■第一九七夜:征こう、勇者たちの桃源郷(ヴァルハラ)へ
アシュレは激昂を押さえてイズマに問うた。
あのとき──スマウガルドの死骸を着込み装う《御方》を前に──なにを信じてあんな大勝負に出たのか。
出ることができたのか。
しかしその答えは言葉ではなかった。
イズマは指さしたのだ。
ハッキリと、アシュレを。
その意味が当のアシュレにはすぐには理解できなかった。
「えっ?!」
「正確にはキミだけじゃあなくて、戦隊の全員をだけどね。くそう口惜しいぜ、信じるってのは土蜘蛛的には大敗北なんだけどナア。どう考えたってあの場面で勝ちを拾いに行くには信じるしかなかった。信じるしかなかったんだよ、アシュレくん」
キミたちなら必ずやってくれる、と。
真摯にイズマが言った。
アシュレの気持ちはもうぐちゃぐちゃだ。
目の前がお湯でも湯気でもないもので滲んで霞んだ。
「ずるい、ずるいよイズマ、なんだよそれ!」
「だってさあ、相手は《御方》だぜ? あのときのボクちんにわかったのはソイツがまだ繭から出ることはできずスマウガルド──あの屍ヤローを操ることで完成体になろうとしてるってことと、それにしても最低ひとつは竜玉を喰らって相当な出力をすでに備えているってことだけだったんだよ?」
アシュレには言葉がない。
あるはずがない。
ずるいずるいぞ、と手でお湯を叩いて示すことしかできない。
「あの場面でボクちんがヤツに掌握されなければ、戦隊全体が危機に陥るとボクちんは判断した。だってあの当時は姫とスノウちゃんが行方不明。切り札ふたりを欠いた状態でのコイツとの遭遇だけは絶対に避けなきゃなんない。実際、キミの危地を救い、勝負を決めたのはあのふたりだっただろ?」
アシュレは何度も頷く。
悔しさを、またしてもイズマの策にやられて泣かされている自分に対する悔しさを噛みしめながら。
「幸いにも傀儡針が縛るのは肉体だけだ。心までは縛れない。そしてそれを我先にと差し出すことで恭順の意を示し、実際ノリノリで悪事を働くボクちんに《御方》くんはだんだん警戒に割くリソースを減らしていった」
「でもあれはやり過ぎだよイズマ。スノウを攫うのもそうだけど、そのあとのクスリや蹴りや手裏剣や飛刃蝶。ホントに死ぬかと思ったんだからね!」
ようやく抗議を言葉にできたアシュレに、いや、とイズマは手刀を空で切ることで話を断ち切った。
「あれは本気だったよ」
「え?」
「あれは演技じゃない。マジで殺すつもりでやった」
「ウッソ」
「正確には死なないでくれ、とは思ってたけど、技術的には必殺レベルでやばいヤツだよ」
「…………」
先ほどまでの高揚もどこへやら。
心胆寒からしめるとはこのことだ。
アシュレは呆然とイズマを見た。
「本気って……必殺と書いてマジと読むって……」
「だってそうじゃないとバレるじゃん、アイツに、《御方》に」
それは痛いはずだ、とアシュレは受けた傷を思って言った。
「ってじゃあ死んでたらどうしたんだよ!」
「だから死ななかったじゃねえか! よかったよ!」
「まさかそれも信じてたってこと?!」
「そ、そりゃそーだよ。いやあ最初の蹴りのときは躱してくれると確信してたんだけど、手裏剣あたりからさすがにボクちんも震えが来たね。やばいじゃん、殺しちゃうじゃんって……」
「イズマーッ!」
さすがに我慢出来ず、アシュレはイズマの水着を掴んで引っぱり上げた。
「痛い痛い痛いっ! 食い込む、食い込むから! これワンピースの繋がってるヤツだからそこを掴んで引っぱり上げると食い込むんだ! 最重要部分がっ!」
「なにが信じてるだ、行き当たりばったりだったんじゃないか!」
「ちげえよ、ボクちんは信じてたんだよ、いままでずっと格闘技訓練してきたじゃねえか! 土蜘蛛の技教えてきたじゃねえか! やり口もレクチャしたろ? ここまでしとけば絶対いけると思ったんですよ! ところが!」
「そんなにホイホイ習得できたらボクはもうすでに土蜘蛛の暗殺者になってるよ! 人間なんだこっちは。そんなに簡単にいくかーッ!」
「キミィ、地上世界ではエクストラム法王庁の俊英だったんじゃねえの?! 史上ふたり目の十代の聖騎士。そうなんでしょ?! ちゃんと勉強しろよ天才ッ!」
「死ぬとこだった死ぬとこだった死ぬとこだったーッ!!」
「だーかーらー生きてただろ?! イダダダダダダダ、引っ張るな! ねじりを加えるな! ああああ、ボクちんのビューティフルボールがイダダダダダダダッ!!」
ひとしきり騒いで怒りを発散したアシュレはイズマを解放し、ぐったりと身を投げ出し岩棚に寄りかかった。
イズマの方もダメージが深刻なようで同じく対岸で倒れている。
「な、なんて危ない賭けだったんだ」
「でも……ほら、うまくいったじゃん。信じたおかげさ」
「舌先三寸」
「でも……驚いたのはボクちんもかなー。よくあそこまでボクちんを信じてくれたよね」
