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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 5・「竜玉の姫・屍竜の王」
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■第一六〇夜:釈明と疑惑


 竜の皇女の平手打ちに、アシュレはのけ反るしかない。


 その一撃はまさに雷速。

 鍛練を積み上げてきた武人の掌底さながらの威力が後を追いかけてやってくる。


 戦乙女の契約ヴァルキリーズ・パクトの加護を二重に受けているはずのアシュレが躱せず、なんとか芯をずらすことしかできなかった。

 まともに喰らっていたら良くて脳震盪、悪ければアゴの骨が砕けるくらいはしていたハズだ。


 アシュレは両手を上げ、攻撃の意志がないことを示すのが精一杯だった。

 伸び切りそうになる肉体をなんとか押し止め、吹き飛ぶのだけは免れる。

 左頬を襲った一撃には電流が走るような痺れもあった。


「まった、ちょいまち……殴るのはまって。えと、ウルドラグーンさん?」

「貴様、我が玉体を目にしたばかりか触れるとはッ! それだけに飽き足らず、胸乳を揉みしだいてなにをしていたッ?! さらには我が名を知るとは──なにヤツ?!」

「いやあの、これは人工呼吸っていう蘇生術で。それから心臓をマッサージしたんであって胸乳は揉んでません。いや揉んだけどそれは揉んだんじゃなくって……ええとややこしいな。ともかくキミを助けようとして、ですね? お名前を存じ上げているのは……参ったなこれどうやって説明したらいいんだ???」


 アシュレはまだクラクラする頭を振り振り、できる限り誠実に状況を説明した。

 唇の端が切れて口内に血の味が広がる。


 その間に竜の皇女は飛び退って距離を取っている。


 見ればその手にはいつの間にやら、優美な刃が一振り握られている。

 シオンの守り刀:シュテルネンリヒトにどこか似た形状を持つそれは、明らかな業物であった。

 堂に入った構えから彼女自身の持ち物であろう。 


 まずい、とアシュレは戦慄した。

 この状況はいかにも誤解だが、彼女の出方仕方次第では刃傷沙汰に発展する。

 

 いいや──相手は竜だ。

 そんな程度で済むかどうか。


「ボクはキミを助けたんだ。キミが一匹目の蜘蛛を退けたあとのことを思い出してくれ。キミは口腔に糸を詰められ身体の自由を完全に奪われた。憶えているかい? 一匹は仕留めたものの、残ったもう一匹の毒牙にかかる直前だった。ボクはたまさかそこに居合わせた。そのときキミと目があった。憶えてない? わからない? とにかくそれで助けなくちゃと思って──」


 チカチカする目を必死にしばたかせて釈明するアシュレを、怒りの表情で見つめていたウルドラグーンがすううう、と大きく息を吸いこんだ。


「わあまった、なしなし吐息ブレスなし!」

「せぬわ、愚か者め。第一あれは竜としての姿でなければ使えぬ。だが、事情はすこし呑み込めた。キサマが助けてくれた、という話だな?」


 アシュレの言葉が記憶を呼び覚ましたのか。

 竜の皇女の口調にはわずかに冷静さが戻っていた。

 ふー、と深いため息が漏れるのをアシュレは禁じえない。


「話が早くて助かるよ。でも、できたら殴る前にお願いしたかったな」

「では次は我が玉体に無断で触れた件についてだ。心臓マッサージ? 人工呼吸? なんだ? 次はそれを説明しろ」


 矢継ぎ早の質問によろめきながらも、アシュレは説明の仕方を考えなければならなかった。

 人間でもこの時代、蘇生処置の知識を持つ者はそう多くはない。

 ましてや竜族相手に……これは通じるのか?


 頭を必死に捻って伝え方を捻り出す。


「えーっと、大丈夫? 説明聞いて殺さない?」

「それはキサマ次第だ。が、命を救ってくれた恩人だという話、無下にはせん。たしかに忌々しい蟲の糸も消えている……すこしは信じてやろうほどに」


 その言葉に、アシュレは腹を括った。


 なるべく簡潔に説明する。

 人工呼吸と心臓マッサージ、つまり蘇生措置について、だ。

 ちらちらと目の前を過る鋭利な切っ先が露に濡れて光っている。


 果たして、説明を終えたとき竜の皇女が見せた表情の変化は見物というか、畏怖すべきものだった。


 狼狽したり動揺したり目を白黒させていた彼女だったが、最終的な落とし所は殺気を孕んだ怒りの形相だった。

 なにかを堪えるように眉はつり上がり、口は大きくヘの字を描いている。


「口づけによる呼吸のやりとり……胸乳を心の臓に届くまで揉みしだいた……」

「いや、あの描写を過激にないで。あくまでこれは純粋な医療行為で、キミを助けるために必要で」


 アシュレの説明を竜の皇女はもう聞いていなかった。

 両手で口元を覆い隠し、深呼吸を繰り返す。

 目元には涙が滲んでいる。


「よもやよもや人間などに、はじめてを奪われるとは。不覚だ」

「ええとその言い方……まずくないですか」

 

