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■第二十八夜:召喚

         ※


 ごうおう、と世界が鳴動した。

 地といわず、海といわず、天さえも震えていた。

 

 巨大な儀式が励起しつつあった。

 ついに、すべての調整を終えた〈コンストラクス〉が、その真の《ちから》を振うべく、カテル島全域に張り巡らされた回路に膨大な《スピンドル》エネルギーを循環しはじめたのである。

 

 それは人類をして奇跡に手を届かせるほどの所業。

 ヒトの子を、《救世主》の母として組み上げなおす御業みわざ

 

 その《ちから》はすでに儀式の中核――イリスの横たわる聖なる御座とその周囲を取り巻く水柱の内に満ち、まばゆい光を放っている。

 蝶の繭のようなカタチをした御座はその金属の外壁が透け、内側に眠るイリスの肉体が――やわやわとして正体の固まりきっていない裸身が透けて見えた。

 

 光は周囲を取り巻きながら世話するように儀式進行を補佐する四人の使徒――不思議な衣服に身を包み、天使像を模した仮面をすっぽりとかぶった二組の男女の姿さえ、同じように透過して浮かび上がらせている。


 その光景のあまりの神々しさに、儀式を見守る参加者たち――例の毒物によって倒れた者たちも簡易な寝台でひざまずき、篤信とくしんの祈りを捧げている。

 聖イクスが説いた男女同権の精神をその拠所とするグレーテル派の信者たちにとって、これはひざまずかずにはおれない光景だったであろう。

 肩を寄せ合い涙を流す者たちさえいる。

 夫婦となろうという男女だろうか。

 

 まごうことなき奇跡に、いま自分たちは立ち会っているのだと。

 

 だが、それは、ヒトが己の《意志》でもってヒトと神との境界線を超えようとする恐るべき越境行為をも、意味していた。

 あえて例えるならば、ヒトがオーバーロードとなる過程をなぞっている、とも、それは。

 

 そして、再誕劇を演出する側――すなわち、この変成の儀を主催するダシュカマリエは、その精神を削り取られるような苦痛にさらされていた。

 

 集中する《ねがい》は暴れ馬だ。

 それが強大であればあるほど、それを御す人間には精妙かつ強い手綱捌きが要求される。

 だが、個人の力量にはおのずと限界があるものだ。

 それを儀式は補うのだ。

 たとえ《スピンドル》能力者でなくとも、儀式に参加する人々の振る舞いは重要な助けとなる。

 儀式の手順、正確に踏まれる手続きには意味があるのだ。

 

 その儀式が滞りつつあった。

 土蜘蛛の毒、その脅威によってである。

 

 しかし、集中する祈り――すなわち《ねがい》はいっそうの強大さを増しつつあった。

 それはいま儀式に参加する者たち、そして、その外部にあって事情を把握せず不安に震える者たち、かれらが《救世主》の誕生、そのための聖母再誕の奇跡に寄せる心の現れだ。

 どれほどにそれが望まれているか、だ。

 

 その強大な《ちから》がダシュカを責める。

 

 大車輪に磔刑され、肉体を弓なりに引き裂かれるような苦しみ。

 生きながらにしてその身を貪られる激痛。

 身も心も穢し抜かれる恥辱。

 

 ダシュカと一体となった〈コンストラクス〉を介し、接続された上位意志・・・・――それをあえて神、と呼ぼうか?――からの要求はいや増している。

 この世に《救世主》の降臨をなさしめるため、供物、生け贄としてのさらなる合一を、仲介者であるダシュカに強いてくる。

 

 姿形もわからぬ無数の、無限の要求に、その強姦に身体をひさぐよう強要される。

 ぞる、と体内に差し込まれた同調器がうごめくのがわかる。

 ダシュカは漏れそうになる悲鳴を噛み殺す。

 

 聖句を刻む唇とは裏腹に、心のなかでノーマンの名をなんども噛むように反芻して。

 

 儀式はついに最終段階へ差しかかりつつあった。

 真の不眠不休、心身の不屈を試される闘いのはじまりだった。

 集束する光量がその輝度を上げてゆく。

 

