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■第三十二夜:雷轟

 頭上を擦過した一条の閃光。 


 それは出力を本来の数分の一にまで抑えられていたが、まちがいなく《ラス・オブ・サンダードレイクズ》――アシュレの携える竜槍:〈シヴニール〉によって繰り出された長射程攻撃だった。

 それはいままさに、ノーマンを肉塊に変えようと迫りつつあった鎌首のひとつを口腔の内側からぶち抜き、本体の体表面に粒子をまき散らしながら受け止められた。

 頭部を通過した超高熱の粒子帯が、一瞬にして鎌首の脳漿を沸騰させ、内側から四散爆発する。

 ごぼごぼと上顎を失った頭部が煮えたぎる血液を吹き上げながら水面に突っ込んだ。

 ノーマンは危ういところでそれを浴びるところだった。

 

 そして、もがくノーマンを守るように、白刃の煌めきが滑り込んだ。

 キンッ、という澄んだ音とともにノーマンに絡みついていた黒蛇を思わせる縛鎖がバラバラに切断され、一瞬、遅れてタシュトゥーカの首がふたつ、ズレるようにして落ちる。

 

 それは夜魔の騎士たちが用いる剣技、その頂点に属するものであった。

 すなわち、名を《エソリティック・ムーン》=秘月ひめづきとでもなるのか。

 派手にエネルギーを放出する〈ローズ・アブソリュート〉の剣技の対極に位置するものだ。

 

 強大なエネルギーで敵を根源から消滅させる〈ローズ・アブソリュート〉の技とは違い、極限まで練り上げられた《スピンドル》を刃の一点に集束し、その練度で相手の防御ごと――あまりの集束に、それは防具や武具を透過したかに感じられる――切り裂く技だ。

 

「さすがに、この剣で使ったことは、なかった……無理が、あったな」

 滑り込んだ影――シオンがそうつぶやき、背後で金属音がした。

 ノーマンの胴甲冑やチェインコートがサーコートごと切断された。

 花びらのような〈ローズ・アブソリュート〉の刃は、あきらかにこの技には向いていなかった。

 迸り出たエネルギーが、予測不能の暴れ方をするのだ。

 

 もちろん、シオンも傷を負っていた。外套が鉤裂きになり、血がしぶく。

 

 く、と膝をついた。

 刃そのものが触れたわけではない。

 〈ローズ・アブソリュート〉自身に《意志》があるかのように、夜魔にとって致命的な刃の部分はシオンを避ける。

 それは無論、シオンが所持者であるときに限られたものであるのだろうが――シオンはそのたびにかつて死に別れた彼女にとっての初めてのヒトの騎士――ルグィンに護られているような気がするのだ。

 

 だが、今回はそこから流出したエネルギーの余波が、飛び散った刃こぼれの破片を思わせてシオンを傷つけたのだ。

 〈ローズ・アブソリュート〉はその内部に伝導されたエネルギーにさえ、それ自身がもつ神気を完全とはいわずとも帯びさせる。

 

 今回は《オブシディアン・カース》とタシュトゥーカの頭部破壊にそのエネルギーのほとんどを使ったが、シオンの両腕を覆う〈ハンズ・オブ・グローリー〉がその飛沫を受け止めていなければ、事態はもっと深刻であっただろう。 

 とくり、とくり、と普段であれば瞬時に塞がるはずのシオンの身体から、そこにできた傷から鮮血が溢れ続けている。

 

 一方で、周囲は混乱の極みにあった。

 瞬時に首を三つ失い哮り狂った〈ヘリオメドゥーサ〉が無差別に周囲を破壊しはじめていた。

 正確性は皆無だが、その力任せの一撃を受ければ人体など破裂してしまう。

 残された再生中の首が、傷が開くのもかまわず《ウォーターカッター》を乱射する。

 血混じりの水しぶきが上がり、巨体が生み出す振動で地震のように地面が揺れた。

 

 びゅう、とシオンが切断し頭部を失った長い首が、こんどはシオンを打ち据えるべく巨大な肉でできた鞭となって振り下ろされたのは、そのときだ。

 常であれば苦もなくシオンは躱しただろう。

 

