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■第十二夜:凶手艶舞

         ※


 どくり、とイズマは心臓コアが一度、大きく脈打つのを感じていた。

 ダシュカマリエが儀式の開始を宣言したあの夜から、数えて第四番目の深夜である。

 ここまでは、儀式は順調に推移している。

 

 けれども、夜を重ねるたび、確実になにかが変わりつつ……ある。


 イズマは区切り区切りで、己の心臓コアが脈動するのを感じていた。

 イリスを再構成する儀式がはじめられ、その段階が進むごとに感じる《ちから》をだ。

 それは強大な《ポータル》――〈コンストラクス〉の目覚めに――イズマの肉体が呼応したに違いなかった。


 強力な異能の力を行使するための環境を《ポータル》である〈コンストラクス〉が造営しはじめている。

 それが時とともに強まりつつある。

 段階的に覚醒してゆく〈コンストラクス〉が放つ律動を、土蜘蛛の持つ特性――鋭敏な振動感知能力が拾い上げている。


 いや、それ以上に、イズマの存在自体にかけられた“呪い”が反応しているのだ。

 ちりちりちりっ、と知覚野に光の棘のようなものが走る。


 強力な力場が形成され始めているのだ。

 運命や定められた未来をねじ曲げるほどの強大な《ちから》――つまり“奇跡”を扱うための力場。

 それがなんと呼ばれるべきものなのかを、イズマは知っている。


『《閉鎖回廊バードケイジ》』


 人類の、そして、すべての自由意志を持つ者たちにとっての絶対敵であるオーバーロードたちが、その身にまとう結界――それと同種のものが、いま、このカテル島をおおいつつあったのだ。


 この《ちから》は、儀式の進行とともに徐々に増してゆくことだろう。

 その忌まわしい《ちから》に頼らなければ大切なものを守ることができない皮肉に、イズマは唇を歪める。

 それは苦い笑みのカタチだった。


 危険だと知っていた。

 手を出してはいけないこともわかっていた。

 目先の問題を解決しても、けっきょくその結末に繋がっている悲劇をよりいっそう大きくしてしまっているだけなのだという確信があった。


 それはイズマの実体験からくるものだった。


 その積み重ねの結果、イズマの国は、臣民は“虚構”に喰われた。

 現実にはありえないほどの“奇跡”を振い続けたら、どうなるか(・・・・・)など自明のことだ。


 やつらは、とイズマは思う――《御方》どもは、殺さない。

 自らにすがる者も、いとう者も、そして武力を持って抗う者さえ傷つけない。


 むしろ、逆だ、とイズマはつぶやく。


 やつらは、ただひたすらに人々を《救済》しようとする。

 人々の苦しみの原因を、人知れず取り除くことによって。


 それが、恐ろしい、とイズマは思う。


 けれども、その圧倒的な力を持ってでしか、救えない命があるのだとしたら――それが自らのかけがえのない存在なのだとしたら――オレに、国ひとつをまるまるやつらに捧げてしまった愚かな王の成れの果てのオレ自身に、どうしてアシュレを止めることができただろうか。


 そんな苦い思いが込み上げてきて、イズマはスキットルに入れた強い酒をあおる。

 

