■第一九六夜:信頼の座するところ
※
「そうしてオマエが呼んでくれる声がして……わたしは還ってきてしまったと、」
そういうわけだ。
アシュレにしがみついたまま、ウルドは一息に話し終えた。
ちなみにだが現在ふたりとも温泉に浸かっている。
なぜこうなったかというと事情は極めて複雑で込み入っているのだが、最初はイズマとふたりで入っていたのだ。
断じてこのような混浴状態ではなかった。
本当だぞ?
試しにその場面に遡ってみよう。
「ねえ……アシュレくん。なんでボクたちは男同士ふたりっきりで温泉に入ってるんですかねえ」
「いや当然でしょイズマ。混浴なんて、風紀紊乱も良いところでしょ。ダメだよダメ。絶対ダメ!」
「そんなこと言ってさああ。ボクちんが留守してる間に、スノウちゃんや姫とこっそり入ってたりしてたんじゃないのかぁ? このムッツリスケベめが!」
「なんっ、なんでいきなり激昂するんだ!」
「あ、いま反応に間があった。言い淀んだ。アヤシイ、怪しいぞ、コレは……嘘をついている味だぜぇ?」
「飲むな! ボクの周囲のお湯を飲むんじゃない! やめなって! なんでイズマっていつもこうなの?!」
「変わらないクオリティ、まさにプライオリティ、それがボクちんのアイデンティティ。お、ちゃんと韻踏めてんじゃーん、リリックキタ!」
アシュレは呆然とリズムを刻み始めたイズマを見た。
思えばこうやって全員が生還出来たこと自体が、すでに奇跡と呼べる出来事であって、その上で眼前で繰り広げられる喜劇なのかなんなのかよく分からないイズマとのやりとりは、常人の理解のはるか彼方斜め上をカッ飛んでいく神話級の冗談にしか思えなかった。
「でも……無事でよかった」
「無事ぃい? 無事じゃねーですよ。血ぃ出てたろ、目からもドクドクと! ボカぁ頭のなか引っかき回されるような目に遭ったんですよ。しかもそのあと床に落とすし、キミがッ! 傷病人はもっと丁寧に扱えーッてなもんです! 習わなかったの人類のアカデミーでッ?!」
「いや……それはそうなんだけど、こうやって話すことはもうできないのかなって、本気で思ったからさ」
アシュレは数日の間に潜り抜けてきた戦いを思い出して、しみじみと言った。
イズマの失踪に始まり、竜の皇女との邂逅、そしてイズマとの再会と裏切りの発覚と。
竜王:スマウガルドの屍との戦い、そしてそれを操る黒幕……《御方》との遭遇。
イベントの過剰積載だし、もしこれを誰かが書いた物語だと言うのなら作者に殴り込みをかけたいくらいだ。
しかしだからこそ、激変する事態によく対応したものだと思うし、そこをよく切り抜けたものだと感心する。
まあそれはイズマだって同じなのだが。
「だけどどうしてイズマはスマウガルドに出逢ったの? しかもなんで簡単に傀儡針を渡しちゃったの?」
良い機会だった。
アシュレは疑問に思っていたことをひとつひとつ訊いてみることにした。
事件は解決したとはいえ、そこに至る経路は謎に満ちている。
今後のためにも、イズマ自身の口から、今回の事件の詳細を聞いておきたかったのだ。
だが、そう切り出したアシュレをイズマはぽかーんと口を開けたまま、驚愕の表情で見つめてくるのだ。
「え、なに? ボクなんか変なこと訊いた?」
そう返したアシュレに、イズマは納得したような呆れたような様子で何度も頷いて見せるのだ。
「変、だった?」
「いやあ、まさかそこからか、と思ってさあ。キミィ、アシュレくんそこから分かんないの?」
小馬鹿にした様子ではなく、イズマは本気で驚いていた。
さらには本気で呆れてもいた。
アシュレは困惑と同時に急激に恥ずかしくなってきた。
いまの態度から察するに、イズマにとってはスマウガルドとの遭遇も、傀儡針を差し出すことも、あるいは眠れる《御方》のことも、すべて自明のことであったということなのだろう。
自分はその理解にまったく追いつけていない。
それがアシュレを恥じ入らせた。
まー、しょうがねえか。
そんなアシュレを見つめていたイズマは大きく伸びをして、アシュレに語りかけた。
ことの子細、そして隠されてきた謎をひとつひとつ丁寧に、まるで赤子にものを教えるようにつまびらかにしてくれた。
「まずどうしてスマウガルドに出逢ったか、だけど、これはね順番が逆なんです」
「順番が逆?」
「そうボクちんは最初っから《御方》を探してたのよ」
「《御方》を?! どうして?!」
「だって空中庭園って元《御方》の製造ラインなんだもん」
さらっと出てきた事実に、アシュレは目玉が飛び出るのではないかという衝撃を味わった。
一方のイズマは「おっ、頭痛くならねえ。そっか事実を突き止めた相手に話してもそれは秘密を話していることにはならねえんだな。よっしよっし!」とひとりで喜んでいる。
「《御方》の製造ライン……ってどういうこと?」
「《御方》が神様ではなく人間の《ねがい》が生み出した《偽神》なんだって話はした?」
「してもらったかどうかはわからないけど……ボクは知ってる」
「お、これも頭痛くならねえ! えらい! よく調べたぞアシュレくん!」
奇妙な持ち上げられ方をしたアシュレは気恥ずかしくなり、頭を掻いた。
