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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 5・「竜玉の姫・屍竜の王」
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■第一六六夜:吊るされた男のように


         ※


「騎士さま、ねえも、ご無事かなあ……」


 さてときは、すこしばかり巻き戻る。

 竜の姿を認めたアシュレが確認に駆け出し、その後に起きた交戦──紫電と光条の応酬を見た夜魔の姫が騎士の支援に向かったあとのことだ。

 

 スノウはひとり居残りを決めていた。

 本当はシオンについて行きたかったが、立て続けに使った超常的捜査の代償が彼女に重くのしかかっていた。


 それさえなければ、いまこのときもアシュレの動向を逐一知りたい欲求に駆られるほど彼を想ってしまっている自分を見つけてスノウは狼狽した。


 自分でも気持ちが制御できないのだ。

 自らの内側にある頁をめくりかけては手を止め、また指を伸ばす。

 そんな行為をもう何度も繰り返している。


 他者の、特にアシュレの過去を覗き見る行為は、自慰に似た官能をスノウに味わわせる。

 それは背徳に属する快楽だ。


 それは覗き見と自慰の両者が精神的座位として極めて近しい場所にあるからだが、まだ年若い半夜魔の娘にそれはわからない。


 アシュレとの数少ないが、それだけに貴石のように大切な逢瀬の記述を読み返すだけで、スノウは望むだけの羞恥と恥辱、それらとは比較にならない官能を手に入れられてしまう。

 その逆に、アシュレが自分以外の女性にいかに愛を注いだか覗き見れば、嫉妬と思慕に泣きながら底なしの渇望を育てることができてしまう。

 

 スノウはこの《ちから》と嗜好性をとても怖れていた。


 だれかの秘密を暴く快楽に溺れるようになってしまったら、繰り返しそれに耽溺したら、あっという間に魔性に呑み込まれる。

 そんな怪物をだれが愛してくれるだろう。

 

 いいや、アシュレならそれでも良いと言ってくれるかもしれないが、そんな恥知らずな存在に堕ちてしまったら。

 そう考えると自分が恐くてたまらない。


 きっと一生、許されることのない玩弄と際限なき躾けを望んでしまうとわかっていたからだ。


 だから降るような星空の下、息を殺してじっと待った。

 アシュレを求める自分の心が、無意識にも自分のカラダを書籍化してしまわないように。

 自制して、想いを押し込めて。


 そのかわりと言ってはなんだが、自分の恋心を映し出すかのようなくらくすぶる熾火に、細い枝をくべる。

 代償めいて小枝が投じられるたび、火の粉が舞い頼りなげな炎がわずかに上がった。


 いかに季節が夏に差しかかっているとはいえ、渓谷の夜は否応なく冷えてくる。

 いざというときのために湯を沸かしておくことも、後衛を任されたスノウの大事な仕事だった。


 しかし、このような時刻・場所での火は、良くも悪くも目印として働く。

 昼間は言うに及ばず夜間でも、炎が立てる煙はかなり遠方からハッキリと見えてしまう。

 さらに大きな炎は煙を画布カンヴァスにして、その正確な位置までも知らせてしまう。

 自然界において、モノが焼ける匂いというのは常態ではなく容易に察知され、想像以上に遠くまで届くことも忘れてはならない。

 

 イズマの裏切りが濃厚視される現状では、自分たちの存在は極力隠蔽しなければならなかった。

 眼下に広がる温泉地帯から吹き出す蒸気に紛れ階下からは見分けづらいといっても、警戒は怠らないようにと、スノウはアシュレから言い含められていた。

 