 ダシュカがその存在をすり減らすようにして、奇跡を成し遂げようとしていたころ、カテル島全域で、同じように己の存在をかけた闘いを、それぞれがはじめようとしていた。


         ※


「ええ、まあ、そゆわけで、あれこれあったんですけど、こっちはなんとか戦線を維持できてます。ええ、はい、ああ、カーミラちゃんもいいコにしてますよ、イテッ、なんで噛むの、なんで噛むのッ? いや、はい、愛情表現ですね? わかります、イテッ!」

 言いつけを守るカタチでイズマがシオンたちとの連絡を取ったのは、ノーマンがエレを引き連れ当直室に籠った直後のことだ。

 

 それによれば、シオンとアシュレは現在、島の南端付近にまで捜索範囲を広げるかどうか検討しているという。

 すでにかなりの距離、この本営からは離れている。

 馬をとばしても、この天候だ。

 帰還には数時間はかかるだろう。

 イズマは卓上の地図でアシュレとシオンを示すマーカーを島の南側、中継地点にある小拠点に配した。

 

 これはこの指揮所に帰還した騎士たちが、自分たちの戦力と敵の行動を把握するためのものだ。

 イズマの行動はその約束事に乗っ取ったものだった。

 

「ええ、はい。すこし、仮眠を取る? ああ、それがいいでしょう。はいはい。あ、あののね、姫、アシュレとふたりっきりなんですから、気をつけてくださいね。ええ、人類の男は子供でも狼ですから、しかも、アシュレは、かなり女の子を泣かせるタイプですから、わかりますか、イタイッ、カーミラ、コレ、マジ噛みッ、ナンデッ?!」

 いくどもコウモリに噛みつかれるイズマの姿は、見る限りいつもの彼のようであった。

 

 しかし、実際はそうではなかった。

 

 イズマは、すでにエレとエルマ、ふたりの術中に墜ちていた。

 自らの持ち物であった《フォーカス》:〈傀儡針〉の餌食となり、文字通り生ける人形と化していたのである。

 その男が、戦略的にも戦術的にも最重要である通信を、任されていたのだ。

 

 むろん、あからさまな虚偽を流し相手の猜疑心を煽るようなやり方を、イズマの繰り手であるエレは行わなかった。

 むしろ、真実にほんの少し、脚色をするだけでよかった。

 わずかな時間稼ぎで充分だった。

 敵を各個撃破できる時間差があれば充分だったのだ。

 

 時は満ちた。

 

 だからもし、その企てがエレの描いた筋書き通り運んでいたのなら、カテル病院騎士団の命運は今宵、尽きていただろう。

 その仕上げに、イズマがシオンとのリンクが切れたコウモリに眠りの香を嗅がそうと、懐から小瓶を取り出した瞬間だった。

 ひょう、と室内であるにも関わらず、奇妙な風が渦を巻いた。

 

 それは雪さえ纏っていた。

 

 もし、イズマが正気であったなら、異変にすぐさま対処できただろう。

 その正体を看破して。

 だが、傀儡であるイズマの身体感覚までをもエレは把握していたわけではない。

 

 その目を通して、世界を視ることはできる。

 耳ならば聴く、ことも。

 

 けれどもすべての身体感覚を完全に把握、同調させることは危険きわまりない。

 もっとあからさまないい方をすれば命知らずの愚行だ。

 下手をすれば相手の苦痛だけではなく感情の動き、精神の動揺・変調にまで巻き込まれる可能性があるからだ。

 使い捨てにするような駒の場合はなおさらだ。

 

 だから、多くの場合、ごく特別な用途を除いて、相手を傀儡にするとき同調のレベルは低くしておくものなのだ。

 そうしておいて、破滅的な攻撃命令を流し込む。それが常套手段だった。

 

 だが、なまじエレとエルマは、相手を傀儡として操作する人形師(土蜘蛛の伝統的な職能・神楽として捕らえた相手の肉体を人形とし絡繰り舞わせ、奉納とする)としての実力に長けすぎていた。

 

 繰り人形を、まるで本人であるかのように《意志》があるかのように振る舞わせることに一種の誇り、矜持を見出してきた。

 彼女ら姉妹を見舞った過酷な運命を、相手を完璧に操ることで埋め合わせたいという心理が、そこには見出せた。

 そのこだわりが、しかし、このときは逆に作用した。

 

 突然に視界が暗転した。

 