 グラッパ=いわゆる粕取りブランデーは、ワインを造るときに発生する搾りかすを転用するものだ。

 人界ではともかく、土蜘蛛の世界では、この酒は下手のものだと認識されている。

 搾りかすから醸す、というあたりが理由であろう。


 高い度数のアルコールが喉を焼きながら駆け降りていくのがわかる。

 だが、いまはその荒々しさが愛しい。

 凍えた肉体に燃料が注がれたようだ。

 イズマは太い息を吐き、煙管キセルに火を灯した。


 火種となったなったものは、火打ち石ではなく赤燐を加工したものを、細い木片の先に練りつけたものだ。

 黒術こくじゅつ(火薬などの調合・配合知識から、その運用までを指す)は、土蜘蛛の得意とするところである。

 この小さな棒は、その叡知えいちの結晶である。

 うまく風をかわしながら一服つけると、紫煙が吹き飛ばされるように流れていった。


「あいかわらず、得体の知れないものを吸っているのだな」

 その風に乗って声すらも飛んできた。

 今夜あたり、来るだろうという予感のとおりに。


 イズマは強風にさらされ続けたせいで、ねじくれ横向きになってしまった潅木かんぼくに腰かけたまま、その言葉の主に視線を向けた。


「風向きには留意したつもりなんだけどなあ」

「風上にいても匂ってくる。下品で、下劣――不実な、貴様の匂いだ」

「品性について弁解や否定はしないけどさ。そういうのが、スキって言ってくれるコもけっこういるんだよ?」

 親しげなイズマの口調とは正反対に、相手の言葉には切りつけるような鋭さがあった。


「たしか、キミもそうじゃなかったけ? エレ?」

 イズマの呼びかけに外套がいとうをかぶった人影は、低く答えた。

 艶やかな女の声。

「なれなれしく愛称などで呼ぶな。貴様はすでに裏切り者であり大罪人。我がベッサリオンの一族から“神を盗んだ”男なのだからな」


 そして、向けられる視線には、槍の穂先のごとき剣呑さがこもっていた。

 怨敵に向ける邪視にも似て、底冷えする憎悪が乗っていた。


「それにしても、ずいぶんと都合のよい再会だことだ。偶然ではあるまい」

「んー、まあ、ここ一月ばかし、ひとりの時間を持て余すことが多くってね。ぶらぶらとしてたからさ。

 ま、土蜘蛛の刺客があがってくるなら、このあたりだろうとヤマ張ってたんだよ。

 水蜘蛛の術を使っての強襲揚陸だろう、ってね。

 ただ、ひとりだけとは思わなかったけどねー」

「家の名誉を取り戻すには、その血族で相手を討たねばならぬ。それが掟ゆえな。

 それにしても、のこのことそちらから出てくるとは愚かな……憶病者の貴様らしく、どこかに隠れ潜んで震えておればよかったものを」

「あらま、むーかしの男に、つーめたいんだぁ。まー、ボクちんもさすがにキミが来るとは思ってなかったわ。いや、虚を突かれたよ」


 もう一口つけてイズマは煙草を捨てた。

 布で煙管を拭きながら懐にしまう。

 しまいながら言った。

 ところで、と明日の天気でも訊くように。


「エルマはどうしたの? あのキュートな妹君は?」

「貴様にだまされたと知った妹は、心を病んで――まゆの帳の向こうに籠ってしまったよ」

「あらー、それはかわいそうに」


 イズマのまるで他人事を語るような口調にエレ、と呼ばれた女が被っていたフードを脱いだ。

 凍えるような月光に秀でた額が明らかになる。


 すっきりと通った美貌のなかで落ち着いた声色とは裏腹に燃えるような赤色の瞳が、らんらんと輝きイズマをねめつけていた。

 その種族的特徴から、エレはイズマと同じ土蜘蛛の出自だと知れた。


「貴様の軽薄さ、あのころのままだな」

「キミはずいぶん、おっかなくなっちゃったね。むかしは生真面目だけど可愛かったのになー。とくにのなかでは」


 ひ、と音がしたような気がして、イズマは瞬間的に首だけ、のけ反る。

 ひらり、と風に流されて飛来した草が空中でふたつに裂けた。


「あぶなっ、いま、なんか投げたでしょ。うっかり、死ぬところだよ!」

「そうとも。殺しに来たのだ」

 エレは静かに言った。


 けれどもその眼光は鋭く、言葉にはどこか激高を無理やりねじ伏せたかのような響きが混じっていた。

 びゅん、とその右手がしなるように動き、先ほど宙に舞っていた葉を両断した凶器を確保する。

 蝶のようなカタチの小型の斧に結びつけられた蜘蛛の糸を使う――ファルファッレ(蝶々)と呼ばれる土蜘蛛独自の暗器が、その正体だった。


 だが、イズマはその静かな殺意に対してさえ、おどけたように言う。


「うわ、マジでそのためにこんなとこまで来たの? そんなの凶手きょうしゅの仕事でしょ? 最高司祭のキミが出向くなんてありえなくない?」

「イビサス――我らが神に使える姫巫女は、純血にして純潔でなければならない。貴様がわたしから奪ったのだ、その、地位も名誉も、純血の母たる資格もッ! 崇めるべき神すらッ!!」

 ついに激高が言葉となってエレの喉からほとばしり出た。

 唇を火傷するような熱さが、その声には乗っている。


 それに対するイズマの反論は、涼やかな……いや、やや公序良俗こうじょりょうぞくに反旗を翻すような理屈を含んでなお――飄々ひょうひょうとしていた。

 

「だってさ、イビサスって邪神だったじゃん? 