イズマのほうはそれはリップサービスだといわんばかりに、あっさりと解説に戻った。
「かつてアガンティリスよりずっと以前、世界には自動的に様々なものを生み出す施設が造られていた。《ねがう》だけでその通りの製品が生み出せる施設がね。神殿……と言うべきかなんと説明したらいいのか迷うけれども」
「神さまの所業みたいだ」
「たしかに。ただまさかその施設が神さまそのものを産み出すとは、だれも考え至らなかったし、たとえ考え至ったとしても実際に《ねがい》がそれを叶えるとは思わなかったワケよ」
「でも彼らは……《御方》たちは来た。《ねがい》に応えて」
そう、とアシュレの言葉にイズマは頷いた。
「でも《御方》たちはあまりに巨体過ぎて、地面の上では組み立てられなかったンだね。たとえ組み上げたとしても重すぎてとてもじゃないけど動かすところまでいけなかった」
「だから空中庭園で?」
「惜しい。これも順序が逆。だから自動製造施設は先に重力操作可能な工房……神殿を作ることにしたんだ。《みんな》のための神さまのための揺り籠……繭っていったほうが分かりやすいかな?」
「繭」
「うん。で、だ。実はこの空中庭園はその繭の《ちから》でそれ自体が浮かび上がっているんだ。これも本末転倒な話なんだけど《御方》の方を動力源にしてね?」
「えっ、じゃあこの空中庭園は《御方》の《ちから》で宙に浮いてるの?」
イグザクトリィ、とイズマは頷いた。
「じゃあ空中庭園があるってことは、そこには必ず……」
「《御方》が居る。ほとんどは眠ったまま空中庭園の動力にされてるけど、ネ」
「でも空中庭園って竜たちの住み処なんじゃ……まてよだからか。そうかこれも逆なんだ!」
「お、ちっとはやるじゃん。名推理! そーそー、そーなんですよ。初期の《御方》たちは星が輝くのと同じ原理で動いてたんだけど、あるところから、それよりもっと出力の大きい動力源を作る方法に気がついたんだね」
「それが……竜玉」
「初期段階では竜核と呼ばれていたみたいだケドねー。竜玉ってのは人間たちが物語のなかで語るうちについた俗称らしいヨ。同じ世界に生きる影響は、人間にも竜にも両方あるって良い例だよね」
「つまり《御方》たちは住み処を提供する代わりに、動力源である竜玉を育てるための生け贄である竜たちを住まわせていた……ってことか」
なんという壮大で、陰湿な、はるか太古から張り巡らされた謀だろう。
アシュレは思わず額に手を当てた。
イズマは構わず話し続ける。
「だからまーこのイズマさまには、ここに必ず《御方》が居るってことは最初からお見通ーしだったワケです。いいなあこうやってハッキリしゃべれるのは」
能天気なイズマの物言いに、アシュレはつい「だったらなぜ」と食い下がってしまった。
もちろん返答はない。
それはさっきも言ったからだ、イズマ自身が。
「あのときはまだ話せなかったから、か」
「《御方》の状態もわからなかったし……あんまり事前情報を詳しく伝えすぎると策が使えなくなる可能性が出てくるからね」
「でも、だからって……」
「そんなこと言ってえ。ボクちんの裏切りが《御方》絡みだと最初から知ってたら、アシュレくんはスノウちゃん連れてきたりしたあ?」
イズマの問いかけにアシュレはハッとなった。
「いや……それはない。絶対にしなかったと思う」
「じゃあなんで今回は連れてきたのさ」
「それは……本人の強い希望もあったけれど……なによりイズマの裏切りの真実を確かめるのにはスノウの《ちから》が……ああっ、そうかだからか!」
それな、とイズマがアシュレを指さした。
「アシュレくんがスノウちゃんを確実に連れてきてくれるためには、途中まではあくまでボクちんの謎の失踪でなければならなかったし、そのあとに起きる衝撃の事件はボクちんの裏切り以外ではならなかったんデスよ」
《御方》の影をちらりとでも出してはならなかった。
「でもじゃあまさか……傀儡針を差し出したの……も?」
今度はイズマが張り巡らせた策略の深遠さにくらくらとなりながらも、アシュレは訊いた。
あったりまえでしょー、とイズマは胸を張った。
「スマウガルドに出逢った瞬間に、コイツはマズイ! とボクちんは見抜いたんだネ。この屍野郎はスマウガルドなんかじゃねえ。もっとやべえもんが皮かぶってあの鎖を通じて操ってやがるってわかったんだネ。もちろんそのやべーのは《御方》なんだが?」
そこまであの遭遇で見抜いていたのか。
前提になる知識の差があるとはいえ、もしアシュレに《御方》に対する情報が事前にあったとしても、自ら傀儡針を差し出すような真似はとてもできない。
「でもだったら、そんなに《御方》が強力な存在なのだとしたら、そんなのに傀儡針を渡してしまったイズマは、もう二度とこちらには帰ってこれなかったんじゃないのか。恐くなかったの? ダメかもしれないって思わなかったの?」
アシュレの口を吐いた問いかけは、まさに正論と呼べるものだった。
だったはずだ。
だが、イズマはまたあの呆然とした……驚愕の表情を浮かべた。
アゴが抜け落ちるのではないかというほど開かれている。
ええボクまたなんかやらかしたの?!