 イズマの視野を借りるエレがそう感じ、つぎに、それが敵による攻撃だと気がついた瞬間には、イズマの肉体は地面に伏していた。

《ランブル・ローズ》――接触している相手の行動の自由を奪う上級技。


挿絵(By みてみん)


 受け身も取らず床板に倒れ込んだイズマの背に乗っていたのは誰であろう、シオンそのヒトであった。

 “反逆のいばら姫”――その異名を象徴する武器である聖剣・佩刀:〈ローズ・アブソリュート〉を帯びていなかった。

 むろん、それを振うに必須の聖遺物:〈ハンズ・オブ・グローリー〉もなかった。

 しかし、それゆえに、シオンは《影渡り》でこの座標に飛び込めた。

 ヒラリがいればこそ、精妙な座標が指定できた。

 

 つまり、シオンは自身が振いうる最高の武具をすべてかなぐり捨て、徒手空拳でこの場にテレポートしてきたのだ。


 ノーマンは本営内に敵勢力が紛れ込んでいることをほのめかしはした。

 けれども、そのことにその後、言及しなかった。

 それは、あまりにも敵が近くにいて、またそれについて言及することが危険すぎて、できなかったからだ。

 だから対処をアシュレたちに託した。

 無論、すべてを丸投げにしたのではない。

 事実、ノーマンのつけた目星は正解だった。

 

 だが、その特定と排除には内外からの呼応が必要だった。

 そのためにシオンの使い魔:コウモリのヒラリを“カーミラ”と誤って呼んだ。

 

 当然だが、エレもエルマも事前にイズマの口からこの本営の防衛機構については情報を聞き出しただろう。

 哀れな夜魔の捕虜、月下騎士が抗うこともできなかったほどの尋問の技量である。

 ほとんどの案件は筒抜けである、とノーマンは判断した。

 

 だが、ただひとつだけ、この諜報戦においてカテル病院騎士団側が有利だった点があった。

 

 それは、本営の防衛機構を確定する前に、イズマが単独で迎撃任務に当たっていたことである。

 イズマはヒラリとシオンの主従関係が連絡網として転用される事実、またその可能性について、イズマはあえて“知らず”“考えず”を貫いてきのだ。

 

 せめてそれらの体裁を整えてから行動に移ってはどうか、と進言したノーマンにイズマは苦笑混じりに言ったものだ。

 

「ノーマン、アシュレはともかく、ボクちんはこの件に関して、最終的には部外者なんだ。さみしいけれど、それは仕方がない。イリスのことは好きだし、アシュレだって、まあそうだけど……。

 でも、それと、この事件とカテル病院騎士団の運命についてボクちんはどうあがいても当事者にはなれないのさ。

 そういう人間が、防衛機構やことの裏の事情まで知り抜いているってことは、あんまりいいことだけじゃないんじゃないかな? 

 なにしろ、土蜘蛛は尋問・拷問に長けた種族ではあるし?」

 だから、あえて聞かない、と。

 イズマらしい奇抜な発想であった。

 

 あまり謀になれていないノーマンが、これほどの機転を利かせることができたのは――つまり“ヒラリ”を“カーミラ”と言い張り、それを押し通すことができたのは、その一点に拠っていたのだ。

 

 そして、それを察したアシュレとシオンは一計を講じた。

 

 すなわち、自らの現在位置を味方に“偽って報告する”という方策を講じた。

 そして、ヒラリを指して“カーミラ”をイズマが呼びかけるにいたり、確信を得て、行動に移った。

 

 じつは、シオンは一度のショートテレポートで帰還できる場所に、すでにいたのだ。

 危険な賭けだった。

 

 最大戦力である〈ローズ・アブソリュート〉を手放し、いまだあきらかでない敵勢力の潜む場所へ、その手駒とされたイズマを狙い単身飛び込んだ。

 ぐう、とくぐもった声が上半身に生き物のように絡みつく布地の下から発せられた。

 

 布地はシオンのスカートであった。

 それを投網のように――まるで土蜘蛛の王であるイズマのお株を奪うように――シオンは使ったのだ。

 

 通常、《フォーカス》でない物品は《スピンドル》の伝達を受ければ一度の技の使用によって砕け散り燃えつきる。

 だが、シオンの身にまとう特別あつらえの衣類は特異な性質を持っていた。

 はるか東方より伝来したとされる蚕が紡ぐこの絹糸は《スピンドル》によって破壊される際に、その奇妙な特性を発揮する。

 すなわち破壊は免れないが、それは一本の糸を辿りながら、起こるという特性をだ。


 その間、技の効力は持続する。

 これは王族が窮地に陥った場合、最後に身を守る手段として活用する場面を想定された品々であったのだ。

 