 受胎に耐えられなかった女は貪り食っちゃうようなヤツなんだぜ? 

 そいつらに、キミら姉妹を捧げるなんて、ボクちんにはできゃしないよ? 

 美少女は世界の宝なんだよ? 

 その至宝に瑕瑾かきんをつけるのは、たしかに心が痛むけど処女じゃなくなるだけで、生贄の選考対象から外れるなら、いくらだって奪っちゃうさ。

 そうでしょ? 

 生贄の姫さま救うのに勇者はイラナイ! すけこましな軽薄男で充分なんだってば!!」


「我らの誇りだけでなく――我が神までをも愚弄するとはッ、許せんッ!!」

 イズマの声にエレが布地を引き上げ口元を隠し、かわりに外套の前をはだけた。

 風がらんにも似た薫りを運んでくる。


挿絵(By みてみん)


 だが、そのあまやかな薫りとは裏腹に、ドドドッ、と重い音をさせ地面に突き立った武具の数々は、あまりに剣呑な光を帯びていた。

 ねじくれた刃の剣。

 枝分かれした鉤を持つもの。

 魔獣の蹴爪けづめのごときもの。

 そのすべてをエレはまたたく間に身につけた。


 拗くれ剣ツイステッド・ソード

 枝鉤ブランチ・フック

 惨裂爪グリム・クロー


 暗器と呼ぶよりも、それらはすべて罪人にいかに苦しみを与えてから殺すかを追及された道具に見えた。


 いや、実際のところ土蜘蛛のある一派――イビサスという古い邪神を奉じてきたエレの一族では、拷問は一種の芸術に属し、また神楽でもあったのだ。

 司祭たちはその奉納の道具を自作することからはじめる。

 これらの武具は、だからエレの手なるものであった。


 右手に拗くれ剣ツイステッド・ソード

 左手に枝鉤ブランチ・フック

 両脚で器用に惨裂爪グリム・クロー

 それらを装備し終えたエレは、両腕を広げた構えを取った。


「うわっ、それ、めちゃくちゃ痛そうじゃん。痛い系のお仕置きは勘弁の方向でお願いしたいほうなんだけどなー、ボクちん」

「苦痛だけでは飽き足らん。男としての恥辱も与えてやるから、安心するがい」

「それがキミを何度も悦ばせたことある男に対する、キミらのやり方ッ?」

 イズマの言葉とともに起された下品極まるジェスチャーに、かあっ、とエレの頬が恥辱に染まった。


「まずは、その舌を切り取ってやる。死ねッ!!」

「をわー、もんどうむよー!」

 イズマの口調は相変わらずひょうげて(ふざけて)いたが、その目は笑っていなかった。


 エレが文字通り疾風となって斜面を走った。


 左右からの斬撃に加え、土蜘蛛特有のあの変則的な蹴り技には惨裂爪グリム・クローが乗っている。

 絶妙に間合いの違うそれぞれの攻撃のそのどれもが、致命的な剣呑さを秘めていた。


 拗くれ剣ツイステッド・ソードを手練の技でドリルのように回転させ、間合いを計らせないエレの攻撃は、うっかり受け止めると大変なことになる。

 枝鉤ブランチ・フックの方も同様で受ければ武器を、肉体に刃先がかかれば力任せに引き切ることで、肉片を切り飛ばす最悪の武器だった。

 そして、左右の武器の脅威に注意が逸れたところに、軍鶏シャモ蹴爪けづめのごとき蹴り技が駆け上がってくる。

 たとえ刃先を防いでも鍛え上げられた体術と脚甲によって、骨を割り砕かれるような痛みが走った。

 速いだけではない。

 重いのだ。


「どうした、数百年に渡って我らだけではなく土蜘蛛一族の追手をかわし続けた男なのではないのかッ? それともやはりあれか、《御方おかた》などというインチキな神に宗旨替えなどする連中は、みな腑抜けどもであったか!」

