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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 5・「竜玉の姫・屍竜の王」
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■第一六三夜:和解と黒杭



「イズマ……」


 飛び去って行ってしまった土蜘蛛王の姿が消えた空を、アシュレはしばらく身動きもできず、呆然と見上げていた。

 その背中に詰問が投げつけられた。


「なぜ助けた。そしてキサマらは……なに者だ」


 混乱と動転、それから消耗によるふらつきで、問いかけるウルドの声は震えていた。

 いま起きた出来事がうまく理解できないのだ。

 ただその言葉遣いからは、敵愾心のようなものは薄れている。


 固い岩盤に刃を突き立て、これを杖にようやくという感じで立っている。


 前を左手で隠しているのは無防備な自分に不安を感じているからだろう。

 裸身であることより、胸郭を穿つ黒杭と縛鎖のほうを彼女は恥じているのだ。


 対照的に高台から舞い降りてきたシオンは落ち着き払っている。

 アシュレのかわりに応じたのは彼女だった。


「お初にお目にかかる。竜の皇女:ウルドラグーンとは、そなたのことだな。まずは驚かしたことお詫びする。わたしはシオン、シオンザフィル・イオテ・ベリオーニ。“叛逆のいばら姫”のふたつ名で世間では呼ばれているらしいが──我が同胞を永劫生のくびきより救いたいと願い、その想いとともに旅をしている。彼はアシュレダウ。わたしが愛し最も信頼する清冽の騎士だ。女たらしなのが玉にきずだが……」


 ウルドの足下に跪き、夜魔の姫は流れるような口調で王族の挨拶をしてみせた。

 その見事な対応にアシュレは見惚れ、初対面時の己の失態を恥じ、シオンからの評価に照れたあと、最後に付け加えられたひとことに岩に穴を掘って入りたくなった。


 いっぽうのウルドは突然の口上を驚きを持って受け止めたようだが、まっすぐなシオンの瞳に感じ入るものがあったのか、これを拒絶したりはしなかった。

 王である彼女にとって、夜魔の姫が見せた敬いの態度は好ましいものだったに違いない。


 戦闘に入る直前、アシュレが見せたウルドへの姿勢と至誠の言葉も相まって、彼女の態度は大幅に軟化していた。

 竜皮の籠手:ガラング・ダーラに端を発する激昂も、毒気を抜かれたかのように鎮静している。


「丁寧な挨拶、痛み入る。夜魔の姫、シオン殿下。危地を助けてくれたことにも礼を言う。それに──その者アシュレに対する評価、正直なのが気に入った」


 頑なだった表情を緩めたウルドが友好を示す。

 シオンの名乗りが最後の一押しだったようだ。


 刃を鞘には戻さないが、これはすがるものがなければ立っていられぬほどの消耗のせいで、敵意からではない。

 とうに疲労は限界を迎えているだろうに膝を屈することを己に許さないのは、王者としての誇りか。


 いっぽうシオンに女たらしと評され、さらにそれをウルドが認めたことに納得がいかないのはアシュレだ。


 だからあれは人工呼吸であって含むところなんかないんだけど、と天を見上げ、込み上げてくる感情をなんとかしようと試みる。

 拗ねている犬のようだぞ、とシオンが笑うからますます気持ちのやりどころがない。


 そんなふたりのやりとりにウルドはさらに相好を崩した。


「アシュレダウと言ったか。先ほどは済まなかった。貴様の言葉、信じよう」


 先ほどからのやりとりで、この男に腹芸はできぬと見抜いたのだろう。

 竜の皇女は微笑みかけてきた。

 笑うと硬質な印象の美貌びぼうが、まだすこしあどけなさの残る柔らかさを帯びる。


「竜皮の籠手:ガラング・ダーラを纏うこと、あの土蜘蛛の男:イズマと知己であること、いずれも深い事情があるものと察する。事実、貴様らはわたしのために戦い、我を救おうと奮闘してくれた。キミを助けたいとの貴様の言葉、たしかに感じ入るものがあったぞ。ゆえにこの件について遺恨は特に流す」


 ただ、と付け加えた。


「ただその武具は、我が最愛の兄の亡骸を材料に生み出されたもの。即刻の返還を要求する」


 これまでとは打って変わった柔らかな口調で、しかし断固として突きつけられた要求に、アシュレは正面から向き合った。

 信頼を示してくれた相手からの要求は、決してはぐらかしてはいけない。

 それは交渉時の最大のタブーだ。


 望まれるまま竜皮の籠手:ガラング・ダーラに包まれた右腕を差し出す。


「返還の件、了承した。御兄上の形見。そういう事情であればやぶさかではない。ただ竜の皇女よ、その前にひとつだけ我がままを聞いて欲しい。この竜皮の籠手:ガラング・ダーラはボクが土蜘蛛王──先ほどのイズマから借り受けたものだ。まるで私物のように扱うことを許されているけれど、まだ正式にボクのものだというわけではない」


