■第一八二夜:《星狩りの手》
ウルドは話を続ける。
「最初はわたしに打ちのめされた傷心からだと思った。わたしたちの会戦の結果は何度やっても引き分けだったが、向こうは防戦一方だったわけで、男として伯父としてわたしにいいようにあしらわれ続けることに傷ついたのかなと、そんなふうに思っていたのだ。なにしろ向こう側からはわたしを奪いには決してこなかったからな。そのくせ愛はないのかと問えば、愛していると返してきた。愛しているならなぜ奪いに来ない? つまりわたしには敵わないと理解していたのだと思っていた。そして、敵わないから、その慰めに奇妙な研究に没頭するようになったのかと……そんなふうにも勘ぐったいた」
戯れだろうと最初のうちは思っていたのだ。
遠くを見つめる瞳になってウルドは呟いた。
「最初のうちはエスプーマたちを使った実験だった」
「エスプーマ?」
「人造生命体のことだ。泡から生まれた者ども。統一王朝:アガンティリスが残した神代の御業のうちのひとつで、竜族だけがそれを正式に受け継いだ」
「人造生命体を産み出す技術……?」
「王国を維持するには人手がいる。人間を単純な肉体労働に奉仕するためだけの奴隷にするよりは、ずっといいだろう? たとえばこの庭園を維持しているファッジなどがそのいい例だ」
庭園を管理している存在がいること。
それが人造生命体であること。
そしてそれを生み出す技術を竜族だけが正式に受け継いだということ。
次々と明かされる新事実に、アシュレは驚愕を禁じ得ない。
まだこんな秘密を竜族の皇女は抱えていたのだ。
「でっちあげの? 人工生命体。泡から生まれた者ども。それが庭園を維持している……んだ?」
「この庭園はもう百年近くもの間、主不在のまま放置されてきた。一口に百年と言うが、ヒトの王国ひとつが草木のなかに埋もれて消えていくには十分すぎる年月だ。そうであるのにこの庭園のさまざまは、あまりに綺麗に保たれているとは思わなかったか?」
「百年?! そんなに。でもたしかに、言われてみたらそうだ。園丁がひとりもいなかったら草も木も伸び放題。普通だったら数年も放置するだけでまるで廃虚のようになってしまうハズなんだ。でもここはそうじゃない。そうじゃなかった」
「ファッジたちは植物と動物の中間に位置している。この世の存在としてはキノコが一番近い。そして、その権能をもって園丁としての仕事をするよう定められている。寿命は数年で、働けなくなると土に還って庭園を豊かに保つ礎となる。だいたいの空中庭園では自動的に補充される仕組みにしてあるはずだ」
「でも……ボクたちは見たことがない。すくなくともここでは」
「奴らの頭には草木やキノコが茂っていたり、落ち葉が積もっている。じっとうずくまっていると潅木の茂みにしか見えないし、実際土台以外は本物の茂みなので、見抜くのはよほどの素養がないと無理だ。人知れず静かに見えないところで仕事をしている。それがファッジだ」
あまりの仕組みにアシュレは言葉を失った。
ファッジ。
そして、泡から生まれた者ども。
人工的に産み出され、庭園を保つ仕事を誰に命じられるともなくこなし、静かに土に還っていく。
「でも泡から生まれた者どもっていうのは人造生命体なんだろ? ファッジ以外にも、そうやってなんでも作れるのかい? 産み出せる?」
「なんでもというのは無理だ。まあその……執拗に構成要素をいじくり回せば相当なことはできるのだが……それは王たるものの仕事ではないとわたしは感じていた。実際のところ庭園の世話はファッジたちで十分だし、側に置くなら人間をはじめとした《意志の器》の持ち主たちでなければ面白くあるまい?」
「《意志の器》? そのあるなしがファッジや泡から生まれた者どもと人類を分けるとそう言うのか……」
「自分の考えを持つかどうか、とでも言えばいいか。あてがわれた役を忠実にこなし続けるだけの者に、考える《ちから》はいるまい?」
当然だろうと言い切るウルドの言葉に、アシュレはなぜか小さな痛みを覚えた。
「じゃあ彼ら泡から生まれた者どもに《意志》はないのか」
「ない。だから《魂》も生じる可能性を持たない。それらすべてがないがゆえに、粗雑に扱っても心が痛まぬ」
「都合の良い奴隷ってこと? ファッジ以外にもそういう存在がいたりするの?」
「貴様がいまなにを思い、なにを考えてそんなことを質問するのか、問いただすのはいまはよしておこうという話だったな? 話をあらぬ彷徨へ導いてしまわぬために?」
なにか思うところあり気な表情でウルドが言った。
そうしてもらえると助かる、と主にウルドとのいらぬ諍いを気にしてアシュレは答えた。
竜族の行いを非難したいわけではいまはない。
「ふむん、まあよかろう。たしかにさまざまな役割を泡から生まれた者どもには割り振ることもできる。ファッジのように園丁の役に就けるのが一般的だが」
「それ以外は、たとえば?」
「観賞用、とかな。人間の美女に似せた上半身に魚を組み合わせて水槽に泳がせたり、鳥との組み合わせで美しい歌を歌い続けるモノ、クモと組み合わせれば六本の手でヴァイオリンの三重奏を奏でる楽器のような奏者を作ることもできる」
「けっこう、というかかなりグロテスクだね。産み落とされた者たちが、ではなくそれを作ってしまおうという発想は」
ありきたりなアシュレの感想に、当然であろうとウルドは鼻にシワを寄せた。
