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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 5・「竜玉の姫・屍竜の王」
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■第一六五夜:黒き予感


「衣服の借用を。その前に湯浴みを所望したい」


 アシュレの視線から逃れるように身を屈めるウルドには、シオンが応じた。


「着衣はわたしのものでよければお貸ししよう。サイズが合えばよいのだが。ただ、湯浴みをしているようなヒマはあるまいよ」


 そうだなアシュレ?

 竜の皇女へと言い聞かせるように告げながら、夜魔の姫は視線を合わせてきた。

 気を取り直したアシュレは頷く。

 

 血と泥に汚れた肉体を湯で洗い清め疲れを癒したいという気持ちは、アシュレにだって理解できる。

 ましてやウルドは屍の竜王:スマウガルドに件の黒杭と縛鎖を通じ、その心身を脅かされたのだ。

 それ以前にもイズマと大蜘蛛たちからの襲撃を受け追い詰められてきた経緯がある。 


 疲弊と困憊こんぱいは肉体だけのものではない。

 なにより力づくで征服されかけた忌まわしい記憶を流し去りたいという要求が、単なるわがままから来るものではないことはよくわかっていた。


 先ほどまでの格闘で周囲の環境は見る影もなくズタズタだが、これで温泉地帯が全滅というわけではない。

 すこし走れば無事な泉が、いくらでもあろう。


 アシュレにはウルドの要求は至極当然であり、自然な欲求だと思えた。


 だがいまの自分たちには、それよりも優先せねばならぬことがあった。


「ウルド、ここで湯浴みしたいというキミの気持ちよくはわかる。あんなことがあったんだ、無理もない。それにその胸を蝕む刑具が、いかにしてキミへと打ち込まれたのかを想像できないボクらではない。忌まわしい記憶とともに汚れを流したいというキミの要求は当然のものと受け止めている」


 だけど、とアシュレは続けた。


「ボクたちはキャンプにあとひとりメンバーを残している。スノウメルテ。キミと同じ……いいや、まだ十代の女のコだ。イズマの居場所を突き止めるために使った異能の代償で極度の消耗に陥り、ここには駆けつけられなかったけれどボクらの大事な仲間なんだ。ボクはここに来るために彼女を置いてこざるを得なかった。シオンに護衛をお願いしていたんだけれど、そのシオンがボクらを救うために駆けつけてくれたってことは、いまはスノウはひとり──まだあのキャンプ地でボクらの帰りを待っているはずなんだ」


 アシュレが墜ちていくウルド追ってキャンプを駆け出したあと、なにが起こり、どのような判断をシオンとスノウのふたりが下すに至ったのか。

 それはアシュレもまだ知らないことだった。


「そこからはわたしが話そう」


 自然、話はシオンが受け継ぐことになる。

 騎士に引き継ぎの目配せをし、夜魔の姫は続けた。


「渓谷に迸る紫電の奔流を、わたしとスノウはともに見た。続く竜槍:シヴニールの一閃。だがそのあとで訪れた静寂がわたしたちに決断を迫った。もしアシュレが無事なら即時の帰還か信号弾での合図があっただろう。事前にそう打ち合わせた通り。しかし待てど暮せどなにもなかった。使い魔を通じての連絡も取れなくなっていた。つまり、」