 だが、いまシオンの背後には護るべき仲間の姿があった。

 ノーマンは縛鎖から逃れたが肺に水を飲み、落下によるダメージから完全には回復できていない。

 立ち上がろうとするところだった。

 

 そして、シオン自身も、自らの技による余波で負った傷に足を取られていた。

 十秒もあれば立ち直れただろう。

 しかし、戦場ではそのわずかな時間差で、運命が変わる。

 

 シオンは〈ローズ・アブソリュート〉でその一撃を受けようとした。

 無謀な賭けだ。

 首一本で数トロン、それこそ巨岩のごとき質量をもつそれが、凄まじい速度で振り抜かれるのだ。

 技どころの問題ではない。

 純粋な質量と運動エネルギーで、シオンの肉体は叩きつぶされてしまうだろう。

 

 たしかにシオンは夜魔の、その頂点に君臨する大公の直系だ。

 そのような状態からでも復活は、する。

 問題は、いまその手に握られている〈ローズ・アブソリュート〉だった。

 

 その刃は夜魔の肉体に対して猛毒として作用する。

 刃は触れただけで夜魔の肉体を焼き、煮え立つシチューのように溶かしてしまう。

 

 いま剣を捨て、身を翻せばシオンだけは助かることができただろう。

 それなのに、シオンはそうしなかった。

 決して仲間を見捨てまいとするシオンの《意志》が、極限の死地にあってさえ、そう行動させたのだ。

 《意志》とは思考によるものだけでなく――それは頭脳にだけ宿るものでなく――肉体に長い年月をかけて刻みつけられた生き方、そのものである――その証左だった。

 

 迫り来る肉塊が頭頂に迫る。

 その瞬間だった。

 

 シオンが自らの肉体が被る損害を省みずノーマンの来援に現れたのと同じように、その眼前に、彼女の騎士は立ち塞がった。

 

 竜巻のように力場が展開するのが、飛び散る血混じりの水滴が渦を巻くことで可視化された。

 ――《ブレイズ・ウィール》。

 アシュレの携えるシールド:〈ブランヴェル〉の能力だった。

 

 再生しかけで――だが、さすがに落された首まで甦らすには時間がかかる――泡立つ断片がまたたく間に見えざる刃の回転に巻き込まれ粉砕された。

 周囲に酸鼻を極める血臭が立ちこめる。

 

 それでもその重質量とスピードが生み出した一撃は、威力を減衰されながらも〈ブランヴェル〉とそれを構えるアシュレを打ち据えた。

 めきり、と骨から肉が剥がれるような嫌な音を、シオンははっきり聴いた。

 アシュレが膝をついた。

 どれほど軽減されていても正面からあの一撃を受け止めたのだ。

 ダメージを受けるのは当然だった。

 

 だが、その目に燃える闘志は挫けてなどいない。

 盾はしっかりと保持されている。

 異能:《ブレイズ・ウィール》のために伝導された《スピンドル》エネルギーと《インドミタブル・マイト》が、ギリギリのところでアシュレを支えてくれていた。

 

 耳障りな絶叫が周囲を圧して響く。

 苦痛にタシュトゥーカが鳴いたのだ。

 ぞぞぞぞっ、と水が震えた。

 なんだ、とシオンが警戒した瞬間だった。

 

 首の一本が横薙ぎに襲いかかってきた。

 アシュレはまだ一本を受け止めている。

 その死角からだった。

 苛立ったタシュトゥーカが歯茎に挟まった小骨のように邪魔なアシュレを排除しようとしたのだ。

 反射的な攻撃。

 それゆえ迷いがなく恐ろしかった。

 けれどもその攻撃がアシュレに届くことはなかった。

 

 ボッ、と音を立て肉塊が眼前で消滅した。

 ノーマンが最大励起させた〈アーマーン〉をして、その攻撃を繰り出したタシュトゥーカの肉体ごと打ち消したのだ。

 アシュレが作り出した一瞬の余裕が、ノーマンを立ち直らせる時間を作ったのである。

 同時に叫んだ。

 

