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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 5・「竜玉の姫・屍竜の王」
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■第一六七夜:贄は縛糸に



 生い茂る樹木の枝に重力を無視して逆さまに立ったイズマの視線が、上からスノウを覗き込む。


 いまスノウは、アシュレから無断で借り受けた外套の下は肌着一枚だ。


 肉体を締めつける服装は、例の余韻を強く感じさせた。

 それがあまりに苦しいので着衣は最低限のままだった。

 なにより肌をアシュレの外套を触れ合わせていると、彼に抱擁されているようで、その匂いに安心できたからだ。


 無論サイズはまるで合っていない。

 イズマの位置からであれば、年齢の割に豊かな胸の膨らみが生み出す優美な曲線とそれが生み出す深い谷間が存分に覗き込めたであろう。


「育ってるねえ」


 頬を緩ませ絶景を堪能した様子で、土蜘蛛の男は言った。


 普段のスノウであれば拳の一発も食らわせたところだろう。

 相手がイズマでならば全力を叩きつけても問題なかったからだ。


 それなのに、できなかった。

 それどころか胸元を隠すことさえ忘れていた。


 なぜなら。


「どしたの? 震えてるじゃん。寒いのかな?」


 イズマの笑みが頭上で大きく裂けた。


 スノウは童話に語られる邪悪な妖精たちのことを思い出した。

 嬰児みどりごに蟲の呪いをかけ半蟲半人にしたり、井戸の水をダメにしたり、生まれたばかりの赤子を自分たちのそれと取り換えてしまう暗がりの妖精たち。

 たちの悪い悪戯で人間を困らせる童話の登場人物たちが、土蜘蛛をモデルにしたものなのだとスノウはもう知っている。


 急に彼がその土蜘蛛の王だということを意識してしまった。


「なん、で。どうしてここにいるのイズマ。おかしいよ。だってさっきまでアシュレさまといたじゃん……。裏切ったなんて……嘘なんでしょ?」

「そうそう、ついさっきまでアシュレくんと姫とお話ししてたんですよ。いやいやまいったまいった。ふたりして詰め寄られたら風向きが悪くてしょうがないよ。なんで裏切ったのかとか訊かれてもナー。ワカルデショ?」


 ナニがワカルデショなのかちっともスノウにはわからないが、どういうわけか肉体を襲う震えがひどくなった。

 たぶんイズマが思案するように、アゴに指を当てて見せたからだ。


「でも……いまの言い方、ちょっと変だよね。いやアシュレくんと姫のことじゃなくてサ。スノウちゃん、いま変なこと言ったよね?」


 土蜘蛛の男は首を傾げて見せる。


「スノウちゃんはナンデ、そのことを知ってるの? ボクちんがアシュレくんとお話してたことナンデ知ってんの? それってついさっきの話でしょ。ボクちんいま、あすこから飛んで来たから詳しいんだケド……スノウちゃんはどうやってそれを知ったの? いなかったよねあの場面に? ねえ変じゃない? というかナンデ、ボクちんが裏切ったこと知ってるの?」


 スノウは慌てて口に手を当てたが遅かった。

 ははあ、とイズマが大仰に頷いた。

 逆さまだからその仕草は余計に奇妙で滑稽で……それが……。


「そうかスノウちゃん、魔道書グリモアの《ちから》を使ったんだね。かしこいなー。もしかしてアシュレくんの入れ知恵? エライ、そして汚い! だがそれがいい! そうかそうか、こういうことはできるようになったんだ。成長だねー」


 つまりスノウちゃんのそのとってもエッチな才能を使って、ボクちんの過去を覗いて目星をつけた、と。

 イズマは感心した様子でしきりにうなずきながら、書籍をめくる仕草を繰り返した。

 だがスノウにはそれはなにか別の、もっと陰惨で淫靡な手管の予行演習に見えた。


「そーかそーか、それでアシュレくん最初っから喧嘩腰だったんだなー」

「イズマ、これはその。わ、わたしはイズマが裏切ったとか思ってないよ。絶対なにか考えがあって、そのためにいまはそうせざるを得なかったっていうか……そうなんでしょ?」

