■第二〇〇夜:もげる日
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そのあとも様々なことが起こった。
ウルドから愛を告白された直後、アシュレは今度はスノウに噛みつかれた。
それまでふたりの話が終わるまではと辛抱強く待っていたのだろう。
桜色になるまで肌を上気させたスノウの目は完全に据わっていて、噛みつきは本気だった。
そういえばこの娘さんは半分だけだが夜魔だった、とアシュレが思い出したのは直後だ。
なんどもなんども、泣きながら噛まれた。
こわかった信じてたけどホントに怖かったんだから、と訴えられるとアシュレにはもう言い返す術がなかった。
「あのウルド殿下、先に言っておきますけど、ご主人さまに重奉仕するのはわたしのほうが先約なんですからね。ちゃんと順番守ってくださいね。ちなみにわたしおかしなクスリのせいでおかしくなってますし、このクスリすごい後遺症が残るそうです。具体的に言うと、アシュレのことしか考えられなくなるらしいんで責任取ってくれますよね? てかもう手遅れですけど、もうご主人さまのことしか考えられなくなってますけどっ。責任、責任取ってくれますよねっ?! てか取らせるぞ、コラ、たったいまから!」
「スノウっ?! ちょっとまってテンションがおかしいよ?!」
「いろいろ、いろいろいじくり回されて暴かれて、吐き気がするくらい気持ち悪いのにクスリのせいでカラダが、感じ方おかしくて、心の内側をいっぱい汚された。わたしわたしもう……このままじゃおかしくなる! だから上書きしてください、わたしに! 暴かれた秘密を騎士さまの閲覧記録で上書きしてください! 頁が千切れ飛ぶくらい乱暴に、徹底的に、指でなぞって熟読して! 噛み痕つけて! ほかのだれにも知られちゃいけないスノウの秘密を──新しく特別手ひどく書き込んで!」
おねがい、おねがいです。
最初攻撃的だった口調がだんだんと不安げに、最後には泣きながら懇願に変わっていって、アシュレはスノウを抱きしめてやることしかできなくなった。
齧りつくような抱擁を……いや実際アシュレはスノウに齧られながら応じていたわけだが、スノウは本当に周りが見えなくなるほどアシュレへの想いを高めてしまっていた。
そしてアシュレは、その要求を退けられない。
熱い湯に浸かっているはずなのに、スノウの全身が氷のように冷たくなり、血の気は失せてがくがくと震えている。
魔導書である彼女自身に書き込まれた体験から、スノウは逃げることができないのだ。
それを乗り越えるにはスノウ自身が言うように、《御方》とその内部構造物である《星狩りの手》から受けた仕打ち以上の、新しい閲覧記録をアシュレが与えてやるほかない。
主人であるアシュレ以外の閲覧を許してしまったスノウは、自分自身が汚れていると感じてしまっている。
それを癒すのは慰めの言葉ではなく行為だけ──暴力的な貪るような読解──スノウ自身を壊してしまうほどに求めてやることだけだ。
いま愛してもらえないと壊れてしまう。
スノウの全身がそう告げていた。
そしてその切実さは、どうやらウルドにまで伝播してしまったらしい。
ふたりともがうるんだ瞳で、アシュレを見つめてくる。
スノウは魔導書として、そしてウルドは虜囚として、程度は違えど酷似した体験をしてきたのだ。
たとえそれが代償行為に過ぎないと言っても、だれが彼女らを責められるのか。
「騎士さま……わたし、わたし……もう無理かも────」
「どうしようアシュレダウ……おかしい、おかしいのだ。胸が苦しくて切なくて……カラダの深いところが……こんな、こんなのおかしい。わかっている、おかしいのはわかっているのだ。でも、でもっ」
ふたりの訴えはあまりに切実で、とても拒絶できないとアシュレは思った。
暴力的な実力行使という名の救いが渇望されていた。
だが──ここで彼女たちの要求に答えることは不可能だった。
だって周囲の状況はクレイジーのひとことだったんだもん。
なぜって……アシュレたちの眼前で、イズマとシオンの狂気のデスマッチがいまなお続いていたのだ。
イズマに馬乗りになったシオンの目はマヂで怖かった。
ウルドとスノウの必死さに引きずり込まれて忘れていたが、現実は手の浸けられないレベルの狂気ゾーンに突入していた。
そうかこれがまっどまっくす、怒りのデス道路。
そんな周囲の目がある状況でふたりの求愛に応えるなど倫理的に許されて良いはずがない。
ここは屋外だし、そういうのはキチンとしないと、それにこれ以上の風紀紊乱は戦隊の維持にも関わる。
なによりアシュレにはそんな度胸がない!
だいたいなぜイベント全部が一度に、特盛りでやってくるんだ?!
いやそもそも、どうしてこうなった?!
