■第一七四夜:王として望まれて
「そういえばさっきなにか訊いてたよね、わたしに」
歩みを再開したスノウは王さまに問いかけた。
出会ってすぐ、たしかになにか尋ねられた気がしたのだ。
「そうだったか?」
肝心の王さまは、自分がスノウになにを訊いたかのか、とんと思い出せぬと首を捻るばかりでらちがあかない。
「訊いたでしょ? 質問したよね?」
「ふむ、たしかになにか訪ねたような気もするが……いまこうして頭を捻ってもさっぱり思い出せぬということは、特に答えを期待していたわけではなかったのであろう。気にせずともよい」
「なんだとお」
かなり投げやりな返答が来た。
その槍がスノウの頭に当たってカチンときた。
世界の秘密に通じる魔導書、その希代の魔導書とひとつになった世界で唯一の異能者。
その自負がスノウにはある。
というよりもいまやコンプレックスと結びついたそれこそが、スノウの自尊心を支える唯一の精神的支柱と言い換えても良い。
その繊細で複雑な乙女心と魔導書のプライドに、王さまの物言いは障ったのだ。
どんな事情があろうとも、多感な十代女子に「オマエには期待してない」などとは、口が裂けても言ってはいけないのである。
「答えを期待していないってナニソレ。わたしが質問相手としては不足だってそう言うの? 言っとくけどわたし、調べようと思ったら大抵のことは調べられちゃうんだからね? 世界中のどんな偉大な王さまも、わたし相手に秘密を作るとか無理なんだから」
ぐいと胸を反らして見せたスノウを、王さまはあっけにとられて見つめ返した。
「なにっ、その疑いの眼はっ?!」
「いや……そうであるか。それはなんとも……済まなかったよ。しかし秘密を作れぬとは、参ったな。まさかそなた、そういう(・・・・)の持ち主であったか。だからここへ来たのであるか」
「ふふふ、わたしがいかなる《ちから》の持ち主か、ようやくおわかりのようですね? あんまり自慢しちゃあいけないんですけれどね。ちょっとしたものなんですよ、わたしは」
自分の前口上を聞いて態度を改める王さまの姿は、スノウの自尊心を大いにくすぐった。
おそらく王さま的には、拗ねてしまった小猫の機嫌を取る程度の認識でしかなかったのだろうことだが、それは外交の席についたこともないスノウにはわからないことだ。
それにしても魔導書の能力を卑下してみたり、誇示してみたり。
きっとこれが若さというものなのだが、当のスノウにその自覚はない。
ただただ目の前の王さまに自分の有能さをアピールできたら、それでよかったのだ。
彼の横顔にどこかアシュレの面影があったのも、遠因かもしれない。
「なるほど。では、そこまで言うからには訊いてみるか。そなた、我らが竜族がかつてなぜ世界によってそうされたのか知っておるか?」
このときになって王さまは、ようやく自分が発した問いかけを自分で思い出した、という顔になった。
その顔のまま、問う。
待ってましたとばかりにスノウは即答した。
それ知ってます、と。
「もちろん知っています。それはですね……いまからわたしが話すことはホントは秘密なんですけれど、今回は王さまにだけ特別にお話ししましょう。驚かずに聞いてくださいね? なにを隠そう竜族は、この世界を望んだ人々によって《王》としての役割を練り着けられたのです。そういう《ねがい》を注がれて。“庭園”から“接続子”を通じて《王》たれ、と。そういうふうに改変されたのです!」
どやあ、という感じでスノウは断言した。
おお、と王さまが唸った。
その反応にどややあ、とさらにスノウは胸を張った。
なんだかここ数ヶ月でスノウの胸はものすごい速度で育っているので効果は、ばつぐんだ。
と思う。
案の定、王さまは話のスケールとかいろいろなものサイズに圧倒されたように、スノウを凝視しているではないか。
「そなた……それを自分ひとりで解き明かしたというのか?」
「えっへっへ、えっとお正確にはわたしひとりってわけじゃあないんですけどお、まあ実力って意味ならわたしの実力ですかね、えへへヘヘ」
またまた魔導書:ビブロ・ヴァレリのことを棚上げして、スノウは曖昧に笑って見せた。
普段あまりこういう持ち上げ方をされていないこの娘さんは、素直な称賛にとても弱い。
自己評価・自己肯定感が低い人間にありがちなことで、詐欺師はそこを突いてくるのだが、すくなくともこのときの王さまの言葉に底意はまるでなかった。
「ふむん、これは我としたことがそなたを軽んじて見ていたようだ。評価を改めねば」
「ふふふ、わたしの真の実力にようやく気がついたようですね?」
