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■第二十九夜:〈スローター・リム〉

 

 

 地に置かれた水鏡から、たたえられていた水が激しく吹き上がった。

 

 土蜘蛛の巫女:エルマが作戦の一部始終を観ることができるよう置いて行ったものだ。

 むろん、そこからこちらの動向を探るための覗き窓としての意味合いもあっただろう。

 

「どうやら、蟲の巫女は誓約通りしかけたようだな」

 半身を起し、ひっくり返った水鏡を眺めながらヴァイツは言った。

 まだ半分眠りの世界に身をおいているかのような気怠げな声だった。

 

「ゆかれるの、ですか」

 その裸身にすがりついて問うたのはアーネストだ。

 燃えるような赤毛が汗に濡れ、上気した肌に貼り付いている。

 静脈が透けて見える肉体の上を不意に官能の余韻がさざ波のように過ぎるのだろう。その声は艶めいた吐息のようだった。

 もう一度、アーネストが問うた。行かれてしまうの、ですか、と。

 

 ああ、とヴァイツは答えた。

 ああ、とアーネストは呻くように言った。

 止められないのだ、と悟って。

 

「だが……そう急くこともあるまいよ」

 そんな女の心中を察したのだろうか。

 ヴァイツはその赤毛に指で櫛しながら言った。

 

「やつらのお手並み拝見といこう。我らはその実力のほどを、前夜に示した。であればこそ、やつらは取引を持ちかけた。組む価値がある、とな。だがやつらはどうだ? 我らにそれを示したか? 否、そうではあるまい?」

 こくり、とアーネストはヴァイツを見上げて頷いた。

 本心ではこの取引を快くなど思っていないことが明白な態度だった。

 ほんとうはすがりつき、身を投げだして翻意を迫りたかったのだ。

 いや、先ほど結んだ契りがなければ、そうしていただろう。

 そのためなら、自らの尊厳すら投げ打ってかまわぬと、本気で考えていたのだ。

 

 だが、男のほうはそう考えてなどいなかった。

 そういう男だからこそ、アーネストは恋に堕ちてしまったのだが。

 そして、その腕に捕われるとき、一度は諦めたのだ。

 けれども、とアーネストは思った。

 もしかしたら、と考えてしまった。

 

「土蜘蛛の姫巫女たちの実力、どれほどのものか、見極めよう、というのですね?」

 震えながらアーネストは訊いた。

 

「そうだ。我らが賭けるに値するものかどうか。品定めをさせてもらう」

 ああ、とアーネストはかすかな期待を抱いてしまった。

 もし、土蜘蛛たちの計略がお粗末なものであったら、このヒトは、自分とともに祖国に帰ってくれるのではないか、と。

 だが、その淡い期待をヴァイツは打ち砕くように言うのだ。

 

 アーネスト、と呼びかけられた。

 それは、ない、と先回りに言われた。

「そんな」

 不覚にも涙を流してしまった。

 弱い自分をさらすことに夜魔の女たちは耐えられない。

 それは極端な階級制の下であっても、男女同権が確立した祖国:ガイゼルロンに生きてきた彼女たちにとって許しがたい屈辱のはずだった。

 けれども、ヴァイツの決意は、それを引き出してしまう。

 ヴァイツは、言う。

 

「もし、乗ずる価値すらないのなら捨て駒となるのは奴らのほうだ。むろん、向こうも保険はかけている。こちらの参戦が遅れすぎ、あるいはなかった場合、敵の掌中に取り戻されたイズマガルムの占術がこちらの居場所を割りだすぞ、というな」

「そこまで、読んでいらしたのですか?」

「無論だ。取引相手の思惑を図り損ねることほど危険なことはない。そうだろう?」


 指揮官としては失格だったが……ヴァイツの自嘲には、しかし、暗いところなど微塵もない。

 悟りめいた諦念――そして、決意による覚悟だけがあった。

 そんなヴァイツにだからこそ、アーネストは取りすがってしまうのだ。

 

「いまを持って、閣下の先見の明こそ、わが月下騎士団に必要なものと悟りました。どうか、わたくしと逃げ延びてくださいませ! お願い、お願いでございます。そのためなら、わたくし、どんなことでもいたします」

 

 だが、アーネストのすべてを投げ打つという宣誓すら、武人として、騎士としてのヴァイツの決意を翻らすことはできなかった。

 ヴァイツという男を拠って立たせている誇りが、どこから来るものなのかを悟って、アーネストは目の前が真っ暗になる。

 