 致命の連撃を繰り出しながら迫るエレは笑う。


 うわっぷ、うわっぷ、とイズマはその攻撃のいずれをも危ういところで避ける。

 切り飛ばされたマントの切れはじが強風に飛んで行く。


「こっ、これはっ、まさしくっ、凶手きょうしゅの殺人技ッ! エレ、いつの間にっ」

「貴様が我らを裏切った後、わたしがどんな地獄を歩んできたか、なにも知るまいっ」

 イズマは得物を抜くことさえ許されなかった。


「ちょまっ、やつら、キミに凶手きょうしゅの技を仕込んだの? ねっ、ちょっと、」

 枝鉤ブランチ・フックが突き込まれてから返ってくるタイミングで手を掠め、

「そうともッ! 体術や暗器の使い方だけではない、女を武器とする方法さえなッ!」

 拗くれ剣ツイステッド・ソードが避けようとする間合いを狂わせ、

「かつて、とはいえ自分たちの神に仕えた高司祭をかッ! うわっ!!」

 ふたたび惨裂爪グリム・クローが喉元を狙って襲いかかる。


「勝負に負ければ踏みにじられる、そういう場所で、何年も、何十年もわたしたちは仕込まれたんだッ!!」


 かろうじて顎下から頭頂に抜ける蹴り上げを躱したイズマは、殺気を読み取り、腕を十字に組んだ。

 そこに渾身の踵落しが激突する。

 めしり、と肉体が軋む音がした。

 エレは反動を使い半回転して相対した。


 イズマは苦痛に耐えるように問う。


「それって、まさかエルマ――妹ちゃんも……」

「当然だッ!!」

 エレの即答に、一瞬、イズマのガードが甘くなった。

 がら空きになったみぞおちに、エレが蹴り込む。

 瞬間、伝導された《スピンドル》の律動が衝撃波のように可視化される。


 打撃技:《ピンホール・アントバイト》は、相手の肉体そのものへのダメージだけではなく、衝撃によって伝達系――生物なら神経系に作用して、その速度を鈍らせる追加効果を持つ技だ。

 長期戦や相手を殺さず無効化したい場合に多用される技だが、このような状況下でのそれは捕らえた相手に尋問・拷問を加えるための下準備と受け取れた。


 その一撃をもろに喰らい、イズマは派手に吹き飛ぶ。

 もんどりうって転がり、岩塊にぶつかって止まる。

 動かない。

 エレはゆっくりと間合いを詰める。

 詰めながら言った。


「わざと自ら飛んでダメージを軽減したか……それに、その甲冑:〈バラザール〉――古代金貨のスケイルメイル――には袋虫の呪いがかかっているはず……たいしたダメージではあるまい」

「ゆる、せねえ……美少女は……世界の宝だっつたろが」

 それがたとえ、非処女であったとしても、だ。

 岩塊にもたれていたイズマが呻くように言った。

 なんだと、とエレが嘲笑した。


「いまさら、そんなことか。元はといえば、貴様がわたしたちに吹き込んだデタラメのおかげでこうなったんだ」

「だから……自分で……自分が……ゆるせねえ」

 ズルズル、と岩に背をあずけていたイズマが、音を立てて立ち上がる。

 うつむいていた瞳が、天を向いた。

 そして、叫んだ。


「エレのスレンダー極上ボディも、それにしてはサプライズなおっぱいも、意外に未発達なあれとかなにとか、じつはすっごく恥ずかしのそことか、エルマのちっぱいや窪んだおへそや、可愛い唇に脇下、膝裏とかもッ、ぜんぶ、ぜんぶッ! ボクちんだけのモンだったのにーッ!!!」