 それをシオンは使った。

 オレンジ色の《スピンドル》伝達痕が導線の火花のように糸を辿り走っていくのが見えた。

 

「やはり……敵に操られていたか。イズマ、まっておれ、必ず解放してやるからな」

 そうシオンは告げ、イズマにかけられた異能の種類を特定すべく識別をはじめた。

 そのせいで美脚、いや、下着姿まであきらかになる。

「しかし、これはちょっと、アシュレには見せられん姿だな」


 シオンは、その頭部にいただく王冠:〈アステラス〉を介し、その原因を探り出そうとした。

 精神を守る〈アステラス〉には、対象の陥っている状態異常を正確に見抜く《ちから》さえも備えていたのである。

 

 そのときである。

 大音響とともに当直室の扉が吹き飛んだ。

 続けて、ノーマンが岩壁に叩きつけられるカタチで室内からはじき飛ばされ出た。

 もうもうと舞い上がった煙のなかから、暗器がノーマンに対し幾本も飛来する。

 凄まじい金属音。

 土蜘蛛の凶手:エレが、その牙を剥いた瞬間だった。

 

「ぬ?」

 ほとんど物理的振動となった殺気に、一瞬、シオンの気がイズマから逸れた。

 同時に、イズマを捕らえていたシオンのスカートが青白い炎を上げ、燃え上がった。

 跳躍し、すんでのところで炎を躱すシオンの脚を、白銀に輝くクモの糸が掠め過ぎていく。

 

「導体破壊による《スピンドル》の中和! まだ、伏せていたカードがあったか!」

「我ら姉妹の忠実なる旦那さまをスカートで捕らえて尻に敷くなどッ! このコウモリの淫売王女めがッ!!」

 紙が厚みを得るような、どこに潜んでいたのかわからぬ、あの独特の隠身を解き現れた異国の巫女服はエレと同じく土蜘蛛の凶手:エルマに相違なかった。

 

「幼いようなナリをして、ほんとうは大年増なのだろう? おおかた夜魔の淫靡な技で旦那様をくわえ込み、籠絡ろうらくしたのであろう? 汚らわしいッ!」

 ヴァイツに対したときのあの妖艶な笑みからは考えられぬ、嫉妬心剥き出しの表情でエルマはシオンを非難した。

「くわえこみ? 籠絡ろうらくだと? バカも休み休み言うがよい。

 共闘を持ちかけてきたのは、その男のほうだ。

 まあ、ある意味でわたしの魅力に陥落しているのはたしかだろうな。

 いつも、姫、姫とうるさいくらいだ。

 しかし、断じて、この男に操を許したことなどないぞ? 

 それにこのイズマが貴様らの旦那さまとは知らなかった。

 ほんとうか? それは、貴様らの脳内設定ではないのか? 

 繰り糸を解いて訊いてみるがいい」

 そうやって男を縛りつけ、その肉体を操らねばならんのは、心を手に入れることができんからだろう?

 

 冷然と切り返すシオンに、エルマの顔が悪鬼のごとくに歪んだ。

 べっ、と唾を吐き捨てる。

 血が混じっていた。

 シオンの《ランブル・ローズ》を破る際に少なからぬ代償を捧げた証拠である。

 

「同胞を裏切る薄汚いコウモリ女に貞操観念があったとは、お笑いだ。そんな破廉恥な格好で、下着をさらしておいて言うことかッ!! 貴様も、堕ちても王族と言うのなら秘するということを知れッ!! だいいち……」

 くんっ、とエルマが鼻をひくつかせた。

 

「コウモリの廃王女よ、オマエの身体からは若い男の匂いがするぞ? それも人間の? なるほどこれはよい。ガイゼルロンの大公息女殿下は、自らの種が家畜と認める存在とまぐわるのがお好みか? なるほどなるほど、我らが軍門に下りし時は、その命果てるまで、お望み通りにしてしんぜようぞ」