アシュレは思わず自分の右手を見て、左手を見て、それからイズマに向き直った。
イズマの爆笑が天を突く勢いで噴き出したのは、そのときだ。
「ダメかもしれないって、帰ってこれないかもって──ブヒャヒャヒャヒャウヒャヒャヒャヒャ、マジで? マージでそんなこと思ってたのアシュレくん、ウヒャヒャヒャヒャウヒャヒャヒャヒャウヒャヒャヒャヒャ、いいい痛え、おなか痛え、マジポンポンペインポンポンペイン、やめてその顔ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャウヒャヒャヒャヒャ、」
際限なく笑い転げるイズマに、なぜか泣きそうになった。
この男は、この土蜘蛛王は、自らの生還を微塵も疑っていなかったのだ。
確信して、一回も揺らぐことなく、この難業を成し遂げたのだ。
とても自分にはこんなことはできない。
こんなふうにはなれない。
そんな打ちのめされたような気分に、アシュレはなった。
だから訊いた。
「どうしてそこまで自分を信じられるの?」と。
返答はまた爆笑だった。
掌で湯を叩いて笑いのエネルギーを逃そうとする。
そのしぶきがモロに顔にかかって、アシュレは顔をしかめた。
「教えてほしいんだ。ボクはイズマになれないことはよく分かった。でもその策略のさなかで、自分を信じ切る《ちから》の源泉を知りたい。ボクがこれから行う戦いにはそういう覚悟が必要なんだ」
真摯に言った。
それなのにイズマはまだ笑うのだ。
わかんないの、ねえほんとにわかんないの。
問いかけと爆笑が繰り返される。
さすがのアシュレも我慢の限界に来た。
だんだん腹が立ってきたのだ。
自信満々なイズマの陰で、自分たちがどれほど心を痛め心配したか、案じたか、この男は知りもしないのだ。
ついにアシュレの堪忍袋の緒が切れようとしたそのとき、アシュレの激昂を押しとどめるかのようにイズマが腕を突き出した。
まて、まってくれ、話すからとそう言うのだ。
機先を制されアシュレはやむを得ず黙り込むしかできなくなった。
ひーひー、と笑いの余韻を引き摺ったまま、イズマはアシュレに向き直った。
それから言った。
「信じてたからに決まってるでしょ」
「信じていたから。それは自分を?」
「まってアシュレくん、もうボクちんを笑わさないでウヒャヒャヒャヒャ、」
「イズマ!」
「い、いまのはキミが悪いんだぞ、ぼ、ボクちんの笑いのツボを突くから!」
「信じてたって……じゃあなにを信じてたんだよ」
返答は言葉ではなかった。
イズマの指がまっすぐに指した。
アシュレを。
ちょっと昨夜はドタバタしてて後書き書き損じましたが、連載再開です、エピローグ分だけですがw
といっても七万字くらいの規模にはなる予定なので……どーなんだ?
空中庭園で生じたアレコレ、ちゃんとケリつけようとするとそれぐらいの文字数がいるみたい。
ともかく、この一連のエピソードを持って第七話:「第七話:蒼穹の果て、竜の棲む島」は完結します!
でもソウルスピナはまだまだ続きますよ!
たぶん後3話くらいかなあ、大きいエピソードは。
十字軍とアラムの激突とカテル島の絡みでひとつ、ガイゼルロンとシオンのエピソードでひとつ、そして最後のイリスベルダとの話で決着。
それぞれ大体50万字級のサイズだと思うので……うん?
ちょっとお想定より長くなりそうです?
まあ最後までてくてく歩いて行きますので、どうかお付き合いください。
いいねボタンを押したり、評価してやろー、とかいううれしいアクションがあると、画面の向こうで作者の眉毛がびくくっ、とか動きますよー。
でーわー。