 なぜならそれは脈々と受け継がれた夜魔の歴史そのものに繋がっていたからだ。


 畳みかけるようにヴァイツが言った。

 見るがいい、と。

 ざあっ、と遺跡の暗がりが緞帳のごとくに割けた。

 ヴァイツの《シャドウ・クローク》だ。


 その奥に、奇怪な影が鎮座しているのをアーネストは見た。

 それは鋼鉄で出来た巨人の騎士が座しているようにも、百の刃で肉体を飾る剣呑な怪物がうずくまっているようにも見えた。

 膝をついたその状態で、アーネストの肩ほどの高さはあったから、おそらく立ち上がったならば、三メテル近いのではないか。

 ぶるり、となぜかアーネストの身体を悪寒が走り抜けた。

 知識としては、知っていた。

 まさか、と己の予測に怯えた。


 その通りだった。


戦鬼オウガの“鏖殺具足スローター・リム”!!」


 それは夜魔のための武具ではなかった。

 オウガと呼びならわされる強力な戦闘種族のための重甲冑。

 

 その由来を語るためには、まず、オウガという種について説かなければならない。

 

 オウガの一族は生まれ落ちた瞬間には人類とそう大差ない。

 いや、容姿だけを抜き出すのなら美しいと形容すべき種族だ。

 だが、同時に先天的な疾患――その多くは手足の一部を、重度のものとなると臓器を損って生まれ落ちてくる。

 

 これは種そのものにかけられた呪いであると言われており、そのように信じられているが、実際には太古のむかし、純粋な戦闘種を創りだそうとしたおぞましい交配実験の産物である。

 無論、そのような事実は現在の文明レベルでは証明のしようもなく、これらすべてが血統によるものと判断されるのが常であった。

 

 それゆえ、穢れた者として蔑まれ迫害された民であった。

 

 だが、彼らは積極的にその肉体を絡繰り仕掛けの具足に取り換えることで補った。

 いいや、正しく言いなおさなければならない。

 補ったのではない。

 五体満足以上のものに作り替えたのだ。

 

 ゾディアック大陸の大半を占める未開の地、文明の光届かぬ荒野の果てに、彼らの求めるものはあった。

 人間たちの多くは知らぬことだが、かつてこの世界に満ちていた旧世界の文明が密やかに彼らを助けた。

 

 これも正確を期すならば、言いなおさなければならないだろう。

 戦闘種として産み落とされた彼らに適合するよう用意された武具の数々が、そこにはあった。

 まるで彼らの望みをそのままなぞったように。

 あつらえたように。

 

 実際には、その通りなのだが・・・・・・・・

 

 そして、未明の地――《テラ・インコグニタ》に赴き、己の武具、すなわち〈スローター・リム〉を得て帰還することこそ、彼らオウガの成人の儀となった。

 

 先天的不具者として生まれ落ちるゆえ、彼らは己の肉体を改造することに躊躇ちゅうちょがない。

 有益であるのならば、彼らは、まるで部品を取り換えるようにその肉体構造を入れ替えて行く。

 それゆえ、彼らを同種と一目で見抜くことが難しいほどだ。

 

 無論、なにをして“有益”と判断するかはそれこそ、彼らの世界観――特に死生観によって決定される。

 戦うこと――それも誇りや、大義、国家のためではなく、純粋に生きるために。

 それが、彼らオウガの世界観だ。

 

 彼らは戦う――まるで、肉食動物が獲物を捕らえるように。

 善悪など関係ない。

 イデオロギーも愛国心も、無用の長物だ。

 ともに戦い糧を得る味方と、それ以外――すべてが獲物。

 

 その二極に塗り分けられた世界を彼らは生きる。

 それゆえに純粋を極められた闘争は美しくも、凄まじい。

 

 凄絶、とは彼らの戦いぶりを指し示すための言葉だ。

 

 オウガの戦列に一度でも相対した軍団は、種族の別なく、その意味を知ることになる。

 飽くなき勝利への執着心。

 もはや種族的特徴と呼ぶべき執念。

 彼らは戦場には固執しない。

 ただ、闘争がもたらす充足に固執するのだ。 

 

 弱者には手を挙げない、とも言われるが、それは見解の相違に過ぎない。

 