 罵り合いにおいてはあきらかにエルマに分があるのだろう。

 シオンは羞恥と怒りに心をかき乱されてしまう。

 その時、背後で獅子の咆哮を思わせる大音声が上がった。

 びりびり、と洞内の大気が震えた。

 強大な《スピンドル》エネルギーが解放されたのだ。

 

 土煙の内側から、ゆっくりとそれが姿を現した。

 カテル病院騎士団が誇る筆頭騎士:ノーマン・バージェスト・ハーヴェイの両腕は義手であり、同時に《フォーカス》であった。

 強力無比、破壊と消滅を司る神器――〈アーマーン〉。

 

 それが展開するのをシオンは見る。

 両肩の装甲に擬態していた部分が巨大な腕のカタチに組み変わった。

 

 鉄片でガラスを掻くような凄まじいスキール音が周囲を圧した。

 それは怪物の上げる雄叫びにも似ていた。

 エレの投擲した暗器はノーマンの纏うチェインコートにさえ届いていなかった。

 

 展開する〈アーマーン〉が発する漆黒の雷光に、そのすべてが捕われ、阻まれている。

 それはエレの投じた暗器の文字通り暗い造形美と相まって、クモの網に捕らえられた稀種の蝶のようにそれらを見せた。

 

 そして、《フォーカス》ではないその暗器たちは数秒と持ちこたえられず、くしゃり、くしゃり、と紙細工が握りつぶされるように実体を失いチリに還る。

 ノーマンが受けたのは初撃のみ、エレの放った双掌打を受けたのみだ。

 だが、苦痛に顔をしかめたのはエレのほうだった。

 

「とっさに返し技を放つとは……それも蹴りでも拳でもない。臓腑に通した強力な《スピンドル》エネルギー……」

「まったく効かなかったというわけではない。抉り込まれるような痛みを味わった。侮りがたい、重い一撃だった。ただ、致命傷ではない、というだけだ。《マーターズ・タフネス》。衝撃が体内に伝達されるのを防ぎ、肉体を活性化することで回復を促進する。そこに深く一撃を見舞えば、逆に手痛いしっぺ返しを被ることとなる。土蜘蛛の女、貴様の攻撃が子供だましでなかった証拠だ」


 堂々と名乗りを上げながら、ノーマンはそうエレに告げた。

 強者と対峙すれば、名乗り、自らの技についてさえレクチャする。

 それはノーマンが根源的に戦士ではなく、騎士である証拠だった。

 

「人間、貴様、わたしが仕掛けてくると、見抜いていたな?」 

 ならばなぜ、先んじてわたしを攻撃しなかった。

 エレは訊いた。

「そこもとが女ゆえ。騎士として女相手に先んじて手を上げることは、できん」

 悠然とノーマンは答えた。

 自らの本営に忍び込んだ敵勢力、それも凶悪を持って知られる土蜘蛛の暗殺者相手にである。

 ハッ、とエレの口から嘲笑ちょうしょうが漏れた。

 

 だが、続く言葉にはエレ自身が戸惑うほど邪気がなかった。

 こぼれた言葉は名乗りであった。

 

「エレ」

「?」

「エレヒメラ・ウィリ・ベッサリオン。我が名だ。騎士:ノーマン。貴様は、度し難いバカだな」


 そんなエレに、ノーマンは淡々と返す。

 

「騎士とはバカの別称であると覚えておくがいい。己の信ずるところを成すために、到底割に合わんようなことを進んで行うのだからな。騎士とは見栄とやせ我慢で作られるものだ」

「度し難い」

「見栄もやせ我慢もない男などゴミ屑以下だ。違うか?」


 くくっ、とエレは笑った。

 嘲りではなく、呆れたのだ。

 ノーマンは本心で言っているとわかって。

 

 それはエレ自身の出自にもよったのだろう。

 結局のところ……少なくともその人生が破綻するまでエレもエルマも姫巫女として扱われてきたのだ。

 姫巫女たちを身を挺して護る騎士たちと、その物語は幼少から刷り込まれた物語だった。

 

 エレの嫌世的な思考回路はそうして信じてきたものにことごとく裏切られた過去によって醸成されたものだ。

 だから、それは歪んだ憧れと言い換えることもできた。

 

