■第一六二夜:決裂
「ハデに閃光が走りまくったあと、信号弾どころかまったく音沙汰がないものでな」
やれやれ、とため息をつきながら“叛逆のいばら姫”は苦笑して見せる。
こちらもやはり皮肉げな笑い方だったが、彼女のそれはイズマの見せる冷笑ではなく、愛する騎士への慈愛で満たされていた。
「シオン!」
アシュレはその名を思わず呼ぶ。
窮地に駆けつけてくれた最愛の姫を想って。
舞い降りた夜魔の姫は、そのまま一陣の嵐となり戦場を駆け抜けた。
掲げた大剣から放たれる白銀の煌めきは清浄なるバラの薫りとともに、迫りつつあった蜘蛛たちの巨躯に食い込み叩き伏せ、これを次々に撃滅していく。
「おっとう、コイツはいけね。ひゃー、姫まで連れて来るなんてアシュレくん、それはちょっと反則じゃないのよ?!」
「イズマ、降りてこい! 貴様、よりにもよってアシュレに手を上げるとはお仕置きだぞ!」
「あーらら、こわいこわい。兄弟喧嘩にママが出てきちゃったよ」
「ママ?! なんだとう、コラ! わたしはまだ息子や娘を持った経験などないぞ!」
おどけた口調で言いながらイズマはそそくさと距離を取った。
聖剣:ローズ・アブソリュートの恐ろしさを彼は充分以上に心得ている。
シオンが追撃に移るが、聖剣:ローズ・アブソリュートを装備している関係で影渡りの使えない彼女が、このような地形でイズマに追いつくのは不可能だ。
たしかに影渡りの上位異能である星渡りをシオンは習得済みだ。
これは聖なる籠手:ハンズ・オブ・グローリー装着時=聖剣:ローズ・アブソリュート使用時にも次元跳躍を可能にするが、心臓を共有するアシュレの《意志》の高まりと、シオン自身のそれが感応・呼応して初めて使用可能な技であるため、個人の裁量でいつでも使えるというわけではないという難点がある。
ここではイズマへの信頼と裏切りの事実の間で揺れるアシュレとシオンの心が枷となっていた。
まだふたりは真の意味でイズマを敵と見做せていないのだ。
その迷いがある限り、星渡りは使えない。
なるほどこの遭遇はイズマの心理戦勝ちという見方ができる。
「イズマ、貴様、本当に裏切ったのかッ?!」
「そのへんの経緯はアシュレくんにお話ししたので割愛しますぅ。それよか姫もこっちにつきません? なかなか好待遇ですよ?」
「ふざけるなッ!! なにが竜王だ。あんなものこの世への未練と憎悪で凝り固まった死に損ないではないか。第一あの爛れ落ちたトカゲ面に鼻がもげるような腐臭──奴の腐れ果てた性根が《スピンドル》にまで染みついているのだ──耐えられんわッ!」
岩場を軽々と駆け上がり跳躍しながらシオンが一撃を放つ。
たとえ影渡りを封じられていても、夜魔の姫の足さばきは神がかっている。
輝ける光嵐の煌めきを目くらましに使いながら、鞭のように伸ばした聖剣:ローズ・アブソリュートの刀身でイズマを捕えようとする。
だが、イズマはシオンの攻撃の間合いを読み切っていた。
あとわずかというところで、ことごとく狙いは外されていく。
崖の上にそそり立つ針葉樹の枯れ木、その細い細い幹の頂点に回避を終えたイズマは軽々と至った。
宣告する。
「姫、歯に衣を着せない我がご主人さまへの評価、感服に値しますがあとで後悔しないようにね? ちゃーんと陛下にはご報告しなくちゃならないから。負けた後どんな目にあっても自己責任ですよ?」
わきわきと両手の指を意味深に蠢かしながら、イズマは道化役者のようにおどけてみせた。
「しかし今夜のところは預けましょ。なーんかやばげな技でボクちんと陛下のお話も知られてるみたいですしー。こういうときサッと引けるのが良い指揮官なんだよねー」
抜け目なく己を持ち上げながら土蜘蛛の王は、不安定極まりないはずの足場の上で優雅に一礼する。
両腕を回転させざざざざざ、とどこからか木の葉を集めたかと思うと、にわかに巻き起こったつむじ風に身をまかせて飛び去る。
その姿はまさに糸を凧にして空を飛ぶ蜘蛛のようだ。
「逃すかッ!」
シオンが追いすがるが、そのときにはもうイズマの姿は天高く舞い上がり、聖剣:ローズ・アブソリュートの射程を遥かに遠く離れていた。
「ハハハハハハ、そんじゃま御三方、またまたお逢いしましょう。それもそう遠くないうちに。ウルドラグーン皇女殿下におかれましては精々お身体を磨いてお待ちください。あ、姫もね。ボクちんが任務達成の暁にはその報酬としてスマウガルド陛下に、御身の身請けを申し出ますし。たっぷり可愛がってさしあげますから、まっててネー!」
夜空に高らかな笑い声を残し、土蜘蛛王は飛び去った。
あとに残された蜘蛛たちの死骸を、腹いせとばかりにシオンが消し飛ばす。
流れ出る体液が温泉を汚染し、ひどい悪臭を立ち昇らせていたからだ。