「しかもそなたよく見ればとても美しい。その黒髪も大事に伸ばすが良い。数年後には見違えるような美女になるぞ」
さらっとスノウの容姿を褒める王さまにえへへえへへへへ、とスノウは照れまくった。
アシュレ似の背の高い美丈夫の言うことだから、格別に刺さる。
そう、どうやらスノウは背の高い男子にも弱いようなのだ。
王さまの褒めた箇所も的確だった。
いまスノウの髪は肩口のところで切りそろえられている。
それは彼女が農村で養われてきた孤児であったことと、夜魔の騎士たちの従者となりゆくゆくは自分もその仲間入りを果たすつもりでいたことが関係している。
女性の長く艶やかな髪は裕福な農家や商家、あるいは貴族階級の証と見なされていた時代のことだ。
王さまの称賛は暗に「そなたの顔立ちや姿は貴族階級として通じるほどに美しい」と言ったのに等しかった。
そして幼いころから騎士道物語に親しんできたスノウは、その意味を正確に理解できる人間だった。
「しかしそこまで詳しいなら、我も教えを乞うてみたくなった」
予期せぬところからの予期せぬ称賛に照れまくり、身をよじり顔や首筋をしきりに手で撫でさするスノウを尻目に、真顔になった王さまは言った。
「いまのそなたが教えてくれたのは、どのようにしてであったな」
「はうだにっと?」
「どのような手段を用いて、という意味だ。どうやって我らは竜族としてこの世界に産み落とされたのか。どのような《ちから》の働きでそうなったか。“接続子”を通じて、などというのはその経緯の説明であったな」
真剣な王さまの口調にうむうむ、とスノウは頷いた。
ハウダニットがどうとか言われていることはよくわからなかったし、実は“接続子”という単語にしても、ビブロ・ヴァレリからの受け売りだが、ここで権威を損なうわけにはいかなかった。
なにしろスノウは竜族の成り立ちについて、すでに王さまが驚くほど鮮やかな解答をしてみせたのだ。
ことこの件に関してはいっぱしの専門家として振る舞わなければという気分になっていた。
うかがいましょう答えましょう、と鷹揚に頷く。
うむその意気やよし、と王さまも頷いた。
「では質問だ、類い稀なる異才を持つ娘よ。我が知りたいのはだれが、なんのために、我らをそうしたのかだ」
「だれが、なんのために、そうしたか? 竜族を?」
一瞬なにについて問われたのかわからなくなって、スノウはおうむ返しに呟いた。
むむむ?
疑問を声に出す。
「だれが、なんのためにって……アレっ? でもそれはさっき、わたしわりと説明したような?」
「ほう?」
「えっ、つまり|この世界のありようを望んだ人々が(だれが)、|王さまの役を押し付けたくて(なんのために)、竜にしたってことなんじゃないのかなあって……」
スノウによるしどろもどろな解説に、ふむん、と王さまは唸って見せた。
「なるほどそれはたしかに、その通りやも知れぬ」
「でしょでしょ?」
一応にしても肯定的な返答に、しどろもどろだったスノウは調子を取り戻した。
専門家としての威厳は保たなければ。
のだが、
「しかし本当にそれだけであろうか」
「??? どういうことです?」
「考えてもみよ。この世界の成り立ちに関する話が汝の行った通りだとして、我ら竜族に割り振られた役割はよりにもよって王さまであるぞ? 王すなわちキング、ときには皇帝、つまりエンペラーだってあり得るという話だ? それは特権階級の頂点だぞ? 世界の総意が小作人や奴隷の身分に落とすというのならば、わかる。そこまでいかずとも、たとえば夜魔どものように貴族──家臣の列であるなら、これもまあギリギリわからいでもない」
しかしだ、と歩きながら王さまは指を振り立てた。
考えに没入すると歩幅が伸びるクセでもあるのか。
あるいはこれまでこちらに合わせてくれていた心遣いを忘れてしまうだけか。
慌てて速度を上げ、その後ろを追った。
そんなスノウに聞かせるように、王さまは声を大にして語った。
「しかし王とは、ほかならぬ神より絶対権力の行使という特権を許された唯一の者、すなわち至高の存在なのである。世に生きるすべての者が憧れる存在と言って過言ではあるまい。そなただって一度くらい、そういう思いをしてみたいとは思ったことはないか? 思ったであろう?」
お、おう、とスノウは頷くしかない。
そんなスノウの反応に王さまはさらに声を大きくして、宙へと問いを投げ掛けた。
「ではそういう存在にみんなが望んで、つまり《ねがい》を投じて変ずるよう強いたと申すか? 我らが竜族に、なるように?」
「あっ」
たしかに、とスノウはアゴに手をやって考え込んでしまった。




