■第一七九夜:竜を狂わせるもの
「ともかくだ。竜族がなんのために生まれてきたのか。その問いかけきゃつめがしたのは、わたしが奴との契りを求めて挑んだ一度目の戦いのときだった」
「えええっ?」
アシュレはこの話を聞き始めてから、三度目の驚愕を言葉にした。
ウルドがスマウガルドとの契りを求めた?!
しかもウルドの方から?!
それはどういう……。
忌むべき敵だとばかりスマウガルドのことを規定してきたアシュレにとって、ウルドの告白は意外性がありすぎた。
「そんなに意外そうな顔をするな。わたしだって恋くらいする。それに昔のきゃつ……彼は……物腰も柔らかくて知的で教養もあった。歴史もよく学んでいたし……ちょっと優男過ぎたが、その……別に弱いわけではなかった。本当だぞ」
すこし夢見るような乙女の口調になってウルドはスマウガルドの人物像を語った。
「まあ我が伯父であるからにはあたりまえなのだが」
「伯父」
アシュレは驚愕で二の句が継げない。
ウルドとスマウガルドが血縁。
彼が伯父であるならウルドは姪。
しかも恋愛関係。
驚きを通り越して思考が追いつかない。
「しかし……でもそうか。個体数が少ないってことは必然みんな血縁ってことになるのか」
「血縁だから好いたわけではないぞ。それに好いていたのはかつての話だ」
勘違いするな?
なぜか厳重に釘を刺してくるウルドに困惑しながらもアシュレは頷いた。
よろしい、とまたウルドが上から目線で頷く。
「ともかくわたしたちの戦いは一昼夜に及んだ。実力は伯仲していてな。なかなか勝負がつかなかった。それで奴の方が提案してきた。この勝負預けないか、と。つまり水入りというわけだ。まあわたしの方は無傷だったので、無理に条件を呑む必要はなかったのだが、なにしろ疲れていた。きゃつめは防戦一方で血を流し、なんとか凌いでいたふうだったので押し込んでも良かったのだが──わたしはどうも情に脆いところがある。弱者の弱みにつけ込めないのだ」
「あ、ああー、」
聞きながらアシュレは思った。
それは伯父であるスマウガルドが、姪であるウルドを気づかってくれていたのでは。
大事な姪の肌に間違っても傷をつけてはならないと、自らは攻撃せずウルドのスタミナ切れを見て講和を申し入れてくれたのでは。
そうすることで彼女の純潔も誇りも護ったのでは。
いまでもそうだが思い込んだら一直線、盲目になりがちな彼女の将来を本気で慮ってくれたのでは。
聞けば聞くほどにウルドの語るかつてのスマウガルドと、オーバーロードと成り果てた彼の間に接点を見いだせなくなりアシュレは混乱する。
「でもじゃあなんで。そんな……優しい男がなぜオーバーロードなんかに」
「さっきも言ったな。『どうしてなんのために竜族は生まれてきたのか』。その問いかけにすべてが集約されていたのだ。そうだと気がついたのは、ずいぶんと後になってからのことだった」
「どうしてなんのために竜族は生まれてきたのか?」
スマウガルドの問いかけを自らの言葉で反芻するアシュレに、こくりとウルドは頷いた。
「いま思えば伯父は……スマウガルドはどこか貴様に似ていた。なぜ、どうして、この世界はこんな姿になったんだろうか。そんなことを恥ずかしげもなく口にしては考えに浸る、まったくもって竜らしからぬ男であったのだ」
ウルドにしてみれば過ぎ去ってしまった麗しい過去への追憶とその吐露に過ぎなかったであろう。
だがその告白はアシュレには別の作用を及ぼした。
そう──ウルドが言ったようにいまのアシュレとかつてのスマウガルドはよく似ていた。
いや、いままさによく似ているのだ。
「まさか」
「どうした? 心なしか顔色が悪いぞ貴様?」
「ウルド、すまない。もっともっと聞かせてくれスマウガルドのこと。彼がなぜ、どうしてオーバーロードなどに成り果てたのか。いや彼がどんなことに疑問を感じ、なにを考えていたのか。彼が辿り着いた考えと──その先にあるこの世界のことを」
急き込んで言うアシュレの勢いに押され、お、おうと竜の皇女は頷いた。