「では、その見栄とやせ我慢、貫き通せるものなら、通してみるがいい」

「言われるまでもないこと」

「騎士様の言葉がまことかどうか、試してやろう」


 そして、たとえまだ少女のような心を残した一面があったにせよ、エレはすでに超一流の暗殺者:凶手であった。

 自爆覚悟、使い捨ての狂信者と一流の暗殺者の違いは、ただの殺しの道具であってはならないということだ。

 目標の近くに辿り着くには気の利いた会話や広範な知識、芸妓や床での上手など、さまざまな社会的能力が求められる。

 

 感情のすり切れた暗い目の暗殺者を、だれが自らの本拠に招き入れるだろうか。

 

 暗殺が短剣一本で片づくならば、もっとも重要な能力とは相手に警戒されず、自然にその場に“居合わせる”能力だ。

 つまり社会的能力こそ、一流の暗殺者の資質だ。

 

 だから、その言葉には常に裏の意図がある。

 たとえば、この場合は時間稼ぎだ。

 だから、あえてノーマンの語りに乗った。

 思惑通りの展開だった。

 思いがけず引き出された己の真情に、すこし心が動いたことを除いては。

 

 エルマがシオンに仕掛けた舌戦も同じ意図を持っていた。

 

 間合いを計るふりをしながらその袴の下で、エルマは切り札を切るための長い予備動作を行っていたのだ。

 土蜘蛛の呪術体系において禹歩うほ、と称される技術、その応用である。

 自らの歩みを利用して結界を作り上げる技法を、エルマは逆転し、通路を開くための図式を描くために使った。

 

 その意図に、シオンが気がついたときには、すでに遅かった。

 ごごご、と地鳴りがした。シオンが身構え、ノーマンも異変に備えた。

 次の瞬間、足元から突き上げるような衝撃が襲ってきた。


 一瞬で足元に大量の水があふれ返る。

 召喚門の余波だろうか。

 ありえないことに、固い岩盤が液状化するのが見えた。

 

 地震とともに、その底から現れたのは我が目を疑うような怪物だった。

 五つの長い首と、亀のような甲羅を持っていた。

 だがその体表面はぬめぬめとした粘液とフジツボじみた寄生虫に覆われていた。

 地上の生物ではありえない。

 そして、そのバケモノには至るところに鎖が打たれていた。

 捕らえられ、飼育され、調教された跡があった。

 五つの顔には、なにの皮で作られたのだろうか、巨大な目隠しが為されている。

 

 空腹であり、またこうして召喚されるまで長きに渡って加えられた理不尽な暴力と監禁に、それは怒り、身の毛もよだつような歯並びの口腔を、がちがちがちがち、と打ち鳴らした。

 

「竜? いやっ、これは蛇の眷族かッ!」

 その甲羅に乗るカタチとなったシオンが水浸しになりながら呻いた。

 

挿絵(By みてみん)


「いかにも、これなるは〈ヘリオメドゥーサ〉なる。地下世界に広がる湖のひとつに住み着き長らく我らが土蜘蛛の氏族と敵対していた邪悪な水棲生物。それを我が神:イビサスの祝福を受けた英雄たちが征夷した後、こうして召喚獣として飼いならしたものである。字名あざなはタシュトゥーカ」


 シオンの疑問に堂々たる態度で答えるエルマは、なるほど神の言葉を伝える巫女として仕えてきた者だけが持つ威厳があった。

 さきほどまでと、口調さえもがらりと変わってしまっている。

 かつて、民に慕われ支持されていた時代のものに。


「いまでは我が敵を滅殺する可愛いしもべよ」

 そのエルマの足元ではトランス状態にあるのか、イズマが甲羅にひざまづき《スピンドル》を通し続けている。

 エルマはイズマの肉体を導体として使用しているのだ。

 

「貴様ッ!」

 一般的に召喚系の異能の多くは多大な代償を必要とする。

 召喚可能な魔獣、幻獣の類いを捕獲、調教、あるいは契約なり盟約を結ぶところからはじまって、それらを自らがすぐに呼びだせるよう疑似次元階層にプールしておかなければならない。

 それらの契約や維持に自らの四肢や臓器を捧げるはめになった能力者の話は枚挙に暇がない。

 数百、数千の生け贄を一度の召喚の代償として要求する存在もいると聞く。

 

 そして、エルマが召喚したこの〈ヘリオメドゥーサ〉:タシュトゥーカは間違いなく大物の分類に属していた。

 つまり、その維持に凄まじい代償を必要とする存在なのだ。

 けれども、シオンの怒りにエルマは平然と答えた。

 