 窮地であるとわたしたちふたりは判断した。

 淡々とシオンは言った。


「現実にはその一歩手前──イズマとのやりとりが生じていたわけだが」


 アシュレはシオンの言葉に、慌ててフードを探った。

 そこには紫電の飛沫のショックで気絶してしまっていたのだろうシオンの使い魔がいた。

 コウモリのヒラリ。

 さいわいにも命に別状はない。

 昨夜の騒ぎのなかで潰されることもなく生き延びていた。


 アシュレが優しく抱きしめてやると「ここはどこですか?」という表情で目覚め、むこうからしがみついてきた。


 夜魔の姫の言葉とコウモリを案じるアシュレの様子に、頑なな心をすこしはほぐされたのか。

 ウルドが瞳を持ち上げ、シオンを見つめ返した。


 その漆黒の瞳を正面から捉えて、シオンは続ける。


「我が騎士:アシュレの下へと、行くべきか行かざるべきか。逡巡しゅんじゅんするわたしに義妹が──スノウメルテが言ったのだ。行ってください、と。きっとアシュレが助けを必要としているからと。ヒラリが気絶したことを悟ったあの娘は、とっさに自らの《意志》で異能を振るいアシュレの行動を覗いたらしい。あとでキツイお仕置きを受けますからと言う彼女の唇は、代償がもたらした消耗に青ざめ震えていた。その必死さがわたしを後押しした」 


 それでわたしはここにいる。


「だから間に合った。御身を……そなたたちを助けることができた。そうでなければ、いまこのように三人で語らうこともできなかったであろう。真騎士の乙女ふたりの加護を受けたいまのアシュレがそうそうイズマに劣るとは思わないが、竜の皇女、疲れ切り消耗し切ったそなたはわからなかったな。命はともかくすでに捕えられ、おぞましき玩弄の贄とされていただろう」


 シオンは竜の皇女に想像を促すように、ゆっくりと瞳を閉じた。

 ごくり、とウルドが喉を鳴らす。

 それを待っていたかのように目を開いて続けた。


「もちろん、わたしがアシュレを助けるのは当然のことだ。わたしの大切な主であり、かけがいのないひと・・なのだから。これは我らの帰りを待つスノウも同じ思いであろう」


 ただ、しかし、 


「ウルドラグーン──御身は違う。御身は我ら戦隊の者ではない。そうであるにもかかわらず、スノウという娘は自ら代償を支払って御身の窮地きゅうちを知り得、これを助けたということになる。これは普通ではないことだ。結果としてはということになるにしても、御身は我が戦隊から特別な処遇・厚遇を受けたということだ」


 もちろん同じ女として御身に降りかかった不幸について同情はするし、その苦境には感じるところがある。

 ウルドの立場にも理解を示して、シオンは目を細めた。


「それゆえ一刻も早く、その身をそそぎたいという気持ちもわかる。が、だ」


 諭すように告げた。


「我が主が助けると言ったからには相応の扱いもしよう。だが、そうであるならまず我が戦隊の事情を優先して欲しいのだ」

「具体的には一刻も早くスノウと合流したい。彼女は凄まじい超常捜査能力の持ち主だけど、《スピンドル能力者》の基準で言えば戦闘力は皆無といっていい。ひとりにしてはおけない。キミをその《ちから》で助けた娘だ。協力して欲しい。湯浴みは彼女の安全を確保してから、ぜひに」


 ここが提案のしどころとばかりにアシュレが畳みかけた。

 切実だった。


 竜の皇女は、ふたたび視線を落した。


 間違いなく彼女はさとい。

 アシュレたちの主張の正当性は認めてはいるのだ。


 ただウルドはこれまで王としてなに不自由なく生きてきた。

 食べたいときに食べ、眠り、湯浴みしてきた。

 意志を阻まれたことはまずなかったし、阻む者あればこれを打ち倒してきた。


 だかか自分自身の要求が後回しにされたことなど、生まれてこの方一度もないのだ。


 それが竜の生き方であり、竜という存在そのものだった。


「貴様ら話、あいわかった。だが我は……我は王だぞ。それがこのような浅ましい姿でおられるものか。まずをもって民草に示しがつかぬわ。せめて湯浴みはさせよ。それまでは行かぬぞ、どこにも。だいたい地べたを徒歩かちでなどと、それは王族の移動手段ではない。せめてウマを揃えてこい」


