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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 5・「竜玉の姫・屍竜の王」
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■第一八九夜:実在する地獄


         ※



「ああ、あああ、まさかまさか……スマウガルド」


 自らの喉から漏れ出る声を、呆然としてウルドは聞いた。

 眼前には生前に見た竜王:スマウガルドの姿がある。


 堂々たる体躯。

 秀でた額の下に、深い思慮と揺るぎない《意志》を秘めた瞳があり、その視線に見つめられると訳もなく身体が熱くなるのをウルドは感じたものだった。


 いまその瞳からは、かつての光は失せている。

 奪われている。 

 なぜならスマウガルドは囚われているのだ。

 節くれ立った無数の梢……生命の樹……いいや《星狩りの手》によって。


 いったいどれほどの時間が彼を打ちのめしたのか。

 踏み折られた《意志》の傷跡が、憔悴となってそこここで見て取れた。


「その声は……まさかウルド……きみ、なのか?」


 磔刑にかけられた罪人を思わせて宙に掲げられたスマウガルドの、ひび割れた薄い唇が蠢いた。

 かすかにウルドを呼ぶ。


 意識がある! 

 ウルドは飛びつくように話しかけた。 


「わたし、わたしだスマウガルド!」


 ああうん、と曖昧にスマウガルドはうめく。

 それから応じた。

 力なく、諦めたような口調で。

 曇ったままの瞳。


「ああいや……またか……オマエは《夢》だろう。オマエたち《御方》どもが仕組んだ、我をさいなむ淫夢・悪夢の類いであろう。我のなかにある美しき思い出を無断で掘り返しては、無残に切り貼りし、都合よく再構成した。いいやそうだったな、オマエたち《御方》には我々を苦しめようとする意図などないのであった。たとえ狂っていたとしても。そうなんと言ったか……《救済》であったな。王たる我を他者が救おうなどと……勝手に過ぎる発想だが……囚われの我に抗う術などない」

「なにを、なにを言っているスマウガルドッ! わたしだ、本物のウルドだ。かつて貴様を……あなたを手にかけた竜の皇女:ウルドラグーン本人だ! あなたが愛し、だからこそ手折ることを躊躇った……ためらってくれたのだろう? あなたの、あなたの姪だ!」

「我を手にかけた……? 愛した……? うる、ど……?」


 夢現の狭間で彷徨さまようスマウガルドへと、ウルドは叱責するがごとく訴えかけた。

 平手打ちのように厳しく、恋文のように切実なウルドの言葉に、それまで朦朧として曇っていたスマウガルドのまなこが光を帯びた。

 瞳が輝きを、焦点を取り戻す。


 そこに浮かぶのは驚愕の表情だ。


「ッ! ウルド、ウルドラグーン。まさかまさか、本当にきみなのか。ああわたしの──我が愛しき翼よ。だがどうしてだ。なぜ、なぜだ、なぜどうしてきみが此処にいる。なぜ来てしまった」

「スマウガルド、わたしのスマウグ!」


 自らを認識してもらえた喜びにウルドには相貌を輝かせた。

 対照的に、スマウグと愛称で呼びかけられた竜の王は険しい顔つきになる。


「ここはキミが来てはいけないところだ。帰りなさい、還るのだウルド。ここはここは永劫の記録メモリーの監獄、実在する地獄、永遠に辿り着かない答えのために繰り返される諮問しもんの実験場なのだ。ここにいては──」


 渇き切った喉から急くように言葉を発した竜の王は、ひどく咳き込んだ。

 がふりがふり、と空咳が胸をひしがせ、ひゅーひゅーと空気の漏れる音が肺腑から漏れる。


「ああ、スマウグ!」


 足下に駆け寄ろうとするウルドにスマウガルドは断固として首を振った。 


「来てはいけないウルド! すぐに退去するのだ。此処はいけない。ここにいては、今度はきみが我のようにされてしまうッ!」


 叱責するのは今度はスマウガルドであった。

 ひび割れしゃがれた喉から、血を吐くような痛みを伴ってそれは放たれた。


 ウルドにはその悲痛な叫びを、沈痛な眼差しで受け止めることしかできない。

 なぜならウルドには帰り道すらわからないのだ。

 それ以前に、どうやってここに来てしまったのかさえも。


 もっともそれを知っていたとして、囚われのスマウガルドを置いてどこに行けるはずもなかったのだが。


 戸惑いともに想いを告げる。


「どうしてこうなったのかは……わたしにだってわからない。わからないのだ、スマウガルド。帰れと言われても、帰り方もわからない。ただなぜ来てしまったのかは、すこしわかる。わたしはあなたを助けたかった。それで心が迷って……此処に来てしまったのだ、と思う」


 ひとつの国が興り、栄え、滅びて、その痕跡を茂る草木がすっかり覆い隠してしまうほどのときを経て、かつての想い人と再会を果たした竜の皇女は頭上に磔にされた竜の王へと、胸の内を伝える。

 切々として、祈るように。


「わたしはあなたを、あなたの胸のうちに巣くう妄念から解き放ちたかった。ううん、取り戻したかったのだ。かつてわたしを愛し、わたしが愛した誇るべき伯父を。わたしの伴侶となってくれるはずだったあなたを」