 彼らから見れば戦闘に従事しない存在は「価値がなく」「興味を抱けない」だけのことだ。

 路傍の石と同じ。

 邪魔であれば踏みつぶすだけのこと。

 刃向かうならば容赦しない。

 必要であれば鏖殺おうさつする。

 

 そうやって肉と骨で作られた道で血の河を埋めながら前進する。

 それは自らの肉体がちぎれとび、破砕されて、文字通り残骸と化すまで止まらぬ行進であった。

 それが彼らオウガの行軍であった。

 

 そして、そのオウガのための武具:〈スローター・リム〉が眼前にはあった。

 

 オウガたちの凄まじき戦闘能力を支える槍であり、剣であり、時には盾、そして義手、義足――すなわち肉体ですらあった。

 

挿絵(By みてみん)


 アーネストにしてみれば、文明を理解できぬ野蛮人、血臭にしか興味を抱けぬ殺戮者たちの悪趣味な――おぞましきオブジェに他ならなかった。

 だが、いま本当にアーネストが怯えるのは、それがなぜ、ここにあるのか、という疑問――その一点に尽きた。

 

「まさか……閣下、これは……」

「そのまさか、だ。これが我々の切り札となる」

 着付けと調整につきあってもらおうか、とヴァイツは言い立ち上がった。

 

 アーネストは呆然として、へたり込んでしまう。

 ヴァイツを見上げ、そして“スローター・リム”を見る。

 従うしかない、と頭ではわかっていた。

 

 衣服を身に着け立ち上がると、すでにヴァイツは〈スローター・リム〉を眼前に立っていた。

 

 ばくり、ぞろり、と出し抜けに音がして、〈スローター・リム〉はその姿を大きく変えた。

 アーネストには、それは高貴な夜魔の血統を感じ取ったバケモノが、そのおぞましい顎門を開いて、ナイフのごとき牙の生えそろった口腔をあらわにしたかのように感じられた。 

 

 そして、その感想はあながち間違ってはいない。

 

 まるで強姦の罪を犯した犯罪者を裁くための刑具のごときではないか。

 そうアーネストは思った。

 鋼鉄の処女。

 その内側に、〈スローター・リム〉の内装は酷似していた。

 

 具足の内側に張り出した杭のごときものは、本来の使用者であるオウガたちの肉体に埋め込まれたソケットに挿入されるカテーテル群でそれを介して、この〈スローター・リム〉は装着者との“関係”を構築するのだ。

 神経伝達を可能とする回路を結び、その指先までも本来の肉体となんら遜色なく扱うことを可能とするのだ。

 

 だが、ヴァイツにはそのようなソケットなどない。

 高貴な夜魔の肉体を絡繰り人形のごとき下賎で卑屈な道具に差し替えるような、そんな下劣な発想など、脳裏にすらない――そうアーネストは思い、そして、たどり着いた恐ろしい推論に震えた。

 

 まさか、ヴァイツは、閣下は、愛しい方は、生身にこれを纏おうとおっしゃるのか?

 

 その通りだった。 

 そのすべてをアーネストは歯を食いしばりながら、手伝った。

 

 ぞぶり、と杭が肉に食い込む音がした。

 ごぎり、と骨を断ち割る音がした。

 おぞましいオウガどもの、戦争狂どもの狂気の産物が愛しい男の肉体に食い入り、分かちがたく結びついて一体となるのをアーネストは見た。

 この世に顕現した悪夢に愛しい男の肉体が乗っ取られ、変形を遂げて行くのを目のあたりにした。

 ヴァイツはそのたびに咆哮を上げた。

 凄まじい苦痛、そして嫌悪。

 だが、決して逃げなかった。

 それがついに完全となるまでには、ゆうに一刻あまりを必要とした。

 

「どうして……どうして……こんなものが……こんなことが」

 アーネストはすべての手順を乗り越えたヴァイツの頬を撫でて言った。

 

「思えば、あのとき、すでに我らが大公陛下:スカルベリはこのことを予見していらしたのだな」

 ヴァイツの唇から漏れたのは、苦痛の声ではなく自嘲気味ではあったが、どこか晴れ晴れとした笑みだった。

 

「スカルベリ陛下が、これを?」

「遠征に赴く我に、下賜された。いずれ必要となるかもしれぬ。オマエの試みの一助とせよ、とな」

 あのときは、なんらかの研究資料であると思っていたのだが……まさか、使う日が来ようとは。

 ヴァイツは笑う。

 めきり、こきり、と動力を得た〈スローター・リム〉が音を立てる。

 

