■第二一二夜:喜びの器
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「土蜘蛛王はともかく……まさかあそこで人間を連れてくるとは思わなかったぞ」
「そう、我が戦隊にはふたりもいたんだ、古エフタルを読み解ける怪物が」
アシュレは目の前で議論を交すふたりを眺めながら、ウルドに話した。
ファッジを産み出す権能は、生産プラントとしての《御方》の死骸に支えられている技術だ。
それは簡単には認めがたい事実であったが、戦隊の今後のため乗り越えなければならない試練だとアシュレは己に言い聞かせる。
一方、人工生命体の生産を実行する命令文は書き換えが可能であることを、イズマと巨匠はごく短時間で見出し、これを証明した。
「キミちん、やるねえ。初めて見たよ、こんなに古エフタルに詳しい人類を、ボクちん以外に!」
「お褒めにあずかり恐悦だが……大したことではない。こんなものは古代史を熱心に勉強していれば読み解けて当然のものだ。違うかね、土蜘蛛王」
「お、おう、そんなこと言う。ま、まあね、そうね当然ね、天才だからボクちん」
「しかし問題はその応用だ。命令文をどこに書き込むかで優先順位が変わる。それは生命としての存在意義を変えかねん。慎重を期さねば」
「おたくタフだなあ。禁忌意識とかないの? エクストラム正教の信徒だよね? 生命創造はおろかその改変にまで手ェ突っ込んで罪悪感ないの?」
「あるに決まっている。しかし、真理を追究せんとする我が心の動きは止められない。これは禁忌だ、間違いなく。だがだからこそ真摯に、慎重にも慎重を重ねて。そうかつてアガンティリスで行われていたホムンクルスの実験、その再現……くく、くくく、これは恐懼ではない震えがいまわたしを……」
「うーわ、狂的錬金術師だコレ……」
新たにファッジを産み出すこと、それに際してその特性に手を加えたいことを、アシュレはイズマと巨匠:ダリエリに相談した。
イズマが古エフタルを操ることはわかっていたが、創造的な分野においてのスペシャリスト:ダリエリが戦隊に加わってくれていたことは僥倖だった。
「古エフタル? もちろん習得済みだとも」とこの芸術家というか希代の発明家はアシュレが話を持ちかけた際、大きく頷いて見せた。
そしてそのふたりを動かしたのはほかでもない、アシュレの提案内容であった。
「ファッジに『喜び』という感情を与えたいんだ」
ずいぶんと大きく出たね、というのが、アシュレの提案に対するイズマの評価だった。
「そりゃあずいぶんと厳しいんじゃないかい。正直、ボカァ止めといたほうがいいと思うケド?」
「ウルドからも同じことを言われたよ。彼らには心がない、心がないがゆえにあのような単純労働に死ぬまで従事し続けることができるのだ、と」
「そのとおりだよアシュレくん。泡から生まれた者どもって名前は伊達じゃない。人魚姫は《魂》がないから泡になって消えたんだ。物語のように、都合よくね。ファッジ……ファーミング・エージェントを略してそう呼んでいいるけれど、キミだってエフタルに精通しているならわかるだろ? ファッジはでっちあげののことだって。蔑みの言葉だぜ、生き物に対するでっちあげって名称は」
「そのでっちあげのに感情を与えるのは残酷だって、イズマは言うんだね」
「道具は道具のままにしておいてやったほうがいい。それにボクちんは残酷だなんてナイーブな考えから言ってんじゃないぜ? 危険だって話さ」
アシュレにはイズマの懸念がよくわかった。
「喜びという感情を書き加えるには、悲しみを知らなければならないからだね」
「そこまでわかってんのに、ボクちんに説明させんのかい? そうそれだよ。喜びを理解するには、悲しみを知らなくちゃいけない。それを書き加えるだなんて……元聖騎士的に良心の咎めはないのかい? いやそれよりも、だ。悲しみは生物を突き動かす感情だ。すぐ隣りに怒りや恨みが座している……どんな変異が起こるかわかんないんだぜ?」
「全部の個体をそうする必要はないんだ。ただ……群れのなかにそういう感情を抱く個体を作りたい。なんていうんだろう……これからボクたちは国になっていく。ならなくてはならない。世界を相手取るということは、そういうことだ。そのとき……ボクたちの戦いを支えてくれるファッジたちはただの道具でいいのか、ってことに気がついたんだ」
「……それはボクちんたちの理念というか、考えをファッジにも理解してもらいたいってこと?」
「いやそうではなく……そういう大それた話じゃないんだ」
「要するに、聖騎士:アシュレダウは自らの生産物に対する愛情や、成果に対する歓喜をファッジにもたらしたいと、そう言われるのか?」
イズマとアシュレの間に割って入ったのは巨匠だった。
「そう、そうなんです。なんというんだろうか、喜びを分かち合える相手にボクはなりたい。彼らとそうなりたいんだ」
「チミ、それ、自分に都合良く生命を弄くることだって自覚あるかい?」
イズマの声はあくまで冷徹だった。
普段おちゃらけているように見えても、この男はかつて世界の底の底まで降りたことのある人物なのだ。
土蜘蛛王の名は伊達ではない。
だから人間の心の奥底にある身勝手な《ねがい》の匂いを見逃したりしない。
だが、それはもうアシュレも十分に自覚していることだった。
「もちろん彼らにだけ農作業をさせるわけじゃない。ボクたちだって土に塗れるさ。ただ現状、ボクたち戦隊は、彼らファッジに穀物生産の大部分を引き受けてもらう必要性に駆られている。ボクたちは戦闘のプロではあるかもしれないが、そうであるがゆえに、食料の調達手段に対して決定的な弱点を持っている。端的に言えば専任の農業従事者としての経験がないんだ」