 ブツブツとつぶやく彼女に、王としての驕りと支配者の体面がもたらす頑迷さを見出したアシュレは、断りなく間合いを詰めそのかたわらに跪いた。

 言い争っているヒマも、頑迷な考え方を言葉で説得している時間もなかった。


「失礼」


 言うが早いかウルドを横抱きに抱き上げる。


「貴様ッ?! ななな、なにをするッ?!」

「なにって抱っこだよ。頑固なお姫さま。キミが走りたくないっていうなら、これでボクが走っていくんだ。キミはまだ竜の姿になれず飛べないんだろう? だからそんな我が侭を言う。だったらほかに方策はない。そもそも竜の一族は移動系の異能は得手でない。いま徒歩かちで行くなどと、って呟いただろ? 空を飛べるキミたちが地表を走る能力を開拓する必要は本来ないんだから。違うかい?」

「だからと言って、このように我と肌を触れ合わせるなどと──しかも我は一糸まとわぬ無防備な姿だ──こんな密着姿勢が許されると思うかッ!」


 いま竜の姿になれないことを、ウルドは暗にも認めた。

 さきほどそれが可能だったのは胸に突き込まれている黒杭から、アシュレが《スピンドル》を流し込んでくれていたからだ。


 その《ちから》をウルドは我がものへと返還し、竜に化身した。


 つまりその補助がないいま、彼女は人間とさほど変わらない。

 いや現段階に限れば、アシュレにさえ敵わないだろう。

 弱り切った彼女はただの高慢なだけの小娘に過ぎない。

 その証拠にウルドの抵抗は口ばかりで、力がまるで籠っていない。

 もう手足も満足に動かせないのだ。


 移動系の異能に竜族が疎いこともアシュレの指摘通り。


 生まれついて空を飛べる種が、足場の不利や移動の不便について考えたりすることはまず無い。

 つまりその不利を克服する異能の習得など考えもしない。

 夜魔が治癒系・治療系の異能にまったく通じていないのと同じ理屈である。


「再考を求めるぞ、アシュレダウ。ほ、ほかにもやり方があるのではないか? こ、このような汚れやつれた姿を衆目にさらすなど正気の沙汰ではない! しかも男に抱きかかえられ、駆けるなどとあさましいにもほどがある!」

「悪いけど異論は認めない。ボクらには時間がない。守らなければならないのは、キミだけじゃないんだ」


 有無を言わさぬアシュレに、竜の皇女は助けを求めてシオンを見た。

 同じ女性にょしょう、それも夜魔の貴種であれば自分の主張の正しさを認めてくれると考えたのだろう。


 だが“叛逆のいばら姫”は瞳を閉じただけで、諦めるように伝える。

 アシュレの行動はシオンの考えの代弁だったからだ。


「シオンザフィル?! まさか本当に行くのか?! 後生だ、助けてくれ! これではまるでさらわれていく姫のようではないか。見ようによっては我がこの男に屈したかのようである。屈辱だ、屈辱を感ずる。我を助け、尊重するという約定を違えておるではないか! そのスノウという娘にはいましばらくの辛抱をさせるがいい! 我を優先せよ!」


 もしかしたら──たったいま自ら口にしたように──自分よりもスノウがアシュレに優先されているのが気に食わなかったのか。

 怒りを通り越しほとんど泣き顔で言うウルドを、しかし騎士は逃しも許しもなかった。


 竜槍:シヴニールを格納状態に、ブランヴェルを背負って駆け出す。

 聖盾:ブランヴェルの力場操作による滑走を使わないのは竜の聖域に対する敬意だ。

 破壊された景観が元に戻るには、気の遠くなるような時間がいることをアシュレはよく知っていた。


 それはなんというかウルドに対する敬愛の念からでもあったのだが、いまの彼女には通じまい。


 すべてを振り切るようにアシュレは駆け出した。

 胸中に湧き上がる予感めいたものが、彼を強引にさせていた。 

 その違和感をなんと言おう。

 焦燥、虫の知らせ、スノウを案ずる心──あるいはイズマへの信頼。


 それも極めて悪い意味での。


 一時的に退いたとはいえイズマという男が、昨夜もそしていまこのときにも仕掛けてこないという不自然さに対する──あの土蜘蛛王がひとたび的と定めた獲物相手に、そんな手ぬるい追い詰め方をするわけがない。


 そういう信仰にも似た思いに騎士は駆られていた。




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