「いまので全部台無しだけどね」
「またまた。アシュレくんはヒトがいいから、そんなこと言って、次はまた信じてくれるんですよ。聖人だね」
「ヒトを勝手に聖人認定しないでください。ボクはまだ死んでないし、奇跡も起こしてない」
「アレ? 一回死んでるよね心臓爆発して。甦ってない? しかも今回の事件も奇跡じゃね?」
「あー言えばこう言う……」
アシュレは盛大にため息をついた。
だが、すべてを聞き終えて安堵すると、どこかから笑いが込み上げてきた。
すべてが綱渡りだった。
本物の大博打。
しかもアシュレはこれがそんなに巨大な賭けだと知らずに、イズマに賭けたのだ。
笑うしかなかった。
「あ、アシュレくん笑った。いま笑ったよね?」
目敏いイズマの指摘を顔を洗うふりをしてアシュレは躱そうとした。
「笑った。笑ったでしょ? これもまたなかなか悪くないかなーって思ったしょ? こういう賭けもイズマさんとなら悪くないかなーって?」
「思ってないし、笑ってません!」
「笑ってんじゃん、ねえ笑ってますよねその顔!」
「だから笑ってないって言ってんでしょ!」
終いにはイズマの口調が移ってしまい、アシュレは自分で自分を笑ってしまった。
無理だ、イズマには敵わない。
必ず笑わされてしまうのだ。
その様子をイズマは愛しいものを見るかのように見つめている。
見つめながら提案した。
「まあ今回はホントにやばかったよ。ふたりともマジでよく生きて帰ってこれた。これにはなんか慰安がいると思うんだ。ゆっくり休むだけじゃなくて、ご褒美みたいなものが、さ」
「ご褒美?」
「そ。いっつも張りつめてばかりじゃ人間おかしくなっちまう。死線を潜り抜けたあとだ。なんかこう心が上がるようなことをしなくちゃ。人間の騎士だって戦場で手柄を立てたら、王さまからご褒美もらうんでショ?」
なるほどイズマの言うことはもっともだとアシュレにも思えた。
この空中庭園に来てからアシュレは戦い詰めだった。
それはイズマも同じだろう。
戦隊のみんなにも、なにかご褒美になるものがあっても悪かろうはずがない。
「でも……ボクたちにはなにができるんだろ。ご褒美か……あ、そうだイズマが行方不明になってた間にボク、豚鬼王のオーバーロードと友人になったんだよ。その料理がまた凄くてさ!」
「豚鬼王?! オーバーロード?! え、なにそれどーゆー展開?!」
「それは長くなるから帰る道々で話すけど、宴会しよう、みんなで!」
「おー、いいねえいいねえ。久方ぶりにまともな食い物と上等の酒かー、そりゃあいい」
でもさ、とイズマは小首を傾げた。
「それって……みんなじゃね? みんなへのご褒美、じゃね?」
「えっ? だからボクたちみんなで頑張ったねって……ちがうの?」
「ちげえちげえ、違えよアシュレくん! たしかに今回はみんな頑張った。ここまでほんとに頑張ってくれた。でもほんとのほんとの意味で命張ったのはキミとボクじゃん?」
「あ、ああまあたしかにそうとも言えるけど?」
話が見えず、アシュレはキョトンとイズマを見つめた。
わかってねーなー、とイズマは岩棚に両肩を預け首を振った。
わかってねーよ、アシュレくん。
繰り返す。
「え、ごめん、ホントにわからない」
「ヒント。いまこの湯煙の向こうではなにが起こっているでしょー?」
「えっ。湯煙の向こう?」
アシュレは思わず振り向いた。
耳を澄ませるとすこし離れた場所から水音とともに、麗しき姫たちの声が聞こえた……ような気がする。
「えっ?! ま、まさか?!」
「それそれ、そのまさかさ。いこう、いこうぜ、オレたちのパラダイスに! 挑戦者たちの黄金郷へ! 勇者たちの桃源郷へ!」
「それってまさか……の、覗きッ?! いや桃源郷の読み方はヴァルハラじゃないだろ!」
「しぃー! 声がデケエ! デカ過ぎ!!」
「ダメだってそんなの!」
「うーるーせー。ボクちんたちは命がけで戦隊を守ったんですよ。その傷つき疲弊したココロとカラダを癒すためにはそんくらいの刺激とサスペンスと肌色成分が要るんですよ! これは聖典にも書かれていること!」
「書かれてない!」
「じゃっかあしい! ほんじゃキミはそこで指くわえてな。ボクちんは行くぞ、ああ征くとも。さらば戦友、よろしく胸の谷間。それ以外もとっくり拝んでやんぜえ! じゃなアシュレくん、またな!」
「まて、まてってイズマちょっとまって、ボクもい、」
とアシュレがイズマを追おうとした直後のことだった。
がつん、と音がしてイズマの頭をなにかが直撃し、固まって、そのままの姿勢で倒れた。
盛大に水しぶきが上がる。
そしてその湯煙が晴れたとき、そこにいたのは……憤怒の形相で腕組みをしたシオンとその後ろに隠れるようにしてついてきたらしいスノウ、さらにその陰に隠れていたのは水着姿のウルドだった。