「でも、寒いよ」


 ついさきほどまでアシュレのぬくもりに包まれていたスノウにとっては、頼りない焚き火の存在は寂しさと不安を駆り立てるものでしかない。 


 もちろん本当に寒いと感じているのは、カラダではなくココロのほうだ。

 つまりアシュレのぬくもりがかたわらにないからだと、スノウにはもうわかっている。

 自分が魔導書グリモアの誘惑に抗えなくなるのは、アシュレが自分を放っておいてどこかに行ってしまうからなのだ。


 そんな想いに抗い切れず、スノウはアシュレから借り受けた外套に包まり立ち上がると、胸壁から身を乗り出した。


 アシュレとシオンとが姿を消した渓谷の闇を覗き込む。

 半分とはいえ夜魔であるスノウにとって、月と星とが明かりを投げかけてくれる今夜であれば、いかに渓谷の底であろうとも黄昏時ほどには見通せる。

 

 と、その瞬間。

 渓谷を白銀の閃光が走り──続いて大気が爆ぜる轟音が立て続けに鳴り響いた。


「シオンねえの聖剣:ローズ・アブソリュート! 戦ってる、戦ってるんだ」


 両手を握りしめ、光の乱舞する戦域を食い入るように見つめる。

 

「ああ、わたしの《ちから》もあんなだったらよかったなあ。そしたらねえの代わりに騎士さまの隣りで戦えるのに。助けて差し上げられるのに」


 子供の頃から夜魔の騎士に憧れて育ってきたスノウにとって、シオンはある種の理想のカタチそのものだ。


 魔の十一氏族と世界が恐れ蔑む一族。

 そのなかでも極めつけに恐れられ畏怖される夜魔の、それも真祖の娘として生まれながら、人類のために聖なる剣を掲げて戦うその姿は、まさに理想の姫騎士そのものだ。


 しかもその容姿は頭頂からつま先に至るまで、可憐のひとこと。


 彼女に冠せられたふたつ名:“叛逆のいばら姫”は誇張ではない。

 あまりにそのイメージがぴったり過ぎて、スノウはいつも激しい嫉妬を感じてしまう。

 なんとか彼女と同じ高みに至り、アシュレから同じく想われたいと願ってしまう。


「でもわたしは剣も槍もシオンねえみたいに上手には使えないし、」


 なにより自分の《ちから》は汚れている、とスノウは思う。

 アシュレを姿見に《理想の騎士》を投影した自分の醜さを、スノウはだれよりも知っている。

 自分を守ってくれる騎士と、愛し身も心も蕩かしてくれる恋人と、そして父親としての責任までも要求した。

 そう自分の父:ユガディールを殺し、永遠に奪った男として。


 その結果が、あの“理想郷ガーデンの王”:エクセリオスだ。


 断じてそなただけのせいではない、とシオンは言ってはくれる。

 冷酷で残酷でそれでいて享楽と洗練を知るあのエクセリオスを造り出したのは、そなたの《ねがい》だけではない、と。


 けれども、ハッキリと己の罪を認め、次の瞬間には決別してしまえるシオンとは、スノウは違う。


 自分を構築している多くの部分が、アシュレからの承認欲求と彼のそばで役に立てる女性たちへの劣等感コンプレックスで成り立っているのを知っている。

 エクセリオスが「どうして執拗に自分を責めたのか」はっきりとわかっている。


 こうして独りぼっちになってみると、改めて感じるのだ。

 戦列をともにするアシュレとシオンの姿を目の当たりにすると──遠巻きにも、たとえそれが迸る閃光や轟き渡る衝撃音だけだとしても──自分はあの輪には決して加えてもらえないのではないのか、と不安になるのだ。


 英雄たちの戦場。 

 わたしもそこに加わりたい。

 でも、できない。


 もちろん魔道書グリモアのもたらす情報は、使い方次第では戦場で振るわれるどんな種類の刃よりも恐ろしく、城壁を砕く投石器や大砲よりも圧倒的で決定的な《ちから》なのだが、それはいまのスノウには認めがたいものなのだ。


 彼女の肉体を責め苛む甘い疼き──暗い欲望の刻印が嫌でもそれを思い知らせてくる。


 どれほどアシュレのためだ、戦隊全体のためだと大義名分を振り立てようとも、自分の《ちから》は他者の秘密を暴き立てる卑劣な能力に過ぎない。


 そして魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリに適合者として選ばれたのは、自らの内側に魔導書グリモアと同じ《ねがい》が息づいていたからなのだと、スノウはもう知っていた。


