■第一八四夜:狂える神の座
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ア────アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア──────。
竜たちの聖域の奥深く、その最深部に展開する《御方》の遺骸とその内部から伸びる無数の腕=《星狩りの手》に玩弄されるスノウは、その叫びが自分の喉から発せられていることに、いまさらながら気がついた。
体中が──体中がめくり返されている。
魔導書としての自分の肉体が、心と記憶に直結するもっとも敏感な部位が、あろうことかあらゆる手管でもってめくり返されている。
荒々しく、残忍に、ときに悪魔的なほど精緻に、微に入り細に入り徹底的に。
めくられた頁のすべてに無数の手が群がり、一文字ごと指でなぞられ指摘するようになんどもなんども確かめられる。
スノウの肉体はあらゆる場所が──とても口にできぬ秘すべき箇所までもが《星狩りの手》に迫られると本として開いてしまう。
そこに指が潜り込み、容赦なく確かめる。
スノウの恥部に関する記述をいくどもいくども飽きることなく。
こんなことができるのは、そしてなによりしていいのは、アシュレだけなのに!
どうして。
なんで。
両腕を鎖に縛され全身を手に押さえ込まれたスノウにできるのは、泣き叫ぶことだけだ。
心を覗かれる屈辱。
肉体を自由にされる恥辱。
だが、そのすべてが、陵辱のまったきが凄絶なる快感を伴っている。
唯一の救いが、自分のその感性はイズマの注入した忌むべきクスリの効果にほかならないということだけ。
でもそれでも。
恥ずかしくて悔しくて、スノウは唾液と涙とをまき散らしながら泣く。
泣かされてしまう。
「ナルホド、コハ、ヨイ。コレガ、セカイノアンブノ、スベテヲ、シルストイウ、グリモアデアルカ」
《星狩りの手》の玩弄によがり狂うしかないスノウを見つめて、屍の王は喉を鳴らした。
グッグッグッ、と腐りかけた声帯が震えて、くぐもった音を奏でる。
「でしょでしょ、ナイスでしょ? きっとお気に召すと思ったんですよー」
「キサマ、コレガ、ワレラカラワカタレタ、イチブデアルト、シッテオッタカ?」
「あ、その質問はキッツイナア。魔導書っていうか、《フォーカス》自体が《御方》の一部であり、そのオプションだって話でしょ? んー、それはお答えするのがムズカシー。《御方》さんたちの禁則事項に該当するらしくてボクちんの存在が危うくなるんですよネー。ひじょーにキビシー、と言わざるを得ない」
おどけてみせるイズマの返答に、スマウガルドだったものはグッグッグとまた喉を鳴らした。
「ドウケメ。シカシ、ヒメヲ、ワガモノトスルマエニ、コヲエラレタハ、ギョウコウゾ。キュウサイノセイドモ、カクダンニアガロウト、イフモノ」
「あー、ナルホドナルホド。ここは本家の“庭園”からは隔絶されてるから、人間の嫉みやひがみや苦しみ──暗部がわからないって──だからそれについて網羅している魔導書がいるって寸法ナンデスネー、ッて……いた、痛たたたたっ、イダダダダッ?! ギャー、ヤメテユルシテ! しないしないもうしないから禁則事項を破らないからヤメテーッ!」
「キサマ……グッグッグ、オモシロキ、オトコ。アンズルナ。ワレガカンセイシタレバ、ソチハ、イノイチバンニ、チョッケツシャトシ、クエキヨリ、トキハナッテ、シンゼヨウホドニ」
「チョッケツシャ? アー、直結者ね? そっか《御方》くんと直結できるんだ。スゲー、神じゃんボクちん。神の使徒ってこと? ワーヤッタネ!」
それまで痛みにのたうち回り転げ回っていたイズマが、まったく感情のこもらない棒読みで喜びを表現した。
スノウはその様子を血走った目で認める。
叫ぶ。
「ナンデ、なんでイズマ、こんなこんなことッ?!」
「またそれですかー? だーかーらー、いまボクちんが身を挺して解説してあげたじゃん。この《御方》は完成しようとしてるんです。スノウちゃんはそのためのパーツなんだよ」
「完成?! わたしがパーツ?! バカなこと言わないで!」
「バカなことってそんなこと言われてもなあ……。《御方》の動力源は竜玉っていう……これもまた《フォーカス》なんだけど竜の体内でしか製造できない部品なんだよね。でまあそれを得るためにこのスマウガルド陛下は、竜の皇女たるウルドちゃんを欲しているのかなー、みたいな? イダッ?! 痛イダダダダダダダだッ?!」
「そ、それとわたしとどういう関係性があるのッ?! あっ、ああああああああああああああああああああああ────」
イズマを問いただしている間も《星狩りの手》による玩弄は止まない。
むしろ気の逸れたスノウに役割を教え込むがごとく、より苛烈に残虐にと読解はエスカレートしていく。
ひとしきり痛がって見せていたイズマだが、スノウの喉から漏れる濡れた悲鳴にぎょくん、と唾を飲み込んだ。
「スノウちゃんてば、なんてエッチな声で鳴くんだお」
「とめて、とめてイズマ。壊れる、壊れるッ!」
「んー、それは無理かなー。スマウガルド陛下が“庭園”からこの空中庭園を切り分けてからこっち、この《御方》くんは外部情報からほとんど切り離されてたみたいだから……飢えてたんだねヒトの、人類の記録に」
しかもその頁ってスノウちゃんの恥部でもあるわけでしょ?