「アシュレッ、シオンッ、《カラミティ・ブルー》の予備動作だ!!」

 津波が、来るッ。

 水が、タシュトゥーカに向かって引き潮のように動いていた。

 いや、引いているのではない。

 集められ、嵩を増しつつあるのだ。

 痛めつけられたことでタシュトゥーカの生存本能に火がついたのだ。

 

 狂乱と同時に、高度な精神集中を必要とする召喚系異能の発動を可能にするという、本来ありえない戦闘能力を引き出していた。

 みるみる高さを増していく水の壁は、時間とともに分厚さを増し、攻撃を阻む防壁としても作用するのだ。

 打ち消さなければ、とノーマンは思う。

 しかし、のたうち回るタシュトゥーカの首は予測のつかない動きをする。

 掠っただけで重傷は免れない。

 

 超高速で回転する鋼線の束に突っ込むようなものだ。

 それも一本が一抱えもある太さの。

 

 それがさらに《ウォーターカッター》を吐き出すのだ。

 加えてその首が地面を叩くたびに、地震にも似た揺れがおこり、《ウォーターカッター》によって亀裂の生じた岩盤が落ちてくる。

 アシュレとノーマンが防御陣形を築く。

 それでも防戦一方だった。

 

 もちろん、このような狂乱は著しい消耗を招く。

 巨大な蛇の亜種:タシュトゥーカであろうと無尽蔵のスタミナを持ち合わせているわけではない。

 だが、驚異的な生命力をタシュトゥーカは見せつけた。

 流石に、土蜘蛛の一派をして、地底湖の主として君臨し長年に渡り生け贄を要求し、水神として祀られてきた一柱であった。

 

 竜巻を思わせる猛攻によって降りこめられ、アシュレたちが手をこまねいている間に水量は加速度的に増大していく。

 

「だめだッ、このままじゃジリ貧だ。ボクがッ、突破口を開くッ。ノーマン、カバーリング範囲を広げてくださいッ、数秒でいい! ボクが〈シヴニール〉で仕掛けるッ! シオンッ、《ヴァーミリオン・ヒュー》で水蒸気爆発の衝撃波をそのままヤツにたたき返してやってくれッ!!」

 瞬間的にアシュレが指示を下した。

 

 聖騎士としての訓練には大軍団を指揮する司令官としての科目が含まれる。

 アシュレのそれは堅実で保守的な運用が評価されはしたものの、同期では筆頭というわけではなかった。

 だが、当時の教官はアシュレの評価欄とは別に必ず特記事項を付け加えたものだ。

 

 すなわち“ただし、ときとして、極端にユニーク”である。


 この場であれば、戦闘経験値の差からノーマンが指揮を取るのが定石であったはずだ。

 しかし、アシュレはその定石を踏み越え、そして、全員がそれを自然として従おうとした。

 その瞬間だった。


「いるぞっ、ヤツだッ!!」

 シオンが短く叫んだ。

 ほとんど同時に〈ローズ・アブソリュート〉が飛来した短剣を弾いた。

 拗くれ剣――エレの獲物であった。

 この混乱、狂乱に乗じて、エレは思いきりよくタシュトゥーカの背を放棄し影に紛れ背後に迫っていたのだ。

 

 凄まじい騒乱と混乱と振動の最中だ。

 シオンが夜魔特有の鋭敏な感覚で捕らえていなければ、いまの投擲でひとり、続く突撃でもうひとりが、確実に命を奪われていたはずだ。

 それでも振り返ったシオンが応戦しようとしたときには、エレの肉体がその防衛ラインを突破していた。

 超低空、這うような突進だった。

 常人にはエレの肉体が瞬間移動して掻き消えたように見えただろう。

 

 あらかじめ、その機動を予想していたならともかく、とても防ぎ切れるものではなかった。

 突き立てた〈ローズ・アブソリュート〉の刃より一瞬速く、土蜘蛛の凶手がその身をまさしく狂える刃風と化して躍り込んできた。

 正気の沙汰ではなかった。

 