 愛しいだれかの秘密に触れたい。

 そのひとのことをわたしが一番深く、だれよりも先んじて理解したい。


 もちろんわたしの秘密にも触れて欲しい。

 ふしだらな心のヒダの奥の奥、もっとも感じやすい場所まで──熟読されて理解されたい。

 その上で、耽溺して依存して欲しいのだ。

 ほかならぬスノウ自身に。


 こんな能力欲しくなかったと嘆いて見せるのは簡単だが、それが欺瞞であることを、ほかならぬスノウ自身が一番よく知っている。


 だからこそ、いま眼前で繰り広げられる人智を超えた戦いに固唾を飲んで見入るのだ。

 そこにだけ、スノウの望む救いはある。


 目を凝らせば、闇のなかでも現地の状況が刻一刻と変化しているのが見て取れた。


 閃光は止んだ。

 耳が痛くなるような静けさがしばらく続いた。

 たぶん、そう長くはなかったはずだ。

 だが、固唾を飲んで待っているスノウにとってはとても耐えられないような、長い時間に感じられた。


「どうなったの? 終わったの? だったらねえ、早く信号弾で知らせてよ」


 さらに状況を把握しようとさらにスノウが胸壁から身を乗り出した瞬間──。


 白銀の輝きの代わりに渓谷を圧したのは身の毛もよだつような咆哮と、巨大な質量が激突し合い岩塊が砕け散る轟音だった。

 出し抜けに岩山のひとつが崩れ落ちる。


「騎士さま! シオンねえ!」


 身を乗り出すだけでに留まらず、スノウは胸壁によじ登った。

 舳先のようになった先端に立ち、想いよ届けとばかりに見入る。

 この咆哮ほうこう、そして思い出したかのように間欠的に、渓谷を青白く染め上げる轟き。

 間違いない。


 アシュレとシオンは、いまイズマとではなく竜と戦っているのだ。

 あるいは竜と共闘してイズマと戦っているのか。


「どうなったんだろう。あれは竜の吐息ブレスで間違いないよね。ああ、ああんもう! わたしも、わたしもいけたらなあ。戦えたらなあ」

「そんなに戦いたいの? うーん、竜と戦うのは無理だけど……会わせてあげることはできると思うヨン」


 思わず漏れた独白に返答があって、スノウは心底、驚いた。

 うわっ、と跳び上がる。

 助けがなければ、危うく落下している勢いだった。


「おっとっと、あぶないあぶない。ここ、うっかり飛び降りたら軽く死ねるんだから、気をつけてネ」


 飄々とした口調の主が、スノウの包まっていたアシュレの外套の襟首を掴んで、まるで仔猫のように胸壁の内側に連れ戻してくれたのだ。


「えっとありがと……って、だれ?!」


 いったいだれがいまこのときスノウの窮地に駆けつけて、滑落死から助けてくれたというのだろう。


 アシュレではありえなかった。

 無論、シオンでもない。

 ふたりはいままさに竜と戦っているからだ。


 ではだれだ?


 どこかで聞き覚えのある軽妙な口調に、スノウは声のした方向を振り仰ぐ。


 やあ、と貼りつけたような笑みで男は挨拶した。

 夜魔とは違うけれど、発達した犬歯が剥き出しになっていた。

 手足がひょとり長く、頭髪はまるでヒヨコのようにモサモサとして独特のシルエットを作り出している。


 キャンプの頭上に張り出した広葉樹の枝に男は引っかかっていた。

 いや正確には──逆向きに立っていたのだ。

 まるで吊るされた男のように。


「イズ……マ?」

「あたり。スノウちゃん、ちょっと見ない間にメチャクチャ色っぽくなった?」


 軽薄にイズマは笑って見せた。




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