■第五三夜:薔薇と王冠
青き薔薇の花弁を幻視させながら、この世に召喚されたもの。
まったき闇を思わせる漆黒の外套の奥から取り出されし、至高のオブジェ。
それは夜魔の姫:シオンザフィルの裸身であった。
世界最高の陶磁器を思わせて輝くばかりに白い肌はいまや羞恥に染まり、全身を彩る金色はそのすべてが記章。
しかもそこに刻まれていたのは、
──ガイゼルロンノ、タイコウケノ、モンショウ……。
──ガイゼルロンノ、タイコウケノ、チノニオイ……。
──ホンモノノ、ガイゼルロンノ、タイコウケノ……。
──ジャア、ソノ、カンムリ……。
一瞬の間。
続いて爆発的な喚きが、周囲を満たした。
ア、アアアアア、アアアアアアアアアアアアアッ──────。
それまでデタラメに見えながらも、どこか相似形を思わせて統御されていた悪夢どもの動きが掻き乱された。
ある者は次々と体表に現れるデスマスクを掻きむしり、ある者は無数の腕で宙を抱こうとし、ある者は地べたに墜ちて転げ回る。
さきほど同じ紋章を掲げて見せたアストラに対するものとは、正反対の反応。
これこそがいまその証として掲げられる夜魔の姫自身が、アシュレに身を捧げる前に告げた「夜魔にとって無視を許さぬ実力の証明となる」という言葉の真の意味。
家門とはそれ自体に意味はなく、どのように用いられるかで価値となる。
ともかくデスマスクどもは身を捩り、ごぶりごぶりと揃って霊障物質を吐いた。
──ソンナ、ソンナアァ。
──ホシイヨウ、ホシカッタヨオ。
──アンマリダ、アンマリダヨオ。
──トラレタ、トラレタァ。
──ツヨイ、ツヨイノカア、オマエソンナニ!!
そこにあったのは怒りであり、羨望であり、嫉妬であり、なによりも最高の獲物であるシオンを組み伏せ、思うさま蹂躙し尽くした証を掲げるアシュレに対する畏怖であった。
眠らぬ悪夢どもはすでになかば夢幻の存在である、とシオンは言った。
物理的な攻撃でこれを退けることは限りなく難しいとも。
だがだからこそ、この精神的な揺さぶりが効いた。
黒衣の帳のこちら側にいるアストラだけが、事態の急変を把握できない。
元は高位夜魔であった悪夢どもにとって、記章とそれを用いた蹂躙、そしてその果てにある絶対的所有権の誇示は、すでに己を動かすたったひとつの指針、つまり規矩だ。
自我を失い狂気に身を浸してなお記章に固執するのも、その現れ。
だから、その規矩にあって最高峰の獲物を手中に収め、文句のつけようもないほどに貶め辱めては、それを美の領域まで高め、征服し尽くした証を掲げて見せるアシュレを、彼らの本能は絶対的な勝者として認識する。
するしかない。
これほどのの獲物。
これほどの技法。
非の打ち所のない、完璧な仕上げ。
長きに渡りこの都を支配してきたはずの悪夢たちだが、シオンほどの獲物に触れたことは生前にも、そして自我を失ってからも、ない。
同時に、これほどまで完璧な支配を成し遂げた者にも、出会ったことはない。
一度だけ思わぬ好機はあったが、その邪悪な欲望は、宝冠:アステラスによって阻まれた。
そうそれは、シオンがガイゼルロンと袂を分かったあの日のことだ。
自らの理想を叶えるためこの退廃の都市に現れ出でた夜魔の姫の姿は、さながら掃きだめに舞い降りた青きバラの化身のごとく見えたことだろう。
あのときから、宝冠の輝きに護られ魔手を逃れた“叛逆のいばら姫”:シオンザフィルの姿は、奴らの目に永劫の羨望として焼きついた。
そしてだからこそいま、その輝けるものを完膚無きまでに組み伏せ蹂躙し、証として掲げるアシュレの姿に、眠らない悪夢たちは怨嗟とともに恐怖の喚きを上げるのだ。
自分たちが最高の獲物と認めた美姫を、その彼女の家紋を刻まれた記章を用いて隷下としたということは、眼前の男は最上級の夜魔の血を実力で屈服させた後、その血筋までを遡り陥落させたということになる。
自らの持ち物=自家の記章を用いて貶められることは、夜魔にとってこれ以上ない最大級の屈辱であり、その恥辱によって誓わされる服従は、それゆえに絶対のものとなる。
一族が受け継いできた記章を奪われ逆用され、それによって自らの心も身体も所有されてしまうということは、もはや自らに連なるすべてを我が物とされたに等しいからだ。
尊厳も、人生も、そしてそのカラダに流れる血の、家の誇りまでも。
アシュレダウと名乗ったこの男は、夜魔の大公の血筋、それも自分たちを翻弄し尽くしてその手から唯一逃れ得た最高の獲物を相手に、その難行を成し遂げて見せたのだ。
動かぬ証拠として、いま眼前に夜魔の姫:シオンの剥き身がある。
もはや眠らない悪夢たちには、手をつけられる隙間など一片も見出せぬほどに、徹底的に記章を施されて。
支配の作法を至上の価値観とする夜魔と、その成れの果てである眠らぬ悪夢たちにとって、これほどの衝撃はなかった。
さらに言えば幾多の存在の融合体である悪夢たちは、その心模様までもが継ぎ接ぎされた布地と同じくちぐはぐだ。
つまりこれは「この衝撃的光景に対し、どんな感情を抱くのか。またその後、どうその感情と折り合いをつけるのか」を自分で制御できないことを意味する。
なにしろ彼らはすでに肝心の自分がどれなのか、どこにあるのか、見つけられないし判別がつかないのだ。
一群体のなかで、複数の感情が同時に、しかも主体を決めずに想起される。
端的に言えばそれはパニックだ。
そして悪夢にとって感情のパニックとは、すなわち肉体の騒乱と同義である。
アストラは、はためき翻るアシュレの外套の隙間から、わずかにその様子を垣間見るので精一杯だった。
なにが起こっているのかにわかには把握できず、ぺたりと床面に子供のように座り込む。
眠らない悪夢たちが上げる苦悶の叫びを聞きながら、ただありえないほどの安堵に包まれて。
──イタイイタイ、ヒキチギレル!
──クヤチイ、ズルイ、イタイ!
──コワイ、コワイ! コワレル、コワレル!
──バラバラ、バラバラニ、ナルヨ!
内心、己のかざした首級が巻き起こしたあまりの結果に驚愕を覚えつつも、アシュレは好機を逃さなかった。
手荒く片手でシオンを掻き抱くと、右手にアストラを抱え込んだ。
普段ならいきなり腰に手を回してくる男など即座にその手首を噛み千切ってみせたであろうアストラも、あまりのできごとに抵抗など脳裏にすらなく、されるがまま腕に抱かれた。
それからアシュレは開放した。
夜魔の大公の冠、精神を護る宝冠:アステラスの《ちから》を。
カッ、と熱のない閃光が世界を焼く。
その光を浴びた者の「正気を問い正す」輝きが照らし出した。
さて、今週分の連載を再開させてしまいましたが……どうしようかなあ、このあと。
あと数万字はあるんですけど……ねえ。
ちょっとこのまま連載を継続するかは考えます。
とりあえす、キリのいいところまで!
もし明日以降更新がなかったら、さらに書き溜めに入ったとご理解ください!
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でわ!