「それは止められないかなー」
「と、とめられないって、ひゃぐぐ、あ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア────ッ」
「どころで陛下ぁー、いちおうこちらの娘さんウルド殿下と引き換えの品なんですけれどもー」
軽薄きわまりない調子で、唐突にイズマが話を振った。
食い下がる余裕というものがスノウにはない。
そんなものはとっくに奪われている。
問われた屍の王:スマウガルドは、その様子を一瞥してからまた笑った。
「グモンナリ」
「あ、返さないってことですね? このまま頂いちゃうと?」
「モトヨリコレハ、ワレラノモノ。カエスドウリガナイ」
「ワー、エゲツねえ。つまりあれですか、スノウちゃんを餌にウルド殿下を呼びつけるだけ呼びつけといて、そちらもまるっとぞんぶり頂いちゃうってことっス」
「イズレモ、ワレト、チョッケツシ、エイゴウニ、キュウサイシツヅケル」
「キュウサイ……ああーナルホド救済、《救済》ね。救っちゃうぞ、ということですね?」
「ソノマエニ、キガフレルホドニ、ガンロウシツクスガナ」
グッグッグとまた引き笑いをして、スマウガルドだったものはスノウを見下ろした。
気が触れてんのはどっちだよ、という口中でイズマが発した声を聞きとがめる様子もない。
それほどにスノウの喉から迸り出る哀願の名演は胸に迫るものがあった。
「ソレニシテモ、ハヤクコヌト、ホントウニ、コワシテシマウゾ。コレハ、コハ、ヨイ。クセニナロウホドニ」
粘ついた嗤いを含んだ声で言いながら、屍の王は加虐の具合をさらに高めた。
スマウガルドだったものと《御方》の遺骸は──いまで目覚めていないだけのそれは──あの縛鎖で繋がれている。
直結者ってのはこういうことカヨ、とイズマはその様を見て取る。
そして直結されているからこそ、この屍は《御方》の機能をまるで我がものかのごとくに扱える。
逆説的に言えばこのスマウガルドだったものは、《御方》の耳目であり手足であり、情報を収集し状況を判断する手助けをし、そしてまたその考えを外部に伝達するための器官でもあるのだ。
おそらくこの《御方》の遺骸は、“庭園”から切り離されて長く安置される間に内部で自問自答を繰り替えしたのだろう。
人間がそうであるように、外部刺激から切り離されると高度な知性を持ち合わせた存在ほど速やかに狂う。
ましてや“庭園”の権能によって全世界の出来事を瞬時に既知のものとできるハズの《御方》が、それら情報の海から切り離されたらどうなるか。
自分はなにものであるのか──どのようにして人類を救済する存在であるべきかという問いかけを、“庭園”を通し常に休むことなく眠ることさえなく繰り返すはずだったこの《御方》の権能は、どこにも届くことなくその内側でこだますることになる。
いくら問いかけど、返ってくるのは己の言葉だけ。
そんな繰り返しを、これは千年以上も続けてきたのだ。
その果てに狂った。
いや竜たちの空中庭園の動力として活用されてきた「“庭園”より切り離されし《御方》」は、まだ幾体もこの世界にいる。
その多くは動力を提供されることもなく、死の眠りについている。
だが、竜たちが健在な空中庭園にあっては、非常に緩慢な速度でではあるが、目覚めのための儀式を進めつつある。
他ならぬ竜たちの体内で製造される竜玉を動力として取り込む自動的な儀式が。
それが空中庭園を維持するために必要な犠牲だと誤解させられたまま。
さらにいえば、だ。
たとえばいま現在建造中のこの《御方》は、そうやって狂ったからこそ、膨大な外部情報の集積体──書籍であるスノウ──をこれほどに求めるのではないか?
自分のなかで繰り返し反問してきた推論と、現実の時間の流れとそのなかで繰り返されてきた愚行との差異を照らし合わせ、答えを得ようとしているのでは。
飢えて。
答えに。
自分がすでに決定的に狂っているという自覚もないままに。
ではまさか。
スマウガルドという男は、かつてこの空中庭園や他の竜たちの従える空中庭園が、このような狂える《御方》たちによって維持されている事実に突き当たり、これを利用しようと試みたのではあるまいか。
他の竜を出し抜き、圧倒するために。
イズマは内心、そんな推論に辿り着いている。
もちろんおくびにも出さないが。
「ヒメノホウ、ドウナッテオル?」
「あー、ちゃんと来てるみたいですよ、なるはやで。あちこちに設置しておいた虫たちが知らせてくれてます。これがホントの虫の知らせナンチャッテ!」
「セカセヨ」
と、そんなやりとりをふたりが交した瞬間だった。
階下からイズマを呼ぶ声があった。
「イズマッ! スマウガルドッ! 約束どおり皇女:ウルドを連れてきたぞッ! スノウを放せッ!」
「アーアー、ホントに来ちゃったよ。しかも丸腰。やめときゃいいのに」
イズマの呟きは、もちろんアシュレには届かない。
ただもはや止めることのできない運命の潮流のなかへ、自分たちが飛び込んだということだけはどうか伝わって欲しいと、イズマは思う。
思うだけだが。
そしてまた原稿が尽きてしまいまちた……。
もうちょっとのとこまで来たんですが、クライマックス含めクオリティ下げるの嫌なので、ちょびっとお時間ください。
まっててね!