「うん、言いたいことはわかるよ。キミは手を汚す覚悟をした。自分たちの戦いを支えるための単純労働力をとしてファッジを導入する。つまるところ、奴隷をね。そこまではいい」
歯に衣を着せず、イズマが言語化した。
さすがに即答するには良心の呵責があり過ぎる表現だが、そのとおりだった。
竜たちが統一王朝:アガンティリスから受け継いだこの技術は、物言わぬ都合の良い奴隷を産み出すためのものだった。
専制君主としての竜たちはそれを扱うことに、良心の呵責など感じもしなかったことだろう。
しかし建前だけとはいえ、奴隷制の存在しないイクス教世界で生まれ育ってきたアシュレにとっては、それは超えがたき心理障壁だったはずだ。
そこをイズマは突いた。
まさかその良心の呵責を和らげるためだけに、都合のよい感情を植え付けようとしているのではないか、と問いかけたのだ。
「実際のところどうなのさ、アシュレくん。良心の咎めから逃れるためだけに喜びを教えようというのであれば、ボクちんは反対だ。それは余計に心を苦しめる結果に繋がるからだ。道具は道具と割り切って使い捨てるべきだよ」
「良心の咎めがないかと言われたら嘘になる。ただそれはたとえ道具と割り切ってファッジたちを使い捨てにしても、同じことだよ」
「同じじゃない。キミが手を加えたんだ、それはキミの責任になるってことなんだぞ」
イズマの指摘は、あきらかにアシュレを慮ってのことだった。
もうそれがわからぬアシュレではない。
だから言った。
「そうなんだ、イズマ。ボクは……ボクの責任にしたいんだ。ボクの身勝手な《意志》が、彼らをそうしたってことに責任を持ちたいんだ」
「それだけかい? それだけならボクちんの答えは変わらないよ。反対だ」
「もちろんそれだけじゃない。それよりももっと大きな、そして長期的な利点がこれにはある」
「利点? なんか得るものがあるってこと?」
己の罪悪感から逃れたいという心の動きからだとばかりアシュレの主張を捉えていただろう。
イズマが怪訝な顔をした。
老練な土蜘蛛王の思考の死角を突けたことにアシュレは微笑んだ。
「ボクは教えて欲しいんだ。ファッジたちに。農作物を育て、収穫して、これを味わう楽しみを」
「ファッジに、教わる?」
「命じられたことの繰り返しではなく、農作物が育つ喜びによって駆動する生き物の姿に学びたい。彼らが農作物の成長に一喜一憂し、それを表出させることで……その喜びを戦隊に伝播させたいんだ」
「喜びを戦隊に、伝播させる……」
アシュレの言葉を、イズマは舌の上でなんども転がして吟味するような表情を見せた。
「つまるところアシュレくんは穀物やら食料になる植物を育てて、その成果に喜ぶファッジの姿を見たいってこと? そしてそれをみんなと共有したいってこと?」
なんのために?
イズマのその問いかけに、我が意を得たりとアシュレは頷く。
「意欲だよ、イズマ。ボクたち自身がボクたちの国を育てていく意欲をもらうんだ。世のなかには戦いに打ち勝つだけでは得られない喜びがある。料理を、芸術を生み出し、これを分かち合う喜びだ。そしてそのもっとも基礎にして、国を育む喜びとは……」
「なるほど、ある領土を所有しそれを国と規定するのであれば……食料の生産にそれはなる。もちろん開墾や治水も噛んでくるけど、それだって究極的には食っていくためだからネ」
「そこに喜びを見出す者たちをボクは生み出したい。そしてその姿勢に習いたい。土に塗れ地を耕して恵みを得る。その根幹に喜びを置きたいんだ」
なぜってそれは希望……だと信じたいから。
「自分たちの手で土地を耕して、そこから恵みを得るってことは喜びなんだと、ファッジたちに表現して欲しいんだ」
「なーんて身勝手で甘ちゃんなんだ、キミちんは」
大仰に呆れて見せたが、イズマは笑っていた。
苦笑いだけれど。
「しょーがねーなー。とりあえず三体くらいパターン違い作ってテストしてみましょか。餓死するわけにゃあいかねーのは事実なんだし。使い魔を呼び出して使役する、と考えたらまあそんなもんか。苦痛で働かすより、意欲で動かすだけまだマシだーね」
「では優先事項をそれぞれすこしずつずらして、また収穫物とそれを調理したものを賞味・分解・吸収・排泄できるように組み換えればいいのだな、アシュレダウ? そこに喜びを感じるように数値を設定していく」
「できますか、巨匠」
「なかなかの改変だ。人類に危害を加えられないよう、また人類に危害の及ぶ可能性のある行動には出られないよう厳重な禁則事項が設けられているので、改変部分と抵触しないようにするのが大変だぞ? これはほんのすこしの改変などでは断じてない」
「難しそうですか?」
「なあに、問題は難しければ難しいほどいい。やりがいがあるというものだ」
輝きに満ちた表情で巨匠が快諾してくれた。
この男にとってイクス教徒としての禁忌など、未知の技術に触れることに比べたらなんということもないのだろう。
その意味でも破格の存在だとアシュレは思う。
なんにせよこれで自分は、生命創造の禁忌に触れたことになる。
たとえそれが戦隊の命運を守るため、自分たちの国を築くための第一歩としてどうしても必要なことであったとしても、己の理想をファッジたちに強要したことだけは忘れまい、とアシュレは固く誓った。
なぜならこれから、数えきれない改変をアシュレは他者に強いる。
あえて口にはしなかったが、イズマにはわかったはずなのだ。
これは予行演習でもある。
たとば──汚泥の騎士たちを始めとした「かつて世界にそうされた者たち」を元に戻すための──手始めの儀式だと。