 アシュレはなんとなく理解した。

 この娘さん、ものすごく思い込みが激しいのだ。

 そしていろいろはじめてなのだ。


「ともかく経緯はご理解頂けました?」

「ああ、なんとなくだが掴めた。医療行為。力無き人間たちの死を免れようという知恵か。なるほど、それならば致し方あるまい。ノーカウント、いわゆるノーカン。よしよし、多少なりと落ち着いてきたぞ。それにわずかに思い出せてきた。たしかにキサマの顔、気を失う前に見た気がする」


 ホッ、と一安心が吐息になる。

 というかむしろいままでは思い出してもらえていたわけじゃないのかと、背筋が凍りつく思いをした。

 彼女が握りしめている異形の刃は、恐ろしく切れ味が良さそうだったからだ。


 そんなアシュレの表情をどう捉えたのか、竜の皇女はまたまた疑り深い眼差しを向けてきた。


「だがどうやった。あの忌々しい大蜘蛛は我が《ちから》を持ってしても──大幅に《ちから》を減じられているとはいえ──苦戦を免れなかった怪物ぞ。それを人間ごときが仕留めるなどと。しかもキサマ、なんとも優男。女のようにキレイな顔立ち。歴戦の勇士にはとても見えぬ。どこにそれほどの実力が? 我に恩を着せるべく謀っておるなら容赦はせぬぞ」


 再びあの切っ先が持ち上げられた。

 つまらぬものなら真っ二つにしてしまそうな剣気が、そこから漏れている。


 アシュレは今度は呆れから、はー、と息をついた。


 疑り深くなっているのは竜本来のさがというよりも、直前に策略にかけられたからだろう。

 彼女に取りついていたあの巨大な蜘蛛たちは罠的なもので、ウルドラグーンは不意を打たれ窮地に陥ったのだ。


 いま彼女は、あらゆるものに対して疑心暗鬼になっている。


 だからといって命の恩人である自分が切られたら洒落にもならない。

 ともかくあの巨大な蜘蛛をひ弱な人間の騎士ごときが撃退したという証拠を、竜の皇女さまはお求めということだ。

 アシュレは竜槍:シヴニールを眼前にかざして見せることで証とした。


「これを使った。竜槍:シヴニール。我が家伝来の家宝だ」

「竜槍だとッ?! 我らが竜の一族の名を冠するとは大それたことだが……真騎士の乙女たちの槍のことだな。ふん、キサマの掲げるそれがまさか本物だとでも言うのかよ」


 疑わしげな態度を隠そうともせず、竜の皇女は目を細めた。


「たしかにそのような《ちから》あれば、我ら竜族には及ばずとも大物の敵を屠ることもできようが。それをキサマのような人間の男子おのこが振るって我を助けただと? やはりにわかには信じられぬことよ」

「竜族であるキミが《フォーカス》の護りを知らないのかい? もしボクが嘘を言っているならこの腕はもうとっくに炎を噴き上げ、焼き抜かれている」


 つまりボクはこの槍に正統な所有者として認められているってことだ。

 竜族の誇りに訴えかけつつアシュレは断言し、本物の《フォーカス》であることを確認するように迫った。


 その剣幕に竜の皇女は切っ先をわずかに下げ、しげしげとアシュレの差し出した槍に目を走らせた。


 ずい、と槍を持った拳をかざすと、ウルドラグーンの漆黒の瞳が品定めをするようにシヴニールの表面をなぞる。

 うんうむんこれは、と感心とも納得ともあるいは認めざるを得ないという感情ともとれる唸りが、その白い喉から発せられた。


 シヴニールは当然のように本物の《フォーカス》だし、アシュレが話した経緯には嘘も誇張もないのだから当たり前といえば当たり前なのだが、どうやらわかってもらえたらしい。


 道理の通じる相手でよかった。

 これで安心とばかりにアシュレが力を抜いて、槍を下ろそうとしたそのときだった。

 突然、竜の皇女がアシュレの右手を掴んできた。


「どうしたの? わかってくれた? えっ、これは友好の印?」

 

 竜族にも人間同士の握手のような習慣があるのか。

 アシュレは一瞬、そんなことを考えた。


「キサマ……これはなんだ」

「これ? なにって竜槍……いま説明したよね?」

「そうではない。この籠手はなにかと聞いている!」

 

 籠手?