 いまエレが飛び込んできたポイントこそはタシュトゥーカの攻撃が集中するまさに焦点であり、それは燃え盛る炎のなかへと身を投じる殉教者の狂気にそっくりの所業だった。

 

 ぞッ、とシオンは首筋の毛が逆立つのを感じた。

 

 任務、あるいは自らに課した目的遂行のためにすべてを捧げる、と言葉で言うことは簡単だ。

 だが、それを実際に行えるものは限りなく少ない。それができるものは勇者か、狂信者のいずれしかない。

 エレは、その困難を眼前で成し遂げて見せたのだ。

 

 シオンの背後にはアシュレの無防備な背中があった。

 必死に敵の猛攻を防ぎ止め、死中に活路を開くべく奮闘する男の背中だ。

 足元を掠め過ぎるエレの手に、足に、シオンは凶刃を見出していた。

 

 避けようと思えば避けられた。

 けれどもそうしなかった。

 一瞬、アシュレが反応する一瞬を稼ぎたかった。

 

 立ちはだかるように踏ん張った右足が膝下のところで切断された。

 こつり、と軽い音がした。

 鋭利で粘り着くような柔軟性をもつ鋼の刃がシオンの骨をキレイに切断した音。

 エレの右腕を覆うように装着された異形の刃だった。

 

 キレイに切断された傷口はなかなか痛みを自覚させないものだ。

 だが、その傷はシオンにまるでヤスリ掛けされるような痛みをシオンに伝えてきた。

 

 それは、土蜘蛛の技:《センチビード・ヴェノム》。

 傷口に粘り着くように残された刃が相手の傷口を冒し続け、消耗と流血を強い続ける能力だった。

 解呪しないかぎり傷口は再生するための能力を受付けない。

 名前に反して毒ではなく、呪いに属する攻撃だ。

 

 凶手であるエレは特定の得物に固執しない。

 特定の《フォーカス》に固執することは殺しの形式を固定してしまうことでもある。

 エレはそうして選択肢が失われてしまうことを嫌った。

 ゆえにいくつもの得物を消耗品として使い捨てるスタイルを採る。

 

《センチビード・ヴェノム》は、そのエレの戦法にぴたりと吻合する異能であった。

 それでも、シオンの捨て身の妨害は、たしかに一瞬の時間を稼いだ。

 

 そして、その一瞬を担保に、信じ難い行動へとアシュレは打って出る。

 

 瞬間的に盾を手放し、まるで倒れ込むように転がる。

 支えを失った〈ブランヴェル〉が下からの打撃を受け跳ね飛んだ。

 アシュレは転がり、ノーマンの脚を巻き込むように倒れた。

 巻き込まれノーマンが転がる。

 

 エレの伸び上がるような、そして首を刈り取る攻撃が空を切った。

 ノーマンの背後を狙った足の刃さえ。

 

 

 それが随意的な、つまり意図された防御であれば、受けであろうと回避であろうとエレは即応したはずだ。

 しかし、ノーマンのそれはノーマン自身の《意志》とはまったく関係ない、つまり、単にはっきりと不意打ちによって転んでしまったものだった。

 それも仰向きに、という普通考えられない転倒の仕方だ。

 

 アシュレは身体をひねって転がり、仰向きに上空を擦過するエレの姿を見たはずだ。

 憶えがない。

 

 もう、その瞬間には、アシュレは転がりながら〈シヴニール〉を構えていた。

 そのアシュレの上に、庇うように影が覆いかぶさってくる。

 シオンだった。

 

 もちろん、防御のためだけではない。

 それは紅蓮の衝撃波で一帯を薙ぎ払う《ヴァーミリオン・ヒュー》の予備動作だった。

 

 アシュレは、シオンの肉体が自身の上に着地する瞬間、〈シヴニール〉を開放した。

 

 亜光速の粒子帯が恐ろしい厚みと高さに成長した水壁に直撃するのと、いっそ爽やかささえ感じる炎の匂いが鼻腔を満たすのは、ほとんど同時だった。

 

 世界が激震に揺れた。

 閃光と爆音と熱風と業火。

 着弾地点の水面が瞬間的に沸騰し、大爆発を起した。





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