わらずな」

「戦争・・・人間同士でか?」

「うむ。クオルス殿下は反王制主義者達と共にシユウ殿下率いる聖騎士団に挑まれたのじゃ」

 戦火はあっという間に全国へと飛び火した。人間を守る為に悪鬼と戦うその隣で人間同士が殺し合う。混沌とした状況にさらに拍車をかける様に新たな脅威が生まれた。

「邪鬼、あやつらが現れる様になったのはその頃からじゃったな」

 悪鬼、戦争、邪鬼。ところがそれだけではとどまらなかった。異常気象や地震といった天変地異が頻発するようになったのだ。

「じゃああの空の色は・・・」

「青い空を見なくなってもう随分とたつのう」

 結局戦争も悪鬼に両陣営が潰される事で終息した。聖王家の滅亡、そして勇者達の死。みんな口にこそ出さないものの世界の終わりを予感していた。




「し、死んだ・・・?勇者が・・・姫が?」

「おそらくは、な。あれからもう誰も彼らを見たものはおらんからのう」

「そんな・・・」

 ラフィートはふらりと立ち上がるとうなだれたまま外へ出て行く。家の外に出ると既に日は落ち、辺りは真っ暗だった。街灯などは無く、見上げると見た事も無いような星空が広がっていた。

「どうして、こんな事に・・・」

 これが夢であるのなら早く醒めて欲しい。だが頬に当たる夜風は痛いほどに冷たい。

「ラフィートさん大丈夫・・・泣いてるの?」

 心配して様子を見に来たナアルフィがラフィートに声をかける。ナアルフィに言われて自分の頬を涙が伝っている事に気付く。

「ああ、大丈夫だよ。けどなんて言ったらいいんだろう・・・まるで現実感がないんだ。どうして俺だけがこんな所にいるのか、何でこんな事になったのか」

 手の甲でごしごしと涙を拭いながらラフィートは天を仰ぐ。

「・・・そっか、じゃあわたしと一緒だね」

「え?一緒ってどういう」

「わたしね、3年前から前の記憶がないの。だからラフィートさんの気持ち、少しわかるよ」

「3年前って悪鬼に襲われた時?」

「うん。お医者さんはお母さんが亡くなった時のショックで記憶障害がおきているんだろうって言ってた」

「ナアルフィはずっと中央都市にいたの?」

「ううん、わたしは同じように親を亡くした子達と一緒に別の町とか国に避難してたわ」

 だがその行く先々で悪鬼に襲われて逃げ回っているうちに戦争まで始まったのだと言う。

「そんな時におじさん達が見つけてくれて引き取ってくれたの。1年くらい前だったかな」

 明るく振る舞っているがナアルフィはどれだけつらい思いをしてきたのだろうか。記憶が無いならなおさらだ。

 かける言葉も見つからず黙り込んでいるラフィートにナアルフィは微笑みかけて言った。

「ねえラフィートさん。もし行く当てがないならうちに来ない?お部屋は空いてるし、おじさんも男手が欲しいって言ってたし」

 え、でもっと言い淀むもナアルフィは笑顔を向ける。

「困った時はお互いさまって言うでしょ。それに今のラフィートさんを放ってはおけないよ」

 自分は今そんなに情けない顔をしていたのだろうか。それでもナアルフィの優しさがとても温かい。



 3年後の世界、悪鬼と邪鬼が跋扈し、レキア達もアズサもいない。自分一人で何をしたらいいのか分からない。そんな自分に手を差し伸べてくれる少女がいる。

「ありがとうナアルフィ。よろしくたのむよ」

「あはは、うん。じゃあおばさん達に話してくるね」

 そう言ってナアルフィは先に家の中へと入っていった。

 残されたラフィートはまるで地上を見下ろしているかのような白い月を見上げ吐息を吐く。

 

 とにかく考えよう。これから何をしていけばいいのか。どう生きていくのか。この終焉に向かう絶望の世界で・・・

 



                                            つづく

第5話もお楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