■第一七二夜:世界こそ狂気
「そう──この空中庭園:イスラ・ヒューペリアを巡る一連の事件、スマウガルドめの今日の行いは、我と我の過去の不始末にすべての原因があるのだ。しかもその尻拭いを、我は貴様ら第三者に頼まざるを得ない状況となってしまった。ふがいなさに王として恥じ入るばかり。どうか許されよ」
「今日のスマウガルドの行い。過去の不始末。じゃあやっぱり奴を仕留めたのはキミ……だったのか」
ちいさくウルドが目を見開いた。
素直に頭を下げたウルドに対し「キミが謝ることではない」とは、アシュレには言えなかった。
予想していたことととはいえ、断言されるとショックは大きかった。
ウルドがスマウガルドを仕留めたという事実だけではない。
その後、竜の皇女がスマウガルドに施したであろう刑罰を思い出し、うめいていた。
いやまだその確証はなかったが、アシュレの顔色を見たウルドの反応がすべてを物語っていた。
竜の皇女はやはりなという顔をした。
なにかをあきらめたような表情。
続けた。
「貴様、すでにそれを知り得て……いやそうか、スノウという娘、たしか大変な超常的捜査能力の使い手だと言っていたな。我らを救いに夜魔の姫が駆けつけてくれたのも、彼の娘の功績だったとも。その《ちから》というわけだな」
アシュレは無言で頷いた。
「だが、だれがスマウガルドを誅したのかについては調べ上げたわけではない。キミがそうだろうというのは、あくまでボクたちのなかでだけの推論でしかなかったよ。ボクらはイズマの行動を過去に遡って改めただけで、キミの過去を暴き立てたのでは断じてない。そのやりとりのなかでキミの名前が出ただけなんだ。ただ……」
「見たのだな。スマウガルドを。彼の者の姿を。酷くて惨い、あさましき骸に成り果てた姿を」
ウルドからの問いかけに、どう答えていいのかアシュレはわからなかった。
イズマがどうしてスマウガルドに寝返ったのか、その理由、そのヒントを掴むためにアシュレは二度、おぞましき屍の王の記述と対峙した。
あまりに陰惨、正視に堪えぬ姿となったかつての竜王は、その腐り果てた肉体を玉座に縫い止められていた。
あのとき抱いた想いが腐臭とともに込み上げ、思わず口ごもる。
勢いのままウルドを非難しそうだったからだ。
なぜ一撃の下に首を刎ね死なせてやらなかったのか。
なぜその肉体を完全に葬り、オーバーロードとしての転成を阻まなかったのか。
いやそもそもなぜ、あのような惨い仕打ちをしたのか。
「言い訳になるが、あれは必要な刑罰だった。奴が……彼が自ら見た夢の果てに領民に強いた数々の悪行を鑑みれば、当然の仕置きだったのだ」
「夢の果てに領民に強いた数々の悪行?」
問い返すアシュレに頷いてウルドは認めた。
だったらそれは、とアシュレはさらに促す。
それはいったいどういうことだい、と。
スマウガルドが頂いたという夢と悪行、そしてそれを罰したウルドの正当性。
その三つを、どうしてもいまウルドの口から聞きたかった。
さもなければ気持ちの整理ができなかったのだ。
アシュレはウルドを嫌いたくなかった。
ヒトの騎士に問われた竜の皇女は、曖昧な笑みを浮かべた。
その美しい相貌に、ひとことでは言い表せない複雑な感情が去来するのを、龍穴を満たす幻想的な光のなかでアシュレは見た。
「奴は……彼は知ってしまったのだ。この世界の秘密を。このゾディアック大陸の秘密。なぜ我ら竜が生まれたのかいや、産み落とされたのか。なんのために、どうして……我らの内側に竜玉が宿るのか。その答えに辿り着き……そして狂ってしまった。そうとしか、そうとしか言えぬ」
ひとこと絞り出すたび、ひどい心痛が胸を責めるのだろう。
竜の皇女の美貌が歪んだ。
だがそれはアシュレとて同じだった。
『この世界の秘密を知り得たからだ』
『どうして……我らの内側に竜玉が宿るのか』
『そして狂ってしまった』
ウルドの告白を聞いた瞬間、アシュレは頭蓋をハンマーで殴られるような衝撃を受けた。
彼女を抱く腕に、知らず力が込もる。
そんなアシュレから逃れようともせず、逆にすがるようにウルドが肩に頭を預けてきた。
「彼が狂った、とそう言ったのかい?」
「あるいは狂っているのはこの世界のほうだったか。わたしは彼を信じず──いや信じられず──ただその凶行を目の当たりにして激高した。彼が領民に行った狂気の所業に吊り合う罰を下した。竜の核たる竜玉を砕き、幾千の刃にて磔刑に処した。苦悶のうちに己が所業を悔い、領民たちに詫びながら死ぬように、と。なにを言っているか、わからないだろう?」
気丈なウルドが泣いていた。
アシュレはどうしていいのかわからなくなって、それでも問う。
ウルドが言うようにわからなかったからではない。
わかりすぎたからだ。
そして、だからこそ、知らなければならなかった。
「ウルド……教えてくれ。スマウガルドの狂気について。なぜ彼が堕ちたのか。そしてその結果として彼が領民たちに対して行ったという狂気の所業、その内容を」
竜の皇女は唇を震わせた。
血の気の引いた彼女の唇は色を失って白かった。
一、二度小さく首を振り、ためらいを追い払うとウルドは告げた。
血の出るような声で。
「書き換えた。他者を。特に人間を選んで──許されざる有り得ざる者どもに」
「書き換えた。有り得ざる者どもに」
「かつて統一王朝:アガンティリスが、いやこの世界観を望んだ人々がわたしたちをそうしたように──わたしには理解できないことだが、すくなくともスマウガルドはそう言っていたよ」
現実感が失われている。
ウルドの語りを聞きながら、アシュレはそう感じている。
自分の心が逃避しようとしているそれは証拠だ。
あるいは自分のなかにもあるという“庭園”へのパスポート=“接続子”がそうさせているのか。
現実を視るな、と働き掛けていると、そうだというのか。
心を守るために。
この世界観における自らの役割を守らせるために。
真実に触れることで、アシュレという人間が破断しないように。
そう──アナタのために。
ふざけるな、とアシュレはその忖度を一蹴する。
自分の頭のなかで無意識にも働く「優しくて甘やかな配慮」を蹴り飛ばす。
《スピンドル》を励起し、干渉を退ける。
その律動をウルドにも伝える。
それから言った。
教えてくれ、と。
もっと深く、もっと詳しくに。
かつての竜王にしていまや屍の王と成り果てた男の生涯と、その狂った思想について。