彼女もまたそういう命の使い方、弄り方をよしとは思っていないのだ。
「であるから泡から生まれた者どもに入れ上げる趣味は、我ら竜族のなかでは蔑視される。ほとんどはファッジどまりだ。先祖から受け継いだ庭園を維持するためにだけ、泡から生まれた者どもたちは使うべきだ。わたしもそう思う」
「でもスマウガルドは違った?」
アシュレの問いは自然で、当然のものだったはずだ。
だがウルドは目を見開いて、なぜか傷ついたような顔をした。
そっと視線が逸れる。
「ああ。ああそうだ。違った。彼は……きゃつめは変わってしまった。いつからか泡から生まれた者どもに入れあげるようになった。自らの側に美しく造形した、幾多の生物の構成要素を混ぜて造り上げた泡から生まれた者どもたちをはべらせ……これに愛を注ぐようになってしまった」
「泡から生まれた者どもに愛を?」
「痴れ者が。わ、わたしに愛を囁いたその口で泡から生まれた者どもの唇を吸ったのだ。それどころか耽溺して寵愛して……抱いた、に違いない」
かけるべき言葉を見つけられずアシュレは沈黙した、のではない。
激昂するウルドの様子から当時の、いやいまもウルドが彼に向ける思慕の心を感じ取ったこともあるが、なによりもスマウガルドは決して情欲のために泡から生まれた者どもたちを産み出したのではないと思えたのだ。
もっと違う、深い場所から彼の狂気は来たのだという確信が、なぜだかこのときのアシュレにはすでにあった。
「それで、そのあと彼は?」
「……さらなる悪行に手を染め始めた」
「具体的には?」
「混ぜた。人類と泡から生まれた者どもを……掛け合わせ始めた」
「?!」
さすがに面食らってアシュレは息を呑んだ。
これまでスマウガルドが残していった宮殿を探索して、予想しなかったかといえば嘘になるがまさかそこまでとは。
「なんのために?」
「そんなことわかるわけがなかろう! ただ彼の者の所業は年を追うごとに過激化していった。わたしがそれを知り得たのはもはや完全に手遅れになってからだ。この空中庭園を訪れるたびに見かけることが増えた泡から生まれた者どもたちのなかに、見知った人間の……人間だったはずの侍女たちの顔を見つけたからだ」
「人間だったはずの?」
「まるで継ぎはぎのように、彼の者たちはその身を泡から生まれた者どものそれに置き換えられていた。ケダモノの耳や尾、体毛に角、瞳も入れ替えられいくつもの乳房を持つに至った者さえいた……」
吐き気をこらえるような顔をウルドはした。
続けてくれるかい、とアシュレは頼んだ。
「わたしは……それを知ったわたしは詰め寄った。なぜこんなことをした、と。なぜこのような所業を……人間をまるでパズルのように組み換えて玩んだのかと。そしたら────ああ、そしたら、」
「そしたら?」
突然取り乱し始めたウルドを抱き寄せながらアシュレは促した。
「奴は、スマウガルドは言ったのだ。『ウルド、我ら竜がどうしてこの世界に産み出されたのか、わかるかい?』と」
ああ、ああ。
発作を起こしたように急激に何度も息を吸い込んで、ウルドは言った。
「わたしが初めて彼を望んだときとまったく変わらぬ口調だった。まったく変わらぬ笑顔だった。でも、でもそのときにはもう彼は完全に変わってしまっていた。その変わらぬでも変わりきってしまった笑顔でわたしを呼んだ。導いた。『みせてあげよう。我ら竜がどうして、なにを望まれて、このような姿に生まれ落ちたのか』と、そう言って龍穴に──彼の聖域に」
ウルドの瞳はもう焦点が合っていなかった。
過酷すぎる過去の経験が鮮やかに甦り、竜の皇女を攻め立てているのだ。
だがだからこそ、これこそが核心であるという確かな手応えをアシュレは感じ取ることができた。
「そこできみは見たんだな」
「ああ、ああそうだアシュレダウ。わたしは見た。幾体も幾体も作り替えられてしまった者たちを。《そうされてしまった》者たちを。許されざる有り得ざる者ども。かつて人間だった、スマウガルドの家臣たち、それらすべてが──書き換えられて」
「それで?」
苦痛を強いていることを覚悟の上でアシュレは続けた。
ここで慈悲心から、ウルドの過去から目を逸らしたらすべてが台無しになってしまう。
それはいまかつての恋慕や思慕を断ち切り、スマウガルドと己の過去の所業ともう一度対峙しようとしているウルド自身の行いすら侮辱することだ。
だから、ふたたび促す。
「聞かせてくれ」
「彼は、スマウガルドは言ったんだ。『わかったんだウルド。我らは、我々竜族はこの世界の王ではない。なかった。それは偽りの役割であった。真の役目は──生け贄だ。この世界のため、この世界に暮らす《意志の放棄》を《ねがった》人々のための。彼らの神たる《御方》に心臓を与えるための。そして我らが竜の権能の源と信じ崇め奉ってきた聖域の、その深奥に鎮座する生命の樹────《星狩りの手》こそが────』
歌い上げるようなウルドの言葉が、最後まで告げられることはなかった。
苦痛に耐え切れなくなった竜の皇女が口を閉ざしたからではない。
彼女が伝えようとしたもの、それそのものがふたりの眼前に姿を現したからだ。
というわけでまたまた紙面が尽きてしまいました(ギャフン)。
なるべく4月中にこのエピソードは閉じれるよう頑張りますぅ。
まっててね!
 