 聞いたエレが思わず息を呑むような叫びだった。


 吹きつける強風を圧して、それは響き渡った。

 エコーがかかっていた。

 たぶん、頭蓋に反響したのであろう。

 変態である。


 数秒、総毛立ちしてエレは硬直した。


 それから、逆上して切りかかった。

 イズマのそれが挑発なのだとしたら、冷酷無比の凶手きょうしゅを逆上させるのだから、まったく見事としか言いようがないものだった。


「だっ、だれがッ、貴様のものかーッ!!!」

 この真性下劣変質者めッ!!! エレの怒りはもっともだった。

 先ほどにもいや増して鋭い踏み込みで、イズマへと迫る。


 だが、それはイズマが張り巡らせた罠のトリガーに過ぎなかった。

 イズマはエレの蹴りを喰らい、わざとここへ吹き飛んだのだ。


「だから、キミが誰のものか、もっかい教えてあげる」

 ぎらり、とイズマの瞳が光を帯びた。

 襲いかかるエレを見ようともせず、腕を横に振り抜き、どんッ、と足元を蹴る。


 次の瞬間、漆黒の奔流がエレの肉体を飲み込んだ。

 突然、重油が地面から間欠泉のごとく吹いたようにエレには見えたろう。


「な、なんだッ、これはッ」

「《アビサルトーク・ウィズ・テンタクルス》。そのアレンジのうちのひとつさ。相手を攻撃するためではなく、無力化するのに特化させた、ね」

 地面から噴き上がった漆黒の奔流は間欠泉ではなく、異形の怪物の一部――その触手だった。


「いやー、こいつを呼び出す回路を島中に巡らすのに、どんだけ投資したか。時間も資材もさー。丸一月だよ? いろいろ歩き回ってさ。ま、事後承諾的になっちゃたけど、島の所有者にも承諾もらったしよかったでしょ?」

 イズマが後ろ暗い笑いを浮かべて言った。


 イズマがダシュカに許可をとったのは、儀式直前である。

 事後承諾にもほどがあった。


 漆黒の触手がエレの肉体をからめ捕り、手足を縛りつけていた。

 満身の力を込めてもぴくりとも動かぬほどに。


「地底の、もっとずっと深ーいところに住んでるバケモノの腕だよ。ボクらの力じゃどうにもできないって。オウガや低級なら巨人族さえ地に這わせるほどの力があるんだから」

 イズマは言いながらエレを見上げた。

「悪いけど、物騒なものはナイナイさせてもらうよ」

 きりっと触手が手首と足首をひねり、エレを武装解除した。

 ぞるっ、と得体の知れぬバケモノの触手がうごめき、エレは上げそうになった声を噛み殺した。


「これで、やっと話せるね」

 エレの口元を覆っていた布地をイズマが下げた瞬間だった。

 ブッ、とその口元から閃光が走った。

「含み針ね……わかります」

 目を狙って放たれたそれを、イズマは指先でつまんで捕らえていた。

「うっほ、腐敗毒山盛り」


 イズマが指を鳴らすと、バケモノの黒い触手がエレの口中の仕込み筒をこじり開けるように取り出し、そのまま居座った。


「舌噛まれるのヤだからね」

 それ以上の意味はありませんよー。

 誰に対してなのだろうか、言い訳じみてイズマは言った。


 一見、軟質に思える触手は恐るべき膂力りょりょくでエレを中空に捕縛していた。

 その外套が風をはらんでく。


「イグナーシュでは派手に転げ回ったり、地脈誘導系の異能――《クローリング・インフェルノ》――を使ったりしてこれ見よがしに痕跡は残しといたし、トラッキング技能への適性とこれまでの対応を考えれば、どーせ追いついてくるのは土蜘蛛の連中が最初だろうね、とは思っていたけどさ……」

 イズマはため息をついて言った。


「まさか、キミを送り込んでくるとはなー。正直、けっこうショックだったよ」

 バロック様式の石柱さながら漆黒の触手に捕らえられ吊るされたエレに、イズマは語りかけた。

 口調は相変わらず飄々ひょうひょうとしていたが、その声には明らかな陰りがある。


「同族で相食むなんて……悲しい、悲しいねえ」

 イズマはこの数百年の間で、数え切れぬほど土蜘蛛の刺客を退けてきた。

 シオンとともに相対したこともあるが、それは氷山の一角に過ぎない。

 シオンの知らぬまに、何十何百という暗殺者を屠ってきた。

 土蜘蛛同士の戦いは、基本的に暗闘だったからだ。


 イズマの手は血塗れだった。

 同胞の流した血で。


「ボクちんはただ、この《世界》の謎を解きたいだけなんだ。巨大な《ポータル》とその周辺に属するオプション類――《フォーカス》が世界中に残されている理由。旧世界の人々が、どうしてそれほどまでに一足飛びに“理想”を実現しようと考えたのか。