「ありま、スノウちゃんは信じてくれてんのね。ウレシーナー、ボクちんにも味方がいたんだねえ。姫とアシュレくんは、けんもほろろでさあ。ありがたいねえ」


 それもこんなかわいい子が、さ。

 ぺらり、と紙のように薄い微笑みをイズマは浮かべた。

 控えめに言ってもそれは、白痴のごとき知性の欠落した笑みだった。


 その酷薄さに、スノウは震え上がった。


 イズマの笑みが本心からのものではなかった、からではない。

 あまりに空虚でからっぽな、がらんどうな笑顔が恐かったのだ。


 でもさ、とそんなイズマが笑顔のまま、言う。

 ボクちんを信じてくれてるっていうのに、サ。


「でも、だったらなんでスノウちゃんはそんなに震えてんの? スゲーよ、マジで」

「こ、これは寒い、から」

「ああー、寒いんだ。そうだね、この竜の結界の内側がどんなに温暖な気候に保たれてるっていっても、ここは山際の渓谷だ。夜は否応なく寒いよねー」

「うんうん、だから」

「じゃあこっちおいでよ。温めてあげるからサ」


 イズマの申し出をスノウは「だいじょうぶだから!」と拒絶しようとした。

 だが、次の瞬間にはその身体は宙を舞っている。

 長い土蜘蛛の腕に収まってしまっている。


「い、イズマ?!」

「あーららこんなに冷えて。まってな、いま熱くしてあげちゃうから」

「まって、まってこれは違うの、そこは違うし」

「なんでなんで。信じ合う者同士、もっと腹割ってわかり合いまショ。親睦を深め合いまショ」

「離し、離してッ!」

「ダメダメダメだよ。スノウちゃんはいまから、ボクちんと行くんだから」

「行く?! 行くってどこに?! 行かないよ、わたし行かない。ここでアシュレさまとシオンねえを待つんだから!」


 得体の知れぬ恐怖を感じて、スノウは暴れようとした。


 できなかった。

 彼女の柔らかな肌には、もうがっちりと蜘蛛の糸が食い込んでいた。

 四肢の自由は一瞬にして完全に奪われている。

 ばさり、と外套が脱げ落ちた。

 もはやスノウと外界を隔てるものは肌着一枚きりだ。


「やだ、離してッ!」


 宙づりにされ半狂乱になりかけたスノウの唇を、イズマの指先が優しく撫でた。


「離すのは無理。なぜってキミはもうボクちんのものだからです」

「イズマ、イズマッ?! なんでどうしてこんなことするの?!」

 

 立て続けの詰問に、イズマは困って見せた。

 わざと頭の悪い演技をするように、人さし指でこめかみをぐりぐりと捩じる。


「なぜって……そうだ、そりゃあアシュレくんと姫が悪いんだよ。ボクちんの獲物を掠め取るからさ。手ぶらじゃ帰れないじゃん」

「獲物?! 獲物ってナニ?! 竜のこと?! 竜を掠め取った?! だから、だからって、手ぶらじゃ帰れないって……それナニッ?!」


 理解が追いつかなくてスノウは混乱した。

 どうしてこうなった。

 さっきまでわたしは、アシュレとシオンが遠くで戦う光を見てその音を聞いて、わたしもあのなかに行きたいって思って、


「スノウちゃんがそんなにも一生懸命なのはさ、当事者性が欲しくてしょうがないんだよね。自分もアシュレくんたちみたいな主人公になりたいんだよな、英雄譚の登場人物として。──って、やっちゃったよ。当事者性だなんて難しい言葉使っちゃったよ、ボクちんってばインテリー。滲み出してしまうんだよねー、隠しても隠しても高度な知性と教養とがさ」


 なに言ってんのイズマ、わかんないよわたし。

 スノウは思う。

 心が事態の急変についていけなくて、なにを言われているのかほんとうにわからない。


「まあ要するにキミがアシュレくんの前で必死になってその身を挺するってのは、裏返し的に言うと自分を見て欲しい、いや自分をアシュレくんのお姫さまポジションに、つまり一番にして欲しいって心の裏返しなワケ」


 イズマの目的を聞いていたはずなのに、どうしてわたしが分析されているの?

