■第一七七夜:《夢》の遺骸
死骸、というのが一番最初に抱いた感想であった。
ただそれを死骸であると認識するには、あまりに時間がかかった。
なぜってその死骸は、丘の向こう一面にずぅっと広がっていたからだ。
そして、その広大な死骸はひと繋がりだった。
つまり、たった一頭の──一柱の巨大な存在のものであった。
「なに、これ?」
「そなたの言葉を借りるのであれば“神”の、ということになるのだろうな」
あまりのことにそれ以上問えないスノウを抱きかかえたまま、王さまは続けた。
「正確には遺骸ではない。生まれ出で損ねたまま放置されたものと言うべきであろう。つまり《カタチ》になり損ねた《夢》。ここは“島”で、かつて“庭園”であった場所。目に見えて触れることはできても、ここはそなたたちが暮らす基底現実そのものではない。ここは《夢》の領域なのだ。ただしひとことに《夢》とはいってもそれは現実として確かにあって、そなたたちに影響を及ぼす《ちから》だが」
「遺骸ではない? 生まれ出で損ねたまま放置された?」
《夢》なのに確かににあって、わたしたちに影響を及ぼす《ちから》?
スノウの問いかけに、しかりと王さまは頷いた
「このなり損ない……“神”は、動力を得られなかったのだ。現実と虚構の境界線を突破して、物理的な存在へと結実するために必要な器官を得られなかった」
だから、
「だからこうしてここで《夢》の残滓としての骸をさらしているというわけだ」
「じゃあこれってまさか」
自らが口にした神さまという単語の本当の意味に辿り着きながら、スノウは唇をわななかせた。
「《御方》の……人間を救うために人間が《ねがい》を注いで……人間に知られないように秘密裏に作られた……偽物の神さま……《偽神》」
頭のなかで大聖堂の真下で聞く鐘の音のように、凄まじい音量でいつか魔導書:ビブロ・ヴァレリの化身が語ったセリフがリフレインする。
『いつどこで、それが生み出されたのかは、だれもしらない。知覚できない。まさに処女懐胎の奇跡。ただし、受胎告知に天使は現れない。生物としてではなく、人類のすべてを代行する神として生み出されたそれは産道を経由することなく、この世界に現れる。“庭園”から、“天の國”から、“理想郷”から、降臨されて』
あのとき結局スノウは《御方》本体の姿を見ることはなかった。
ヘリアティウムの大図書館の地下に眠っていたのは《御方》を生み出すための“庭園”の工房と部品の残滓、そしてその《御方》の振るう《そうするちから》によって産み落とされた魔の十一氏族のひな形だけだった。
だが……いまスノウが眼下に見下ろす光景は、アレとは違う。
これこそは《御方》本体の内側。
つまり臓腑なのだ。
そこから立ち上る生暖かい蒸気に揺らめいて、まるでそれが身じろぎしたようにスノウには感じられた。
「ひっ。う、動いた? まさか……死んでいるんだよね?」
「生まれ出で損ねた、と言った。生きるも死ぬもない。まだ産まれてさえいないのだ」
しかし、王さまはささやくように続けた。
「動いて見えたのは錯覚ではない。反応するという意味では、これは動く。赤子が胎動するがごとく。わずかに、だが」
「死んでいるんじゃないの?!」
「さきほども言ったが、これは生まれていない。未完成なんだ。まだ、な」
「未完成」
「ほとんどの部分は組み上がっている。ただ致命的に自立するための器官が欠けている。動力がないのだ」
意味あり気に王さまがスノウと視線を合わせてきた。
漆黒の瞳の奥で金色の虹彩が光っている。
まさか、とスノウはうめいた。
「それってまさか。竜族に《みんな》が期待した王としての役割って……。竜たちに権力を、《ちから》を、《ねがい》を集中させた意味って──」
「我ら竜族には決して多種族に知られてはならぬ秘密があった。我らにとって第二の心臓とも呼ぶべき器官の秘密。《ねがい》を《希望》に変換する生体炉……《魂》が人類にはないことに気がついてしまった旧世界の人々が、なんとかそれを模して得ることはできないかと《ねがって》しまった結果。まさに《ねがい》の果実──竜玉」
王さまがそう告げた瞬間、ギャリリと石と金属が擦れるような耳障りな音がして、王さまの胸にねじ込まれた杭と縛鎖が強く引かれた。
ぐう、と王さまはうめいて膝をつく。
なんとかスノウだけは護ろうと足掻いて……判断して、抱擁を解く。
だが肝心のスノウは強ばる指を、王さまから引き剥がせないでいた。
「まって、まって王さま」
「人々は、《旧世界のみんな》はこのために我ら竜族を産み出した。絶大な権力、人智を超えた《ねがい》の集積を許された者の内部にだけ作り出される《希望》の器官。それを人造の神の動力とするために。世界をもっとより良く改変するために。だから我ら竜族を────」
「ダメ、ダメだよ、王さま」
スノウは取りすがり抱きついて王さまを引きずり込む《ちから》に抗おうとする。
もはやそれがどこからの《ちから》なのかは明らかだった。
呼んでいる、呼んでいるのだ。
王さまを捕らえる母体。
この“島”という子宮に彼を留めおく、傲慢なる母性。
すなわちいまだ生まれ出でぬ設計図としての《御方》の存在が。
ひたひたとケダモノたちの足音が迫るのを、スノウは聞いた。
ここまで燦然のソウルスピナをお読みくださり、ほんとうにありがとうございます。
さてまたまたテキストのストックが尽きてしまいました(ワア)。
二月は確定申告、三月はヒツジがあっちで倒れ、こっちで結石に、風邪にと(のっところな)転がりまくっていた関係でちっと筆の進みが遅くなっておりまする。
さらに本日三回目のワクチンを接種しましたので、明日の午後には高確率でボクが倒れる予定ですw
首を長くして再開をお待ちいただければ。
四月中にはこのエピソードもちゃんとエンドマーク着けて閉じたいな、と目論んでおりますので。
でわ、またお気軽に感想やいいねなんかポチッとしてみてくださいね!
画面の向こうで眉毛が動くみたいですヨ!