 なにを言われたのかわからず、アシュレは思わずまじまじと己が右手を見つめた。

 そして気がついた。


「これは竜皮の籠手:ガラング・ダーラ……」


 あっ、と息を呑んだときには遅かった。

 びょう、と刃が振るわれアシュレの鼻先を掠めた。


「キサマどこでこれを──やはり謀ったなッ?! 許さん、許さんぞッ!」


 釈明をする暇もあらばこそ、雷速の勢いで蹴り込んできた竜の皇女をアシュレは必死に捌いた。

 刃だけに頼らない戦い馴れた戦士の動き。

 それをいなせたのはイズマやシオン、エレとも繰り返した格闘術と体術訓練のおかげだった。

 受け止めるのではなく相手の勢いを利用して流す、魔の氏族たちの技術。


 ウルドラグーンの体勢がそれで崩れ、膝をつく。

 刃を岩塊に突き立て、片膝立ちになる。

 すぐさま体勢を建て直そうとするが、果たせない。

 足に力が入らないのだ。


 驚愕と屈辱にその目が見開かれる。


「くっ、なんという屈辱ッ! 人間ごときにあしらわれ、まともに立つこともできぬとは。否、それだけではない。心まで弱り切り、このような者を信じかけるとはッ! 不覚ッ! 不明ッ!」


 己をなじる竜の皇女にアシュレは呼びかけた。

 誤解を解かなくては、大変なことになる。


「まってくれ、ボクは敵じゃない。それにこれは、この籠手は!」

「竜──その皮で作られた武具。土蜘蛛の王族の装束:ガラング・ダーラ、そう言うのであろう! やはりやはり、キサマはあやつの手の者、イズマガルムの手先かッ!」


 ままならぬ四肢を震わせ必死に立ち上がろうとしながら、ウルドラグーンが叫んだ。

 

 驚いたのはアシュレだ。

 彼女はイズマを知っている?!

 竜皮の籠手:ガラング・ダーラの名まで?!

 立て続けに明かされる真実に、混乱に拍車がかかる。

 いったい、どういうことなんだ?!


「まて、待ってくれ。待つんだ、頼むウルド! これは誤解だ。たしかにボクはイズマを知っているし、これは竜の皮を用いた武具であり、その名も正しくガラング・ダーラだが──これはなにかの間違いだ!」

「ウルドなどと軽々しく愛称で呼ぶなッ! キサマに唇を許したのはわたしの不覚だが、心まではそうではないぞ! そして間違いなどであるものかよッ。キサマが我が兄の亡骸を用いた武具をいま眼前でまとっているのがなによりの証拠ッ! そこな品をいかにして贖ったッ?!」

「そんなまさか……ガラング・ダーラがキミの兄上の……そんなことってあるのか?!」


 竜の皇女の口から紫電の吐息ブレスを思わせて迸り出る衝撃の事実に、アシュレはめまいを憶えた。

 どうしてだ、どうしてこんなことに。

 思わず額に手をやる。

 しかしウルドラグーンの追求は止まなかった。


「言え! それとも言えぬか。なるほどそうであろう。キサマはあの穢らわしくも忌々しいイズマガルムの配下、それも相当の使い手よ。我を助けるフリをしてさらなる地獄へ引きずり込む算段であったろうが! おのれおのれ、危ういところであったわ。察するに先ほどの蜘蛛もキサマの自作自演であろう? 不意打ちの罠を仕掛け、手下に襲わせ、身も心も弱り切ったところを騎士面で現れて懐柔する。そうして心を許したところで組み伏せ玩弄し蹂躙し尽くす──昔からそれがキサマらのやり口。ほだされかけた我が身の愚かさを呪うぞッ!」


 それにしても土蜘蛛め──純真そうな人間を手下に加え我が心を揺さぶりにかかるとは、なんという悪辣。

 つばきとともに忌々しげに言い捨てると、ウルドラグーンは殺意のこもった眼でアシュレを睨めつけてきた。


 唾液に含まれていた紫電が水面でチリリ、と散る。

 泥土に差し込まれていたか鋭利な切っ先が易々と抜ける。

 膝立ちのまま、《ちから》を溜めるように構えられる。


 一方のアシュレは、なぜこうなったのか、まだ理解できずにいた。

 先ほどまでもたしかに性急な展開ではあったが、彼女とは和解できる雰囲気だったはずだ。


 それがなぜこうなった。

 いや原因はアシュレが身に付けた竜皮の籠手:ガラング・ダーラにあることは間違いないのだが──。


 頭上から拍手が降ってきたはそのときだ。

 パンパンパン、と小憎らしいほどリズミカルに打ちあわされる掌のが渓谷に響き渡る。


「いやー、ナイスナイス、ナイスだよアシュレくん! いやいや、よく捕まえてくれたネ? しかもほどよく弱ってるし、こりゃあいい。ホントいろいろ手間が省けました。アリガトネ!」


 頭上から浴びせられる軽薄極まりないセリフの主を、だれかと問うまでもなかった。

 それでもアシュレは天を見上げ、その姿を確認する。


 彼はそこにいた。

 空中に張り巡らせた蜘蛛の糸の上に立ち、腕組みをして。

 蒼い月光を背負っていた。

 特徴的な土蜘蛛の長ストールが風になびく。


「イズマ……」

「ご名答、そしてお久しぶり」


 ニタリ、と鮫のように土蜘蛛王は笑った。

 そしてその笑みに答えるように、崖の陰から先ほどの大蜘蛛たちが音もなく次々と姿を現した。





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