 なにが《ねがい》というカタチのない概念に、その実現を可能とする根拠を与えているのか。

 なにがヒトをオーバーロードに堕とすのか。

 そして《御方おかた》たちがどこから来て、だれによって生み出されたものなのか。

 それらを調べ上げ、責任を果たしたいだけなんだよ――エレ。

 黙って行かせてはくれないかな……キミを傷つけたくない」


 イズマはエレを見上げて言った。

 ほとんど独白のように。

 エレがうなった。喋ろうとしたのだ。

 イズマは指を鳴らし、エレの舌を自由にした。

 べっ、と唾を吐き、舌の自由を取り戻したエレは同じように吐き捨てた。


「都合のいいことだ……イズマガルム。

 それが、貴様が王としての責務を放棄した理由か? 

御方おかた》を崇拝する風潮こそ、貴様が広めたものではないか。

 そのせいで、我らが神:イビサスは辺境の神に貶められた。

 それなのに、貴様は《御方おかた》信奉派を見限り、国を捨てた。

 自ら死を装い、塚に籠ったのではないか! 

 土蜘蛛の力が、そのあいだにどれほど弱まったか、知らぬとは言わせんぞ! 

 いまや《御方おかた》を奉じる連中の堕落がどれほど極まっているか――知らぬとは言わせんぞ! 

 それなのに貴様は柩のなかで惰眠を貪り、ほとぼりがさめたところで墓穴から抜け出した!」

 火を噴くようなエレのセリフだった。


「そして、今度は身分も、名も装って我らが教団に取り入った。

 イビサスに仕える巫女であったわたしと妹をたぶらかし、さらには神そのものを盗み出したッ!! 

 呪われろッ、貴様は我らが土蜘蛛の血に呪われろッ!!」


 頭上から降る罵声をイズマは黙って受け止めた。

 雲間から月光が降り、エレの背後からイズマの顔を半分だけ照らす。

 エレのものよりなお濃い、血の色をした瞳にその月が映っていた。


「ずいぶんと調べたんだねえ、ボクちんのむかしのこと――謝って許されることではないし、言い訳もしない。

 必要だった。だからそうした。

 だけど……ひとつだけ後悔していることがある。

 それは……エレ、キミとエルマだけは、やっぱり連れて逃げるべきだった。

 あのとき、ボクを逃がすために残ると言ってくれたキミたちだけは……」

「いまさら、そんな告白が何になるッ!!」

 エレの声に小さな動揺があるように思えたのは、たぶん強い風のせいだったろう。


 そうだね、とイズマは笑った。

 薄っぺらい、厚みのない作り笑いだった。


「時の流れは、留まることはなく、そして、還ることもない。

 ボクはキミたちの怨敵となり、キミたち姉妹はその追討者となった――しかたないことか。

 そうだね、ボクちんも思い出に囚われるのはよそう」

 言いながらイズマは長い針を懐から取り出した。これがなにか、わかるよね、と。


「〈傀儡針〉:〈コクルビラー〉――」

 エレの表情が強ばった。

「キミも土蜘蛛の凶手なら、覚悟はしてきたんだろ? 

 殺すことより生かして捕らえること、そして生きていることを後悔するほど苛むこと。

 それを神楽かぐらとして神に奉じてきた一族の末裔だもの。

 これをあまり使ったことはないんだけれども――いや、ちょうど使える手駒が欲しくってねえ」

 いままでの旅のなかで、今回みたいな拠点防衛ってシチュエーション珍しかったから、あんまり試さずに済んでたんだけど。


「ゴメンね。そのかわり、こんどは死ぬまで愛してあげる。もう、絶対離さないよ? 