「なにか大切なことなのだな?」
「きみが言ったんだウルド。ボクとスマウガルドは似ていたと。それは姿形のことを言っているんじゃあない。そうだろう?」
「あ、ああ。うんその……優男というのは共通点かも知らんが……たしかに」
「教えてくれウルド、ボクたちはどこが似ている? そう──そうだ。だれがなんのために彼を、竜族を、そしてボクたちを《そうした》のか。その問いだ。ボクがそうであるように、彼もスマウガルドもその問いかけに辿り着いていたんだ。そこが、それこそがボクたちの相似性なんだな? きみがボクのことを、かつてのスマウガルドと似ていると評した真の理由なんだ」
言い切ったアシュレに今度はウルドが目を瞠る番だった。
「貴様……」
竜の皇女の瞳の奥で金色の虹彩が揺れていた。
「この世界の成り立ち。どうしてボクらはそうなってしまったのか。もしかしなくても、スマウガルドはボクなんかよりずっと先に、その問いに辿り着いていたんじゃないのか? 王である己の特権に座し慢心するのではなく、この世界の真実を見ようとしたのではないのか」
アシュレの瞳は、目まぐるしく動いている。
その瞳はいま眼前の光景を見てはいない。
ただ己の脳裏に次々と現れる、これまでの旅のなかで自らが体験して知ったこの世の秘密を見ている。
極まり高まった知性が体験と結びつき、これまでバラバラだった事象がアシュレの脳裏で次々と合致していく。
ウルドは次々と理解に及んでいくヒトの騎士の表情に魅入られたように、じっとアシュレを見つめている。
あるいは竜の皇女の胸中には、かつてまったく同じ顔をしてみせたスマウガルドの表情が甦っていたのかもしれない。
経験と学習と研ぎ澄まされた知性、そして飽くなき想像力とが、個人のなかでぶつかり合い火花を散らし、理解という高みに結合して、個人の存在そのものを押し上げてくあの過程が──ウルドが恋をしたスマウガルドの顔が──ありありと甦っていたのかもしれない。
その証拠にウルドの頬は上気して、涙ぐんでいて、胸乳は早鐘のように脈打っている。
「貴様、どうして──彼と同じ問いを?」
「わかった。わかったんだウルド。ボクがここに来た理由が。きみと出会った理由、スマウガルドが敵となった理由が」
だから、とアシュレは言った。
「だから教えてくれウルド。彼がきみになにを語ったのか。そしてなぜきみは、そんなにも憧れたヒト=スマウガルドを殺さねばならなかったのか。それもあんなに残酷な処刑を。その詳細を、できる限り具体的にボクに教えてくれ。たのむ」
そのときウルドの瞳に去来した感情をなんと名付けるべきなのだろう。
驚愕、戸惑い、哀切──そして離別への決意。
そんな複雑な感情の変遷を、アシュレはたしかに読み取った。
そしてアシュレの瞳が自分の心のすべてを受け取ってくれたのだと、竜の皇女も理解した。
ぼろろ、と先ほどまでのものとは違う種類の涙が、漆黒の瞳から零れて落ちた。
そうか、そうだったのか。
知れず理解の言葉が口をつく。
「わたしが、わたしたちが出逢ったことは──」
「必然だった」
運命、とはアシュレは言わなかった。
なぜならこの出会いは、かつて竜王:スマウガルドに恋をし、彼の精神の気高さと真理を求める姿勢を愛し、だからこそその豹変に怒り弑したウルドラグーンという娘と、用意され嘱望されたあらゆる栄光を投げ打って世界の真理に迫ろうと駆けてきたアシュレの行いが結びつけた《意志》の産物であったからだ。
それを運命と呼ぶのは傲慢が過ぎる気がした。
ヒトの行いが結びつけた縁を、ヒト以外のだれかの導きであるかのように語ることは許されないことだと、このときのアシュレには思えたのだ。
そんなヒトの騎士に竜の皇女は微笑んで見せる。
それから決意したようにまなじりを固め、語りを再開した。
いかにしてスマウガルドがオーバーロードと成り果てたのか。
なにが彼を《そうした》のか.
どんな問いが彼を導いていたのか。
その先にあったであろうどのような答えが──彼を狂わせたのか。