「熱くなるな、夜魔の姫。壊しはせぬ。《ちから》を貸してもらっているだけ。愛しい愛しい――旦那さまを、どうして壊すなどできようか? だがッ――貴様は別だッ!!」


 エルマの叫びとともに、蛇と言うよりヤツメウナギを思わせる首が裏返り襲いかかってきた。

 大きく開いた口腔からのぞく牙の列は正視に耐えぬほど醜く、生理的嫌悪感を刺激せずにはいない。

 その体表面はめまいを起すほど鮮やかな色彩。

 シオンは舞うような体術でそれを躱す。

 

 だが、それもノーマンとの対決を放棄したエレが参戦するまでだった。

 

 大きく返しのついた暗器の数々は、あきらかに殺傷を目的としたものではない。

 そんなものでシオンを殺せるとはつゆほども思っていないのだ。

 逆だ。殺すのではなく、捕らえて責め抜き、苦悶に鳴かせるためだ。

 

 ぞ、と流石のシオンも武器の選択に見て取れる思考の体現――あまりの徹底ぶりに、背筋に寒いものが走るのを禁じえなかった。

 エレひとりが相手ならば、たとえ無手であっても遅れをとるつもりなどないシオンである。

 

 しかし、この怪物相手では話が違う。

 素手では、まともな勝負になどなるはずがない。

 聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉が、そしてそれを扱うために〈ハンズ・オブ・グローリー〉が必要だった。

 そう判断し躊躇ちゅうちょなくシオンはその場を放棄した。

 

 異能を行使し、《影渡り》で駆けつけたノーマンの隣りにつける。

 

「すまぬ。取り押さえに失敗した」

「案ずることではありませんよ、シオン殿下。それよりも潜んでいた相手を炙りだし、切り札を切らせたのです。これは相手を追い詰めた、なによりの証拠」

「敬語はよい。それよりそなたら、カテル病院騎士というのは皆そうなのか? 思いきりが良過ぎて、バカなのか、と思うときさえあるぞ? 本陣に攻め込まれて、そこまで割り切れるか? そうそうできることではないぞ」

 シオンの言葉に、ノーマンは破顔した。 

「エレ――土蜘蛛の娘も同じことを言っていましたな」

「敬語」

「慎みます。いや、やめる。殿下なる敬称も、以降は廃させてもらう。これでいいか?」

「上出来だ。戦友に敬称はいらん。さて、どうする?」

「武装は?」

「アシュレがもう、洞内に駆けつけてきてくれているはずだ」

「それは重畳ちょうじょう(結構、ほどの意)。では、それまでオレがラインになって食い止める。武装を終えて帰ってきてくれ」

「そう、うまくいけばよいが」

 シオンの懸念を具現化するように、足元にあふれ返りつつあった水がさざ波を立てはじめた。

 鳴動。

 

「なんだ? やつの周りで……水が盛り上がって……」

 ノーマンが訝しみ、同時にシオンが警戒を促した。

 その慧眼だけではない。

 シオンの宝冠:〈アステラス〉がふたたび秘められた《ちから》を発揮し、巨大な海蛇のごとき化け物の状態を探る。

 看破の《ちから》、とはつまりそういうことだ。

 

「! いかんっ、水を呼んでいるのだ。水脈を自らのいる座標と直結させる技だ。蛇の一族が水神として奉られてきた、その理由だ。奴らの頂点に君臨する大蛇は暗密くらみつなる無限に水を吐きだす穴と通じているとも言われるくらいだ。このバケモノに、その何百分の一かでも《ちから》が受け継がれておるとしたら!」

 ごごん、おおん、と地面が鳴った。

 

「ぬっ!!」

 夜魔と人間、ふたりの《スピンドル》能力者はとっさに身を翻し、逃走、そして洞内に詰めるすべての人間に避難を勧告すべく行動に移った。

 

 その判断は正しかった。

 望まぬ召喚を受けた〈ヘリオメドゥーサ〉:タシュトゥーカは、自らに適した環境にこの地を書き換えようとしていた。

 

 数秒後、指揮所は、一瞬にしても水没する。

 

 その水が洞内の通路という通路に流れ込んだ。


 


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