 安心していい。〈傀儡針〉:〈コクルビラー〉は肉体を縛るだけで心までは縛れないから――憎むこと、恨む自由までは奪わない」


 髪の毛よりなお細い〈傀儡針〉は土蜘蛛に伝えられた消費型の呪具である。

 犠牲者の中枢神経に打ち込み《スピンドル》の導体として使うことで相手の身体を操る。

 通常は単純な命令を一回強制するだけで融解し、消滅する。

 含み針として戦闘時に使われることもある。


 だが、イズマのそれは、それら消耗品の〈傀儡針〉、そのオリジナルのうちの一本であったのだ。

 強力で永続的な呪具:《フォーカス》であるそれを打ち込まれたなら、抜かれるまで一生、相手に下僕として使役されることを覚悟しなければならない。

 獰悪どうあくかつ決定的な切り札であった。


 ぶるりっ、とエレは震えた。


 イズマの、そのあまりに薄っぺらい謝罪の言葉に、凶手きょうしゅとして感情の殺し方を徹底して仕込まれたはずの自分が――恐怖していることに震えた。

 その軽薄さは、イズマの心の摩滅の現れであったのかもしれない。


 何百年もの間、同胞を手にかけ続けてきた男にとって、かつて情を注いだ女ですら手駒の、傀儡くぐつの材料でしかない。

 そうすることになんの感慨もないのだと知って、エレは震えたのであろうか。


 いや――本当は違った。

 イズマが言った「死ぬまで愛してやる」という言葉にきゅう、と甘く胸を締めつけられてしまったことに。

 愛された日々を思い出してしまったことに。


挿絵(By みてみん)


 それに、エレは恐怖したのだ。


 その間にイズマは、エレの胸郭に針をあてがった。


 そして、そのままエレの胸に顔を埋めるようにして、くずおれた。

 受け止める手はなく、エレの肢体をなぞって地面に横臥おうがする。


「な、んだ、これ」

「ようやく効いてくれたか。どれほど鈍感なのかと心配したぞ」

「効いて?」

 エレが憐れむように笑った。

 背後に月が見えた。


 雲は無慈悲に流れていく。


「外套を開いた瞬間、蘭のような甘い香りがしただろう? 痺れ毒さ」

 拠点防衛を行う側が、その準備を抜かりなく行っていることなど、わかりきったことだからな。

 こちらだって考えるさ。エレは言った。


「あ、あらー、古典的ー」

「だからこそ、それはないと思う。そこに仕掛ける余地が生じる。虚々実々とは、つまりそういうことだ」

「外套空ける前に口元覆ったのはだからかー」

「どうだ、虫けらみたいに這いつくばる気分は」

「いーアングルなんだけどねー、エレがスカートならー」

「減らず口を。だが、これで勝負あったな」

「いやいや、その《アビサルトーク・ウィズ・テンタクルス》は持続力が長いし、いくらエレが使い手でも、ボクちんの異能はひとりじゃ簡単には解除できないからー、ほら、おあいこのお見合い状態かなー?」


 そして、ここがこちら側の拠点である以上、時間はボクちんに味方するわけでー。

 毒のせいだろう、腹話術めいた平坦な声でイズマは言った。


「あれだけたっぷりと吸い込んでおいて、まだ喋れるとはおかしな特技だけは相変わらず得意だな……だが、だれがひとりだと言った?」

 グゥン、と近くで《スピンドル》の唸る音がした。

「へっ?」

 自分は幻覚でも視ているのか、とイズマは思った。


 強風にはためく外套の奥から、ざわざわと音が聞こえた。


 それは最初、風になびく草が擦れる音のようだった。

 だが、やがてイズマはその正体を理解する。

 それは外套の奥から、なにかが実体化しようとする音だった。

 たとえるなら、糸や髪の毛が絡まりながらカタチを得ようともがくような……音。


「まさか」

「そうとも、イズマ……わたしとエルマが『別々に』などということが、あるわけなかろう? 

 姉妹揃って同じ男に恋をしたのだ。

 殺すときも――いっしょさ」


 ひたり、とイズマは頬に冷たい掌があてがわれるのを感じた。

 姉とは違う灰褐色はいかっしょくの肌。

 白の巫女と呼ばれたエレヒメラの妹にして、黒の巫女:エルマメイム――その右手。


 エレの外套の奥からまるでタペストリーのようにエルマが『編まれていく』さまを、イズマは見た。

 忘れようもない裸身。

 姉よりも小柄で華奢で、内気な少女の姿を。


 その声を。


「ああ、この温もり、感触、匂い――忘れられない、忘れない、忘れるものですか――わたしの、わたしたちのはじめてのひと――イズマガルム」

 その声は、この世ではない場所から響いているのではないか、とイズマには思えた。


「愛しています、愛していました、だから、愛します、愛せるカタチにします、永遠に、離れ離れにならないように、できないように、結わえて、結んで、縛りつけるますです」


 アアアアアアアアア――、とその編まれつつある娘はうたうのだ。




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