 またその内容があまりにあけすけで、図星で、どうしたらいいのかスノウにはわからない。

 ただひとつだけハッキリとわかることがあるとすれば、それは恐怖だ。

 わたしは怖い、恐いんだ。


 イズマが。


「そこで、だ。ボクちんがスノウちゃんをお姫さまポジションにしてあげようってのが、今夜のご提案なわけ。こういうのはソリューション、って言うんです? 解決策って言えば三文字で済むのに、無駄に長いしバカみたいでカッコいいよねソリューション。アグリーって奴です?」


 

 イズマの提案ソリューションの意味がわからないのではない。 

 逆だ。

 提案それをわかりたくないのだ。


 この期に及んでスノウはやっと自分の本心を知った。

 いや、知らされたと言うべきだろうか。


『アシュレの一番になりたい』


 それがスノウの本心だった。

 どうしようもなくわがままで、自分勝手な欲望=《ねがい》だった。

 こんなに切羽詰まった局面であるにも関わらず、たしかにいま自分はそれを《ねがって》しまっていた。


 そんなどうしようもない自分の性根を直視したくないから、イズマの話はもうこれ以上聞きたくないのだ。


 ふるふる、と緊張に強ばる筋肉を無理矢理動かして首を振る。

 だが、その仕草にイズマは我が意を得たりと頷く。


「ンンンー、いいねえ。わかってるねえ、そう姫はやっぱりさらわれなくちゃならんわけです。しかも無理矢理ね? そんでもって適度に辱めも受けなくちゃイケないんだな。まあたぶん辱めるのはボクちんではなく、ボクちんのいまのご主人さまなんだけれども」


 拒絶を示すスノウに、イズマの笑みがさらに大きくなった。


 どこまでその口は開くのか。

 剥き出しの歯は牙のようにギザギザで、口は耳まで裂けて見える。

 長い舌がチラチラと覗いて、スノウの首筋を舐めた。


 ちゃんと自分がしなくちゃいけないことわかってるねえ、とスノウは褒められた。

 全然ぜんぜん、嬉しくない。 


 叩きつけるべき返事の代わりに、ひっ、と悲鳴にさえなりきれないか細い声が、恐怖に締め上げられた喉から漏れた。


「信じなって。最高の役をあげるからさ。スノウちゃんにぴったりのヒロイン席を、このボクちんが誠心誠意全身全霊全力投資の完全完備でご用意しますから。だいじょうぶキミがほんとに大事なら、騎士さまはすぐに助けに来てくれるヨ。あらゆるものを投げ打って、キミを取り返してくれるさ」

「やだ、やだよイズマ」


 無茶苦茶に暴れてスノウは束縛から逃れようとした。 

 だが自由になったのは首から上だけ。

 戦士のものとは程遠い華奢な手足には鋼線のごとき蜘蛛の糸が食い込んで、ぴくりとも動かせない。

 イズマは呆れたような傷ついた顔をした。

 舞台の上の役者を思わせる作り物めいた表情。


「なに? 信じてるんじゃなかったの? 信じてるんならボクちんに任せなよー」

「だってだってだって」

「ああー、やっぱり疑ってるんだ。嘘だったの? ボクちんの味方じゃなかったの? なんてこった。まさかしてボクちんを舌先三寸の嘘で騙して、なんとかこの場を切り抜けようとした? まさかもしかカモシカ? ボクちんの過去を覗いて、ボクちんがだれと繋がっているか知って、それで騙そうとした?」


 そうだった、嘘だった。

 スノウは認める。


 イズマのことなど信じていなかった。

 スマウガルドは明確な悪で敵だった。 

 信じられるほどイズマを知らなかった。


 それにわたしはアシュレさまやシオンねえみたいな英雄じゃない。

 英雄にはなれない。


「それなのに英雄譚の登場人物みたいに振舞いたかった……お姫さまになりたかった……そうなんだね?」


 スノウの心を読んだようにイズマが言った。

 気がつけばスノウの肉体は逆さ吊りのまま、峡谷が見下ろせる場所まで連れ去られてしまっている。

 

「スノウちゃんは、イケないコだねえホントに」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 理性が押し止める間もなく嗚咽にも似た謝罪が口を吐いていた。

 だいじょうぶだよ、とイズマがわらう。

 

「今夜の主役は間違いなくキミだ。アシュレくんも飛んで来てくれる。ただ、キミが無事でいられる間にかどうかは──わからないけどねえ」


 ハハハ、と残酷なほど軽薄な嗤いが、風に吹き飛ばされる木の葉のように舞う。

 スノウは着衣を奪われる。

 なぜってイズマがそれを手紙にしたからだ。


「これぐらいの演出があったほうがいいでしょ」


 なんの痛痒もなく魔導書グリモアの娘に恥辱を強いて、土蜘蛛王は宙に踏み出す。

 渓谷に渡した糸を渡って帰還する。

 己が縛糸ばくしに捕えた獲物を携えて。


 スノウは贄だ。

 死せる竜王のための、そして己が生存するための生贄。


 そして竜の皇女と交換できる唯一の品。




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