「駄目、ですか?」
「すまない、アシュレダウ、どうしよう……限界だ」
アシュレの葛藤をよそに、ふたりの美姫は本気らしかった。
シオンの眼光はますます鋭く、冷たかった。
いやちょっと待ってくださいこれ以上はいくらなんでもマズイ、とアシュレが思ったその瞬間、奇跡が起こった。
ごぎりっがぼん、という音とともにシオンが宙をカッ飛んで来て、アシュレとウルドとスノウのど真ん中に着弾した。
イズマのもげた両腕とともに。
「ってえ、うわっぷ。……ええええっ、シオンそれっ、それっ?! 腕が、イズマの腕がっ、も、も、もげたーッ?!」
盛大にかぶったお湯を両掌で拭いながらアシュレが見たものは、湯のなかに半身を浸けたまま、呆然ともげたイズマの両腕を掴んで睨みつけているシオンの姿だった。
なおウルドもスノウも毒気というか、それまでの気分を完全に吹き飛ばされて唖然とその光景を眺めている。
「これは……もげた、な」
驚愕を隠せない顔で状況を改めて言い直して、シオンがアシュレを見た。
そして次の瞬間、全員の視線は、もがれた男に向けられた。
「オオオオオ、オギャーッ!!」
倒れていた。
両腕をもがれたイズマが、岩棚の上に。
そう苛烈を極めたシオンのパロ・スペシャルが土蜘蛛王の両腕を肩関節から破壊し、これをついに捥ぎ取ったのだ。
いやそんなわけあるかい!
でもなっとるやろがい!
「えっ、関節技で腕ってもげるっけ?」
「そんなわけなかろう! 巨人猿とかそういう筋力でもなければ、こんな芸当は不可能だ!」
「ひ、姫の、か、怪力があああ、ボクちんの、う、腕を〜〜〜〜ッ!!」
倒れ伏し、足だけで岩場を這いずり回りながら、哀れな声でイズマが訴えた。
「シオン、まさかやっぱりッ?!」
「バカっ、アシュレッ、そなたまでイズマの策に呑まれるな! これは偽装! 抜け殻! 空蝉だ!」
その証拠に見るがいい!
叫ぶが早いか、シオンはアシュレに向かって捥ぎ取ったイズマの両腕を投げつけた。
慌ててアシュレはキャッチする。
すると?
「あれ……これ中身が……ないぞ? 鎧だけ? いやこれ義手か? え、まってイズマががらんどうだってエレやエルマが言ってた気がするけど……それってほんとに空洞って意味なの?!」
「慌てるな! これはイズマの策だ!」
動転するアシュレをシオンがたしなめる。
その瞬間、這いつくばっていたイズマの口が耳まで裂けた。
笑ったのだ。
にやーり。
次の瞬間、衆人の視線を一点に集めたイズマの肩から……その奥のがらんどうから一斉に真っ黒な触手が噴き出した!
「悪辣なる触手の召喚ッ!! どーだどーだこの圧倒的な触手祭りわッ?!」
「しょしょしょ、触手ぅううう?! いいい、イズマーッ?! なにやってんだーッ?!」
「姫やアシュレくんが悪いんですよッ?! ボクちんを放っておいたままラブラブご褒美シーンに入ったり、アブネー関節技で追いつめたりするから! いやまあ姫のお尻と太ももを直に感じられたのはご褒美と言えなくもナイですがネーッ?! ボクちんにも柔肌や尻や乳を楽しませろおおおお!!!」
そういうわけでいっときではあるにしても、触手祭りが展開されたわけだが、自分たちの聖域に不浄の異界生物を呼び込むなどとと怒りに燃えるウルドを筆頭に、シオンとアシュレの活躍によってこの乱は(ご乱心も含めて)速やかに制圧されたのである。
「まったく目を離すとなにをしでかすか、本当にわからんヤツだな」
「夜魔の姫、助力を感謝する」
「いや……それはこちらこそだ。竜族と土蜘蛛は遺恨ある仲と聞いている。しかもなにやらイズマは御身とは因縁浅からぬ間柄のよう。助命の嘆願を聞き入れてくれて、感謝する。もったいない温情だ」
というわけで温泉には秩序がもたらされた。
なお先ほどまで陥落直前、という様子だったウルドとスノウはなんとか……正気を取り戻したらしい。
いやシオンとの会話で武人としての己、王者としての己を取り戻したらしいウルドはしばらくは持ちそうだが、スノウの方はどこかでちゃんと相手をしてやらないとダメそうだ。
いまのところ正気に帰って……懊悩している。
暴走した想いのままあらぬことを口走りアシュレに迫った事実を思いだし、羞恥心に苛まれてのたうち回っていた。
ころせーッ、殺せ殺せええい! といういつもの叫びが温泉に響き渡る。
問題のイズマといえば、触手祭りの責を問われて、ぐるぐる巻きにされ木の枝からも吊るされ、タロットカードの「吊るされた男」みたいになって、白目を剥いている。
そしてそんなイズマに成り代わり、シオンはイズマがウルドの兄に行った所業を謝罪していた。
嘘偽りのないシオンの謝罪に、もうよいのだ、と竜の皇女は鷹揚に頷いた。