 騎士の返答にウルドラグーンは小首をかしげて見せた。

 続けろ、という意味だ。

 アシュレは首肯で応じる。


「ついてはこの武具の返還は、今回の事件を解決したあかつきとしてもらえまいか。スマウガルドを退け、イズマからことの真相と彼の真情を聞き出してからにして欲しいんだ。勝手な理由で申しわけないんだけれど、ボクたちにも戦う理由がある。あなたのためだけではなく、これはボクたち仲間の──戦隊全体の問題なんだ」


 筋道を立ててハッキリと理由を話したアシュレを、ウルドはしばらく無言で見つめていた。

 その瞳に不思議そうな光がある。


「なにか?」

「返還の伴う条件は承った。ただ貴様はまだあの男、イズマを信じているのか? 先ほどまでのやりとりを経てなお? あれは……なんともゲスな本性の発露ではなかったか。あれほど包み隠すとところなく己の悪行を堂々と正当化できるとは並のタマではあり得ないが、どう見ても悪党そのものだろうに」


 アシュレはシオンと顔を見合わせた。

 たしかに、イズマを知らぬ竜の皇女から見たらあれはゲスな悪党の典型だ。

 獅子身中の虫、国を傾ける悪の執政官そのものだ。


「いやっ、そのイズマのこと知らなければ無理もないとは思うんだけど……あれはいつものことっていうかなに考えてるかわかんないっていうか……でもそれでいてなにか絶対に考えを持ってるっていうか……」


 いや悪党なのは間違いないんだけど、悪い悪党じゃないっていうか。

 ウロウロと歩き回りながら弁護なのか告発なのかわからぬ発言を繰り出すアシュレに、ついに竜の皇女が吹き出した。


「ウルド?!」

「いやわかったわかった、よくわかったぞ、アシュレダウ。つまるところ信じている、ということだな。うわべしか知らぬわたしなどでは思いもつかぬような深い場所で、貴様はあの蜘蛛男を信じている。理解しがたいことではあるが、単なる裏切りではありえん、とそういうことか」


 まったくうまく弁護できたとはアシュレにも思えぬのだが、どうやらそれがかえってよかったようだ。

 うっかり愛称で呼びかけた件も竜の皇女は不問に伏してくれた。


「わかった。貴様を信じよう。貴様の信じるイズマとやらの思惑も、信じれるように努力する」

「良かった。キミが度量の大きい王族で、本当によかった」


 アシュレは跪き、騎士の礼でウルドの寛大さを讃えた。

 フ、と竜の皇女は笑う。


 と、その途端、竜の皇女の肉体が頽れる。

 安心したことで気が抜けたのか。

 彼女の疲労はとっくに限界だったのだ。

 

 慌てて飛び出したアシュレが抱きかかえなければ、岩場で頭部を強打していただろう。


 だがその表情を確認すれば、単に気を失ったのではないことは明らかだった。

 苦悶に寄せられた眉根、荒く乱れた呼吸。

 右手で必死に隠していた胸乳が露になり、そこに埋め込まれていた黒杭と縛鎖が明らかになった。


 アシュレはシオンとふたたび顔を見合わせた。

 もちろん先ほどでのような悠長なやりとりではない。


「いけない。肺腑が圧迫されているのか。これはただ気を失ったんじゃないぞ?!」

「皇女の胸に打ち込まれているのは楔……いや杭か──しかもこの邪悪な気は負の《フォーカス》。いかん、これはアシュレ!」

「ジャグリ・ジャグラのような代物、そう考えるべきなんだろうな」

「あるいは。ともかくこれが彼女の胸郭を蝕んでいるのだ。すぐにも手を打たねば」


 どうする?

 言葉ではなく視線でシオンが覚悟を問うてきた。

 邪悪な意志ある《フォーカス》は個別の試練とは異なるカタチで、その悪行を正そうとする者に危害を加えてくる。

 たとえば蛇の姫:マーヤをいまも捕え玩ぶあの忌まわしき刑具のように。

 アシュレは迷いなく答える。


「力づくで躾けるしかない。いつかボクがジャグリ・ジャグラ相手にそうしたように」

「だが此奴こやつがどのような代物で、いかに邪悪な性を持つものか全然わからぬのだぞ」

「なんにせよ、これがろくでもないものだというのだけは間違いない。コイツの真の持ち主は件の竜王:スマウガルドだ。ウルド本人から聞いたわけではないけれど、これが彼女自身の趣味でないなら、こんなこと竜の皇女にできるヤツはほかにいないからね」

「そこまでわかっているならくどくは言わぬが──相手は腐っても竜王の持ち物。間違いなく手強いぞ?」


 シオンの問いかけは疑問というより確認だった。


 もちろん。

 アシュレは首肯でそう返す。


 次の瞬間、竜の皇女を蝕む禍々しき黒杭と縛鎖にアシュレは手をかけていた。

 彼の今夜の戦いは終わってなどいなかったのだ。


 それはアシュレにとって、もっとも長き夜になった。





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