 ウルドの叫びはほとんど泣き声だった。

 涙を瞳に溜めて訴えかける彼女の姿に、いつしか竜の王は言葉を失っていた。


 いまやウルドの肢体を彩るのは、可憐な花嫁衣装であった。


 精緻で精巧なレースに彩られた純白のドレスには、余計な宝飾品は必要ない。

 汚れなき新雪を思わせる衣装がウルドの持つ硬質の美を和らげ、スマウガルド以外の他者がほとんど知らない、たおやかで優しい彼女の内面を引き立ててくれていた。


 それはかつて己が夢見、そうであるがゆえ自分には過ぎたると畏れて、触れることを躊躇った美姫の姿であった。


 しかしだからこそ、スマウガルドの表情は晴れない。


「では……ではきみはわたしを想ってここへ来てしまったというのか」

「それだけではない。数奇な運命の導きだ。事実、かつてわたしはあなたを殺したではないか。長き苦しみを与えて悔悟の後に死すように、その肉体と精神とを辱めたではないか」

「そうか、そうだったのか……。きみが我を弑した。殺してくれたのか。ではならばなぜいまさらここに来た? 帰ってきてしまった? どうして忘れてくれなかった?」 


 殺してくれたのか。

 感謝するようなスマウガルドの物言いに、ウルドの心はかき乱された。

 続くセリフが動揺に拍車をかける。


 なぜ来たのか。

 どうして帰ってきてしまったのか。

 忘れてくれなかったのか。


 胸の奥の狭い部分が、締めつけられるような痛みを感じた。

 

 たしかにここは、ウルドにとって無残な心傷の記憶が眠る土地だったはずだ。

 かつて愛した伯父を、義憤に駆られ、無残なやり方で刑に処した。

 その犠牲となった領民たちの成れの果てを己の息吹で一掃した。 


 言われるまでもなく、忘れてしまいたい記憶だったはずだ。

 だのになぜこの地を訪れてしまったのか。

 そうスマウガルドは問うたのだ。


 ぐっと、ウルドは唇を噛む。

 うつむいて震える。

 その事実を告げることは、竜族にとっては最大級の屈辱だったからだ。


「奪われたのだ。精髄を。竜の」

「奪われた……まさかウルド」

「案ずるな。《御方》に、ではない。いいや……だとしたらもっとたちが悪いか。ともかくその詳細をここで語ることは許して欲しい。屈辱と恥辱に胸が爆ぜそうになる。そうわたしは逃げ延びたのだ。尻尾を巻いて逃げ、落ち延びた」


 姪の仕草で竜の王はすべてを察したようだった。

 なるほど、と理解を示しウルドをいたわった。


「ではきみがこの地を訪れたのは……そうか龍穴の最深部、竜の聖域で《ちから》を取り戻そうとしたから──そうだと言うのだな?」

「そうだ、スマウグ。わたしは竜の気に満たされた聖地で眠るつもりであった……他人の玉座を拝借して。もちろん、ここを訪れたからには、あなたの亡骸を弔う意味もそこにはあったが。それがまさかこんなことになるとは、思いもよらぬことだった」


 竜たちはその体内で竜玉を培い育てる。

 ほとんどの場合それは一生に一度のことだが……稀に未熟な状態で竜玉を失う個体がある。


 そのとき竜たちは本能的に聖域の深奥を目指す。

 失われた己のコアを再び得るべく、自分たちの宇宙観が集約する場所に戻り、身を横たえて肉体と心とを癒す。

 聖域の湯に身を浸し、肉を食み、新たなる核を身のうちに宿すまで。


 あるいは竜の聖域が強大な結界で括られている理由とは、この地を構成するあらゆるものが竜たちの体内に竜玉の核を宿らせるために存在するという神秘を守るためなのかもしれなかった。 


 ただあのときの──自らの領土たる空中庭園で己の玉座を奪いに乗り込んできた不遜な女に屈したウルドには、それができなかった。

 竜玉だけでなく、己の一族が築いてきた聖域までもウルドは奪われてしまったのだ。


「しかし、現世にキミを打ち負かす存在がいたとは驚きだ」

「驚いたというのなら、わたしだってそうだ。たしかにわたし自身が敗れるなどとは思いもよらなかった。よらなかったが……それよりも」


 それよりも、だ。

 ウルドは伏せていた顔を上げ、スマウガルドを見つめ直した。


「それを上回る衝撃がここにはあったのだ。まさか私自身がこの手で竜玉を砕き、長き苦悶の末に刑死したはずのあなたが、いまだこの聖域に君臨していたなどと。しかもおぞましい屍の王と成り果てて。あのときどんなにわたしの心が乱れたか、あなたにわかるか?」

「屍の王と成り果てた……。我が、か?」


 スマウガルドの喉から悲嘆と理解に彩られたうめきが漏れた。

 なるほどそれでか……と頷く。


「では我が屍が操られていたということか。《そうするちから》によって」

「屍が? 操られていた? 《そうするちから》? では、あれはあなたではないのか? あなたは知らぬことだと、そう言うのか?」


 まるで自らの行いを他人事かのごとく話すスマウガルドに対し、ウルドは疑問を抱いた。






ここまでお読みくださりありがとうございます。

燦然のソウルスピナはボクの手元に原稿のある限り、土日祝を除く平日に更新しています。


ですので明日5月14日、明後日15日は掲載をお休みさせて頂きます。

実はちょっと手元の原稿の残量がアヤシイので、来週がどうなるかわからないのですが、

このエピソードはあとちょっとなので、がむばってみます!


では引き続き燦然のソウルスピナをどうぞよろしくです!

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