 ガイゼルロン大公:スカルベリは、大逆者:シオンザフィルの実父であるより以前、かつては人類であり、医学王の称号で呼ばれた男だったとヴァイツも知っている。

 下賜された〈スローター・リム〉は《フォーカス》であり、またなによりも、スカルベリ本人の手によってその内部構造を作り替えられていた。

 

 すなわち、夜魔専用にである。

 脊椎に沿って、また肉体のいたるところに容赦なく打ち込まれたカテーテルはその血を吸い上げ、導体として〈スローター・リム〉を夜魔の手足と同調させる。

 いわば、ヴァイツの佩刀:〈ヴァララール〉と同じ機構だ。

 ただ、その規模がケタ違いに――正気を失うほどに大きい、というだけのことだ。

 

「わたし自身がかつて、手慰みにかけていたものだ。今後は、貴君の研究の役に立つであろうかな?」

 美しい月の光を楽しむかのような穏やかさでスカルベリは言った。

 

挿絵(By みてみん)


 その説明を受けたとき、ヴァイツはスカルベリの医学者としての探求心の深さに感服しながらも、武人とは相容れない視点を持つ自らの君主に鼻白んだものだ。

 人類など夜魔の完全な統治下で家畜として扱うべし、との意見を持つ急戦派に対して距離を置き続けてきたスカルベリを、どこか弱腰の、知的だが机上の空論を弄する理想家と侮っていたところがヴァイツにはあった。

 

 だが、いまは違う。

 絶大な暴力を自らが得たことを、ヴァイツは感得しつつあった。

 苦痛はある。嫌悪が去ることもない。

 

 だが、それに倍する活力、なにより凶暴なまでの戦意の高まりを感じる。

 それはこの動甲冑――〈スローター・リム〉:〈ジガベルトフ〉に焼きつけられた純粋な戦争の、そこに産み落とされた私生児としての意識に他ならなかった。

 

 それはスカルベリの思想・思索の顕現だ。

 作品とは作り手の《意志》の結晶であるのだから。

 

 改めてスカルベリに対する畏敬にヴァイツは打たれた。

 

 これほどのおぞましさ、これほどの狂気、これほどの暴力。

 それを追及し極めたがゆえ、あの方は穏やかであらせられるのだ、と理解して。

 

 究極の権力とは暴力である。

 そこに問答は無用である。

 つまり相手を畏れさせる言葉など、必要ではない。

 成す、と思えば、ただ成せばよい。

 

 スカルベリはそれを体現している。

 

 威嚇や示威など、する必要がない。

 言葉による恫喝など必要がない。

 

「それをまるで使い古しの玩具を子供に下げ渡すように扱われるとは……たかだかそのごく一部の機能しか持ち合わせない〈ヴァララール〉を長年、家宝として奉り、そのお心もしらず陛下に夜魔による完全統治、その実現のための全面戦争などと言い募っていたわけか、われらがハイネヴェイル家は――」

 キリキリキリ、とぜんまいが巻かれるような音とともに〈スローター・リム〉が駆動をはじめた。

 

 調子を確かめるようにヴァイツは、そのひとつひとつがナイフのごとき指を動かして見せる。

 キンッキンッ、とそのたびに熱に炙られた鋼が立てるような音が響く。

 

「なるほど、これは素晴らしい」

 どこか満足げにヴァイツは笑う。

 死を覚悟した代償に得た《ちから》であった。

「まるで、一本の剣として打ちなおされ、研ぎなおされたかのような心持ちだよ」

 凄絶な笑みを浮かべながらヴァイツは言った。

 

 アーネストには、彼を愛する女として、もはやかけるべき言葉を持たない。

 だが、彼の最期を看取る戦友としてならば、あった。

 

「テストは、なさいませんの?」

 征服の、という意味を込めてアーネストは言った。

「テストを経ない兵器など、信ずるに値せん」

 言うまでもないだろう、とヴァイツは応じた。

 

「なさいますか?」

 わたしで、とアーネストは言った。

「それは精密動作のテストになるな」

 とヴァイツは答えた。

 ああ、とアーネストは思う。

 うなずきながら。


 わたしは、この男を愛しているのだ、と。


 



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